病院暮らし1
あまりの驚きに窓の方を見て固まっていると、背後から物音がした。
何が起こったのかと首を振り確認すると、視界に30代後半と見られる男性と、20代前半とみられる女性を捉えた。白衣とナース服に身を包んでいることから病院の関係者だろうと気づき、ホッとする。
しかし、あちらの反応は違った。
「あの、すいません。あなたはどなたでしょうか?ここは西山奈津希さんの病室なのですが。」
それを言われてハッとした。
俺の今の姿は小柄な女の子、180近くあった男とは共通点なんてないに等しい。
かといって「起きたら女の子になってました」なんて話がすぐ信じてもらえる訳がない。
なんて答えていいのか分からず、「あの、その、えっと」とまともな答えを言えず、右往左往してしまう。
それによって向こうもこちらを疑うような目で見てくる。
こんなことだけしていても状況は悪くなるばかりだって分かってる。でも、どう答えたらいいか分からない。
そんな状態を、音が壊した。
今は0時過ぎ、そんな時間の病院で人が走ってくる足音が聞こえたのだ。
タッタッタッタという音がだんだんと大きくなってくることで、こちらに何かが近づいてくるのが分かる。
医者とナースとみられる2人もそちらを注意を払う。
その正体とは…、
「すいません!警視庁の中澤です。
西山奈津希くんの容体を確認しに参りました。」
まさかの若菜さんである。
その姿は、耳が隠れるくらいのベリーショートの黒髪に、鋭い目、高い身長、整ったスタイルとまさしく女性が憧れるかっこいい女性を表したようだった。
ーーー他の女性たちが若菜さんに文句をブーブー言っていたのが少し分かった気がした。
こちらでの姿は知らなかったが、知り合いがやってきたことに俺は安堵し、お医者さんたちは足音が警察官だったことに安心したようだった。
そうやって少し緊張感が緩まった場に、若菜さんは爆弾を投げてきた。
「それで、西山奈津希くんはどうなのでしようか…、って。あれ?奈津希くん?
でも、あれはゲームの中のアバターのはずだよね!?
なんで、奈津希くんのアバターが現実の奈津希くんの病室に!?」
俺は指摘されたことにピクリと反応し、お医者さんたちは口をあんぐりと開けた。
◆ ◆ ◆ ◆
その後、若菜さんのお陰で俺の言うことは信じてもらうことができた。
いや、若菜さんの言葉だけでは信じてもらえなかっただろう。
でも、機械が記録し続けていた脈拍のデータと、血液型、自身の個人情報をしっかり言えることなどにより信じてもらうことが出来た。
深夜ということもあり、精密検査などは明日(いや0時回ってるから今日かな?)にやるらしく、俺は病室に1人残された。
これからどうなるのだろう。
ゲームに閉じ込められた時のとはまた違う不安が押し寄せてきた。
ゲームに閉じ込められた時は戻れるかどうかの不安だった。
逆にそれは、戻るということさえ出来ればその後は安心、普段通りの生活を送れると思っていたのだ。
今はそれとは違う。
今後、どうなるかなんて一切分からない。
閉じ込められたんじゃなく、身体ごと変えられた。
このことが重く俺にのしかかる。
ーーーいつか見た漫画でやっていた。
生命を弄んで新たな生物(いやこの場合はキメラと呼ぶべきだろうか?)を作ることはできても、その生物から元の生物に戻すことはできない。
俺の今の状態は、そういう不可逆のものなのではないか。
その場合、俺は一生このままなのか。
家族は、こんな俺の姿を受け入れてくれるだろうか。
周囲は、俺をどんな目で見るだろうか。
ーーー可哀想な被害者として見てくれるだろうか
ーーーそれとも、ただの1つの気味の悪いものとして見てくるのだろうか。
暗い病室に1人ということもあってか悪い想像しか出てこない。
やめろ、やめろ。と自分自身の頰にビンタをし、俺は強引に思考をリセットさせる。
それを幾度か繰り返すうちに、俺は夢の世界へと旅立っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
最悪の目覚めだった。
眠った気がしない。疲れが取れた気がしない。
一体俺は何時間眠れたのだろうか。
カーテンを超えて日光が入ってくるのを感じる。
そこから推測するに、7時から8時だろうか?
寝れないのなら、もう起きてしまおう。と上半身を起こすと、無意識下で伸びをする。
この身体にはまだ慣れていないので、寝方が身体に負担がかかるようになっていただろうか?
ーーー慣れたくはないけれど。
そんな風にうんうん唸っていると、扉が開いて人が入ってきた。
ーーー昨日?今日?のナースさんだった。
「あ、起きていましたか。おはようございます。
よく眠れましたか?」
「あんまりです。」
「そうですか。でも、仕方ないと思いますよ。
突然身体が変わったりしたんですから。」
そう言って、こちらの世間話やらなんやらに付き合ってくれるナースさん。
そうやって話していると、どこか気分も落ち着いてきた気がする。
ーーーそういえばいつか見たっけ?
人と話すと精神が安定するみたいな記事。
ネットで見ただけなので、それが本当かどうか分からないけれども、もし本当ならナースさんが話に付き合ってくれたのは、俺の精神を安定させるなんて目的があったのかもしれない。
そんなくだらないことを考えていて思った。
ーーーーあれ?なんで昨日と同じナースさんなんだ?と。
大きな病院だから夜でも人がいるのは分かる。
でも、夜勤の人が8時まで働きっぱなしなんてあるの?
「あの、すいません。
ナースさんの方は大丈夫なんでしゃうか?」
「?何がでしょうか?」
「いえ、夜勤明けなのに俺なんかの話し相手になってたりして。」
ナースさんはそれを聞くとキョトンと目を丸くした後、小さく笑った。
「ああ、大丈夫ですよ。まだ私の勤務時間ですし。うちの病院は3組2交替制を実施していますから。」
「3組2交替制?」
「勤務時間を3つに区切って働くことよ。
うちだったら9時から17時まで、17時から1時まで、1時から9時までの3つの班を作って1週間ごとに回す仕組みなの…って高校生にする話じゃなかったかな?」
それを聞いて俺の頭はパンクした。
俺は父さんの会社が、父さんの入社20周年を記念して、旅行券をくれたとかで、1度だけ海外に行ったことがある。
行きは大丈夫だったが、帰りはボロボロ。
真っ昼間に眠くなって、真夜中目が覚めてしまいあれが夏休みじゃなかったらと思うとゾッとするレベルで時差ボケした。
なのにナースさんは日常的にそんなことをやっている。
いろいろぐるぐる回っていると、ナースさんがあっと口を抑えるリアクションを示して、慌てたように口を開いた。
「あ、でも9時になったらいなくなるってわけじゃないからね?
定時だからってオペの途中で帰ったりしないでしょ?それと同じで残業できるからね?
むしろおばさん、給料アップでウハウハなんだから!」
俺のリアクションをただでさえ追い詰められた状態なのにコロコロ人が変わるかもしれないことへの混乱、不安と想像したのか、とりあえずは自分がずっと応対するということを説明してくれた。
この反応に対して俺は、落ち着かせようとしてくれたことへの感謝よりも意識を持っていかれてしまったことがあった。
ーーこの人が『おばさん』ってどういうことだ?
ナースさんの外見年齢は20代前半、いや、下手したら10代にも見えるレベルで若い。
なのにおばさんって…。
「あの、失礼かもですが、ナースさんはおいくつなのでしょうか?」
失礼だろ!という意識よりも興味が勝ってしまいつい聞いてしまう。
「私?私は28だよ。これでも副ナース長なんだ。
あ、そういえば自己紹介もしてなかったね?
私は原田美春っていいます。ちょっとの間だけどよろしくね。」
自己紹介なんて普段はしないんだけど、奈津希さんとは今日1日、ずっと一緒にいるしね。とフフフと笑いながら彼女は言った。
え?
今日1日ずっと?
「今日1日って…、一体何をするんですか?」
「ああ、それを伝えるためにここに来たのに言い忘れてた。
本日なんですが、9時から身体検査をさせていただきます。」
「ああ、身体検査。」
なるほど、と納得する。
性別が変わったなんて意図的に性器を取ったりつけたりする以外には、今まで1度もない、おそらく人間自体で初のことだろう。
なんでこうなったのか。どうしてこうなったのか。健康に異常はないのか。
調べなきゃいけないことは山ほどあるのだろう。
って。
「今日1日!?大丈夫なんですか!?」
夜勤からそのまま1日勤務って…、やばいだろ流石に。
そう思い問いかけると、美春さんはそんなの考えたこともなかったと言わんばかりに、
「フフフ、奈津希さんは知らないと思うけどね。
夜勤明けっていうのは変なスイッチ入ってて、眠気はどっか行っちゃってるんだ。
むしろ夜勤中、特に2時3時がキツイんだけど、その山越えちゃえばわりかしどうにかなるんだから。」
と言う。
その様子はとても三十路を間近にしてるとは思えず(失礼)、ドヤ顔で説明する可愛らしい姿にすこしドキリとしてしまった。
そんな時、別の人が入ってきた。
「お前…、入院患者さんに何言ってんだ…?」
「げっ!?山村先生!?なんでここに!?」
「なんでも何も特異な状況にいる患者さんを診ることになるんだ。少しでも患者さんが安心できるよう、少しでも関係築こうとしただけだよ。」
いや、いい心がけだと思うけど、そのセリフ患者さんに伝えちゃ意味ないんじゃない?と患者である俺が思う。
そんな俺の考えには気付かず、山村先生とやらが話しかけてきた。
「西山奈津希さん、こんにちは。
僕があなたの担当医となります、山村拓海です。
担当医と言っても、僕ができるのは精神面のサポートだけなんですけどね。
少しでも辛い、不安だ、怖いという感情が湧いてきたり、気になることがあったりしたら僕に聴いて下さい。
…まあ、原田でもいいですけど。」
「何ですか!?その私はオマケみたいな言い方!
これから一緒にいる時間なら、先生より私の方が長くなるんですよ!!
むしろ、先生がオマケじゃないですか!!」
「だって、お前口が軽すぎて、重い相談はしにくいだろ!!威厳なんて全く感じないし!!」
「はぁ!?何言ってんですか!?
自分で言うのもなんですけど、私28で副ナース長ですから、いわばエリートなんですよ!?
威厳が服着て歩いてるようなもんじゃないですか!!」
「だったらもう少し威厳のある行動をしろ!!
お前、先週なんて後輩に自販機前で『飲み物買って』ってねだってたって聞いたぞ!!」
「そんなんしゃーないじゃないですか!!
先月両親が行く旅行の新幹線代負担したんでお金なかったんですよ!!」
「そんなこと知るか!!
だからって副ナース長様が、後輩に飲み物ねだるな!!」
激しく言い争う2人。
その論点が物凄くくだらないことだったので、つい笑ってしまう。
それを見たからか、山村先生がガッツポーズをした。
「おい原田、ナイスだ!!
あえて俺のインテリイメージを捨てて、お前のアホキャラに付き合った甲斐があった!!」
え?あれ寸劇だったの?
っていうか、自分でインテリイメージ言うの?
「え、なんですかそれ!?
私アホキャラじゃないですよ!!」
…。
双方の理解の下じゃなかったのか。
そう思うと同時に、俺でも理解できた褒め言葉(まあ、ディスりも少し入ってるが)を、ただの嫌味と勘違いした美春さんのことを少し残念に思った。
…勉強はできるけど頭悪い人っているよね。
「ってもう8時45分じゃないですか!?
山村先生がアホなこと付き合わせるからですよ!!
ごめんね奈津希さん、準備してもらってもいい?」
突然話の方向がこちらを向き、思わず身体がビクンと跳ねる。
こうして俺は、身体検査に赴くこととなった。