ケントルム王国に到着にゃん
○帝国暦 二七三〇年十二月〇三日
○ケントルム王国 テスタ州 州都トロイ郊外 北方連合侵攻軍陣地
ナオのいるアドウェント州の西に隣接しているテスタ州。
その州都トロイの郊外に作られた北方連合侵攻軍の陣地に騎士に守られた四頭立ての豪奢な馬車が日の出前の早朝に到着した。
歩哨の兵士が敬礼しバリケードを退ける。馬車はゆっくりと進んだ。
馬車から降りたのはテスタ州の領主オレール・カリエール侯爵。
「今朝は冷えますね」
白い息を吐き出す。
オレール侯爵はアドウェント州の領主ジスラン・デュクロ伯爵と同じ四五歳。ジスランがかつて薔薇の騎士団を率いていた剣士だったのと比べてオレールは痩せた体躯に眼鏡を掛けた学者のような風貌だ。
北方連合の騎士に先導され陣地内の最も大きな天幕に足を向けた。
○ケントルム王国 テスタ州 州都トロイ郊外 北方連合侵攻軍陣地 現地発令所
「こんな時間に失礼」
オレールは、大領地の領主にしては腰が低く北方連合侵攻軍の将軍たちにも居丈高な振る舞いは見せない。
北方連合侵攻軍の三人の将軍が立ち上がって一礼する。
「戦況はいかがです?」
「どうやら、アドウェント側は夜になって活発に動いているようであります」
巨漢のバスチアン・アンクタン将軍がアドウェント州の地図を睨んで答えた。地図上には印が数カ所付けられている。
アドウェント州に侵攻した地上部隊のいくつかの連絡が途絶えた。
「夜襲ですか?」
オレール侯爵は眼鏡を直す。
「状況はまだ確認中でありますが、それで間違いないかと」
返答したブリュノ・オクレール将軍は眺めていたタブレット型の魔導具をテーブルに置いた。神経質そうな外観の参謀出身の将軍だ。
「騎士ではなく魔法使いかと思われます」
ひとり年若いディディエ・バリエ将軍は領主一族の人間ではあるが、それを抜きにしても優秀な指揮官だ。
「魔法使いですか?」
「そうです、騎士には痕跡もなくすべてを消し去ることは不可能ですから」
ブリュノ将軍がオレール侯爵の疑問に答えた。
「つまり兵士が跡形もなく消し去られたと?」
「はい」
消息を絶った部隊は文字通り野営の痕跡だけ残して消え去っている。
「州都を失っても組織だった動きに変わりがないようです。やはりアドウェント州の中心は州都ではなく……」
ディディエ将軍が言葉を途切れさせる。
「薔薇園ですか?」
オレール侯爵が答えた。
「そうなるかと」
ディディエ将軍が頷く。
「私は、ナオ・ミヤカタが健在だと考えているのです」
オレール侯爵がナオの名前を出した。
「オレール様は、薔薇園の魔女は州都とともに消滅したのでは無いとお考えでありますか?」
バスチアン将軍が尋ねた。
「そうです、先ほどディディエ将軍が仰った州都を失っても組織だった抵抗を続けている点、それに主席宮廷魔導師のモリス・クラプトン殿が沈黙を守っていますからね」
「たしか主席殿はナオ・ミヤカタの縁者でしたね」
ブリュノ将軍は多少の知識があった。
「そう、主席殿の育ての親がナオ・ミヤカタです。もし彼女が本当に死亡したのならこの戦いに介入してくるはずです」
「つまり沈黙しているのはナオ・ミヤカタが健在な証拠であると?」
ディディエ将軍が結論を導き出す。
「そうです、火力に頼った雑な攻撃で彼女を滅することができるなら、前回の戦役で王宮を焼かれるようなことは無かったはずです」
オレール侯爵はナオの生存を確信していた。
「魔力で圧倒的な力を持つナオ・ミヤカタが健在となると宮廷魔導師が失われたいま、我らの薔薇園の攻略はかなりの困難になりますね」
ディディエ将軍は、正直に戦況が不利であることを語った。
「魔導師の力は重要ですからね、御存知の通り強固な結界が絡むと必要不可欠です」
オレール侯爵も捕捉した。
「さきほど本国より連絡がありましたが、オレール様の魔導師を我らにお貸しいただけるというのは本当でありますか?」
巨漢のバスチアン将軍が問う。
「ええ、薔薇園の魔女を相手にするには魔導師の力はいくらあっても良いでしょうから。あなた方の竜騎兵と数で押せば有利に攻略できるかと」
「よろしいのですか、オレール様のテスタ州も戦の当事者となりますが?」
ブリュノ将軍が訊く。
「既にあなた方に協力したことはアドウェント側に伝わっているでしょうから、今更でしょう」
三人の将軍たちはオレール侯爵の言葉に頷く。
「オレール様のご協力に感謝致します」
ブリュノ将軍が代表して礼を述べる。
「我が領もアドウェントに宣戦を布告します。これで私も正式にあなた方のお仲間というわけです」
オレール侯爵は笑みを浮かべた。
「一〇〇人の魔導師の指揮はあなた方にお任せいたします」
「よろしいのですか?」
ブリュノ将軍が確認する。
「戦はあなた方の領分でしょうから。ですが大事に使って下さい、魔法使いは我が領でも貴重な人材ですので」
「お任せ下さい」
バスチアン将軍が請け負った。
オレール・カリエール侯爵を見送った三人の将軍はまたテーブルを囲んだ。その後ろを認識阻害で姿を隠した猫耳がうろちょろしている。
元ソルダート団の団長のグラシアンだった猫耳のグラが北方連合侵攻軍陣地の発令所に潜入していた。
オレもグラと視覚同調する。
相変わらず身体は突っ走るモノレールでピンクの猫耳ゴーレムに抱っこされたままだ。
「兵員をアドウェント州全域に展開するよりもまずは、薔薇園を潰すのが最優先だと思う、卿等はどうか?」
バスチアン将軍が尋ねた。現在、街道沿いの集落や街に略奪をするためにかなりの数の兵員が張り付いて結界が解けるのを待っている。
「同感だ、薔薇園がアドウェント州全体の防御結界の要なのは間違いあるまい」
ブリュノ将軍が頷く。
「よろしいのではないでしょうか? テスタ州より借り受けた魔導師の助けがあれば一気に潰せるかと」
ディディエ将軍も同意した。
三人の将軍は、アドウェント州の真の中心である薔薇園にすべての戦力を集中させることを決定した。
『こっちに宮廷魔導師はいないにゃん?』
グラと視覚同調して見た限り宮廷魔導師っぽい反応はない。
『にゃあ、宮廷魔導師は州都メントルを爆破しようとしたヤツらだけみたいにゃんね、こっちにはいないにゃん』
メントルに来た二〇人の宮廷魔導師は爆発に巻き込まれて竜騎兵ともども名誉の戦死を遂げたことになっている。
『北方連合も竜騎兵は全部で五〇〇〇騎の大盤振る舞いのくせに魔導師は四〇人程度しか派遣してないにゃんね』
必要な情報は将軍たちのオツムからグラが引っこ抜いている。
『開戦早々に竜騎兵一〇〇〇騎を失った割に落ち着いているにゃんね』
北方連合の侵攻軍はアドウェント州州都メントルの大爆発に巻き込まれて竜騎兵に大きな被害が……ってことになっている。
実際には猫耳たちが宮廷魔導師ともどもとっ捕まえたわけだが、失われたことに違いはない。
『最初からそのぐらいの損失は見込んでいたみたいにゃん』
『イケイケのバカ貴族ではないってことにゃんね』
『竜騎兵は五〇〇〇騎で脅して早期終戦の予定が、どこぞの宮廷魔導師が州都をぶっ飛ばしたせいで、当初のシナリオが崩れたにゃん』
『変なのを連れて来るからにゃん』
宮廷魔導師を安易に加えたのは北方連合のミスだ。
『にゃあ、薔薇園に向かった本隊も手詰まりにゃんね、強力な認識阻害と防御結界に阻まれてまったく近づけないとは連中も想定外だったみたいにゃん』
『宮廷魔導師は薔薇園の結界の解放詞を用意してたみたいにゃんね』
宮廷魔導師は用意周到だったが、残念ながら攻め方が雑だった。北方連合に至っては完全に調査不足だ。
『宮廷魔導師を失っては、もう解放詞は打ち込めないにゃん』
王宮は追加の宮廷魔導師を出さない様だ。二〇人の損害を理由に断られたらしい。
『例え解放詞を打ち込んでも追加したオレたちの防御結界には効かないにゃん』
『にゃあ、竜騎兵が不用意に突っ込んで、昨日みたいに空中でベチンと当たる姿が見れないのはちょっと残念にゃん』
確かにあれは面白い。
ぶち当たった本人からしたら災難以外の何モノでもないが。
『北方連合の連中も宮廷魔導師の代わりをテスタ州から借りられて一安心てところにゃんね』
『ついでに王宮も薔薇園の結界の解放詞ぐらいは出して欲しいにゃん』
『そうにゃんね、またペチンってやって欲しいにゃん』
そこまで迂闊ではないだろうけど。
『ただナオなら解放詞が有っても無くても敵を丸焼きにしそうにゃん』
『ナオを止める方が大変そうにゃんね』
『北方連合の連中がナオの本当のヤバさを知る頃には丸焼きで全滅しているにゃん』
『にゃお、それはヤメて欲しいにゃん』
北方連合の将軍たちのオツムの中には驚くほどナオの情報が無かった。孤児を育てた心優しき魔法使いぐらいにしか思っていない。
王宮を焼いたのが二〇年ほど前で、その後は近隣の領地に嫌がらせをしているレベルだから意外と北方までは知られていなかった。たぶん王宮も不都合な情報の隠蔽をしてるのだろう。
『にゃあ、盗賊界隈でもアドウェント州で恐れられていたのは魔女じゃなくて薔薇の騎士団にゃん』
『そうにゃん?』
『アイツらは犯罪奴隷にするという発想がないから全部、ぶっ殺すにゃん』
『もったいないことをするにゃんね』
オレリアが剣を振り回しながら「ヒャッハァ!」ってやってるのが目に浮かぶ。
『アドウェント州は、他と違って魔法使いが土木工事をするから犯罪奴隷の需要がないにゃん』
『そこは評価するにゃん』
魔法は重機以上に効率的だ。
『今回は、アドウェント州の州都が壊滅したと聞いて侵入する情弱の盗賊がかなりいるみたいにゃん』
『情弱のくせに情報は早いにゃんね』
『にゃあ、州都と一緒に騎士団が壊滅したってウチらが流したガセネタに飛びついたみたいにゃん』
積極的に呼び込んだのか。
『来てくれるなら歓迎するにゃん、オレたちはぶっ殺すとかそんなもったいないことはしないにゃんよ』
『にゃあ、大猟の予感にゃん』
予感じゃなくて予定だ。
『北方連合も戦争奴隷の確保が目的だったにゃんね?』
『にゃあ、王宮に適当な話を吹き込まれたにせよ、北方連合は開拓に使うのに喉から手が出るほど奴隷が欲しいみたいにゃんね』
『奴隷を集めただけで凍てついた大地が豊かな農地になるわけがないのに北方連合の貴族は頭がお花畑にゃん?』
『にゃあ、何処の貴族も似たようなものにゃん、農業の大変さを知らないにゃん』
貴族という生き物は、平民を同じ人間と思っていないし扱わない。それがこの世界の価値観だ。
『隣りのテスタ州もかなりヤバい状況みたいにゃんね』
領主であるオレール・カリエール侯爵のオツムからも情報を引っこ抜いたし、薔薇の騎士団のクロードから情報を貰っていたのでそれと照らし合わせた。
『財政がほとんど破綻しているにゃん』
『それでいて一〇〇人からの魔導師を抱えてるとか、バカにゃん?』
ケントルムの他領の情報と照らし合わせても一〇〇人の魔導師は突出していた。そのお抱え魔導師が州の財政悪化の要因のひとつなのは間違いない。工事や農業で使わないのだからただの穀潰しだ。
『すべてはナオのためにゃん』
『ナオは魔性の女にゃん』
『まったくにゃん』
引っこ抜いた記憶からもオレール侯爵がこの日のために長い時間を掛けて準備していたのがわかる。宮廷魔導師の調査にも協力していた様だ。
ナオにそれだけご執着なわけだが、財政的にもう後のないオレール侯爵にとっても今回の侵攻は最初で最後のチャンスと映ったのだろう。
実際のところオレール侯爵の目的は、ナオを手に入れ一〇〇人の魔導師と共に新たな国家を建設することだった。
戦になれば財政問題も一気に解決するらしい。なんでそうなるのかオレにはわからないが。徳政令でもやるんか?
それと強い女を屈服させたい歪んだ性癖も心の奥底に有った。子供の頃にナオにしこたま怒られたのが原因ぽい。やっぱりナオは魔性の女ということで。
『お館様、北方連合の侵攻軍をさっさと始末しなくていいにゃん?』
『にゃあ、しばらくは一般兵をチマチマ削るぐらいでいいにゃん。暇ができたら一気にいくにゃん』
『了解にゃん』
○ケントルム王国 王都フリソス フリソス城 領主執務室
アドウェント州領主ジスラン・デュクロ伯爵の執務室にオレは幻体を再生した。
「初めてお目に掛かります、公爵様」
『にゃあ、朝早く済まないにゃん、オレもジスラン伯爵にお会いできて光栄にゃん』
ジスラン伯爵は薔薇の騎士団の初代総長だけあってがっしりとした体格の男性だ。弟のクロードをシャキっとさせた感じだ。兄弟だけあって似てるにゃん。
「この度は、我が領の危機を救っていただき感謝いたします」
『礼ならナオに言って欲しいにゃん、ナオの協力があってこそにゃん』
侵攻の原因もナオだが。
「ナオ様は、我が領の守護者ですので絶え間ない感謝と敬愛を捧げております」
『にゃあ、ナオは愛されているにゃんね』
連続放火魔ではあるが。
『ここに来てテスタ州も参戦となると王宮は、まだアドウェント州が負けたとは認めていないにゃんね』
「はい、王都の屋敷にも『私の首を持ってこなくては敗北は認めぬ』と突っぱねるよう指示しましたので」
『すると少なくとも薔薇園は潰さないと王宮も勝利を認めないにゃんね』
「王宮は北方連合の弱体化も狙っているのでしょう、竜騎兵一〇〇〇騎の損失程度では足りないのでしょう」
『にゃあ、そうにゃんね、残りもすべて失うことになるにゃん』
「彼らの不幸は、戦争する相手を間違えたということでしょう」
『それは言えるにゃん、ナオに手を出すとかバカのやることにゃん』
「確かに」
ジスラン伯爵は愉快そうな笑みを浮かべて頷いた。
『にゃあ、伯爵や領民にはもうしばらく不便を掛けるけど我慢して欲しいにゃん』
「公爵様にご支援をいただいておりますので問題ございません、むしろ以前より物資が豊富なぐらいです」
『何かあったら近くの猫耳か猫耳ゴーレムに言ってくれれば対応するにゃん』
「ありがとうございます」
○ケントルム王国 ワガブンドゥス州 州都パゴノ グランキエ大トンネル前
ジスラン伯爵との面会の後、直ぐぐらいに大トンネルの最後の区画をぶち抜いてオレたちはケントルム王国ワガブンドゥス州の州都パゴノにあるグランキエ大トンネルの出口に到着した。
モノレールを降りてトンネルの縁まで歩く。
「久しぶりに自分の足で歩くにゃん」
あらかじめ出口は防御結界で蓋をしてあるので近くの砂海の魔獣にも気付かれない。
「にゃお、思い切り砂海の領域にゃんね」
結界の向こう側、アナトリ派の盟主だったワガブンドゥス州の州都パゴノがあったはずの場所は凪いだ砂の海になっていた。
「流出を放置するとこうなるにゃんね」
「とても州都があったとは思えない風景にゃん」
「砂海の魔獣もいっぱいいるにゃん」
猫耳たちもオレに続いた。
「にゃあ、オレは高い場所から一気に砂海の砂と魔獣を始末するにゃん、お前らはバックアップを頼むにゃん」
「お館様ひとりで行くにゃん?」
アルが聞く。
「危ないにゃん」
「許可できないにゃん」
ウイとチーコも反対する。
「にゃあ、この場合チンタラやる方が危ないにゃん、それにディオニシスを呼ぶから大丈夫にゃん」
巨大魔法龍のディオニシスをアナトリから格納空間経由でこっちに呼ぶのだ。
「お前らは地上でエーテル機関の回収を頼むにゃん」
「にゃあ、もー仕方がないにゃんね」
「ウチらも乗り込むにゃん」
「上空から指揮するにゃん」
三人の猫耳たちも同行することになった。
オレはトンネル出口の先まで防御結界を拡張して格納空間経由でディオニシスをこちらに召喚する。
『ほう、砂海とは面白いではないか?』
巨体を現したディオニシスは周囲を見回す。
「ディオニシスは本物の砂海に行ったことがあるにゃん?」
『いや、我は知識として知っているに過ぎぬ、地下に引きこもっていたがそれなりに来客があったのでな』
「そうだったにゃんね」
天使様以外にも来客があったのだろうか?
『主にこの身体を貰ってからはこの目で実物を見る機会を得られた、感謝しておるぞ』
「にゃあ、オレもディオニシスにはずいぶんと助けて貰っているにゃん、今回も頼むにゃん」
『任せよ、我も東方大陸の空を楽しむとしよう』
ディオニシスは翼を拡げた。




