フィロス州にゃん
○帝国暦 二七三〇年十二月〇一日
○ケントルム王国 フィロス州 州都ナウタ ナウタ城 謁見の間
「主席殿、わざわざわが領地においでいただき感謝します」
まだ幼さの残る少女の声が早朝の謁見の間が響く。
領主の椅子に座る彼女はジュリエンヌ・デュフォール伯爵。八歳。半年前に両親が何者かに暗殺されたことから、ひとり娘のジュリエンヌが成人前ではあるが王宮の干渉を嫌って急ぎ襲爵していた。
「ジュリエンヌ様には急な申し出にも関わらず、お会いいただき感謝致します」
主席宮廷魔導師のモリスはにこやかに答えた。
同行していたルフィナとルミールは州都内でそれぞれが何処からか請け負った自分の仕事をしている。
「遠路はるばる済まない主席殿、感謝する」
実際に対応するのはジュリエンヌの横にいる叔父のフロラン・デュフォール。二八歳の魔導師だ。
「いえ、フロラン様の為ならば」
「モリス様はかわりませんね」
笑みを浮かべるフロラン。
「フロランは立派になったね」
フロランは十八の頃から四年間、宮廷魔導師団に在籍していた。
「いえ、まだまだです、それでモリス様、例の集合体ですが、やはりフィロスを通過するのですか?」
フィロス州は現在、砂海の魔獣の集合体が通過中のスタロニク州の南西に位置し同じくパゴノ街道が北東から南西に斜めに横断していた。
_北
西←東
_南
_______________○アクィルス州←○ワガブンドゥス州
_______○スタロニク州←○ニゲル州←○トロバドル州
○フィロス州(現在地)
「そうだね、いまもパゴノ街道を王都に向けて侵攻中だよ」
「すると州都は射程から逸れると?」
州都ナウタはパゴノ街道の北に一〇〇キロほどの場所にある。
「うん、集合体からの直接の攻撃はないと思うよ、ただ魔獣の群れがその後を追って魔獣の道を形成しているからね、これはかなり危ないと思う」
「魔獣の道ですか?」
「街道の沿線以外も被害は免れないんじゃないかな」
「我が領は分断されるだけでは無いのですね」
「そうなるね、厳しいことを言うようだけど領地の維持はかなり難しいと思った方がいいよ」
「確かに厳しいご意見ですね」
フロランはモリスの予想に眉間にシワを寄せた。魔獣の道からあふれ出した魔獣が州都に来ないという保証もない。それ以外にも東から来る魔獣が数を増している。
「避難民はアドウェント州で受け入れているから南に向かわせるのがいいよ、州都ではまかない切れないだろ?」
「アドウェント州というと薔薇園の?」
「そう、迎えも出してくれているから安心だよ、間違っても東と西には逃げないようにね」
「わかりましたその様に各地の守備隊に伝えます」
いまだに西に逃げる人の流れは少なくない。庶民は貴族よりも庶民間の情報を重視するので仕方ない。
「モリス様、カサドリがどうなったかご存知ですか?」
「日の出前に壊滅したよ、先生も天に還られた」
モリスたちが昨日訪れたスタロニク州の州都カサドリは、砂海の魔獣の集合体の熱線に焼かれて壊滅した。
「……そうですか」
フロランは悲痛な表情を浮かべた。
「ナウタは街道から離れているけど、魔獣の動きは予想できないから気を付けて」
「かなり厳しいことになりそうですね」
「場合によっては州都を捨てる選択を迫られるかもしれないよ、その選択の時間すら与えて貰えないかも」
「州都を失えば領地としての体を成さなくなります、捨てる選択は有りえません!」
「……っ」
ジュリエンヌはフロランの語気を強めた言葉にビクッとした。
「フロラン、キミも領主様も若いんだ、生きてさえいれば奪還の機会があるかもしれないよ」
「そんなことがあるでしょうか?」
「いまだってこれまで考えられなかったことが起こっているんだ。先のことなんて誰にもわからないよ」
「……そうですね」
フロランは幼い領主を見た。
「悪あがきも悪くないかもしれませんね」
○グランキエ大トンネル
トラックから天井のないモノレールの車両に乗り換えて橋脚やレールを作りながら移動している。
まずはスケルトン状態での建設だ。仕上げは後からゆっくりやっているが、それも前世のトンネル工事に比べればおかしな速度だ。
「この速度だと何か有ったら大惨事にゃん、ゾクゾクするにゃん」
「にゃあ、冒険に危険は付きモノにゃん」
「ウチらはもっと速度を出してもいいぐらいにゃん」
猫耳たちもノリノリだ。
『『『にゃあ!』』』
無論、ピンクの猫耳ゴーレムたちもだ。
いまは六区画を一度にぶち抜いて処理しているが、やはりトンネル内の魔獣に変化はない。魔獣に攻撃を一切許さないので、もしかしたら違いはあるのかもしれないが実験している暇もなしだ。
ノリノリで突き進みつつオレはケントルムの猫耳たちと念話をする。
『にゃあ、オレにゃん』
ケントルム東部の大手に加えて中小の盗賊団八〇〇人強も追加で猫耳にしたので、全部で二〇〇〇人近くがオレの配下だ。
魔法蟻の作るトンネル網もアナトリ派六州の砂海の砂の地下に構築されつつあった。その西隣りの魔獣の森に沈みそうな領地の下もやってる。
『『『お館様にゃん!』』』
ケントルムの東部地域に散っている猫耳たちから念話が返ってくる。
『いまはどんな具合にゃん?』
『にゃあ、トンネルと地下拠点の構築は順調にゃん』
『アナトリ派六州とその西隣りの五州すべてに作ったにゃん』
ナオのいるアドウェント州以外の東部地域は、実質的な支配下にあるというわけだ。
『ナオの協力もあって避難民も順調に移送しているにゃん』
通り道の領主たちを脅してくれたのは大きい。
『にゃあ、いい働きにゃん』
『『『にゃあ』』』
猫耳たちが嬉しそうな鳴き声をあげる。
『砂海の魔獣はどうにゃん?』
『いまのところ大きな変化は無いにゃん』
『魔獣の集合体も新しいのは現れてないにゃん?』
集合体が複数体できる可能性は十分ある。
『にゃあ、観測されていないにゃん』
『魔獣の集合体が出来る条件が謎にゃんね』
コアになる特別な個体でも必要なのだろうか?
『にゃあ、集合体が現れた前後もアナトリ派領地の砂海の砂の領域では特に変化はなかったにゃん』
砂海の暴風圏にいる超大型の魔獣ももしかしたら集合体なのかも。それだけは勘弁して貰いたい。
『集合体が一体で済んでいるのはラッキーにゃんね』
『『『まったくにゃん』』』
猫耳たちが念話で声を揃えた。
『集合体発生の条件が掴めないなら、また現れる可能性もあるにゃん』
『にゃあ、ウチらでさっさと砂海の魔獣を始末してもいいにゃん』
『『『にゃあ!』』』
ケントルムの猫耳はやる気満々だ。
『オレたちが明後日には到着するから、それまでは駄目にゃん』
『駄目にゃん?』
『にゃあ、外界の環境に長時間晒された砂海の魔獣がどう変化したか不明にゃん、うかつに手を出すのは危険にゃん』
形が多少変わった程度のトンネル内の魔獣とはたぶん違っているはずだ。現に超絶デカい集合体が生まれている。
『わかったにゃん、お館様の到着を待つにゃん』
『『『にゃあ』』』
『それで頼むにゃん』
『お館様、砂海の魔獣の集合体はどうするにゃん?』
『にゃあ、あれも直ぐには手を出せないにゃん』
『様子見にゃん?』
『そうにゃん、あれはオレたちが倒した砂海の魔獣とはまったくの別物にゃん、慎重にやらないと駄目にゃん』
やるにしても何かしらの対策が完了してからだ。
『すると早くても宮廷魔導師と砂海の魔獣の集合体が対決する王都圏に到達してからにゃんね』
『にゃあ、ケントルムの宮廷魔導師たちが何をするのか、それも興味があるにゃん』
『効かないと違うにゃん?』
『通常の魔法が効かないのはあちらに知らせてあるにゃん、だからバカじゃない限りは何か考えているはずにゃん』
『にゃあ、仕留めたら仕留めたで王都圏に魔獣の森ができそうにゃん』
『そうにゃんね、集合体ではエーテル機関の全数回収は難しそうにゃん』
『結局は足止めにもならないと違うにゃん? 王都陥落で大惨事にゃん』
『それはそれで困るにゃんね』
更に魂なんか集められたら間違いなくヤバいことが起きる。
『にゃあ、すると王都陥落前に介入するにゃん?』
『当然にゃん、どさくさに紛れて王都フリソスを頂戴するにゃん!』
『『『にゃあ!』』』
猫耳たちも声を上げた。
○ケントルム王国 王都フリソス フリソス城 西の塔
第二王妃の住まう西の塔の客間に宰相グレン・バーカーが訪れた。
「忙しいところをご苦労です、グレン」
ソファーに座って出迎えたのは豪奢なドレスに身を包んだ第二王妃クローデット。第三王子クライヴの実母だが、とても十九歳の息子がいるようには見えない美貌と若さだ。
「クローデット様のお呼びとあらば万難を排して駆けつけるのが家臣の勤めでございます」
人当たりの良い笑みを浮かべる。
宰相グレンと第二王妃クローデットは第三王子クライヴ派の裏の中心人物だ。利権をむさぼる法衣貴族の実力者たちを多く取り込んでいる。
「して、首尾はどうです?」
「陛下にもご了承いただきました、明日にはオーガスト殿下に通達されます」
王太子オーガストの排斥の絶好の機会ととらえた二人は工作を開始していた。既にアナトリ人討伐は第三王子の功績に偽装されている。
「そうですか、では王都の守りは?」
「クライヴ殿下に総司令をお願いしようかと」
「陛下はお認めになるでしょうか?」
「既に第一騎士団がクライヴ殿下を支持しておりますので、問題なく陛下もお認めになるでしょう」
「流石ですね、グレン」
「クライヴ殿下であれば当然かと」
「嬉しいことを言ってくれますね、それで魔獣はどうなのですか?」
「テランス・デュラン師が迎撃を指揮しております。砂海の魔獣は砂から出れば急速に弱体化すると聞いておりますので難しい討伐ではないと思われます」
「そうなのですか?」
「かつてシヌス公国に上陸した記録が残されているそうです」
シヌス公国はケントルム王国の北方にある。国土は広大だが凍てついた大地と魔獣の森が大半で人口はわずかだ。唯一砂海を肉眼で確認することができる場所が有る。
「対処法も記録にあると?」
「左様でございます」
「なるほどテランス師だけはありますね」
「ですからご安心下さい、クライヴ殿下の功績は約束されたと言って良いでしょう」
「それは楽しみですね」
クローデットは魅惑的な笑みを浮かべた。
○ケントルム王国 王都フリソス フリソス城 第一騎士団本部 団長執務室
第一騎士団本部の団長ニコラス・バーカーのもとに第三王子クライヴが訪れていた。
既に人払いが済んでいる。
「後はタイミングか?」
クライヴはソファーに深く身体を預ける。
「左様にございます、やはり西部連合ごと始末するのがよろしいかと」
ニコラスはニヤリとする。
父親と違ってこちらは底意地の悪さが透けて見えた。
「西部連合ごとか、悪く無い」
クライヴが頷く。
「既に仕込みは済んでおります」
「元アナトリ派の兵士だったな?」
「はい、その場で我が団で始末いたしますので問題ございません」
「その辺りは心配しておらん、第一騎士団の精鋭なら問題あるまい」
「殿下の信をいただき光栄でございます」
「より良き国家を建設する為、卿の力を貸してくれ」
「御意、殿下の為、全身全霊を尽くします」
○グランキエ大トンネル
モノレールに乗ってるだけでは退屈なので、オレも魔法を飛ばしてトンネルの補強を手伝っている。
どデカいトンネルは、当初の予定通り上下二階に分けて上がモノレール、下がオレたちだけが使う専用空間で急ピッチの工事が進んでいる。
モノレールは鎧蛇の魔法を応用したレールの上に浮かんで進む方式だ。リニアモーターカーみたいなものだな。電気は使わないけど。
『にゃあ』
そしていまはピンク色の猫耳ゴーレムに抱っこされてバーチャル抱っこ会も絶賛開催中。退屈だけど盛りだくさんでお送りしているにゃん。
『ネコちゃんいま大丈夫?』
ナオから念話が入った。
『にゃあ、大丈夫にゃんよ、何かあったにゃん?」
『王都方面からの情報なんだけど、またこっちに攻めて来るみたい』
『今度はケントルム王宮にゃん?』
先日は宮廷魔導師が攻めてくるとかいってたのに、また別なのが来るのか。王宮を焼いたことで相当恨まれているらしい。
『王宮はどうも難民を集めて疲弊しているいまがチャンスだと思ったみたい』
『ナオは疲弊してるにゃん?』
『ううん、ぜんぜん、でもあっちはそう思っているみたい』
『ケントルムの王宮が、他領を攻めるなんて珍しいにゃんね』
謀略と嫌がらせが常套手段かと思っていたが。
『正確には各地の領主に討伐令を出すんだよ、王宮が全面バックアップするからやりたいヤツはやっていいよって』
『ナオのところに攻めて来るヤツなんているにゃん?』
薔薇園の魔女のヤバさはケントルム全土に知れ渡っているはずだが。
『王宮の全面バックアップが曲者ね、やる気になってる領地はいくつかあるみたいだよ、早ければ明日には宣戦布告があるとか』
『随分と急にゃんね、近くの領地にゃん?』
『流石に近くはないかな、情報によるとやる気になってるのは北部にあるいくつかの領地みたいね、あそこは今回の件で無傷だから』
『随分と遠いところから来るにゃんね』
ナオのいるアドウェント州は南にある領地だから国土を縦断しなくてはならない。
『竜騎兵でも使うんじゃない?』
『竜騎兵にゃん?』
ケントルムにドラゴンゴーレムは無かったはずだが。
『飛翔を使う騎士だよ、北部の領地では割とポピュラーな用兵かな』
『途中で魔力切れで墜落しそうにゃんね』
飛翔の魔法は燃費が悪い。
『たぶん、本隊も近くまで来てるんじゃない? それで明日の宣戦布告から間を置かず攻めて来るみたいな』
近くの領地も直接の戦闘支援はしないが間接的には協力するようだ。
『事前に兵を動かすのって駄目と違うにゃん?』
領地間戦争のルールはアナトリとほとんど変わらないはずだが。
『事前の進軍は厳密には違反だけど、そこは勝てば官軍だから負けたら抗弁はできないってところかな、王宮はほとんど関与しないし』
『逆に負けたら大変にゃんね』
『それはね』
『オレたちも手伝うにゃんよ』
『じゃあ、ネコちゃんたちにはローゼ村を守って貰っていい? 騎士団は州都を守るから』
『にゃあ、いいにゃんよ、それで戦争を仕掛けるヤツらの狙いは何にゃん?』
北方なら遠く離れたナオとは利害関係のない連中のはずだが。
『狙いは難民の人たちを戦争奴隷化することかな、軽く攻めて講和を持ち掛けるつもりなんじゃない?』
『自分たちが奴隷になる可能性は考慮してないにゃん?』
『これっぽっちも考慮してないと思うよ、たぶん王宮のヤツらにいい感じに言いくるめられているんだろうし』
『にゃお』
『うざいからこっちが先に王宮を焼いちゃおうかな』
物騒なことをいうナオ。
『焼くなら早いほうがいいにゃんよ』
『どうして?』
『砂海の魔獣の集合体が先に焼くかもしれないにゃん』
『あーでも、王宮では何かスゴい秘策があるらしいよ、王都圏の庶民はともかく、王都の城壁内の貴族は逃げないみたいだよ』
『あそこの城壁は二重だったにゃんね』
『そう、ケントルム王国の王都フリソスとそれを取り囲む王都圏の二つだね、王都圏の城壁なんて何処までも続いていてスゴいよ』
『それは直に見てみたいにゃんね』
猫耳たちの目を通して見ているけどな。確かにスゴい。
そしてナオの次にケントルムの猫耳から連絡が入る。
『にゃあ、フリソス城に潜入成功したにゃん!』
元宮廷魔導師のマルセルの猫耳マルだ。
ケントルム王国の王都フリソス。その王宮フリソス城。勝手知ったる古巣にこっそり帰還していた。
『油断しちゃ駄目にゃんよ』
『そこはちゃんと精霊魔法も併用しているにゃん、でも精霊情報体の魔法だけでもイケそうにゃんよ』
普通の認識阻害は王都内の結界で自動的に無効化されるため、別系統の魔法が必要になる。大使館からの脱出に使った周囲の人間をフリーズさせるという手もあるが王宮は幾重にも監視されているので安全とは言い難い。
『にゃあ、主席宮廷魔導師のモリス・クラプトンはナオ・ミヤカタの弟子にゃん、関係者に精霊情報体系統の魔法を使うヤツがいてもおかしくはないにゃんよ』
『モリス・クラプトンはただの若作りのおっさんじゃ無かったにゃんね』
『あれはいろいろな意味で危険にゃん』
主席宮廷魔導師のモリスは、暗部の魔導師からの評価が妙に低かった。戦闘力は転生者に近いのだが、やはり日頃の言動がキモいからか?
貧民街で死にかけていた幼い頃のモリスをナオが拾って育てたから、恩義を感じるのはわかるが、オレもあれはちょっと無理だ。
『このまま城の中枢部に侵入するにゃん』
『オレたちもバックアップするにゃん』
『城のど真ん中を爆破すればいいにゃん?』
『にゃあ、それはまだにゃん、まずは面白そうなモノを片っ端からかっぱらうにゃん、ついでに情報収集にゃん』
情報収集は二の次だ。
『だったら、宰相グレン・バーカーをマークするのがするのがいちばんにゃん』
「にゃあ、それで頼むにゃん」
マルは深夜の闇に紛れて王城の中枢部に侵入し息を潜めた。




