魔神の解放にゃん
○ケントルム王国 王都フリソス フリソス城 上空
魔神が仰け反って震える。
その身体を這い回る空中刻印が切れた。
集合体たちの熱線が集中するが魔神に届く寸前に折り曲げられて彼方へと飛ぶ。
刻印から解放された魔神の案山子のような身体がねじれた。
○ケントルム王国 カンタル州 境界門
「にゃお、人工魂では准天使を縛る刻印が維持できなかったにゃんね」
「お館様、あの負荷では本物を使っても結果に大差はないみたいにゃん」
猫耳がシミュレーションしていた。
「確かに集合体とそのコピー魔獣を相手する負荷は耐えられないにゃんね」
「魔獣を超える存在を相手にするとはサクラも想定してなかったんじゃない?」
「にゃあ、普通はそうにゃんね」
タマモ姉の意見に同意だ。オレも同じ立場だったら魔獣の大発生を超える状況は想像できなかったと思う。
「ところで人工魂って何なの?」
「にゃあ、元はオリエーンス連邦時代の品にゃん、魂をコピーできるにゃん、精度はともかく耐久性は今ひとつにゃん」
「なるほど、それとすり替えたのね」
「そうにゃん、魔神なんてヤバいモノをそのまま錬成させるほどオレたちはお人好しじゃないにゃん」
今回、魔神の封印を解くのに使われた生贄六人の魂を予めオレたちが作った人工魂と入れ替えていたのだ。
「いまの状況からすると結果に大きな違いはなかったにゃん」
多少、解放の時間が早まった程度か?
「にゃあ、それは違うにゃん、お館様のおかげでウチらは国を滅ぼす化け物に組み込まれずに済んだにゃん」
新入り六人の猫耳を代表して元ケントルムの第三王子クライヴだったクラが横からオレを抱き上げた。
「にゃあ、王座よりも素晴らしいものがここにあったにゃん」
抱っこしたオレに頬ずりする。
「にゃお、クラはお館様を独占したら駄目にゃん」
元ケントルムの第二王妃クローデットのクロがオレを更に横からかっさらった。
「にゃあ、ウチも満たされるにゃん」
前世は第一王妃の暗殺とか、浮気の子を王子にしたりとやりたい放題だったが、しっかりと煉獄の炎で炙りまくったおかげで、いまは目がキラキラな猫耳だ。
「順番にゃんよ」
元ケントルムの宰相グレン・バーカーだったグレが場を仕切り始めた。
「「「にゃあ、並ぶにゃん」」」
元第一騎士団団長のニコラス・バーカーのラスと元第一騎士団第一中隊隊長ケネス・エルドンのケネに元第一騎士団第二中隊隊長ルロイ・キーオンだったルロと前世の仲良し三人組も猫耳だ。いずれも前世の面影は髪の色ぐらいしか残っていない。
「「「にゃあ」」」
それ以外の猫耳たちも並び始めた。世界の危機にも猫耳たちは平常運転だ。
○ケントルム王国 王都フリソス フリソス城 上空
ねじれた魔神の身体から魔力があふれる。魔神の形を作っていた刻印が壊れたせいでそれに宿っていた魔力が放出された。
魔神はもう人の形はしていない。丸めたボロ雑巾?そんな感じだ。
集合体たちの熱線は休まず放たれたが、いずれも魔神に着弾することなく弾かれる。防御結界そのものが別のモノに変化した。
紛れもなく准天使の魔法だ。
見た目はともかく魔神から准天使に変化した。
あの姿も失うと今度は准天使から魔法生物か?
魔法生物なら魔力を吸う以外にこれといった悪さはしないはずだが。
○ケントルム王国 王都フリソス フリソス城 地下王宮
「主席、上ってどうなったの?」
魔神の異変を感じ取ったルフィナが天井を指差した。
「魔神を縛っていた刻印が壊れたみたいだね」
「刻印?」
ルミールも訊き返す。
「魔神の身体を魔法式が這い回っていたでしょ? アレだよ」
「主席は修復はできないのか?」
「ルミールは?」
逆に訊き返すモリス。
「あんな見たこともない魔法式の修復なんて俺には無理だ」
即答する。
「だよね、例え出来たとしても魔神なんて危ない存在を修復なんてしないけどね」
モリスも同意する。
「魔神の刻印が壊れたってことは、集合体たちが勝ったってこと?」
ルフィナが訊く。
「まだ勝ったとは言えないんじゃないかな、いまはまだ魔神じゃなくなっただけって感じだし」
ルミールの言葉どおり魔神だったものはまだ王宮の上空にいる。
「魔神じゃなくなっても危ないのは変わりないか」
ルミールは渋い顔をする。
「さっきみたいな無差別攻撃しなければ何でもいいんじゃないかな」
「いまはまだ無差別みたいだけど」
集合体たちからの熱線を弾いているが跳弾がやばい。とばっちりであちこちから火の手が上がっている。
「少なくとも俺たちの味方ではないか」
「だろうね」
モリスもうなずく。
「あいつらで潰しあってくれればいいのに」
「それは最高だが無理だろう、主席が両方潰してくれないか?」
「えーボクが全部退治しちゃったら、テランス師の立場が無くなっちゃうから止めておくよ」
「「……」」
半目でモリスを見るルフィナとルミール。
「本当だからね」
「はいはい」
ルフィナは適当に返し、ルミールはタブレットの魔導具に視線を落とした。
○ケントルム王国 カンタル州 境界門
「にゃお、アレはただの魔法生物じゃないにゃん、格納できなかったにゃん」
突発的に始まった抱っこ会の最中、オレは魔神が形を失ったタイミングで格納を試みたが弾かれた。
アレには魂があるのか?
「うーん、お姉さんだけどあたしとはちょっと違うみたい」
隣りにいるタマモ姉も首を傾げる。魂の有無はわからないらしい。
「にゃあ、格納できないとなると実際に捕まえるしかないにゃんね」
もしくは放置なのだが、准天使の中身を放置とかヤバすぎなので捕獲する必要ありだ。またサクラみたいなのに捕まるとオレたちが迷惑する。
「ただ、あの熱線の中に近づくのは無理にゃん」
「危ないものね」
元魔神からは撃ち返していないが、すべて跳弾させるから撃ち合いしているのと何ら変わらない。
「空中刻印と接続が切れた元魔神はそろそろ魔力切れにゃん」
「そうなると魔力に惹かれちゃうわね」
「魔力にゃんね」
フリソスは王都のくせにこれといった魔力が溜まっている場所がないから、いちばん強い魔力はというと……。
「にゃお、集合体にゃん」
○ケントルム王国 王都圏 東城壁門跡
形を失った魔神だったモノが王都の中心から王都圏の東の端にいる集合体に一瞬で距離を詰めた。
中身が准天使だけにほとんど瞬間移動だ。
元魔神はそのまま集合体の頭部に衝突した。集合体は反応できず頭を砕かれ、衝撃音がカンタル州を横断してオレのところまで届く。
集合体の頭部は直ぐに再生するが、食い込んだ元魔神をそのまま取り込んでしまう。
物理的に入り込んだ魔法生物が集合体の中で急速に根を伸ばす。
『『『オオオオオオオッ!』』』
集合体とそのコピーが咆哮するとその身体が変化する。
人型からドラゴンの形状になった。
結界で繋がっていたコピーたちも同様にドラゴンの形になる。
タマモ姉がケラスの旧州都で魔獣に寄生した魔法生物だった頃の形がドラゴンだったけど、それとは似てはいない。
魔法生物だった頃のタマモ姉は魔獣を依代にして魔力を吸っていたが、元魔神はどうするんだ? このまま集合体とそのコピーどもの魔力を吸って動きを止めてくれると助かるのだが。
○ケントルム王国 カンタル州 境界門
「元魔神が集合体と融合したにゃん」
すんなり融合するあたり元魔神の方が上だったらしい。さすが天使様が作り出しただけはある。
「お姉ちゃんと集合体の目的が違っていたから、融合して軌道修正したのかな?」
「目的にゃん?」
タマモ姉の言葉に聞き返した。
「お姉ちゃんの希望は魔力で、集合体はたぶん別でしょう?」
「そうにゃんね、少なくとも集合体は魔力を吸いに王都に来たわけじゃないにゃん」
集合体が何をやるかはいまだ不明だ。
「何か始めるみたいよ」
タマモ姉は西の空を指差した。
邪魔者がいなくなったところで、集合体たちがいよいよ本来の仕事に取り掛かる。
○ケントルム王国 王都圏
王都を囲む集合体のコピーたち四体が長い手を伸ばして魔神を召喚した空中刻印に触れた。
指先からあふれ出る青い光で空中刻印を書き換える。
あの光は集合体が奪った魂の光だ。
集合体は魔神の空中刻印を書き換えるために魂を集めたのか?
書き換えられた魔法式は、オリエーンス連邦の形式じゃない。精霊情報体とも違う見たことのない代物だ。
王都圏外周の境界門跡にいる集合体とそのコピーたちからも空中刻印が作り出される。こちらも改変された空中刻印と同じモノだ。それらは急速に拡がり書き換えられつつある王都の空中刻印と融合した。
○ケントルム王国 カンタル州 境界門
「にゃお、元魔神を取り込んだにしても集合体は手際がいいにゃんね」
城壁門の罠はともかく魔神の空中刻印まで簡単に乗っ取るとは、まるで最初から利用可能な刻印の存在を知っていたみたいだ。
「お館様、集合体が王都に来たのは魔神の空中刻印が目当てだったと違うにゃん?」
オレを抱っこしている猫耳が推察する。
「にゃあ、それは有りそうにゃんね」
もしかしたらケントルム東部の砂海の領域にいる段階で、砂海の魔獣がケントルム全土にサーチを掛けていたのかも。
「空中刻印の存在を確認してから集合体を作って歩き出したのなら、王都に来るのも納得にゃん」
「にゃあ、お館様それに王都フリソスは高濃度のマナが溜まっているわけでもないし、いまは王都圏から人も逃げたので魂もないにゃん、魔力の反応に関しては王都も地方の州都も大きな違いはないにゃん」
「そう考えるとつまらない王都にゃん」
「「「にゃあ」」」
ツッコミ不在だ。
「なによりヤツは熱線で手当り次第焼き尽くしていたのに王都に近付いた途端、急におとなしくなったにゃん」
王都にはほとんど熱線を撃ち込んでなかった。
「刻印を壊さない為の配慮にゃんね」
「問題は空中刻印を改変して何をするかにゃん」
「そうね、いったい何が始まるのかしら」
タマモ姉も目を凝らす。
○ケントルム王国 王都圏
未知の形式の空中刻印に王都圏上空が完全に覆われようとしていた。
オレたちには解析ができない魔法式だ。
元魔神が融合しているからいきなりの爆発は無いだろうが、膨大な魔力を生み出す消滅の刻印とかもあるから安心はできない。
○ケントルム王国 王都フリソス フリソス城 地下王宮
「魔神の結界を集合体が乗っ取った?」
モリスが天井の向こう側を睨む。
「何かスゴい勢いで書き換わっているけど、あれって乗っ取られているの?」
ルフィナも顔を上に向ける。モリス同様に王都上空の空中刻印を見ていた。
「魔獣が触っているわけだし間違いないんじゃないかな」
王都の四つの城壁門の跡に現れた集合体のコピーが手を伸ばして直接触れていたし、王都圏の魔獣たちからも刻印が生み出されて拡がっていた。
「魔神はどうなったんだ?」
ルミールは魔神の動きを見失っていた。
「集合体にぶつかって消えたみたいだね」
モリスが答えた。
「消えた?」
「そうね、集合体に飲み込まれたみたい」
ルフィナもちゃんと追っていた。
「集合体がドラゴンみたいな形に変化したのはそのせいか?」
「タイミング的にはそうだけど、ボクからはなんとも」
「あたしもさっぱり」
モリスとルフィナは揃って首を横に振った。
○ケントルム王国 カンタル州 境界門
「そろそろにゃんね」
臨時の抱っこ会は中断してオレはまたクッションに身体を預けた。緊張感はないが抱っこ会よりはまだいいだろう。
猫耳と猫耳ゴーレムたちは不測の事態に備えて少数を残して東に移動させた。展開中の戦艦型ゴーレムと空母型ゴーレムたちは王都圏からできるだけ距離を取らせ、魔法蟻とオートマタに自走式三型マナ変換炉たちは全数を格納してある。
「にゃあ、お館様、集合体が乗っ取った空中刻印が完成したっぽいにゃん」
猫耳が報告する。
「王都圏全体に拡がったから、帝都エクシトマの消滅刻印よりデカくなったにゃんね」
王都上空に浮かぶ空中刻印のすべての魔法式が見たことのない形式で書き換えられ、王都圏から拡がった刻印と完全に融合して一つになった。
「多少は元魔神の魔法生物も関係しているとしても集合体改め砂海のドラゴンどもは、処理能力が高いにゃんね」
「厄介にゃん」
「まったくにゃん」
「お館様、刻印が起動するぽいにゃん」
「そうみたいにゃんね、全方位からの監視よろしくにゃん」
「「「にゃあ」」」
「魔法生物が混じったせいで、人類滅亡とか完全なる破壊とかの人型魔獣にありがちな中二的な目的にズレが生じているはずにゃん、それがどう変化したかオレたちで見極めるにゃん!」
「「「にゃあ!」」」
猫耳たちも拳を振り上げた。
○ケントルム王国 王都圏
王都と王都圏に雨が降り始めた。
雨雲からではない、上空を覆う空中刻印から降り注ぐ。
いや、これは雨じゃない。
砂海の砂だ。
○ケントルム王国 カンタル州 境界門
「にゃお、これで改変された空中刻印の正体がわかったにゃんね」
「砂海の砂の召喚が出来るとは驚きにゃん」
「「「にゃあ」」」
猫耳たちも監視に全力を上げる。
王都圏を覆う空中刻印から雨のように降り注いでいるのは砂海の砂だ。
探査魔法で見えるそれは、風に揺れる茶色いカーテンの様で、地上からは白い靄が立ち上がっていた。
「お館様、こんなに降られては王都を含めて王都圏は駄目にゃん」
「そうにゃんね」
空中刻印から大量に降り注ぐ砂海の砂に多少の差はあれど、すべての建造物が溶かされ形を失う。地上からの白い靄はその残滓だ。
「これはさっさと潰さないとマズいことになるにゃんね」
人的な被害は最小限に抑えられたが、それは現段階の話だ。
「お館様、魔獣の大発生にゃんね」
「そうにゃん、まだ収まってない魔獣の大発生が低く見積もっても倍にはなるにゃん」
滝のように降り注ぐ砂の雨で王都圏は砂海の領域に変化しつつあった。
このまま砂海の領域を放置すれば、放出されるマナによって魔獣の大発生を活性化させる。その被害は東部の比じゃないはずだ。この国は西側の方が発展しているからな。
「魔神の中身が影響してこれなら、集合体だけだったら何をやらかしたか見当が付かないにゃんね」
砂の雨だけでもかなりヤバいのにそれ以上の迷惑行為をやらかしたのだろうか?
「ネコちゃん、本来召喚されるはずだったモノが刻印の上に見えているわよ」
タマモ姉が教えてくれる。
「にゃ、空中刻印の上にゃん?」
アドバイスに従って探査魔法を上にずらした。




