病院暮らし13
1年前に買ったスイッチをようやく起動して、今頃ゼルダにハマってる。
ーー目を開けると、朝が来ていた。
薄いカーテンがカットしきれなかった日光が目に入ってきて眩しい。
それが、俺に朝が来ていると実感させる。
しょうがないか、と上半身を起こし身体を伸ばす。
ーーーなんだろう。やけに身体が怠い。
うーん、最近運動していなかったからかなぁ。
そう思った瞬間、我慢のリミッターが外れてしまった。
ーーーあー、身体動かしたい。
身体動かしたい身体動かしたい身体動かしたい。
頭の中を、それだけが支配する。
もともと俺はアウトドアが、身体を動かすことが好きな性格なのだ。
それがどうだろう。この事件に巻き込まれてからは、性転換された後からは、全くと言っていいほど運動をしていない。なんてったって、している運動が1日合計50メートルにも満たないウォーキングと、ベッドの上で人が来た時に身体を起こす腹筋運動(負荷なんて一切かからないレベル)だけなのだ。
禁断症状と言っては表現が過剰かもしれないが、それだけしか動かせていないなんて、動かしたくなって当然だ。
でも、俺は運動できるんだろうか?
いや、自分が動けるかという意味ではなく、運動できる場所に移動することが出来るんだろうか?
現状、俺の行動範囲はこの病室とトイレまでに限られている。
その理由は、出来るだけ人目につかないようにというごくごく単純なものである。
まず、俺が入院しているのは人目を避けるためなのだ。
性別転換者保護団体なんて、訳の分からない組織が発足して活動を始めているらしく、そこに見つからないよう、しばらくの間入院しているのだ。
それなのに、運動できる場所に行く、というのはそれを破ることになる。
なんてったって、性転換だのなんだのを置いておいたとしても、この身体というのは大変目立つ。
日本では大半が黒髪、最近少しばかり茶髪金髪が増えてきた程度の国で、銀髪というのは大変目立つ。
俺も、前まで髪を赤やら緑やらに染めている人を見つけると『おおぅ…。』という感想というか、驚愕していただけというか上手く表現できないが、そんな状態でその人を目で追っていたことがあるので、見られるのは確定であるとわかる。
ーーー人と多くすれ違う、人目につく場所を移動する行為を、今俺の為に動いてくれている病院側や厚生労働省が許すだろうか?
うーん…、と良い想像が浮かばない。
でも、行動を起こさない限りは何も起こらない。
覚悟を決めて、俺はもうすぐご飯を届けにくるであろう、美春さんの存在を待った。
◆◆◆◆
「あ、大丈夫ですよ。」
「え?そんなに簡単に良いんですか!?」
美春さんに聞いてみたら、とってもすんなりOKが出た。
ーーーーまじか。
「いや、俺、今こんな銀髪ですよ?むっちゃ目立ちますよ?なのに大丈夫なんですか?」
あまりに軽くOKサインが出てしまったため、やりたいはずなのに、むしろ俺こんなんだからやっちゃダメだよ?という質問を投げてしまう。
それに対して美春さんは、
「それくらい大丈夫ですよ。
院内の移動くらいなら、写真かなんかを撮られる心配もないですし、院内での電化製品の使用はお控えくださいと言えば撮ろうとしている人もやめますし、仮に撮られたものがネットかどこかにアップされたとしても、病院として圧力をかければすぐに消えるでしょう。
身体を動かせる場所は、掃除中の札をかけておけば入ってくる人もいませんし。
まあ、出来るだけ迷惑をかけないように、人のいない時間帯に限りますけどね。」
そんな風に了承する。
え、こんな簡単に決まっちゃっていいの?とは思うものの、すごく嬉しい。
久しぶりに、久しぶりに身体を動かせるのだ。
嬉しくないわけがない。
そうして俺は、翌日のお昼頃にやると約束を取り付け、ウキウキでご飯を食べた。
ーーー翌日、容赦ない現実がやってくるとも知らずに。
◆◆◆◆
時間は経過して、運動できる時間帯がやってきた。
利用するのはトレーニングルームと、その隣の和室だ。
トレーニングルームなんて何で病院にあるの?と美春さんに聞いてみると、最初はリハビリ室だけだったらしいのだが、リハビリ患者にも程度の違いがあり、歩くのも困難な人と走ることもできるけど若干違和感のある人が一緒のスペースでリハビリするとストレス面で悪影響があるらしく、二箇所に増やすことでそんな2人が同時にリハビリすることをなくすために設置したそうだ。
ーーもちろん、運動できなくてストレスが溜まる、俺のような人たちの為という理由もあるが。
和室に関しては、俺が柔道経験者ということをどこからか聞いた病院側が善意で使用許可をとっていてくれた。
本当に感謝しかない。
ーーーその許可の裏側にはトレーニングルームの隣ということもあったらしいが、まあ、そんなことは今の俺にとってはどうでもいい。
運動できる、その喜びを噛み締めてニヤニヤしていると後ろから声がかかった。
「そんな、久しぶりの運動の相手が、俺なんかで良かったのか?
俺、柔道の経験なんてないぞ?」
ーーー誠也である。
誠也の今の格好は道着姿、より詳しく言うと俺の男だった時の道着姿である。
誠也のやつもそこそこは身体を鍛えているため、身体には合っているが、やはり経験者じゃないためか構え方がなんかヒョロヒョロしているため俺の黒帯が全くもって似合っていない。
「全然大丈夫に決まってるだろ?
俺も最近身体動かしてないから、身体なまってるはずだし、ちょうどいいだろ。
前にお前にこっちが全くできないのに、キャッチボール付き合ってもらったこともあるし、その時のお返しと思ってくれればいいよ。」
そう返す。
今日はただ単純に身体を動かせれば良いし、別に試合を楽しみたいわけじゃない。
それに、誠也は昨日も病室にやってきたが、顔はどこか不安に満たされているように見えた。
ーーーまあ、仕方がないだろう。
誠也からすれば、休みの日は毎日でも会っていた相手と1週間近く、一切状況が分からない状態で会えていなかったのだ。
誠也からしてみれば、俺がまたすぐどこかへいなくなってしまうんじゃないか、と落ち着かないのであろう。
むしろ、だからこそ今日呼んだということもある。
誠也のやつも、流石に直接触れ合えば、夢じゃないって、また消えたりしないってわかってくれるだろう。
ーーーまあ、俺の事情を知っているかつ俺の家族とも顔馴染みだから、道着を家族から、自分が着れる分と俺が着る中1の頃の分の両方を安心して貰えるっていう部分に打算的な意図があったっていうのもあるけど。
まあ、そんなことはどうでもいいか。
帯を締め直して気持ちを高める。
「よし、じゃあやろう。」
◆◆◆◆
準備運動を済まし、誠也に受け身の取り方を教えた後、投げ込みをしようとする。
ーーーああ、ウズウズする。
人に柔道してて何が1番楽しい?と聞かれたら、『俺は相手を投げた時』と答えるくらい、その瞬間が好きだ。
人1人を投げた時の気持ち良さ、俺は未だあれを超える快感を知らないと言えるレベルで気持ちいいのだ。
和室に移動し、大きめのマットを下に敷く。
わくわくしている俺とは違い、誠也は不安そうだった。
「本当に大丈夫なのか?
俺、まだ受け身完璧に出来ないぞ?」
「大丈夫大丈夫。お前が受け身を取りやすいように優しく投げるから。」
柔道、というか全ての競技にも言えることだけど、ある程度上達すれば、そこそこ勝手が効くようになる。
柔道の場合は、相手がどのように受け身をするのか、そこまで想定して投げることができるようになるのだ。
まあ、あくまで練習の時や実力差が大きい時に限るので、実力が均衡しているとなれば、そんなことはできないが、俺と初心者の誠也なら大丈夫だろう。
また、実力者なんかは、意図的に相手にダメージのある投げ方もできるし、受け身が取りやすいように投げることもできる。
だから、実力者に背中から落ちるように投げてもらえれば、漫画やなんかでよくある、壁や床に叩きつけられて『ガハッッ!』ってなる状況を味わうこともできる。
味わったことのない人は是非味わってみて!
本気で『ガハッッ!』ってなって苦しいから!
「それじゃあいくぞ?」
そうやって声をかけると誠也はビクンと反応を示した。
ーーー誠也がこうやって怖がってるのは、ちょっとかわいいかも。
変な思考が流れてきたのを、頭を左右に振り吹き飛ばし、誠也の道着の襟を掴む。
ーー掴んだまま回転をし、誠也の脇の位置に右の肘を当てる。
ーーそのまま、腰を押し上げて誠也の身体を浮かし、その勢いのままーーー
ーーーその勢いのまま、誠也ごとマットの上へと倒れ込んだ。
………。
ーーーーーえ?
予想外の状況に、俺はしばらく何も考えられなかった。
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