3.偽られた王国の鍵
『妖精の子供』と題されたその物語は、返す返すも得体の知れない、不可思議なまでの力を持って多数の人間の支持を得た。(ジャンル別だが)日間ランキングの上位を数週間にわたって占拠し続け、おかげでぼくの創作アカウントにはびっくりするぐらい多くのフォロワーが付いていた。
感想も付いていた。みんないろいろな感想を書いている。良かった、泣いた、考えさせられた……どれもポジディヴで、いままでなかったぐらいの賛辞だった。あまりにも唐突で激しい賞賛だったので、明日あたりにトラックに轢かれて神様に魂を持っていかれるのではないか、と冗談を考えてしまうほどだった。しかしどんなに頬をつねっても、寝ても覚めてもそれは夢ではなく、むしろ背筋が凍るぐらい確とした現実だった。トラックで轢かれるよりも重く苦しい一撃だったかもしれない。それほどまでに嬉しいことだったのだ。
ぼくは図らずも賞賛される喜びを知ってしまった。これは抗いがたい魔性の力を持っていた。ちやほやされることが嬉しい、というわけではない。認められることへの愉悦がないわけでもなかったが、そうでもない。ただ、届いた、という実感があった。しかしそれは思った以上に途方も無い感動をぼくにもたらしたのだ。
しかしそれは呪いでもあった。とにかくぼくには呪いとなって機能した。得意になったわけでもなく、書きなぐったわけでもない、ただ手が勝手に動いて綴られたその物語は決してぼくの所有物ではなかったのだ。さながら昨日の晩御飯を思い出すように、帰り際で拾った花をただそっとテーブルの上に置くように、それは書かれた。だから、何をそんなに驚くのか、とかえってぼくは困惑した。困惑したけれども、歓喜の心はまぎれもない真実だった。そしてその賞賛は作品そのものに与えられたものであるにもかかわらず、ぼく自身への賛辞であるかのように思い込み、喜びはより一層強くなったのである。
ゆえにぼくは続編を書こうと決意した。一度通れた道だから、もう一度通れる、と思ったのだ。しかし結果は散々だった。『取り替え子』と銘打たれたその物語は、批判でも罵倒でもない、見えないものによって前作の影に成り果てた。読まれない、というただひとつの事実によって。
この小説投稿サイトは、その仕様上、毎日どれほどの人数に読まれているかを数値とさて知ることができる。それを見ると、一目瞭然だった。右肩上がりをしていた『妖精の子供』に比べて、『取り替え子』はあまりにも弱々しい、儚い数値変動しかなかった。それを除いても、付けられた感想の数などからしてちがっていて、ぼくは自らの企図が失敗に終わったことを悟った。
別に名声が欲しくて書いたわけではない。しかし、いまぼくはNの気持ちがなんとなくわかるような気がした。認められないということは、それだけ衝撃的なことなのだ。なまじ一度偶然を手にしただけに、掴みかけた何かが失われた感触がしたのである。
ぼくは打ちのめされ、一度書くことを辞めようと思った。改めて何を書けばいいのかわからなかったし、もう一度筆を執るためには何か決定的なものが欠落していた。ゆえにぼくは休筆宣言を活動報告に出し、気まぐれな読書生活に戻っていった。
折しもその頃、ぼくはゼミやら資格課程やらで大学方面が忙しくなり、自分の物書き趣味に時間を費やす余裕がなくなっていた。むしろこれは好機と言えただろう。しかし、そのままサイトを辞すのは呆気なかったので、ぼくはサイト内の作品も次第に読書生活の中に取り込むようになっていた。目にした面白そうな作品をブックマークし、なんとなく思い立って読む。面白かったら評価ポイントを投じ、うまく言葉が紡げたときは感想を付けた。最初は感想をくれたフォロワーの作品を、返礼の気分で読んだものだったが、次第につらくなり、気に入った作品を好きなように読んだ。気になった作者はフォローし、交流が拡がり、そしてぼくの世界はさらに拡がっていった。
そして忘れてはいけないのは、媒体を問わず、好きになれた作品の中には〈妖精の国〉の片鱗が見えたことだった。いままで電子媒体での読書を得意としていなかったために、てっきりぼくは〈妖精の国〉への門が開く場所を現実世界だけだと思い込んでいた。しかし、それはまるでぼくの世界の拡がりに呼応するかのように、仮想空間の中からも顔を見せるようになっていた。けれども〈妖精の国〉と仮想空間は同義ではなかった。むしろ仮想空間から垣間見える〈妖精の国〉は、現実世界から見るそれよりもさらに断片的ですらあった。それまで見てきた〈妖精の国〉を、ステンドグラスの破片を拾って寄せ集めるようなものだったとすれば、仮想空間で見出されたそれは、粉々にされた色ガラスの粒を混ぜて建てられた砂の城のようなものだった。細分化されすぎて、より詳しく見ようとしないと、うっかり見過ごしてしまいそうなほどにそれらは小さいものだった。しかしうまい具合に光が差し込むと、きらきらと輝くのが確かにわかるのである。
そんな時だった。ぼくは初めて「オフ会」というものに誘われたのである。
親しいフォロワーからの誘いだった。突然メッセージで「来ませんか?」と予定と場所、そして予算や内容が示されて、「お返事待ってます」と締めくくられていた。学校の教育では、こうしたウェブ上の誘いはすべて断るべきである、という風に教えているので、ぼくはためらった。しかし、恐怖やリスクよりも、好奇心が勝った。もしかするとあれ以来喋らなくなったNの代わりになるような、そんな友達を求める心が肯いたのかもしれない。とにかく、ぼくはそれを受け容れた。すると、すぐに手配は整って、月日が経ち、その日がやってきたのである。
その日は十二月の第二週の週末で、聖夜と年末に向けた混雑がここかしこで発生していた。集合場所の目安として都内の有名なオブジェの前が指定されたが、やはり人だかりがあって、ぼくは一瞬だけその人たちと会えるのか不安になった。なにせ言葉のやり取りをしていたとはいえ、面識のない、これから初めて会うひとたちだったからだ。けれども服装の情報をあらかじめもらっていたために、次第に、やってきた誰かがフォロワーさんの誰それであるということがつかめてきた。ぼくたちは目が合い、「もしかして……」と確認してから、挨拶を始める。最初は自分の喋りのスキルに不安を持っていたものの、それは相手も同じだということがだんだんわかってきたので、ぼくは調子に乗って、あえて明るく振る舞うようにした。
やってきたのは、ぼくと同い年くらいの男女が四人だった。ぼくを含めると五人。みな別々の大学生で、さながら、というより、インターカレッジ・サークルそのものだった。全員集まったことを確認すると、ぼくたちは人混みを避け、予定通り、予約していたカラオケルームへと入った。その道中で多少世間話ていどの会話をして、気難しい雰囲気はなるべく緩和していた。
「初めまして」と改めて全体に自己紹介をしたのは、ぼくを招いてくれたササキと言う男だった。ありきたりな名前だが、これはハンドルネームだ。歳はおそらくぼくよりふたつほど上、大人びた印象を湛え、メガネを掛けていた。「本日はお集まりいただきありがとうございます」
彼は丁寧な口調で、自らの好きなジャンルと書いている作品名を──SFとミステリーと近代文学、うち前二者を書いていると述べた。それがテンプレートとなり、あとの四人もそれにつづいた。
二人目は女子だった。「譲葉かえで」と名乗った彼女は、あまりおしゃれに気を遣ったふうもない、そばかすがうかがえる顔だったけれども、自分の趣味については人一倍熱中して語る傾向があるようだ。彼女はファンタジー小説や恋愛小説を主に好んでいて、とりわけ気に入っている作品は、作家単位で読むようにしているらしい。もちろん書いている作品は好きなものをそのまま綴ることにあった。
三人目はその彼女の友人で、「斉田みつき」というハンドルネームを用いていた。男にも女にも受け止められるこの名前を付けたのは、性別で区別されたくなかったからだとことわりを入れてから彼女は自己紹介に入る。好きな本は文学、それも漱石や鴎外のような硬派な文章から、十九世紀の海外文学などを好きこのんでいるらしい。しかし読書に貴賤はなく、譲葉かえでの趣味や、SF、ミステリーなども読むと言っていた。書いている作品はジャンル分けがし難く、とりあえずすべてのジャンルを制覇する野心を語っていた。しかしそういう彼女の表情はそっけないような、しかしかぶるべき猫をどこかに忘れてきたような、そういう印象を受けた。
四人目はぼくだった。なので何を言ったかはここで省かせてもらう。強いていうなら、釈然と要領を得ないことを言って、場の空気が不可思議なものになったことはいちおう記しておく。
そして五人目だった。これは男であったが、かれは、不思議なくらいににこやかでありながら、誰ひとりとして気心を許していないという印象を直感した。なぜここにいるのか不思議なぐらいに内面に尖ったものを持っている、と言っていいだろう。しかしその尖り方は矛先を定められておらず、目的意識を持っているようで、ちっとも持っていないような危うさがあった。かれは自ら書いている作品のことや、目指している夢の──作家になりたいという野心を語ったが、それは高く投げられたボールのように、どう受け取ればよいか計りかねるシロモノだった。かれはさんざん言いたいことを言ったかと思えば、ようやく思い出したかのように、「桂木シレン」というハンドルネームを名乗った。
──とにかく、こういうメンバーだった。
ぼくたちはカラオケで好きなアニメや音楽を歌い、歌わないときは声を大にして好き勝手なおしゃべりをした。そのためのどは酷使され、ドリンクバーへの往復と、それに比例してお手洗いへの往復が増え、足も動いた。途中休憩が挟まり、創作における持論などを語る機会があったが、みなそれぞれ、第一印象から類推しやすい言葉遣いで、どこかで読んだような内容や、自分流の流儀について語っていた。そのほとんどはぼくの興味の外にあったので、いまはもう何ひとつ書き込む要素がないのであったが、ササキや譲葉などは興味深そうに頷いたり、手帳にメモをしたりしていた。
この調子はカラオケの時間が終わったあとも続いた。譲葉かえでと斉田みつきの両名は、門限という理由で帰宅し、あとにササキと桂木シレンとの三人の野郎島が結成された。ぼくたちは近くのハンバーグ屋さんに向かい、そこで二次会を展開した。しかし肉を頬張るよりも、創作論のほうをたくさん腹に詰め込むハメになった。
そんな中、ふとした拍子で、ぼくの書いた『妖精の子供』に言及することがあった。親に虐げられた子供が、自らを〈妖精の子〉だと思い込むというこの筋立ては、ぼく自身、なんの意図も持っていなかったのだけれど、彼らには魅力的なものに見えたらしい。
「いやあ、やられた、と思った。まさかあんなに淡々と、綺麗にカタをつけるとは思わなかったからね」
桂木が言う。
「どうやったらあんな文章がひねり出せるのか、想像がつかなかったよ」
ササキも言う。
しかしぼくにはそんなに格好良く決めたつもりは何もなかった。そう言うと、「それが良かったのかもしれないね」と桂木は答えた。「だって、続篇は、申し訳ないけれど、あまり面白いとは思えなかったもん」
「どういう意味だい?」
「あれだろう。きみ、自分を偽ったんじゃないのかい?」
「自分を偽る?」
「言葉通りの意味さ。良いものを見せてやろう、とか、泣かせてやろう、みたいな、そういう邪念めいたものを感じた。仮面をかぶっているように思ったんだ」
ここでササキが頷いた。
「あー、言われてみるとなんかわかる気がするなぁ。何とは言えないんだけど、『ねらった』ように見えた」
「へええ」
だがぼくが思ったのは、あの数字の割にはきちんと読まれているのだな、という謎の安心感だった。そして同時に不快感も込み上げてきた。自分を偽る、だって? 偽っているという言葉が、それ自体呪いの刃のようにぼくの心に突き立てられたのを感じていた。その刃はあまりにも無邪気に振り回されたために、徹底的に心の奥底に刺さったのだ。
突き立てられた言葉の刃は、同時に、全く無邪気に引き抜かれた。手当てもとどめも刺さないこの一撃のために、ぼくの心からは不可視の血が枯れるように噴き出して、心象風景にどす黒いものに染めようと動き出していた。しかし、突如ぼくはそれが「怒り」であることに気づいた。そして「怒り」だと自覚された途端、風船に針を立てたようにそれは萎縮してしまった。ぼくは何に対して怒らなければならないのか? 理性の問いかけが、ぼくの行き場のない感情を、行き場のないまま圧し殺したのだった。
あとに残ったのは虚しさだった。鍵穴のようにポッカリと空いた虚ろの傷跡。しかしその心を解剖してくれる名医はおらず、鍵穴を開ける正解の鍵はいつのまにか失くしてしまった。叶うことなら、その心を──〈妖精の国〉の扉をこじ開けたいものだった。けれども手元に鍵はない。どんな鍵を作っても扉は開いてくれない。
王国に通じる鍵は、偽られたのだから。