初めての宿屋にゃん
○プリンキピウム 市街地
冒険者ギルドを出る頃には外はすっかり暗くなっていた。
「宿屋はこっちだよ」
「ほんのちょっと歩くのです」
街の中心に向かうほど賑やかになって来る。
通りをガタゴトと硬い音を立てて魔法馬に曳かれた馬車が行き来していた。
「本物の馬は一頭も見掛けないにゃんね」
「本物の馬?」
「本物は危なくて使えないのです」
「獣だからね」
どうやら本物の馬は家畜化されてないらしい。見掛ける家畜は猫と犬ぐらいか。
キャリーとベルの後に付いてキョロキョロしながら歩く。
まるで映画かドラマのセットに入り込んだみたいだ。
それか世界遺産。東ヨーロッパに残ってる古い街とか? オレは行ったことないけど。
輸送手段は魔法馬の馬車が主流みたいだ。自動車は見当たらない。
他には小さな荷車を引っ張ってる人がいくらかいた。
街はめちゃくちゃ汚いわけじゃないが、生活に染み付いた臭いが漂ってる。
産業革命前のヨーロッパに近い感じ?
それでも窓から排泄物を撒くなんてことがなさそうなのは幸いだ。
もうちょっとちゃんと世界史を勉強しておけば良かった。
服装はオレの知ってる現代日本に近い感じがする。
綺麗汚いは別にして。
魔法と魔導具があるからマジモノの中世時代よりマシなのかも。
たぶん街の目抜き通りなのだろうけど、馬車はそれなりに走っているが街灯は薄暗いし人の姿もまばらだ。
田舎街の夜は異世界も日本も雰囲気は変わらないのかも。
やはり異世界で間違いなさそうだ。
あの事故で生きているとは考えられないし夢にしては緻密すぎる。
「ここが私たちが泊まってる宿だよ」
キャリーが足を止めて看板を指差した。
「子ブタ亭にゃん?」
看板の文字もちゃんと読めた。
「冒険者専門の宿なのです」
ベルが教えてくれる。
「にゃあ」
キャリーとベルが逗留してる宿にオレも泊まることにした。
○プリンキピウム 子ブタ亭
宿屋は三階建の年季の入った木造だが、これまたがっしりした造りの建物だ。
子ブタ亭に入ると宿屋のカウンターと思しき場所と食堂が目に入った。
食堂はそこそこの賑わいだ。
確かに冒険者っぽい人ばかりいる。
「おばちゃん、この子も泊めてくれる?」
キャリーが声を掛けるとなるほど子ブタ亭だと納得の女将さんが出て来た。
「あら、ずいぶんとちっちゃな子だね」
「マコト、ギルドカードを見せるのです」
「にゃあ、コレにゃん」
「あらまあ、六歳で冒険者なんて苦労してるんだね、ウチは未成年でも冒険者なら問題ないよ」
本来なら子供一人で部屋を借りるなんてできないのだが、そこはギルドカードがものを言って難なくクリアだ。
女将さんに微妙に勘違いされたが、説明のしようもないので放置だ。
○プリンキピウム 子ブタ亭 食堂
夕食と朝食込みの宿代を払って、まずは夕食をいただく。
「言われてみると腹ペコだったにゃん」
「でしょう? 私たちもお昼抜きだったんだ」
「食べてる余裕が無かったのです」
キャリーとベルはかなりの獲物を仕留めていたらしい。
十四歳でも軍人さんなだけはある。
「あの森って、普段は何がいるにゃん」
「ウサギにシカにイノシシとクマ、それとオオカミ、たまにトラ、奥に行くほど危険な獣が出てくるみたいだね」
「オオカミは、シロオオカミとクロオオカミの二種類がいるのです」
「それにギンオオカミってのもいるらしいよ」
「レアな獣なのでまず出会うことはないのです、運悪く出会ったら逃げること推奨なのです」
「にゃあ、そうするにゃん」
話し込んでるところに料理が運ばれてきた。
「お湯に肉が入ってるにゃん」
まさにその状態だ。
茹でた肉をただのお湯に入れてる。
これはメシマズ嫁の創作料理だろうか?
キャリーとベルは普通に食べてる。
「この料理って、なんて言う名前にゃん?」
「茹肉だよ」
「ポピュラーな家庭料理なのです」
「にゃあ、素材の味を楽しむ料理にゃんね」
良く言えば。
「にゃお」
鬼のように硬い上に獣臭い。一言で表すならゲロマズ。
せめて塩が欲しい。
しかしテーブルにそんなモノは無かった。
もしかして塩は貴重品で、胡椒は黄金と交換されちゃうレベルか? いや、ローマ時代じゃないんだからそこまで高くないと思いたい。
ただし子ブタ亭には無さそうだ。
おお、精霊情報体に調味料のレシピがあるぞ。
オオカミを使って作れるらしい。
早速、格納空間でオオカミ由来の調味料をこしらえて取り出した。コショウ入れみたいな白い容器は牙と同じ成分で仕上げてある。
オレはお湯から肉を取り出し、それを振りかけた。
「にゃあ、お行儀が悪いけど何とか食べられる味になったにゃん」
塩味と旨味がプラスされた。
「マコト、それなに?」
「ウルフソルトにゃん」
「私にも貸して」
「私も借りたいのです」
キャリーとベルにも貸してやる。
「おお、まるで別の料理だね、贅沢な感じになったよ」
「私もこの味の方がいいのです」
「パンも超ハードにゃん」
「そうかな、こんなものだと思うけど」
「パンはこういうものなのです」
「フワフワのパンはないにゃんね」
「フワフワのパン?」
「聞いた事がないのです」
「にゃあ、硬いパンも薄くスライスすれば食べやすいにゃんね、小麦の味も楽しめるにゃん」
パンを格納して薄くスライスして取り出した。
「パリパリしておいしいにゃん」
「マコト、マコト、私のも」
「私のパンもお願いなのです」
「にゃあ」
ふたりのパンもスライスしてやった。
「おお、薄くしただけで食べやすくなるね」
「お湯に入れなくても食べられるところがいいのです」
食事に関しては今後も期待しない方が良さそうだ。
「ふたりは、明日どうするにゃん?」
「当然、狩りをするよ」
「あと一週間で王都に戻らなくてはならないので頑張るのです」
「マコトはどうするの、私たちと一緒に王都に行く?」
「にゃあ、王都でも狩りができるにゃん?」
「できないことはないけど、お金にはならないのです」
「獣の濃さが違うからね」
ふたりがわざわざプリンキピウムに来てるぐらいだからそうなのだろう。
「にゃあ、王都では冒険者より別の仕事が良さそうにゃんね、でもこのナリでは難しそうにゃん」
「そうだね、子供では難しいよね」
「プリンキピウムみたいな辺境の街のほうが、マコトは悪目立ちしないで済みそうなのです」
「冒険者として活動するなら王都よりもこっちの方が稼げるにゃんね」
「うん、それは間違いないよ」
「王都なら、さっきの調味料を売るという手もあるのです、でもオススメはしないのです」
「どうしてにゃん?」
元新車ディーラーのセールスとしては調味料で一儲けも悪くないのだが。
「王都は悪い人間がいっぱいいるから、別の意味で危険なのです」
「ああ、それはあるね、ずる賢いヤツがいっぱいいるから」
「特にマコトの魔力は目立つので、厄介な奴らに目を付けられる可能性があるのです」
「厄介な奴らにゃん?」
「例えば犯罪ギルドかな」
「どの業界でも優秀な魔法使いは、需要が高いのです」
「にゃあ、するとオレはしばらくこっちにいる方がいいにゃんね」
冒険者カードを無理して作って貰った手前、こっちにしばらく滞在してこの世界に慣れるのがいいか。
それに親切なキャリーとベルの負担にはなりたくない。
明日オレも狩りに付いていく約束をして自分の部屋に入った。
○プリンキピウム 子ブタ亭 客室
淡く光ってるランプは魔導具だ。
ライト系の魔法の刻印が刻まれてる。
刻印が魔法式を読み込みマナに働き掛けて光らせる。
前世の日本よりエコだ。
刻印がブレてるのは何度か打ち直したからか。
「部屋はベッドがあるだけで、シャワーとかはないにゃんね」
ビジネスホテルの安いシングルぐらいの狭い部屋だ。
トイレは裏庭にボットン便所があるだけ。
無論、トイレットペーパーなどという便利グッズはない。
「にゃあ、これならどこか場所を探して自分でロッジでも作った方が快適な気がするにゃん」
精霊情報体にロッジを作るためのパーツのライブラリが収まってる。
ちゃんと温水洗浄機能付きのトイレのパーツまであった。
情報体のライブラリに有ってオレがその実物を知っていれば再生可能だ。
場所さえあれば、宿は不要だ。
キャリーとベルが滞在する間はオレも宿に泊まることにするが、自分ひとりなら森に住んでも構わない。
「にゃお、この部屋の毛布、臭うにゃんね」
部屋も綺麗とは言い難い。
オレは部屋全体をウォッシュの魔法で綺麗にした。
水で洗ってるわけじゃないので素材の状態が悪くなったりしない。
「便利な魔法にゃん」
オレ自身もウォッシュする。
「にゃあ、さっぱりしたにゃん」
これはキャリーとベルもやってあげた方が良さそうだ。
ベルが使えるとは思うが今日のところは魔力もまだ回復していないだろうし。
ちょこちょこと廊下に出てふたりの部屋をノックする。
ノックの習慣はほぼ同じだ。
「にゃあ、マコトにゃん、ちょっといいにゃん?」
キャリーが扉を開けてくれた。
「どうしたの?」
おお、着替えている途中だったのか、ふたりともパンツ一丁だ。
どっちも発展途上にゃんね。
「良かったら、ふたりにウォッシュしてやるにゃん」
「マコトはウォッシュの魔法が使えるの?」
「にゃあ、部屋ごとウォッシュしたにゃん」
「部屋ごとはスゴいのです」
「どれだけ魔力があるんだろう」
「この部屋もやるにゃん?」
「その前に私たちに掛けて欲しいのです、今日は魔力切れで出来なかったので助かるのです」
「じゃあ、掛けるにゃん」
まずはキャリーとベルをウォッシュする。
「スゴい、何かベルのウォッシュと全然違ってるね」
「レベルが段違いなのです」
「自分では良くわからないにゃん、続けて部屋をやるにゃん」
次は部屋ごとウォッシュした。
「めちゃめちゃ綺麗になってる」
「驚きの連続なのです」
「にゃあ、おやすみにゃん」
ふたりの部屋を後にして自分の部屋に戻る。
「トイレに行きたいにゃん」
でも、裏庭のボットン便所は勘弁にゃん。このちっちゃな身体では下手をすると考えたくないような悲劇に見舞われるにゃん。
自分の部屋の角っこに温水洗浄機能付きポータブルトイレを作り出す。原料はオオカミの骨などを利用した。
水はエーテルから作り出し、汚水はエーテルに分解するので清潔だ。
消臭と防音の結界を作れば完璧。
「早速、使うにゃん」
ちゃんとトイレットペーパーも用意したので安心だ。
「にゃ~」
力が抜けるにゃん。
オレもパンツとロングTシャツでベッドに潜り込んだ。
今日は死んだり、空から落ちたり、オオカミをやっつけたり、世紀末スキンヘッドとタイマン張ったり忙しかった。
妹や支店の連中はいまごろどうしてるだろう?
パソコンの中の画像はちょっとまずいが、パスワードが入ってるから大丈夫だと信じたい。
わりかし平凡な人生を送って来たつもりだったが、最後の最後で車で爆破炎上とか派手なことになってしまった。
嫁さんや子供がいたら、こんなところでのんびり毛布にくるまってはいられなかったろう。
黒焦げになったオレの死体を確認するのは妹の旦那の博くんあたりか?
ごめんな博くん。
葬式は簡単でいいから、保険金が入ったら美味いもんでも食ってくれ。
あと、遺品のエッチなビデオは姪っ子たちに見付からないようにこっそり見ろよ!
「にゃあ、とりあえず今日はお休みにゃん」
目を閉じた。
「ベル、起きてる?」
灯りを落とした部屋でベッドで毛布にくるまったまま声を掛けた。
「起きているのです」
もぞもぞ動いている。
「マコトって、スゴいよね」
「同感なのです、あの小さな身体にどれだけ魔力が詰まってるのか見当もつかないのです」
「本当に稀人なのかな?」
「稀人のことは秘密にするのです」
「わかってる、王都のバカな連中に目を付けられたら大変だものね」
「でも、マコトがいいようにやられるとも思えないのです」
「そうだね」
「もう寝るのです」
「うん、おやすみ」
「おやすみなのです」