声格履歴書
初投稿です。
声格履歴書
1
本格的に寒さが際立ってきた十一月半ばの昼下がりのことだ。
僕は同じ大学で、同じサークルに所属している秋原さんという女性に、大学近くの喫茶店でお昼を共にしないかという誘いを受けた。
丁度午後から同じ講義を履修している都合というのもあるが、彼女と話しておきたい事案が幾つかあったので断る理由もなく、何度か足を踏み入れている隠れ家的喫茶店で彼女と合流した。
僕はサンドイッチとコーヒーのランチセット、彼女はパンケーキと紅茶のセットを注文し、オーダー品が来るまでしばらく他愛のない話で盛り上がった。
内容は被っている講義についてだったり、最近流行りのドラマの話だったり、特に詳細を語るまでもないだろう。
やがてお互いの注文品が来ると、僕たちは適度に会話を挟みつつそれぞれ空腹を満たしていった。
彼女が美味しそうにパンケーキを頬張る姿は、普段の生真面目な印象と変わって可愛らしく感じるが、それを直接彼女に伝えると失礼にあたる気がするのでサンドイッチと共に飲み込んでおくことにしよう。
そして彼女がパンケーキを食べ終えた頃合いを見て、僕は本題を切り出した。僕と彼女が所属しているサークルについてである。
結論的に言えば、サークルを継続するか、それとも解散させてしまうかについて彼女の意見を聞きたかったのだ。
僕は姿勢を改め、彼女が着ている白ニットの襟元あたりを見ながら、
「それで。僕からしてみると、今年のゲムケを終えたらサークルを畳むのも一つの終わり方として良いんじゃないかなと思うのだけれど」
「それはどうかな。後輩も何人かいることだし、続けた方が良いんじゃない?」
彼女は手持無沙汰そうに目の前のティーカップのふちを指でなぞりながら、
「それに、後藤くんも本心からそう思ってはいないんでしょう?」
時折見せる彼女の妙に鋭い観察眼には舌を巻く他ない。
とりあえず肯定の意味を込めて肩を落として見せる。
彼女は「後藤くん分かりやすいもん」と言いながら微苦笑を漏らした。
僕は窓の外で行き交う通行人をなんとなく眺めつつ、
「確かに、活動して四年も経てば愛着は湧くよ。何より僕と秋原さんで設立したサークルだからね。最初に比べればだいぶ人数も増えたし」
「そんなに言うなら続けるべきよ」
「実はそう単純でもなくて」
気持ちとしてはもちろんサークルを続けて欲しいとは思う。しかし、ある事が原因で僕はここのところ悩まされているのだ。
まあそれは後述するとして、そもそも僕と彼女で設立したサークルがどういうサークルなのか少しだけ話しておこうか。
2
小さいころからゲームが好きだった僕は、いつの頃か自分でゲームを作りたいと思うようになっていた。
ジャンルは何でも良い。
とにかく自作したゲームを様々な人にプレイしてもらい、ゲームの楽しさを広めたかったのだ。
そして大学生になり、とりあえずゲーム制作サークルに所属しようと考えたわけだが、そのようなサークルはこの大学には存在しなかった。
悲観に暮れながらしばらく大学生活を送っていた中、とある講義で隣の席になったのが秋原さんだった。
「人の落書きを勝手に見て勝手に感動して、講義中にいきなり『僕の為に絵を描いてくれ』って言われた時はドン引きの極みだったわよ」
「あの時のことは申し訳なかったと思っているよ。でも、それぐらい秋原さんの絵に心打たれたんだ」
「それはどうも」
満更でもない表情を浮かべ、照れ隠しなのか眼鏡のブリッジを抑える彼女の仕草を楽しみつつ僕は回想を続ける。
小さい頃から落書き程度に絵を嗜んでいるという秋原さんの話を聞いて、僕は彼女にゲームのイラストを描いてほしいと頼み込んだ。
最初こそ渋っていたものの、何とか彼女を説得することに成功したので、勢いでゲーム制作サークルを発足してしまったのだ。
後で知ったのだが、当初彼女はサークルの人数にカウントされているとは思っていなかったらしい。
オブザーバー的な立ち位置だと思ったのだろうか。
それで、発足してから数か月は二人で慣れないながら何本かゲームを制作し、様々なゲーム投稿サイトにアップロードをした。
内容は数十分で終わるド素人丸出しで稚拙なノベルゲームだ。
イラストこそ彼女のセンスが良いから評価はされたが、肝心のゲーム部分、それもシナリオについては低評価の嵐だった。
フラグ管理、回収もあったものじゃない。バグも相当なものだった。
そこでメンバー増員を画策し、大学中を駆け回ってライターとプログラマーをやってくれそうな人を探すことにしたのである。
幸運なことに、何名かサークルに招き入れることができた。
「よく言うわ。別のサークルから無理やり引っ張ってきたくせに」
彼女が悪態をついてくるが、僕は気にせずに先を続ける。
ようやくゲーム制作サークルとしてメンツが揃ったので、本格的なゲーム制作に乗り出した僕たちは、目標として毎年冬に開催されるゲームマーケット(通称ゲムケ)に自作ゲームを出典し、
百本売り上げることを決めて活動を行ってきた。
一年目の売り上げは十本。
二年目は三十二本。
三年目は八十七本。
四年目は、再来週に開催されるゲムケ次第だ。
そう、未だに百本を超えたことがないのである。
それでも、今年のゲームはかなりの力作だから百本を超える手応えはあった。
「そうね。初のフルボイス収録だし。その分、デバックは大変だったけれど」
「口パクを付けるかどうかですごく悩んだね。でも、やっぱり付けて良かったと思っているよ。見栄えが全然違う」
プログラム部分を担当している同級生の大西くんがゲームがマスターアップした頃に十キロ程痩せていたのは申し訳ないが。
それでも、僕は彼女にヒロインの声を担当させて良かったと思っている。
優しくも、凛とした彼女の声はそのゲームのヒロインにぴったりだったのだ。
収録時点では意外にも乗り気でいた彼女だったけれど、最後のスタッフロールにキャストとして名前を出されるのを相当恥ずかしがっていたのは実に面白かった。
そんな彼女は喉をころころ鳴らして笑いながら、
「彼にとっては丁度良いダイエットだよ。太りすぎだもの」
「僕は大西くんの樽のような体型が好きだけど。彼にとってのアイデンティティみたいなものじゃないかい?」
「割と失礼よ、それ」
「そうかなあ」
僕はコーヒーに手を伸ばそうとして、カップの中身が空になっていることに気付いた。
それを目ざとい彼女は見過ごさず、すかさず店員を呼びお代わりを要求してくれた。
目の前でコポコポと心地良い音を立てながら注がれるコーヒーを見つめつつ、
「秋原さんは秘書に向いているよ」
「ないない」
眼鏡かけているし。スーツだって似合っているのだから考えてみても良いと思うのだけれど。
「そんな理由?」
ぷくっと頬を膨らまして非難してくる彼女に弁解をしつつ、話をサークルに戻した。
「今回のゲムケで確実に百本以上の売り上げは堅いだろう。だから、有終の美を飾るという形で四年の歴史に幕を閉じるのも手かなあと思ったのさ」
「それは建前でしょ。後藤くん、本当はあなたの後釜を考えられてないだけじゃない?」
「流石だね、秋原さん。その通りだよ」
僕はやれやれ、とわざとらしく肩を落としながら、
「こういうのは凄く苦手だ。ゲーム制作をする上でプロデューサーの立ち位置を担うのは好きだけれど、サークル長としてあれこれ動き回るのは正直しんどかったよ。色々大学とのやり取りもあるからね。でも、更にしんどいのはその役目を後輩に押し付けて自分はさっさと卒業することさ」
彼女は眼鏡の奥に潜めている大きな瞳を細め、細い腕を胸の前で組む。
あ、少し怒ってる時のやつだ。
「考えすぎだよ後藤くん。それに、彼らのことをもう少し信用したらどうかな」
「もちろん信用しているよ。でも、ゲーム制作をする上でサークルに拘ることはないんじゃないか。ゲームはどこでだって作れる」
とは言うものの、大学の後ろ盾があるというのはメリットもある。微々たるものだがサークル活動費用を賄ってくれたり、ゲムケに出展する際に大学名を名乗れるのも大きい。
「そこまで分かっているのにどうして悩む必要があるの。後藤くんって時々ヘタレだよね」
「うっ。気にしていることを言ってくれるね秋原さん」
「サークルの誰か一人を指名するのにここまで悩む人はそうそういないよ」
「……」
僕は饒舌になってきた彼女の勢いから逃れようと、無理やりコーヒーを喉の奥に流し込み、視線を外に向けた。
そんな僕をじーっと見つめている彼女の気配を横目で感じてなおのこと居心地が悪い。
「私や他のみんなをサークルに引っ張り込んだ時の勢いはどこにいったの。ここまで巻き込ませといて、こんなすっきりしない終わり方なんて誰も納得しないわよ」
「う、うーん」
「こっち向きなさい」
「……」
「こっち、向き、なさい」
「……はい」
僕は壊れたロボットのように首をぎこちなく彼女へ向けると、ニッコリと笑う素敵な女性の顔が目の前にあった。
少し惚れそうだ。
目が一切笑っていないことを除けば。
「さっさと次のサークル長を決めなさい。できれば一年生からね。私は既に次期副長決めてるよ」
「へえ。誰だい?」
「一年の大杉さん。ぴったりだと思わない?」
「あー、確かに」
イラスト担当で、少しばかりキツい性格をしているところは彼女そっくりな気がする。
「失礼なこと考えてるでしょ」
「いやまったく」
「分かるわよ。後藤くんのことだもん」
「それってさ、聞きようによっては彼女が彼氏に言うセリフじゃないかい?」
僕がそんな戯言を吐くと、彼女はせっかくの可愛い顔をしかめっ面にし、
「私はあなたの彼女っていうよりは保護者ね。大西くん達をよそのサークルから引っ張り込んできた時、終始フォローをしていたのはどこの誰だったかしら」
「君だ」
僕はいささか周りのことが見えなくなる節があるらしく、サークルメンツを集めるときはその強引さのしわ寄せが彼女に集まっていた。
これに関しては彼女に足を向けて寝られない。
彼女はふう、と溜息を吐くと「とにかく」と前置きし、
「今月までには考えておいてね。ゲムケが終わったら、私達は卒論に専念しなきゃいけないんだから」
「うっ。いよいよそんな時期が来てしまったか……」
僕は目先に迫っている現実的な問題からできる限り目を背けてきたが、彼女はそうやすやすと逃がしてくれない。
僕と彼女は同じゼミに所属しており、そこは環境エコ系のお堅いところで卒論の評価規定がかなり厳しいことで有名なのだ。
僕が行儀悪くテーブルに肩肘をついて少し温くなったコーヒーを飲んでいると、彼女は黒くて艶のあるセミロングヘアを右手でいじりつつ、
「ただでさえ後藤くんは納期を守らないんだから、卒論くらいは期限までに完成させないとね」
「か、勘弁してよー。今回のゲームはゲムケの最終審査までに余裕をもって納品できたじゃないか」
昨年と一昨年はギリギリだったけれど。
「公務員試験の時だって、私が連絡してなかったら受験届出せてなかったじゃない」
「あー。そんなこともあったね。あれは助かったよ」
一次試験の募集締め切り当日に彼女から連絡がなければ、僕は今でも就活に明け暮れていたのではないだろうか。
感謝の意を込めて彼女に微笑みかけるが、彼女の視線は未だ冷えたままだ。
「そもそも、後藤くんって字すごくヘタだから履歴書代筆してあげたよね」
「僕は丁寧に書いているつもりなんだけれど」
ミミズが踊っているような字だね、と彼女に言われた時はかなりショックだった。
彼女は手のかかる子供に向けるような眼差しで僕を見ながら、
「後藤くんって変に頭良いから腹立つのよ。私の方が自己採点の点数低かったし」
「そんなことないよ。たまたまヤマが当たっただけさ」
「ヤマが当たるのは結構だけれど、さっさと次期サークル長を決めてね」
彼女の視線から逃げるようにコーヒーカップを傾ける。
店員さんが淹れてくれたばかりのコーヒーが、彼女の冷ややかなオーラのせいか先程より冷えてしまったように感じたのはきっと気のせいではないだろう。
3
小一時間ほど話し込んだ僕たちは、程なくして喫茶店を後にし、大学へと続く上り坂をゆっくり歩いていた。
僕らが通う大学は、長々と続く坂道のてっぺん付近にある。
正直夏場は歩くのがしんどいが、それでも四年間歩き倒したこの坂ともう間もなくお別れをするとなるとなんとなく寂しい気がする。
隣でヒールをこつこつと鳴らしながら寒そうに鼻を赤くしている彼女をちらりと見てみると、何を考えているのか、ぼーっと禿げた木々を見渡していた。
「秋原さんってさ」
うわの空でいる彼女に声をかけてみると、彼女は「ん?」と前を向きながら空返事をしてきたので、
「今後も絵は描き続けるのかい?」
僕はそれとなく今後の彼女の活動事情を聞いてみた。
彼女の絵の才能は誰から見ても明らかに素人レベルではない。少なくとも、お金は取れるほどの腕前はあるだろう。
四年間、彼女の絵を見続けてきた僕が言うのだから間違いはないが、果たして彼女が『絵の道』を行くかどうかということは、あまり踏み込んで話したことはなかった。
実際、彼女は現実的な性格だから、絵一本で食べていくことの厳しさを弁えている。
だからこそ、硬派に公務員という仕事を選んでいるのだ。
それでも、彼女の絵を多くの人に知ってもらいたいというのは僕の願望の押し付けだろうか。
そんな風に僕が考えを巡らせていると、彼女は風でゆらゆらと揺らめく前髪を抑えながら、鈴のような心地良い声で、
「どうせいつものように後藤くんが私に描かせるんでしょ?」
僕を見上げる彼女の挑発的な笑みは、やはり普段真面目な彼女と打って変わって、可愛らしかった。
≪了≫
お読みになって下さりありがとうございました。
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挿絵:こぐまさん
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