病院暮らし4
ストック尽きました。
「証人保護プログラム、ですか?」
聞いたことのない名前に思わず復唱してしまう。
そんな俺とは違い、ピンときたものがあったのか母さんが反応する。
「証人保護プログラムって、あの去年から日本でも施行され始めるって話題になっていたものですか?」
「はい、その通りです。
証人保護プログラムは、元々アメリカで証言者を暗殺から守るために施行されていた身分を別人にするものですが、一昨年の三田木原御礼参り事件で日本でも施行すべきという意見が広がり、去年の9月から施行されています。」
三田木原御礼参り事件なら俺も聞いたことがある。
確か、10年前の殺人事件において、犯人と思わしき人物を目撃した5人の証言により犯人は速やかに逮捕された。マスコミはその5人を英雄のように祭り上げ、その結果その5人は全国的に有名になった。
そんなことを世間の人たちは忘れ去っていた一昨年、事件は起こった。
その事件の犯人、風間拓郎は仮釈放されるとネットカフェで生活し、そこで5人の証言者を特定、そこから5日間で3人の証言者を家族もろとも殺害した。
4人目の家で警察に確保されたものの、その事件はマスコミの報道の問題性を浮かび上がらせ、証言者を守る取り組みを強化するべきという世論を生み出した。
その頃から部活が忙しくなったからそこまでしか知らなかったけど、無事強化されてたんだ、という感想が浮かび、のほほんとしていた俺とは違い、母さんの顔はどんどんと白くなっていった。
「あれ?でも、証人保護プログラムって証言者を守るものなんじゃ?奈津希は被害者ではありますけど、証言者としての要素はあまりないんじゃ?」
「はい。確かにその通りですが、省の考えとしては、我が国での証人保護プログラムが最優先するべきことは事件の被害者を増やさないこととしております。
奈津希さんの場合は、証言者としての要素はあまりなくても、マスコミの報道による被害の可能性が非常に高いため、証人保護プログラムの保護対象として含まれております。」
なんでそんなことを母さんは繰り返すのか、と思い考えてみると1つの結論が出た。
いや、結論が出るも何も小柳さんは最初から言っていたではないか。
証人保護プログラムーーーそれは、証言者の身分を別人へと変え、証言者を守るものだと。
それはつまりーーーー。
「あの、すいません。
証人保護プログラムを受けた場合は、どのような対応がされるのでしょうか?」
怖いが聞かなければ何も始まらない。
そう思い、勇気を振り絞って聞く。
ーーーきっと違う。
ーーー大丈夫。
そう信じて聞いたものの、返ってきたのは非情な言葉であった。
「ーー言いにくくはありますが、証人保護プログラムは身分を別人に変えることで、証言者を保護しようというものです。
それはつまり、逆からものを考えれば、例え身分を変えたとしても、変える前の家族や友人と一緒に過ごしていれば、変えた意味を失ってしまいます。
ーーーそう、証人保護プログラム受講者は、受講から20年の間、ご家族、ご友人とは会うことを禁じられます。」
ーー絶望が突きつけられた。
家族に会ったこと、家族と話したことで落ち着いた心は、再度乱れることとなった。
◆◆◆◆
小柳さんは証人保護プログラムについて告げた後、「この問題は奈津希さんだけでなく、ご家族での問題だと思います。ゆっくりと話し合ってください。」
といい席を外した。
沈黙が場を支配する。
当たり前だろう。息子が突然ゲームに閉じ込められたと思ったら、娘になり、更には娘の身を守るため、家族バラバラになってくれと言われる。
これが1週間の間に起きており、更には娘になって家族バラバラになってくれと頼まれることなんて1日経たずに起こっている。
すぐに飲み込めなんてとても言えない。
「あ、あの、その」
なんとか話題を提供しようと、話だそうとするも言葉が出てこない。
そんな中、父さんが口を開いた。
「…、俺はお前の意思を尊重したいと思っている。身分を変えたら、会えなくなるかもしれない。それでも、お前が無事生きていることが1番だと思う。だからーーーー。」
「そうね。何よりも優先するべきなのは奈津希の安全。証人保護プログラムを受ければ、国が世間から、マスコミから奈津希の身を守ってくれる。
それなら、受けた方が…。」
母さんも父さんに続く。
そんな言葉を遮るように、妹の亜希が声を張り上げた。
「そんな!!今、一番動揺してるのはお兄ちゃんのはずだよ!!それなのにお兄ちゃんを1人にするなんて…。」
「亜希…。でも、奈津希のことを考えたら…。」
そんな母さんの返答をかき消すかのように、亜希が叫ぶ。
「奈津希のこと、奈津希のことってそればっかり言って!!
なんであの偉そうな人が出てってくれたと思ってるの!!家族で話し合うためでしょ!!
それなのに、2人してお兄ちゃんの安全を守るためにはって言って思考停止して、自分たちの意見ばっか言って!!
もっと話し合おうよ!!
2人はそんなにお兄ちゃんとバラバラになりたいの!?」
亜希の言葉を聞いた父さんは、歯を食いしばり目を細めた後、先程とは違うことを口にした。
「ーーーそんな訳ないだろ!!
俺だって、奈津希と一緒に暮らしたい。
追い詰められている奈津希を側で支えてあげたい。抱え込んだ問題を一緒に背負って、一緒に悩んであげたい、そうに決まってんだろ!!」
叫ぶように口にする言葉。
それは、俺の胸にジーンと響いた。
会えなくなるなんて辛い。ずっと一緒にいたい。父さんの言葉には、そんな思いが詰まっているように感じた。
そんな父さんの言葉を聞いて、母さんも口を開く。
「ーーー亜希の言う通りね。
私も、お母さんも奈津希と一緒にいたい。
一緒にいたくない理由なんてあるはずがない。
ゲームの中に閉じ込められて、奈津希にもう会えないんじゃないかってものすごく怖かった。
あんな思いを味わったら、もう、会えなくなるなんて無理よ。
ーーー離れ離れになりたくない。」
母さんの、話してる途中に感極まって泣きだしながら話してくれたこと、それがまた俺の胸を打ち、俺の目からも涙が流れる。
「俺だって、家族と離れるなんてやだよ。」
閉じ込められていた間に実感した。
俺は家での、現実での毎日を心地よく思っているって。
入る前は少しうざいと思ったこともあった。
早く独立したいと思うこともあった。
でも、それは満足できる毎日を過ごせるからこそ思える不安、例えるならお金持ちの家の子は食事の旨い不味いに文句を言うけれども、貧しい家の子は、まず食事をできることに感謝するので味の文句なんて出てこない、それと同じようなものだ。
俺は今まで、自分がどれだけ充実した日々を、満足した生活を送れているかを知らなかった。
それを実感した今、心の底から思う。
「家族、と、一緒に、いたい。」と。
母さんは少し涙をこぼす程度だったのだが、俺は会話を出来なくなるぐらいボロボロ泣いてしまった。
そんな俺を、母さんは抱きしめてくれた。
◆◆◆◆
「奈津希、落ち着いたか?」
「うん、もう大丈夫。」
「よし、それじゃあ考えよう。
ーーーこの後、どうするべきか。」
父さんが切り出し、家族会議が本当の意味で始まる。
「1番優先するべきなのは、お兄ちゃんの身の安全だよね?」
「ああ。その次は家族みんなで一緒にいれること、でいいだろう。
だから、ベストの形としては家族みんなで一緒にいられるかつ、奈津希の身の安全を守れること、でいいか。」
みんな揃って頷く。
それを見た後、父さんは改めて口を開く。
「それじゃあ、証人保護プログラムを受けるべきか断るべきか、これはどう思う?」
その質問に対し、母さんが答える。
「奈津希の身の安全を守る、という意味ではありだと思います。でも、家族で一緒にいられなくなるので、ベストではないと言えると思います。」
「そうだな。とりあえずは証人保護プログラムは受けないとして話を進めよう。
受けない場合、どんな対策が取れると思う?」
みんなが沈黙する。
「っていうか、学校ってこの場合どうなるの?」
亜希が純粋な疑問を投げる。
確かにどうなるのか気になる。
「病院で本人だって証明も出来たし、警察も事情を把握している。だから、役所に行って住民票の情報を書き換えて貰ったりすれば、高校に戻ることは出来るだろう。」
思わずほへー、と感嘆の声を上げる。
そんな風になるから大丈夫なのか。
ていうか俺、今後どうなるんだろうってひたすら悩んでたのに高校のこと一切考えてなかったな。
…。どこか抜けてんな、俺。
「でも、高校戻れたら戻れたで問題じゃない?
高校に戻ったら知り合いにも会うし、知り合い経由でお兄ちゃんの正体がバレちゃうこともあるんじゃないの?
今はSNS全盛だし、情報なんか簡単に広がっちゃうよ?」
それを聞いて家族全員一段と落ち込む。
情報が広がってしまうということは、俺を危険に晒すということと等しいと言っていいだろう。
それはつまり、家族で一緒にいられなくなることととも等しいと言っていいだろう。
そんな時、誰かが扉を開いた。
「あの、ご相談は終わりましたでしょうか?」
小柳さんだった。
◆◆◆◆
「それなら大丈夫ですよ。」
「「「「へ?」」」」
家族全員呆けたようた声が漏れる。
ーーー少し前から話すとしよう。
俺たちはやってきた小柳さんに質問を投げたのだ。『証人保護プログラムを受けない。その上で協力して貰えますか?』と。
俺たちはダメ元だった。
そりゃ当然だ。自分たちにとって都合の悪いことは断って、都合の良いことだけ協力して貰えませんか?と言っているのだ。普通に考えて無理に決まっている。
それでも、俺たちにはその選択肢しか残っていなかった。
『家族みんなで暮らせて、俺のことも守れる』
たったこれだけ、されどこれだけの条件を満たすには明らかに国の、政府の、個人の範疇を凌駕した圧倒的な存在の協力が必要だった。
そんなこんなで頼み込んだ案件。返ってきたのは予想外の言葉だった。
「私たちがしたのはあくまで証人保護プログラムの『提案』ですので、奈津希さんが断っても問題ありません。
また、断ったとしても奈津希さんは、手塚清秀が起こした事件の被害者であり、また強制的に性別転換されてしまった特異ケースという事実は変わりませんので、国として、省としましては奈津希さんのこれからをサポートしたいと考えており、奈津希さんの希望は出来る限り叶えたいと思っております。」
それはつまり、俺がどんな選択をしようとも国はサポートしてくれるという事を言っていて、考え方を変えれば、さっきまで必死に考えては鬱になっていたあのやり取りは完全に無意味である、という事を言っていたとも言える。
家族全員身体の力が抜けたようにその場に座り込む。
『良かった〜。』と歓喜するというよりも、『なんだよそれ、先に言っといてよ。』と言わんばかりの脱力。
それを見て、小柳さんは少し焦ったような反応を示した。
「あ、えっと、すいません。
説明不十分でした。
……もう、あのクソ上司が。ご家族揃って不安に決まってる、そんな状況なのに、すぐさま確認に行ってこいなんて言いやがって…。」
途中から小声で聞こえてきた(本人は独り言のつもりなんだろうけど)上司への文句に、ああ、この人も苦労してるんだなぁと和む。
その時、突然タッタッタッタと音がしてきた。
あれ?もしかして、この音は…?
「失礼します!!」
やっぱり若菜さんだった、足音で判別するのはどうかと思うが。
にしても、若菜さんなんでまた病院の廊下走ってるんだ?
普通ダメだろ。
そんな思考で埋め尽くされた俺を置いて、若菜さんに反応を示したのは、意外にも小柳さんだった。
「あれ?若菜か!って若菜、何やってんだ…?」
「あれ!?達也センパイ!?何やってんですかこんなところで!!」
小柳さんと若菜さん、2人は知り合いだったようだ。
予想外の状況に俺や父さん、母さん、亜希は完全フリーズしてしまう。
場の流れについていけない。
そんな状況で、若菜さんが声を荒げた。
「って、そんなことは今どうでもいいんです!!
テレビ、テレビつけてください!!早く!!」
そう急かされ父さんが近くにあったリモコンを取り、テレビの電源を入れる。
ーーーえっ…。
脳が思考を回そうとしない。
なんで、なんでとそれだけが頭の中を支配する。
そこに映ったのは、俺をこんな状態にした犯人、手塚清秀だった。
前書きに書いた通りなので、更新ペース落ちます。