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ユウマは、駆け足で緩やかな斜面を登りながら腰の巾着袋に手を伸ばす。中には《千本》とよばれる10cm程の長さの木の針が入っていた。魔法は効果範囲が限られる。なので、距離が離れた相手にはこれを使用するのだ。
千里眼によって、ユウマは統率者をしっかりとその瞳に捉えていた。統率者はちょうど尾根伝いに山を駆け逃げていた。
統率者とは、魔物を指揮する魔物。低級の魔物は凶悪なだけで普通の動物とさほど変わらない。低級の魔物は、統率者に率いられた場合にのみ、人間だけを殺す殺人マシーンと化す。前回の時間軸で統率者という存在を知ったのは、時間で言えば今から一年後くらいだった。そこから人間側が魔物と戦う戦術を劇的に変化させ……。まぁいい。とりあえずコイツを殺さなければ魔物は人間を襲い続けるのだ。
ユウマはスキル《遠投》の持ち主である。よって遠距離戦は得意分野だった。ユウマは、親指と人差し指で千本を強く掴むと、目にもとまらぬ速さで投げつけた。千本はゆるやかな放物線を描き統率者近づく。にユウマは千里眼で統率者に命中したかを確認する。
統率者の足の一本が膝下から吹き飛んだ。
これを確認したユウマは、すかさずもう一本の千本も投げた。二本の内の一本の足をやられ、のたうち回っていた統率者の頭部が吹き飛んだ。残った体が動きを止めた。
「よし」
これで脅威は去った筈である。もしも、まだ魔物がいたとしても統率者によって指揮された魔物ではないため、一斉に襲ってくるという事はない。それなら村単位でも十分対処可能だ。万が一、統率者がもう一匹いるならば別だが……。それは、ありえない。統率者の数は限られる。そんな無駄遣いをするとも思えなかったし、魔王ダビドがそれほど愚かとも思えなかった。
ユウマは、深く溜息をつくと、残った千本を腰の巾着袋に再び入れ、村に戻っていった。村にはまだ息のある牛に似た魔物ダイクロレルが苦しそうな鳴き声をあげていた。ユウマはアイリスを見た。アイリスは、泣きそうになるのを堪えながら必死に大きな声をあげ、魔物にトドメをさしていた。
――殺し自体がはじめてか……。
ユウマは、きびすを返すと、真っすぐ自分のログハウスに向かった。
足を一歩一歩前に進めるうちに、ある感情がユウマを支配していった。
後悔である。
能力を見せてしまった。せめて、もう少し村に行くのが遅ければ、山に残っていた自分だけで対処可能だった、そう思った。だが、もう遅い。
前線にいない者でここまでの戦闘をやってのける人材なんて《如月ユウマ》唯一人だけだろう。村人を守る為とはいえ、派手にやり過ぎてしまった。魔物がこの領地に侵入した騒ぎは、恐らく一週間以内にジョゼ=アルスターの耳に届くだろう。運が悪ければ、奴お抱えの黒剣騎士団まで出張って検分が行われるだろう。村人には《ユウマ》と名乗っている。くそっ……、やっちまった。せっかくここまで上手くいっていたのに……。この村から去らなきゃならんだろうな……。ちくしょう。頑張って開墾したのにな……。ユウマは、ログハウスの扉を開け中に入った。そして、倒れるように寝転んだ。
――まぁいいや。仕方ない。明日、朝一番でこの村を出よう。
辛い決断だが仕方なかった。恐らくここで有名になれば、騎士に叙任され、前線に送られる。そして、また内乱が起こる。それを避ける為に一般人として生きていくと決めたのだ。そう思えるほどあの内乱は酷かった。ずっと魔王軍と戦っていた方がマシと思えたほどに……。
内乱を契機に戦争は勇者から一般人の手に戻った。魔と戦うのは勇者だが、人と戦うのは一般人でも可能だろうという事かもしれないし、自分の土地が増えるゲームに貴族が全精力を注ぎ込んだ結果でもあるかもしれない。とにかく戦争に一般人が投入される事になり、戦争は国に住む人々全体の問題となった。人が人を殺す時代の始まりである。アルスター公爵は王政よりも貴族同士が話し合う合議制により国全体を運営するのが望ましいとして乱を起こしたが、それは誰の目にも己の権力欲を満足させる為に起こした戦争に映った。果てのない領土の取り合い、削り合いにより、武力さえあれば何をやっても許されるという世の中になった。その結果、各地のギルドが武装勢力として入り乱れ、当初の戦いの目的がなんだったかなど誰も思い出せない様相を呈していった。まさしく、泥沼である。
――俺はこの中で死んでいった……。
ログハウスの中で大の字に寝転びながら、ユウマは、今日どうすれば、今の事態を避けることが出来たのか考えた。一般人として平和に生きてゆく……、望みはただそれだけなのに……。人を助けてしまったからだろうか? さっきもそうだ。アイリスが殺されると思った瞬間、勝手に体が動き……、魔物を殺し始めてしまっていた。前世でもそうだったが……、いつもこの気性のせいでユウマは損をしてばかりだった。いっそ村人が殺されるのをただ傍観し、その場から逃げ出していれば……。
その結末を想像し、ユウマは何度か激しく首を横に振った。
――よくも、そんな下衆な結論に行き着いたものだな俺……。最低だぜ……ったく。あーもう深く考えるのは止めよう。明日、朝一番で消える。それでいいじゃねえか。人を救えたんだ。満足しとこうぜ。
ユウマは、自分にそう言い聞かせ、深い眠りについた。
数時間後、ログハウスの扉が開き、肩を摩られた。ユウマは何事かと思って飛び起きた。そこに居たのはアイリスだった。開いた扉の向こうから日射しが差し込むのを感じた。どうやら、もう朝らしい。アイリスは言った。
「ねぇ。爺が追ってくるの……、私と逃げて」
ユウマには、アイリスの言葉の意味が分からなかった。