病院暮らし19
この入院生活も3週間目に、つまりは入院生活最終週を迎えた。
とは言ったものの、俺の生活は変わらないーーーーーーーーはずだった。
そう、今日から俺の生活は大幅に変化することになるんだ。いや、変化するのではない、俺が変化させるんだ。
そのために、昨日俺は入院生活を始めてから初めて、俺から病室に来てくれとお願いをした。
◆◆◆◆
「で、何で私が呼び出されたの?お兄ちゃん。」
「良いことを聞いてくれた。お前にな、筋トレの手伝いをして欲しくて呼んだんだ。」
「え、筋トレ?」
「そう、筋トレだ。」
言った途端、場が急に冷え切った。
言葉が飛び交うことは無くなり、亜希の冷え切った瞳が俺を恐怖へと誘う。
「お兄ちゃんさ、筋トレのために私をわざわざ呼んだの?」
「いや、その、なんていうかな、お前『お兄ちゃんの為なら大抵のことはするよ!』みたいなこと、言ってただろ?
だから、せっかくだし頼ってみようかなぁ〜、なんて思ったわけでして。」
亜希の瞳は、未だ俺を冷たく見つめることをやめない。むしろ、さっきまでよりもより冷たくなったとすら感じられる。
「お兄ちゃんさ、今って何時だか分かってる?」
「う、うん。9時だよな?」
「そう、9時だよ、面会時間開始直後の9時。
別にさ、筋トレやりたくて呼び出すのはいいよ。
でもさ、お兄ちゃん知ってるはずだよね?
ーーー私が朝弱いってこと。」
それを聞いて、俺の身体に電流が走る。
ーーー俺は思い当たったならば、その直後にでも行動を開始したい、そんなタイプなのだ。
俺が筋トレをしようと思い当たったのは昨日だ。
口調を女の子らしく変える、そのことは嫌だけれども納得はした。
ーーあ、ちなみにモノローグの一人称が俺なのは、最低限の精神の保護のためだ。いくら口調の問題は理解していても、これくらいは認めてくれ。
話を戻そう。
口調を変えることには納得した。でも、その分なんとかして男の頃の精神状態を維持したい。
シーソーのように男だと意識することをしたところで精神状態が釣り合うわけではないとは分かっているが、それでも多少は良い方向へと向かうはずなので、ちょっとだけでもやっておきたい。
それに、筋肉を鍛えれば、ちょっとは以前の状態に、少なくとも今のようなすこし重いものすら持てない状態から脱却することは出来る。
筋トレを始めるためには、以前のメニューではとてもとても身体が持たないので、メニューを今の身体に合わせて変えることが必要になるため、それが原因で筋トレをやることを躊躇していたが、このままやらないことが習慣化してしまってはもっともっとダメになる。
メニューを変えて、誰かのサポートがあった上ででも筋トレを再開しよう。
そう決めて、誠也には以前との違いを出来るだけ知られたくないし(筋力低下のことはもう知られてしまっているが)、親はもうお盆休みは過ぎたために来ることは出来ない。
ナースの美春さんに手伝いを頼むことも出来るが、ただでさえ普通の患者より迷惑をかけているのに、これ以上迷惑をかけたくはない。
ーーーというわけで、亜希に、出来るだけ早くやりたいから朝一で病室を訪ねるよう頼んだのだ。
だったのだがーーーー
「つまりは、やりたいやりたいって思い上がっちゃったがために、妹の朝の状態なんか素で忘れて頼んじゃったっていうこと?」
「あ、いやー…、まあ、そういうことになるのかな…。」
ーーー亜希が朝弱いことなんか、頭の片隅にもない状態で呼び出したことになる。
流石に、今回ばかりは亜希に申し訳なかった。
「ごめんなさい。」
素直に謝ると、亜希は両手を腰に当て、ハァーと大きく息を吐くとこちらを向き、口を開いた。
「いや、もういいよ。
お兄ちゃんがそういう性格だって分かってたはずなのに、軽々しく大抵のことはするなんて口にした私が悪かったから。」
そう言い亜希は頰を叩き、「よし!!」と声を上げた。
「もう来ちゃったものは仕方ないし、手伝うよ。
とりあえずは着替え用意しないとね。
今から私が動きやすい服を買って「ああ、体力テストの時に着た服、美春さんがくれたから服ならあるぞ?」……。」
急激に上がった亜希のテンションが、急激に下がった。
ここまで露骨なリアクションと、聞こえてきた内容、そして以前の反応から、亜希が何をしたかったのか少しは分かる。
ーーーたぶん、亜希は俺に女の子女の子した服を着させたかったのだろう。
俺がこの姿になってから女の子らしい格好をしたのは一度きり、精神が女性側に引っ張られていると理解してなぜか女物を着れば違和感から男側に戻れると思って女物を着たあの時だけだ。
あれから、亜希と母さんに散々弄られたのと、後から考えると女物の服を着てもむしろ精神が身体に適応しちゃうだけなんじゃないかと思ったため、あれから一度も女物の服を着ていない。
あれだけ俺の姿を弄ってきた(お姫様抱っこのことも弄ってきたが)のだ、あの時のように自分が選んだ服を俺に着て欲しかったのかもしれない。(あとから、あの服は亜希が選んだと聞いた。)
普段ならそこで思考は終わるはずなのに、思考は止まらなかった。
ーーー亜希は世話好きではない。
それなのに、俺が性転換の影響やらなんやらで入院している間、これでもかというくらい俺の身の回りの世話をしようとしてくれる。
この入院生活の間も、学生で今は夏休みということもあるだろうが、1番この病室を訪れてくれているのは亜希だし、『大抵のことはしてあげる。』なんて発言も飛び出したぐらいだ。
今、俺のために1番身を削ってくれているのは間違いなく亜希だ。(俺のためにお金を稼いでくれてる父さん母さんももちろん身を削ってくれてるけど、世話という形でってことが言いたいからこの場合は例外)
そんな亜希の振る舞い、亜希が俺がこの身体になったのを初めて見たとき、そして今の反応、そして今の俺の身体の大きさなんかを考えたとき、俺は1つの結論に辿り着いた。
ーーー亜希は、今の俺のことを妹のように思っているのではないだろうか?
もちろん、大前提として俺は亜希にとって兄である。
そんなことは分かりきった上で、亜希にとって今の俺は妹のような存在だと思っているのではないだろうか。
今日の動作、特に腰に手を当てる動作から、そう感じられた。
ーーー亜希は昔から妹が欲しいと、何度も母さんにねだって、母さんを困らせていた。
自分が助けてあげる存在、世話してあげる存在、一緒に服を買いに行ったりする存在、そんな存在に亜希は飢えていたのだろう。
そんな時、俺が女に、それも小柄かつ貧弱、まさしく守りたい、頼って欲しいと思うような状態になった。
そこで、亜希の感情は爆発したのだろう。
もちろん、亜希はそんな感情は口には出さない。
俺が大変な状態だと、精神的にだいぶ追い込まれている状態だと理解しているというのもあるし、自分の感情を理解出来ていないというのもあるだろう。
ーーー確かに、女の子の格好をするのに躊躇いはある。
前回あれだけ弄られたのが頭に残ってるし、精神の状態がどうなるか怖い部分もある。
ーーでも、俺は亜希の兄ちゃんだ。
亜希の思いは、たとえ亜希自身理解出来ていないことだとしても、出来るだけ叶えてやりたい。
俺は心を決めて、口を開いた。
「そうだ。今回のお礼として退院できてそれなりに落ち着いたら、亜希に服買ってあげるよ。」
「え、服?」
突然の発言に、亜希は驚いたようにこちらを見つめる。
「そうそう、服。
俺も最悪女子の制服を着て学校に通うことになるから女物の服に慣れておかないといけないし。
それに、俺の服はサイズ合わなくなっちゃってるから、今みたいに毎日患者衣ってわけにもいかないし、買わないといけないからね。
今度、一緒に服買いに行こう。
それに、俺、女物の服についてよく知らないから、亜希に教えて欲しいし。」
俺のセリフを聞くと、亜希は目を輝かせながら言った。
「しょうがないなぁ。
お兄ちゃんがそこまで言うなら、それで妥協して手伝ってあげるよ。」
腰に手を当てて、お姉ちゃんぶるような態度。
そんな様子から、亜希が喜んでくれていることが伝わってきて、こっちまで嬉しくなる。
女物の服を着ることが、俺の精神を追い込んでいるなんてことは俺自身が1番分かっている。
ーーーそれでも、可愛い妹のためなんだ。これくらいの無茶、どうってことない。
「それじゃあ、まずは筋トレするか!」
「おおー!!」
病室には、俺と亜希の声が響き渡った。
妹のために妹の妹になる覚悟を決めた兄。
こう書いてみると訳わかんないな。




