王宮潜入にゃん
○帝国暦 二七三〇年十二月〇二日
○ケントルム王国 フィロス州 州都ナウタ ナウタ城 見張り台
フィロス州の領主後見人であるフロラン・デュフォールは主席宮廷魔導師のモリス・クラプトンより伝授された探査魔法を城の見張り台から南方に向けて打った。
砂海の魔獣の集合体がスタロニク州との境界門を抜けパゴノ街道を西に向かっているのが見える。高度限界を超えるあり得ない大きさの巨人だ。
「化け物が……」
熱線を放ちはるか遠くの村や街を焼き払う。避難しなかった者たちは無慈悲にも等しく焼かれた。
州都は無事だが領地として立ち行かぬのは容易に予想し得る惨状だ。
状況が落ち着けば他領からの侵攻もありうる。
いや、それよりもパゴノ街道にできる魔獣の道が問題か。最悪、道では済まない可能性がある。
いまは州都を中心に守りを固めるしかない。我らが州都を捨てたところで何処に行くというのだ。
○ケントルム王国 王都フリソス フリソス城 国王執務室
「お呼びでしょうか?」
ハムレット三世は王太子オーガストの問いに顔を上げた。
「仕事だ」
「かしこまりました」
即答するオーガスト。
「詳細はグレンに聞け」
隣に控えていた宰相のグレン・バーカーが一礼する。
「オーガスト殿下には、西部連合の領主たちとともに第二騎士団を率いて王都内の避難の指揮をお願い致します」
「避難か?」
「はい、避難命令の対象はこちらにリストアップしてございます」
タブレット型の魔導具を差し出した。
「第一騎士団ではなく第二騎士団を使うのですか?」
「第一騎士団には王都防衛を担当させます」
オーガストは国王を見たが答えたのは宰相だ。
「わかった」
王太子は宰相の言葉に頷いた。
「王都防衛の指揮はクライヴにやらせる」
国王は第三王子の名前を上げた。
「砂海の魔獣が相手では危険ではありませんか?」
「問題ございません、テランス師の策は万全でございます」
またも答えたのは宰相のグレンだった。
「万全か、ならば良い」
「ご心配ですか?」
「ああ、クライヴまで失う事態は避けたい」
「クライヴ殿下の安全にも細心の注意を払いますのでご安心ください」
「頼んだぞ、では直ぐに取り掛かります」
オーガストが退出する。
「お前の息子とクライヴが何やら企んでいる様だな?」
国王はグレンを見た。
「ご存知でしたか」
宰相のグレンは表情を変えることなく答えた。
「派手に動けば目立つものだ」
「陛下はお止めにはなられないのですか?」
「それだけの力を示せるなら構わぬ、それができぬのならそれまでだ」
国王が口元に笑みを浮かべた。
猫耳マルが耳をピクピクさせる。
マルは王太子オーガストと一緒に国王の執務室に入室していた。無論、こちらの魔導師に猫耳の認識阻害を抜くことはできない。
『やっぱり国王と宰相には専属の魔導師がくっついているにゃんね』
オレはグランキエ大トンネルを移動しながら、マルと視覚同調を行う。
『宮廷治癒師にゃんね』
『にゃあ、それにゃん』
アナトリ王国の王宮にいた宮廷治癒師と同じらしい。姿を隠して対象の側にいる。こいつらは認識阻害ではなく光学迷彩で姿を隠していた。
『見たところ自分の魔力を使って対象のエーテル器官に直結しているにゃんね、アナトリの宮廷治癒師より深く繋がっているにゃん』
マルの目を通して読み取った。
『常時モニターしているにゃんね』
『そうにゃん、ただし、これにはひとつ大きな弱点があるにゃん、治癒師自体は誰も守ってないにゃん』
姿を隠しているだけに騎士辺りでは守りようがない。
『にゃあ』
マルが国王に繋がってる宮廷治癒師にこそっと近寄った。
『宮廷治癒師経由なら容易に護衛対象のエーテル器官にアクセスできるにゃん』
『にゃあ、早速試すにゃん』
○ケントルム王国 王都フリソス フリソス城 王太子執務室
王太子オーガストは、執務室に戻ってから宰相から渡された情報が記されたタブレット型の魔導具を眺めていた。
こっそり戻って来たマルも横から覗き込んでいる。
国王と宰相には専属の魔導師がいるが、王太子は完全フリーだった。行政のトップでありながら王宮内での地位が伺い知れる。
タブレットにある避難命令のリストの大部分を占めるのは王都東側の平民だ。これは地区が指定されている。
個別にリストアップされているのは大店の商会が幾つかと反主流派の法衣貴族たちだった。
「そういうことか」
オーガストは眉間を揉む。
『権力闘争にうといオーガスト第一王子でも反主流派の排除であることがわかったみたいにゃんね』
マルが感心する。
『にゃあ、オレとしては第一王子が普通の善人だったことが最大の衝撃にゃん』
アイリーンとルーファスの謀略好きという情報は何だったのか?
『内務省の情報局がオーガストの名前を勝手に使って隠れ蓑にしたせいにゃんね、謀略王子のイメージを作って責任を転嫁したにゃん』
宮廷魔導師団暗部所属の中でもマルは情報局と連携を取っていたこともありその辺りの事情を知っていた。
『実の妹と弟からも謀略を操る冷酷な男と思われていたから、とんだ風評被害だったにゃんね』
王太子の責任というより周囲の人間がいまいちなせいだ。どうもそれは王の実質的な後妻であり第三王子の実母でもある第二王妃の采配らしい。将来的な第一王子の排除でも目論んでいるってところか。王宮では公然の秘密扱い情報だ。
『第一王子の実態は親父には逆らえない真面目な長男にゃん、しかも第二王妃のせいで裏では粗末な扱いを受けてるにゃん』
オーガストの本当の姿はロイヤルファミリーを実際に知るレベルの人間じゃないと見えないようだが、国を離れて久しいアイリーンはともかく何でルーファスまでわかってないんだ?
『王太子は反主流派と接点があるわけじゃないにゃんね』
『にゃあ、王太子は上位貴族とは付き合いが皆無にゃん、個人的に親しいのは第二騎士団の連中ぐらいだったはずにゃん』
『確か第二騎士団は入団資格が身分不問だったにゃんね』
第一騎士団は貴族のボンボンばかりだ。
『にゃあ、戦闘集団としては王都では最強にゃん、いたって真面目なヤツらだけど巷ではとんでもない戦闘狂ばかりだと思われているにゃん、これも内務省の情報局のせいにゃんね』
『内務省の情報局とやらは仕事が雑にゃん』
不都合なことは何でも第一王子関連に紐付けている。
『全部、第二王妃の意向を宰相が代理で指示してるにゃん、こいつも指示が細かいくせに雑にゃん』
『にゃー、おかげで傍から見ると謀略王子と戦闘狂集団の危険な組み合わせができ上がったにゃんね』
『王宮関連の不審死はこいつらのせいされているにゃん』
『するとリストにある反主流派の貴族と商会は王太子に避難を命令されたら、命の危険を感じそうにゃんね』
『間違いないにゃん』
マルも同意した。
『ところで、反主流派の貴族はともかくリストにある商会は何で目を付けられたにゃん?』
『これはいずれも本拠地が他領にある商会にゃん』
マルがタブレットの魔導具を横から操作する。
『王宮がコントロールできない商会にゃん?』
『そういうことにゃん』
王都からの排除は宰相のお気に入りの商会の希望か? 「お主も悪よのぉ」「いえいえ宰相閣下こそ」的な。
『避難先に指定された西部連合の領主たちは、第二王子を推していたにゃんね?』
『そうにゃん、ルーファス第二王子の後ろ盾にゃん』
『西部連合はアナトリ派のフライングで命拾いをしたが、王宮としては無傷のまま放置するつもりはないってところにゃんね』
『でも、今回の避難民の受け入れぐらいではビクともしないにゃんよ、それに反主流派の貴族、それに排斥された商会が結びつく可能性があるにゃん』
『すると西部連合にもっと打撃を与える何かがもう一押し有りそうにゃんね』
『にゃあ、陰謀大好きな王宮にゃん、何も無いほうがおかしいにゃん』
マルも断言した。
『王宮が動かなくても砂海の魔獣の集合体を予定通り潰せなかったら一気に内乱になりそうにゃん』
『にゃあ、十分ありえるにゃん、反主流派と合体した西部連合が一気に覇権を握ろうとしてもおかしくないにゃん』
『ただ、魔獣が王都に留まる保証も無いにゃん』
『国土を横断されたら内乱どころの騒ぎじゃないにゃんね』
横断なんかされたらケントルムは魔獣の森に幾つも分断されてひとつの国としての形を保てなくなる。
『内乱なんかやらせる前にアナトリと戦争中だったことをオレたちがケントルムの連中に思い出させるにゃん』
『にゃあ、王都はウチらが頂くにゃん!』
「ふぅ、これは困ったものだな」
オーガストはひとりごちる。
『下手をすれば国を割る内乱にゃん、そりゃ王太子も困るにゃんね』
『国王と宰相はその辺りを考慮していないのに情弱の王太子がわかっているのは意外にゃん』
マルは若干失礼なことを言う。
国王と宰相の砂海の魔獣の集合体の襲撃を利用した反主流派とコントロールの効かない商会を排斥する策は、情報に疎いオーガストの目にも非常に危うく映ったようだ。
この好機に王宮側の対抗勢力を潰したいという思惑もわからなくもないが、とばっちりを食らう平民からしたらたまったものではないな。
「殿下、お知らせがございます」
初老の執事が一礼する。
「どうした?」
「北方連合一〇州によるアドウェント州への宣戦布告が先程なされました」
「北方連合とアドウェントか随分と離れている場所で何を争うんだ?」
ケントルムの北端と南端だ。
『マジで王太子は本当に蚊帳の外にゃんね』
『にゃあ、いつものことにゃん』
領地間戦争の開戦の情報すら直には届けられないらしい。
「北方連合一〇州は明確な開戦理由を示しませんでしたが、狙いはアドウェント州で保護されている避難民のようです」
執事が説明する。
「避難民?」
「戦争奴隷にするのでしょう」
「なんと卑劣な真似を……」
言葉を失うオーガスト。
『情弱でも常識人ぽいところは好感が持てるにゃん』
『にゃあ、王太子は情弱なだけで悪い人間では無いにゃん』
「数万の奴隷が手に入るなら多少の悪評など気にも留めぬのでしょう」
執事の分析で間違いは無さそうだ。
「宣戦布告がなされたということは、陛下も許可されたのだな」
「左様かと」
「そうか」
執事の返事に頷く王太子。
『ここで戦争を止めるアクションがあると良かったにゃんね』
『にゃあ、王太子は基本的に父親の言いなりのお坊ちゃまにゃん』
少なくとも自らが動くつもりは無いか。結局、傍観者の域を出ないか。
「しかし、アドウェント州と事を構えるとは北方連合一〇州の者どもは勝算ありと踏んでいるのだろうか?」
王太子自身は、薔薇園の魔女が王宮を焼くさまを実際に見たわけではないが、その圧倒的な魔力の痕跡を見て育ったから北部連合の宣戦布告を無謀に思えるらしい。
「勝算がなければ戦いを挑みはしないかと」
「勝てれば良いが、負ければまた薔薇園の魔女に王宮まで焼かれるのではないか?」
『ナオならたとえ無関係でも八つ当たりで焼くにゃん』
『にゃあ、薔薇園の魔女と戦なんて暗部でもやらないにゃんよ』
ナオに関しては暗部も過去に酷い目に遭って手を引いている。
「いくら薔薇園の魔女といえど相手が一〇州の連合軍ではかなり難しいかと、竜騎兵の電撃作戦で既に州都が落ちていることも考えられます」
王太子の執事にしては情報は集められているか。しかしもうちょっと頑張って王太子を教え導いて貰いたい。
「北方連合の竜騎兵か、確かにそれなら勝算はあるか」
『ないにゃんよ』
『にゃあ、まったくないにゃん』
オレもマルも否定するが、無論その声は王太子には届かない。
「勝っても負けても厄介事が残りそうだ」
王太子オーガストは、そう呟いた。
『正解にゃん、北方連合一〇州の侵攻軍は全員が戦争奴隷になるにゃん』
『にゃあ、ついでに王宮も焼かれるにゃん』
○ケントルム王国 アドウェント州 州都メントル 城壁見張り台
「おお、来たな」
薔薇の騎士団総長クロード・デュクロが遠見の魔道具で西の空から飛来する北部連合一〇州の連合軍の竜騎兵たちの姿をとらえた。
「数は一〇〇〇騎強です」
副総長のオレリア・デュクロは魔道具なしで敵の数を確認した。
「越境した竜騎兵が五〇〇〇だから四〇〇〇騎は薔薇園か」
宣戦布告と同時に竜騎兵五〇〇〇騎の越境を確認している。
境界門は開放状態にしてあり竜騎兵に続き数万人規模の地上部隊が続々と侵攻を開始していた。
「ここでテスタ州が北部連合と手を組むとはオレールのヤツ、勝負に出たか」
クロードは苦い顔をした。
「にゃあ、テスタ州の領主は以前から侵攻の準備をしてたにゃんね?」
猫耳のガルが同行している。
「ああ、間違いない」
西隣りに位置するテスタ州は、アドウェント州の優に三倍を超える領地を誇る国内でも有数の大領地のひとつだ。
「だだっ広いのにテスタ州はまだ土地が足りないにゃん?」
「いや、テスタの領主オレール・カリエール侯爵の狙いはナオ様だ。以前から狙ってたからな、今回、北部連合の宣戦布告を見て尻馬に乗ったらしい」
「テスタの領主も主席宮廷魔導師みたいにヤバいヤツにゃん?」
「いや、アイツよりはちゃんとした人間だと思う」
「にゃあ、主席宮廷魔導師ほどじゃないにしても、よくこれまで焼かれなかったにゃんね」
ガルが首を傾げた。テスタ州で薔薇園の魔女なんて話は聞いたことがない。
「オレールは兄貴の魔法学校の同級生だったからな、ナオ様のヤバさは目の当たりにしているから慎重にもなるだろう」
「それでこれまでは表立って対立はしていなかったにゃんね」
頷くガル。
「今回は北方連合一〇州が味方だから勝算ありと踏んだんじゃないか、ナオ様と戦争奴隷を連れ帰るつもりなんだろう」
「テスタの領主は戦争奴隷も欲しいにゃん?」
「あそこはかなりの数の領民に逃げられてヤバいことになってるからな、奴隷は喉から手が出るほど欲しいだろう」
「領民が逃げたにゃん?」
「ここ何年かすっと天候が不順だったろう? そのせいで農村から多くの餓死者を出したそうだからな、あっちはウチと違って救済など一切やらないからな、それどころか税率を上げたらしい、普通、逃げるだろ」
「にゃあ、テスタ出身の盗賊が多いのもその関係だったにゃんね」
「テスタはいまだに平民を農奴として扱ってるからな」
「さもありにゃん」
ガルも頷いた。
「叔父上、北方からの移動にしては随分と移動が早く有りませんか?」
オレリアが脳筋にしてはまともなことを訊く、と失礼なことを思うガル。
「私でも魔法馬を飛ばして三日は掛かるというのに」
「それも異常に早いにゃん」
思わず突っ込むガル。
「オレールのことだ、密かに侵攻計画を練っていたのは間違いないんじゃないか? 移動の手はずも整えていたんだろ」
迫りくる竜騎兵を眺めながらもクロードの口調はまだのんびりだ。
「にゃあ、王宮方面の情報だと北部連合はアナトリ派の侵攻軍の第二陣として準備していたみたいにゃんね、グランキエ大トンネルに到着前だったから難を逃れたにゃん」
王宮に潜入したマルの情報だ。
「それで王宮とテスタ州の声を受けて、そのまま侵攻先をアドウェント州に変更したってわけか」
「そうにゃん、いずれにしろ奴隷の大量確保が目的であることは変わらないにゃんね」
「そういや、北方で大規模な開拓をやってるって話は聞いたことがあるな、しかもかんばしくないとか」
「農地には奴隷よりもいま飛んでるヤツらを大量投入して魔法で栽培した方が効率がいいにゃんよ」
「誇り高き竜騎兵さまは土いじりなんかしないんじゃないか?」
「にゃあ、だったら間もなくやらされることになるにゃん」
「そう上手く行けばいいが」
「叔父上、あれは私たちにお任せ下さい」
オレリアが前に出た。
「まあ、いいか、ヤツらが州都の防御結界に引っ掛かったら構わないぞ」
「かしこまりました」
オレリアは見張り台から降りて配下の五〇人の騎士と合流した。
「五〇人で大丈夫にゃん?」
「なに、あれは先鋒だ、本隊はちゃんと後に控えている、ただ地上部隊が数で押して来ると途中の村や街がヤバいな」
「確か街道沿いに二〇ぐらい有ったにゃんね」
「おお、良く知ってるな、ナオ様の結界で守られてはいるが、守備隊自体はこそ泥の相手がせいぜいだからな、かと言って騎士団は割けないし」
アドウェント州は諸侯軍を持たず、薔薇の騎士団は全員でも一〇〇〇人に満たない。守備隊は村の自警団レベルだ。
「ウチらの結界で街道沿いの街を守ってもいいにゃんよ」
「いいのか? たぶん高位の魔法使いもかなり混じっているぞ」
「にゃあ、問題ないにゃん、ついでにとっ捕まえて戦争奴隷にゃん」
「おお、でも無理するなよ」
「北方連合の魔導師が砂海の魔獣より強かったら尻尾を巻いて逃げるにゃん」
ガルは尻尾をくねらせる。
「その時は俺たちも逃げるわ」
クロードは肩をすくめた。




