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エドガーは、ふらふらになりそうな頭を抱え自分の家の扉を開けた。
仕事に行ったはずのエドガーが帰って来たことでナディアは、無邪気に尋ねた。
「あれ? 何か忘れ物?」
エドガーは首を左右に振った。
「いや……、その……。何か体調が悪くて……。だから、今日は休むよ……。すまないが学長には君の方からいっておいてくれないか?」
「分かったわ。ちゃんと温かい恰好をするのよ。じゃあ、いってきまーす」
そういうとナディアはエドガーの家から出ていった。ナディアが家を出ると同時に、ポケットの中にクシャクシャにしまっていた号外をもう一度広げた。
『英雄京太、アッカルク城を奪取し、ザンジバラを倒す』
何度見ても信じられなかった。この記事には書かれていないが、アッカルク城とは魔王軍最重要拠点にして難攻不落の城である。それを守る将軍が魔王軍NO2のザンジバラだった。この城は、魔国領の南部全体に影響力を及ぼす城で、この城を失った魔物たちは、魔国領の南部で人間に討伐され死ぬか、魔国領の北部で飢えにまみれながら暮らすかのどちらかの選択肢を突きつけられる事になる。更に不幸なことに北部にはアッカルク城ほどの防御施設を持つ城はない。前世では、アッカルク城が落ちた半年後に魔王城も落ち、それで魔王軍との戦争が終わった。
そして、これは《ある事実》を示していた。それは、統率者が魔物を指揮するというメカニズムが“既に人間側に解明されてしまっている”という事実だ。じゃなければ、とてもアッカルク城の攻略など不可能だからだ。エドガー……、いやユウマはうぬぼれていた。
統率者と呼ばれる上位種の魔物が、下級種である知能の低い魔物を操るというメカニズムは、ユウマ自身が発見した。だから、自分が前線に行きこの謎を解明しなければ、このメカニズムは永遠に解かれる事は無い、そう思っていた。……あまりにも見通しが甘かった……。ユウマがいようがいまいが、やがてこのメカニズムは発見される運命だったのだ。完全に英雄である自分を過大評価した結果だった。
統率者が発見され、アッカルク城が攻略された以上、魔王軍の命運は尽きた。あとはいつ滅びるかという時間の問題だけだった。
――内乱が……、内乱が始まってしまう……。
ユウマは、大きく息を飲むと、何とか内乱回避の方策を探そうとする……。が、頭に思い浮かばない。この時期には既に反王政派は水面下で着々と準備を進めていた。この動きが王家にバレなかったのは一重にアルスター公爵の手腕と言ってもよかった。
――いっそ、王側に事情をバラすか。
ユウマは首を横に振った。誰が信じるのか。それに、もし仮に信じたとしても、それではダメなのだ。傲慢な王家は武力をもってアルスター家の討伐へと向かうだろう。そうなれば全ては同じだ。結局、市民の軍がアルスター討伐の為に編成されるだろうし。万が一勇者が戦争に加わったとしても、既に勇者の半分以上は前回のユウマと同じようにアルスターの息のかかった連中なのだ。となると、勇者同士の戦いも同時に起こる。拮抗した戦力は戦乱の拡大を生むだけだろう。つまり、王側に事情をバラしたとしても、どちらが最初に戦いをはじめたか程度の違いしか生まないハズだ。それでは意味がない。
――では、指をくわえて見てるしかないのか?
いや、違う。
ユウマはすぐに間違いに気付いた。内乱がおこれば、ユウマ自身も徴兵され戦う事になるのだ。また、人を殺さなければならないのだ。そして、想像通りなら……。
――その戦争で……俺は死ぬ……。前回と同じように……。それに、魔法を使える俺の生徒達も徴兵される。多分、ジャキエルも、元々王の軍属扱いのバイエルも、そして……愛しのナディアも……。私塾の関係者は全員徴兵される。戦乱が長引けば長引くほど、どこの勢力も老若男女を問わず、総力戦を繰り広げることになるだろう。
ユウマは、ふらふらになりながら寝室に移動すると、そのままベッドに倒れこんだ。
死ぬのだ。自分の今の幸福を共に味わうほとんどの人々は戦いの中で、体を斬り裂かれ、あるいは頭を潰され、あるいは焼け焦げ、死んでゆくのだ。
やっと掴んだ幸せが、指の隙間から逃げていってしまうようにユウマには感じられた。
――贅沢なのか? 普通の……極々普通の一般人として日々の生活を享受することが……、それほど贅沢なのか?
ユウマは叫んだ。叫ばずにはいられなかった。
「ああああああああああああああああああああああああ、なんでだ! どうしてこうなるんだ! 俺はもう英雄じゃない! 未来は変わった筈だ! 俺には普通の人生が待ってる筈なんだ! 誰が統率者のメカニズムを発見したんだ! 誰が! クソッタレ! 何故――」
――俺から幸福を奪い取るんだ!!
最後は言葉にならなかった。
ベッドに顔を押し付け、泣いた。
数分泣いた後、思った、それでも未来を考えなければならないと。
内乱が引き起こされることが確実になった以上、せめて生徒とナディアだけでも何処かに避難させなければならない……。だが、どうやって説得するつもりだ? 2回目の召喚であることがバレたら死ぬ。ピンクの髪の少女にそう言われた筈だ。それに、人里離れた山奥に一人だけなら暮らすことが出来るかもしれないが……。全員となると……無理だ。目立つし、どこの勢力からも把握される規模になるだろう。
「やはりダメ……」
「待てよ……因果律の除去ではどうだ? 内乱の原因のジョゼ=アルスターをこのスキルで……」
――いやダメだ。今のジョゼ=アルスターを構成する因果の全てを消失するわけだから、当然アイリスが生きているバージョンのジョゼを消失させることになる。ならばアイリスも……更にアイリスを救った俺も消失することになるんじゃないか?
ユウマは下唇を噛み苦い顔をした。下手すれば全てが消える可能性すらあった。
――この幸せは……、望んではいけない幸せなのか? この世界に召喚された瞬間から俺は幸せを望んではいけない運命なのか?
僅かに息を吸い込んだ。
その時、マグマのようにユウマの頭からアイデアが噴き出した。
「あった。あるぞ! 内乱を止めさせる方法が!」
そのアイデアは酷く可能性が低く、怪しげな方法だった。だが、雲から垂らされた怪しい一本の糸は、地に伏せるユウマにはどうしよもなく魅力的に映った。数日迷ったあと、結局ユウマは糸を掴む事に決めた。迷える時間などそもそも自分には無いときづいていたからだ。ユウマは糸を掴んだ。糸は細く、頼りなかった。だが、今の幸せを続かせるためなら、手段は選ばない。そう思った。
そして、ユウマはこの頼りない怪しい糸に全体重を賭けた。転落は許されなかった。




