2.魔法をめぐる文献学
まさかこの歳になって〈妖精の国〉が舞い戻ってくるとは思わなかった。あまりにも唐突な再会だったのだ。しかしある意味必然な気もしていた。成人式を終えて、ぼくはようやくぼく自身に興味を抱けるようになったのだから。
もともとぼくは、自分自身のことに深く関心を払ってこなかった。思春期になって口数は減ったけれども、反抗期が来なかったのだ。高校時代、周りのひとたちが親の無理解と懸命に戦っていたあいだ、ぼくはただ黙って本を読み、部活に励んでいたから、親の言葉を批判的に受けとって反旗をひるがえすなんてことをしている余裕がなかったのだ。もっとも仮にそういう時期があったとしても、ぼくは反抗をしている場合ではなかった。中三のとき、母親が乳がんだと診断されたのだ。さいわい我が家は父の稼ぎが大きかったので医療費を払っても学費はなんとかなったものの、母親が入院しているあいだ、ぼくは事実上の独り暮らしを余儀なくされた。そんなぼくは誰に「反抗」すれば良かったのだろう。逆らいたくなるほどには父のことはよく知らないし、母は逆らう相手としてはあまりにも衰弱しきっていた。結果ぼくは自身の危機をひとりでなんとかする癖がついた。誰かを心配させたくない、というような、そんな殊勝な心がけとはちがって、むしろぼくの内側で燻り続ける何かを、ひっそりと隠して飼っておこうかという、そういう魂胆だった。しかしその情念はいつのまにか、猫の死に際のように手元からいなくなっており、遠い時間の中でのたれ死んだものだと思っていた。
ゆえにぼくは自分がわからない。わからないものだと思っていたし、わかろうとも思わなかった。そういうことを考え、悩み、大学を選んだ人間は周囲にはたくさんいたし、ぼく自身名だたる難関大学に志願はしていたけれども、正直受かるならどこでもいいと思っていた。結果第一志望には落ち、第二志望にも落ちて、あんまり興味がなかったけれどもそこそこ世間での評価が高いいまの大学に入った。浪人して第一志望に入りたいというねがい──そういうものを底支えするプライドがないのかと言われれば、なかったとは断言できない。しかし現実を振り返ると、そうまでして自分の人生に大学の箔をつけたいとも思わなかったし、そうするよりも可でもなく不可でもないいまのラインで妥協した方が、楽に過ごせるだろうという観測もあった。希望的観測だった。つまるところぼくは「自分」というものに向き合わずに、自分を評価するあらゆるものをごまかし続けて今日びを生きていたのである。
ところが、そんなぼくに転機が訪れた。成人式という、社会が与える通過儀礼である。別に出なくても良かったのだけれど、イベントがない日々を過ごすのは退屈きわまりなかった。読書しかない毎日は決してエキサイティングとは言えないだろう。好きなものだけ食べつづける食事が、きっと退屈なものであるのと同じように。だからと言ってイベントが嫌いというわけではなかったけれど、億劫だとは感じていた。めんどくさい、と思うのだ。しかしどんなにめんどくさいと思っても、部屋の隅に溜まった埃を掃き出さねばならないように、ぼくが動かなければならないことがある。そういうタイミング、あるいは、そういう状況がしばしば訪れるのだ。そしてそのときたまたま成人式というイベントがあって、ぼくはなんとなく参加したのだ。
繰り返しになるけれども、ぼくは中学受験を受けて中高一貫の進学校に行ったため、小学校時代の友人知人とは一度そこで縁が切れてしまっている。だから名前は覚えていても、その思い出はきっと埃に埋もれてしまったに違いないだろう。ぼくはそんな小学生の成れの果てで溢れかえった地元の成人式に出かけた。そして見るひと出会うひとの面影に、それとなく、だが遺影のように儚げに、自分の幼年期が去来するのを認めていた。おそらくこれが、滅び去ったと思い込んでいた〈妖精の国〉との、最初の再会だった。
もちろん〈妖精の国〉という言葉を思い出したのはそのあとである。それはもっとずっと小さいときからぼくの観察者であった母の思い出から発掘された。ほろ酔い気分にのまれながら、感傷的に、そして郷愁として語られたその言葉は、かつてそれをさんざん口にしたであろう自分の口から発音されて命を取り返したのかもしれない。死んだと思っていた、あるいは押し殺していたと思い込んでいたそのすべてが、パンドラの箱から飛び出したさまざまな怪異のようにぼくの世界に氾濫し始めたのだ。
以来ぼくの感性は少しずつ、断片的ではあるが、この世のありとあらゆる事象から〈妖精の国〉の面影を見いだすようになっていた。それらは本の中に、行間や紙背に、図書館の書架の狭間に、誰かの絵画や彫刻、もしくはテレビ、家族や友人知人との語らいに、あるいは振り向いた道端の草花や、見上げた空の彼方に見つかった。雨の匂いや眠りの中にもそれは彷彿と現れた。〈妖精の国〉は気まぐれで、いつもぼくが思いもよらぬ時と場合を、狙いすましたかのようにやってきたのだ。
「……おまえやっぱ疲れてんじゃねーの」
Nはそう言う。彼は読書と現実をかなり厳密に区別しているのだ。
「深夜テンションみたいなやつでさ。疲れてるときって、常識がまともに働かないんだよ。だからそういう『中二病』的な寝言を吐いても恥ずかしくなくなる。一旦休め。そして思い返してごらんよ。そうすりゃいま宣ってることがどんなに意味のないことかわかるぜ」
「いや、でも」
「これ以上言うな。いいからさっさと試験乗り越えて、美味いもんでも食いに行こうや」
じっさい、〈妖精の国〉は試験期間のあいだひっきりなしに現れ、神出鬼没の有り様だったが、試験が終わったあと、春休みに入った途端にその頻度が緩慢になった。まるでぼく自身が使い古したおもちゃであるかのように、ぽんと放り捨てられた心地がした。そのことをNに話したら、ほら見ろ、としたり顔で笑われた。
「だが、その話は小説の設定として聞いたらけっこう面白かったぜ。きっと想像力が豊かな証だよ。なあおまえさ、小説書くことに興味ってあるか?」
「えっ」
「あんなに読んでるんだから、きっと書いたら面白くなると思うんだよね。おまえの話はいつも独自の視点を持ってるし、まあ好き嫌いの基準はわからないけどさ」
「どうなんだろうなぁ」
「物は試しだ。やってみろって。このサイト紹介するから」と言って彼がスマートフォンで見せてくれたのは、いま話題の小説投稿サイトだった。多数の書籍を出し、アニメ化作品なども輩出しているためか、作家志望の人間が多く執筆活動の拠点にしてるのだと聞いている。「流行りは気にするな。ランキングとかなんかいろいろあるが、おれもあれは好きじゃねえから読んでない。おれはただおまえの書いた話が読みたいから、ぜひやってほしいんだ」
「仕方ないなぁ」
ということで、ぼくはそのサイトに登録することになった。しかしすぐに何か書いてごらん、と言われても書くネタがあるわけではない。ぼくはひとり自宅で途方に暮れ、とりあえず好きだったお話をもとに何か書いてみることにした。
最初は、東京を舞台にした異能バトル物の小説。これはとりあえずサイト全体を眺めてみたら、アニメや漫画をベースにしたエンターテイメントがよく読まれていると思ったからだった。しかしこれは読者が少なかった。おそらく原因は二つ。ぼくがこのサイトの初心者であり、知名度が最低レベルであったこと。そしてもうひとつは、書いた作品の内容が人気ジャンルやランキング上位のものとは程遠い代物だったからだろう。ぼくはこのお話を、かつて好きだった少女漫画と小説のミックスから編み出していたが、途中で書く気力がなくなって、放り投げてしまった。
「うわー、もったいねえな。わりと面白かったのに。主人公がでいたらぼっちと出会うところとか、わりとユニークで好きだったぞ」
「ありがとう。でもあそこから先が思いつかないんだよね。それに主人公が暗すぎて、うっかり自殺しようとするんだ」
「あぁ、それはいかんな」
「どうにかならないかなぁ」
「そう言われても、おれ始めて三年経ってるけど、まだまだ駆け出しだからなぁ。もっと明るくて生き生きした主人公を書いてみりゃいいんじゃないかな」
だが、ダメだった。まるで不出来な人工知能のように、ぼくの考えたキャラクターは人生の目的を見失い、筆の途中で力尽きてしまった。
「もっと明るいキャラクターとか、思いつかないのかよ」
「うーん。文学ばかり読んできたせいかな。どうしても明るい方向性がイマイチ掴めない」
「なんか、こう、もっとあっぱらぱーな感じでいいんだよ。ラノベの主人公みたいな、ラッキーとスケベと脳筋でできてるような」
「……わからない」
「だったらほら、貸してやるよ」
そうして借りた小説は楽しく読んだ。
しかし主人公は明るくならなかった。
むしろますます暗くなった。
「あのコメディシリーズ全巻読んだのにどうしてあんなの書けるんだよ。信じられねぇ」
Nはしかし笑っていた。
ぼくは苦笑する。
「なんだろうな。面白かったし、そこそこ共感するところも、深いところもあったんだけどね。ただ読んでて……うーん、喩えるならね、教室の隅から賑やかなひとたちを眺めているような気分になるんだよ」
「なんだそれ」
「面白いんだけど、どうにも他人事に見えるんだ。だから書くとき、いまいちピンとこなくて、気がついたら暗くなってる」
「へえ、面白いこともあるんだな」言外におれはわからんと言っているようなものだった。「だったらまあ、好きなように書いてみりゃいいだろう。そうしてるうちに、うんざりして、明るい方向性に切り替わるかもしれないぞ」
だが、ぼくはそのうち、なんのために自分がこれを書いているのかわからなくなっていた。作家になるため? ちがう。多くの読者に認めてもらうため? ちがう。自分の中に表現したいものがある? まちがってない気がするが、正しくもない。Nに肯定してもらうため? 絶対ちがう。
自己分析の結果、少なくとも表現することに忌避感はなかった。ただ自分が何を書きたいのか、という問いに答えが出せないというだけのことだった。それだけといえば単純な話だったが、これがじつに究極的な難問だった。思った以上に考えてもわからないものだったのだ。
Nのアカウントなどを見ると、彼は日頃愛好していると言って憚らない作品や作家の影響が濃厚に出たものを書いている。読者はそこそこいるらしく、ごくまれにジャンル別の日間ランキングに名を載せて、嬉しい旨を活動報告に掲げるなどしていた。彼は書いたものがブックマークを得て、ポイントをもらうことがやりがいになっているらしく、ときに読者側から感想や推薦文を書かれているのを発見すると狂わんばかりに喜び、自慢げにぼくのスマートフォンに連絡をよこしてくれる。だがぼくは「おめでとう」と言うだけで、特に何も思うところがなかった。あまりに反応が素っ気ないので、Nはいつのまにかぼくに見せびらかすことをやめて、SNSに創作活動用のアカウントでひけらかすようになっていた。
しかしぼくには──正直に言ってしまおう──そんな自己顕示欲や、承認欲求とでも言うべきものがわからなかったし、ほとんどなかった。ないとは言わない。Nの言わんとしている気持ちもわかる。けれどもぼくにはそれは他人事でしかないのだ。多くの人に認められたならそれは慶事で、それはそれでとても素晴らしいことだと思うし、成果が実らないと嘆くのは、とても悲しいことだと思う。しかし結局は他人事、少なくともぼくにはつゆほども響かない事象だったのだ。そういうことをNに言ってみたものの、「見栄を張るな」と無下にされてしまったから、これはきっと異常なことなのだろう。ぼくは自分自身がよくわからないから、承認してもらいたい「もの」がないというだけなのだけれど。
誰しも自分自身の中に、自分で定義する「自分」というものがある。それは自分史というものとは少しちがっていて、自分はこういう人間だ、と宣言するための下書き原稿みたいなものだ。そこにはきっと願望や憧れが改行なしでめいいっぱい詰め込まれていて、壇上で三分間スピーチしてみろと言われても、きっと三分間では収まらないぐらいにたくさんのことが記されている。そしておそらく細かく読み解いてゆけば、それぞれちがうことが書かれているのはまちがいないのだ。けれどもびっしり埋め尽くされた原稿を手渡されて、読みたいと思う人間なんてそういない。むしろありきたりでいいから、すっきりした原稿でハキハキと喋ってもらった方が多くの人に伝わりやすいだろう。三分間スピーチの中身がどういうものかということよりも、まずきちんと三分間でまとまった、首尾一貫したお話ができること。それが伝達というものの意義であって、そこに付随する枝葉は余人の興味の外にある。物好きだけに許された、欄外の脚註なのだ。
けれどもそのすべてを読み込んだところで、その人自身がわかるかというとそうではない。内心どう思っているか、はまちがいなくその人間の一部ではある。そして脚註に記された参考文献──すなわち憧れの対象や、夢や理想、そのきっかけなど──を漁ったところで、決して無益ではないにしても本質的ではないのだ。むしろその人自身の振る舞いというのがあって、外側から見てどう見えるのかということがある。誰かのフィルターを通じて見える「自分」というものがある。もちろんこれもまた偏見まじりだから、全き彼自身ではないにしても、その人の内側から溢れかえった、憧れまじりの「自分」とはまた別の資料を提示する。それとこれとを突きつけてみると、恐ろしい不一致とともにけたたましい摩擦音をがなりたてることだろう。有名なSF作家が得意とした、アイデンティティ・クライシスと同じ現象が現実に起こりうるかもしれない。
じっさいNはたびたびそうした事態に出くわした。彼は自作に寄せられる感想や批評を、善悪のベクトルを無視して大量に摂取していた。善意のものならまだ良いのだが、ネット掲示板に書かれるような悪意に満ちたそれですら、自ら検索して見つけ出すほどには貪欲だった。結果、彼は狂った芸術家のように読者を侮蔑するようになり、ついには善意の感想ですら、指摘の内容を認めるなり、攻撃的な返事をするようになっていた。
これは見るに耐えない光景だった。最初は友人として愚痴に付き合うことぐらいはしていたものの、だんだん悪辣になってぶり返すさまを見ているうちにぼくの方で愛想が尽きてしまった。ぼくは次第にNと会わなくなった。できる限り避けるようにした。会うと同じサイトのよしみで、幾度も愚痴を聞かされるからだ。さすがに建設的な話をしてほしいと思うから、ほとぼりが冷めるまで、放って置こうと考えたのだった。
しかし、彼はそれを絶交と見なした。
「おまえも、おれのことを馬鹿にするんだな。パクり魔だとか名作の皮を被っただけだとか、そういう風におれの作品を見るんだな!」
そんな絶叫を記して、ぼくらの仲は断絶された。三年生の夏のことだった。
そしてその秋のこと、ぼくはなにげなく書いたものが爆発的に評価された。自分でもなぜ書いたのかわからなかったが、それ以上に評価されたことに驚いた。というのも、それはぼくがふたたび忘れそうになっていたことについて、書かれた物語だったからだった。
──そう、〈妖精の国〉についての話だ。