二五〇〇年前にゃん
○帝国暦 二七三〇年十一月〇六日
○エクシトマ州 上空 戦艦型ゴーレム(天使建造艦) 食堂
「ああ、本物のラーメンだ! ああ、この味だ、懐かし過ぎる!」
カホのリクエストでラーメンを出したわけだが、泣きながら食べている。
復活してからいちばん泣いてた。
「ラーメンぐらい自分では作らなかったのか?」
ミマが聞く。
「前世では、ほとんど料理をしなかったから、自分で再現しようとか思いもしなかった、こっちの料理もなかなか美味しかったし」
「「「にゃ?」」」
オレたちから思わず声が出た。
「何か違ったのか?」
声の意味がわからなかったようでカホは首を傾げた。
「カホが眠ってた二五〇〇年の間にご飯に関しては、かなり劣化したにゃん」
オレはカホの向かいの席に座ってフレンチトーストを食べてる。
「たぶん一〇〇〇年前の魔獣の大発生の影響で、食文化が破壊されたのだろう」
ミマが解説する。
「にゃあ、食文化の歴史が書き換えられるにゃん」
カホの両側にミマとセリが陣取って隙あらばインタビューしようと狙っていた。
「いまは違うのか?」
「初めて食べた時は、不味くて衝撃を受けたにゃん」
「マコトはこちらで生を受けたのではないか?」
「オレはこの姿で、半年ちょっと前に空から落ちて来たにゃん」
「稀人となるといろいろ違うのだな」
「にゃあ、転生者がこっちに来るパターンはいろいろあるみたいにゃん」
「私の場合も違っていた」
「ミマも違うパターンなのか?」
「私は、アナトリ王国の第二王子エドモンドとして生を受けた、この姿になったのは先日、彫像から復活する時にだ、その時に前世の記憶も取り戻した」
「するとミマも私の兄弟たちの子孫だったわけか」
「にゃあ、そうにゃん」
「時代を遠く離れた子孫を目の前にするのは不思議な気分だ」
カホはミマを見る。
「子孫といっても、私は政治的なことには無関心な駄目な王子だったが」
「にゃあ、その代わり優秀な考古学者で、カホを見つけるきっかけを作ったのもミマにゃん」
「偶然だったが」
「引きの強さも才能にゃん」
「そうか、私は兄弟たちの子孫に助けられたわけだ、感謝する」
「感謝ならマコトに」
「そうにゃんね、お館様がいなければ全ては始まらなかったにゃん」
「だろうな、私もこの世には留まっていなかった筈だ」
「お館様に感謝にゃん!」
「「「にゃあ!」」」
食堂にいる猫耳たちがセリと声を合わせた。オレも手を振って応えた。
「それでカホが抱えていたマナを吹き出していた石球はいったい何にゃん?」
「あれは、魔獣の森の種だ」
「魔獣の森の種にゃん?」
初めて聞く単語だ。
「あれ単体で、かなり広大な魔獣の森を造り出す。我ら人類にとって最大の脅威となるものだ」
あのマナの量だったら数日で広大な魔獣の森が形成されてもおかしくない。
「にゃあ、そんな物騒なモノ、いったい誰が持って来たにゃん?」
「私は見ていないが、空に巨大な物体が現れ、それが崩壊した途端、高濃度のマナが一気に拡がったらしい」
「巨大な物体にゃん?」
「ああ、雲に届いていたとか」
「にゃあ、雲だと高度限界を超えているのと違うにゃん?」
「高度限界?」
カホは知らない様だ。
「にゃあ、この世界は高度三〇〇メートルを越えると何処からともなくレーザーが照射されて焼かれるにゃん」
「ああ、飛空船用のエネルギー供給システムのことか」
「にゃ、それは何にゃん」
「私の時代もほとんど姿を消していたが、遺跡から復活した飛空船を飛ばしていたのだ、それを飛行させるためのエネルギー供給システムがそれだ、太古からのものなので原理はさっぱりわからなかったが」
「にゃあ、やっぱり空を飛ぶ乗り物が実在したにゃんね」
「いまも飛んでいるのではないか?」
「にゃあ、きっちり三〇〇以下にゃん」
「そうか、飛行ユニットが無いのか」
「無いにゃんね」
「私の時代も唯一残っていた飛空船が墜ちて以来、新しいモノは見付けられず終いだった」
「高度限界の熱線は、人を地面に縫い止めるものじゃなかったにゃんね」
「むしろ空を飛ぶ為のモノだったとは皮肉なものだな」
「にゃあ、二五〇〇年まで飛んでた割に飛空船の資料がほとんど残ってないのは不思議にゃんね」
セリが言うのももっともだった。高度限界の正体を示す記憶石板など無かった。
「それなら飛空船についての資料は、すべて帝都に集められたからだろう」
「帝都に集めていたにゃん」
「そうだ、出土していた飛空船関連の記憶石板はすべて集められていたはずだ」
「それで無いにゃんね」
「再び空を飛ぶための研究は、国家事業の一つとして進められていた、現状を見る限り結果は出なかったようだが」
「魔獣の大発生で、研究が途絶したにゃんね」
「魔獣の大発生か」
「にゃあ、魔獣の森の種で森に沈んだヌーラも昔は栄えていたにゃん? 伝承では四つの州が滅んだとされているにゃん」
「正確には四つの国だが、帝国への編入を拒めるほどの力を持っていた。それがほぼ一晩で壊滅した」
「魔獣の森の種のことは、当時誰でも知ってたにゃん?」
「いや、当時でもほぼ知られてなかったはずだ」
「カホは知っていたにゃんね」
「幸か不幸か、早逝した父に幼少の頃、魔獣の森の種について対処法も含めて詳しく教えられた」
カホは両腕にはめたリストバンドを見せてくれる。
「それで、四つの国を壊滅させたのが魔獣の森の種だと見当がついたにゃんね」
「そうだ、空から来た時点で決まりだ」
「にゃあ、魔獣の森の種のポイントまでひとりで行ったにゃん?」
「マナの濃度が半端ないからな、随行者は途中ですべて帰した」
「ひとりで魔獣の森の種にたどり着くとか、カホも半端ないにゃん、オレもひとりでは簡単にいけないにゃん」
「まだ、地上に落ちて間がなかったか、マナの濃度もまだ薄かったはずだ、これが一ヶ月以上経過すると手がつけられなくなる」
「最適化に時間が掛かるにゃんね」
「とは言っても実際にはたどり着くのがやっとで、上手くいったかわからないまま気を失ったが」
「にゃあ、予想以上に上手く行ってたにゃんよ、その後に城壁が築かれて魔獣の森は完全に隔離されたにゃん」
「城壁が築かれたのか?」
「にゃあ、万里の長城もびっくりな代物にゃん」
「そうか、約束は果たされたか」
「約束にゃん?」
「ああ、弟が城壁の建設を約束してくれた、律儀なヤツだ」
カホは少し瞳を潤ませた。
「初代皇帝にゃんね」
カホが頷く。
「にゃあ、するとヌーラの城壁は二五〇〇年前に魔獣の森を封じ込める為に造られたにゃんね」
「大いなる災いはやはり魔獣の森だったか、これで歴史上の謎がまた一つ解明されたわけだ」
目を輝かせたセリとミマが頷きあう。
「にゃあ、それでカホの魔法は何処で覚えたにゃん?」
オレはまったく澱みのない現代魔法の出処を知りたかった。
「魔法か? 基本は自宅の地下で見付けた記憶石板で、後は独学だ」
「にゃ、あれが独学にゃん!?」
「何か変か?」
「魔法式はまったく変じゃないにゃんよ、まったく雑味が入ってない完璧な魔法式だったにゃん、ただそれが独学となるとかなり変にゃん」
「雑味?」
「にゃあ、魔法式の共通部分にある余計な部分にゃんね」
「魔法式に共通の部分なんてあるのか?」
カホは不思議そうな顔をオレに向けた。
「みゃあ、カホの魔法って、もしかして全部が専用の魔法式にゃん?」
「そうだが」
「「「みゃ!?」」」
ガタっと猫耳たちも腰を浮かせた。
「カホはどれだけの魔法式を持ってるにゃん?」
「さあ、数えたこともないが」
オレの魔法観が根本から崩される。
「にゃあ、カホが独学で魔法を学んだ記憶石板の内容を教えて貰うのは可能にゃん」
「私は問題ないが、これまで一度も成功したことが無いぞ」
「失敗するにゃん?」
「記憶石板の情報をそのまま移すことになるからな」
「膨大な情報量にゃんね」
「少なくは無いな、ただ自動的に展開するから面倒は無いぞ」
「面倒が無くても容量の膨大さはカバーされないにゃんよ」
「それはそうだが」
膨大な魔法式を記憶してるカホだから、たぶん普通の人間には処理しきれない量の情報量を送り込んだろう。
「転生者の能力はこっちの世界では飛び抜けてるにゃん、カホの場合、普通の転生者でも付いていけないレベルのような気がするにゃん」
「そうだろうか、私の場合、特に物覚えがいいわけじゃないからピンと来ないが」
「きっとエーテル器官が扱える魔法式の情報量が半端ないにゃんね、日常生活の記憶とは切り離して考えるべきにゃん」
「なるほどなるほど」
カホはうなずくが、わかってない感じだ。
「にゃあ、とにかくオレで試してみるにゃん」
「マコトなら大丈夫なのか?」
「問題ないにゃん」
「わかった、でもその前にチャーハンと餃子を頼む」
「にゃあ、承ったにゃん」
朝からラーメンセットはどうかと思うがリクエストに応えた。
○エクシトマ州 上空 戦艦型ゴーレム(天使建造艦) 会議室
場所を移してカホから記憶石板の内容を教えて貰う。実際にはそのまま情報をコピーすることになる。
「始めるぞ」
「いつでもいいにゃんよ」
カホはオレの身体を持ち上げて額と額を合わせた。
予想通り記憶石板の内容がそのままフルセットで保管されていた。一緒にカホの記憶が流れ込んで来そうになったが、それはブロックした。
「完了にゃん」
「上手く行ったみたいだな」
「にゃあ、問題ないにゃん」
記憶石板は現代魔法の基本設計について書かれた魔導書だった。
「これがあれば、現代魔法がもう一段進化するにゃん」
猫耳たちにもこの情報を共有した。
オレたちは精霊情報体ベースの魔法を使うので、現代魔法を使う機会はそうないが、専用魔法という新たな研究テーマを得た。
一から専用魔法を作るのはなかなか面白い。
それに誰でも使える簡単な生活魔法をもっと作ることも出来そうだ。
「にゃあ、次はウチらに付き合って貰うにゃん」
「オリエーンス帝国黎明期の謎が解明される」
セリとミマがカホに迫る。
オレは横に退けられた。
「何か謎があるのか?」
「オリエーンス帝国の歴史は、一〇〇〇年前の魔獣の大発生で歴史書の類はほとんど失われたにゃん」
「私の場合、戦いに明け暮れていたから、特に参考になるような情報は持ってないぞ」
「問題ない、それこそが歴史だ」
「にゃあ、その通りにゃん」
「お、おお」
迫るミマとセリに後ずさるカホ。
「にゃあ、適当に付きあって、飽きたら放り出していいにゃんよ」
カホに言ってオレは会議室を出た。
○エクシトマ州 上空 戦艦型ゴーレム(天使建造艦) 艦橋
ビッキーに譲られた艦長席に座って、先行してエクシトマ州の目的地に入ってる猫耳たちと念話する。
『にゃあ、何かあったにゃん』
『前に調査した時とまったく同じにゃん、人工物の痕跡はほとんど無いにゃん』
元近衛軍の猫耳セイが報告する。先日はケラス軍の旅団長をやっていたが今日は違うらしい。
『最初から無い可能性もあるにゃんね』
『にゃあ、ただかなり広い平野にゃん、帝都があってもおかしくない場所にゃん』
『魔獣の大発生で完全に破壊された可能性もあるにゃんね、あいつら人工物を壊すのが大好き過ぎるにゃん』
『にゃあ、大発生なら木っ端微塵でもおかしくないにゃん』
『オレたちが到着するまで、現地調査を頼むにゃん』
『魔獣を完全に駆逐して、マナの濃度も下げておくにゃん』
『頼んだにゃん』
セイとの念話を終えてエクシトマ以上に心配なキャリーとベルの位置を探る。
どうやら雪中行軍になってるようだ。
猫耳ジープなら隕石が降って来ても問題は無いが、ガードが硬ければ安全というわけでもなく心配過ぎる。
「お館様、間もなくアーヴィン様たちが合流するから大丈夫にゃん、それに上空から認識阻害の結界を使ってドラゴンゴーレムに乗った猫耳が五人で監視してるにゃん、何か有る前に狙撃にゃん」
艦橋にいる猫耳のロロが教えてくれる。
「にゃあ、助かるにゃん」
「キャリーとベルはウチらにとっても大切な友だちにゃん、バックアップには万全の体制にゃん」
「頼むにゃんよ」
○フィークス州 南部 旧パゴス街道
「ケントルムの人たち、大丈夫なのかな?」
「無理っぽい感じだけど」
「駄目だと思うのです」
キャリーが運転して助手席はイルマで後部座席にはベルが収まっている。
前を走るケントルム大使館の馬車と魔法馬が急な大雪で四苦八苦してる様を眺めながら徐行する。
しかも風雪は激しくなる一方でホワイトアウトに近い状態だ。肉眼ではほとんど視界が効かない。キャリーも魔法馬から魔力の供給を受けて簡単な探査魔法を使っている。
三台のジープは難なく進む。
「ノロノロだね」
「動いてるだけ偉いのです」
「うん、この前までの王国軍の馬車と魔法馬だったら分解してるよね」
「そもそも魔法馬の足が滑って動かないのです」
「それもそうか」
魔法騎士の二騎が先頭に立って雪をラッセルしているが、雪の量に圧倒されて速度を出せないでいた。
アイリーン元第二王妃とフレデリカ元第一王女をグランキエ大トンネルまで送るケントルム大使館の一行の馬車の車列は、クプレックス州から北上するパゴス街道に抜けてフィークス州に入っていた。
フィークス州は、国王派のアドリアナ・マクファーデン侯爵の治める土地だ。
大使館の一行は、使用人に騎士を含めると結構な人数になっている為、通常の馬車四台に荷馬車三台、騎馬二〇騎という隊列になっていた。
キャリー小隊の三台の猫耳ジープはその後にピッタリと随行している。
「近道なんてしないで、マコトの造った新道を進めば良かったのに」
「まったくなのです、余計に時間を食ってるのです」
「公爵様に無駄な対抗心を燃やしてるよね」
「約一名」
一行が進んでいるのは、奇跡的に魔獣の侵攻から逃れた最短でフィークス州を南北に縦断する昔ながらのパゴス街道の旧道だ。
ただ使えるのは春から秋口までで冬季間は閉鎖状態になるのだが、ケントルムの副大使の指示であえて入り込んだのだった。
現在は一年中使える街道が新しいパゴス街道となっているが、幾つかの街を経由するためやや遠回りのルートになっているのでそれを嫌ったらしい。
「今朝までは大した降りじゃ無かったから、近道をしたい気持ちはわからないでもないけど、少しは空を見て欲しかった」
イルマは空を指差す。
ジープは幌をしていないが、防御結界が風雪を弾いている。
「あちらの宮廷魔導師が止めて欲しかったのです」
「でも、副大使には逆らえないよね」
「敵より怖いバカ将軍なのです」
旧道に入り込んでほんの少し走ったところで大雪になり、あっという間に道と雪原と区別が付かない状態になっていた。
遮るものがない草原を行く道なので風雪によって視界が奪われ踏んだり蹴ったりの状態だが、それでも停まること無く進んでいる。
その辺りは王宮騎士団から派遣された大使館付きの騎士だけはあるし、魔法馬の性能の違いを見せ付けた。
ちなみにマコトたちが造った新道は、視界は同じ様に風雪で遮られるが路面に雪が積もっておらず、走行に関しては雲泥の差だ。
馬車が雪でお尻を左右に振りながらノロノロ進む。
「ケントルムだけあって、馬車は魔法車になってるみたいだね」
「この積雪でも進むのだから凄いのです」
「うん、凄い」
キャリーたち三人もケントルムの技術の格差を実感した。ジープもテントもマコトたちの技術が飛び抜けているだけで、国全体の刻印技術はアナトリ王国は大きく水を開けられている。
「騎士の人たちは大変だね、魔法馬の上で雪だるまになってる」
「普通の人間なら死んでるのです」
「普通の人間は外に出ないけどね」
「外にいるのは運の悪い人間だけだ」
「うん、それは言える」
「言えるのです」
いままさに運の悪い人たちが目の前にいる。
「ベル、天候はどうなの?」
イルマが後ろを向いて聞く。
「下り坂なのです」
「マジで?」
キャリーは振り返らずに聞く。
「マジなのです」
「うわ、遭難しちゃうんじゃない?」
「マコトの装備が無かったら私たちも危なかったのです」
「だね」
遮るもののない草原を通る道なので暴風雪が容赦なく一行に吹き付ける。
「今日はもう動かない方が良いんじゃないかな?」
「同感と言うか手遅れなのです」
「やっぱり?」
小隊は猫耳ジープに乗ってるので、どんなに風雪が強くなっても問題ない。強力な防御結界が守っている。
「せめて私たちを先に走らせてくれればいいのに」
「鼻で笑ってたのです」
「アナトリの魔法車だからね、その反応が普通か」
「何事も臨機応変なのです、ジープの走りを見て過去の魔法車と混同するようでは話にならないのです」
「だから、いまは雪だるまだね」
「あっ、先頭の魔法騎士が落馬したのです」
ベルがいち早く察知した。キャリーがブレーキを掛ける。
先頭を進んでいた魔法騎士二騎のうち一騎が落馬して隊列が止まった。ケントルムの馬車はいずれもジャックナイフ気味に車輪を滑らせて停車した。
「あー、魔法馬が機能停止したみたいだね、ケントルムの魔法馬でも雪漕ぎは駄目か」
魔法馬から湯気が立ち上っていた。
「アナトリに持ち込まれたケントルムの魔法馬は、軍事機密の兼ね合いで本物の軍用馬ではないのです」
「へえ、軍用じゃなくても凄いんだね」
イルマは素直に感心している。
「例え軍用を持ち込んでも、アナトリ王国で完全にコピーできるのはマコトたちぐらいじゃないかな?」
「マコトたちの魔法馬はもっと高性能なのです、だからコピーの心配は杞憂なのです」
「だよね」
騎士のひとりが、ケントルムの副大使が乗る馬車に駆け寄って何やら報告している。
話は直ぐに付いたらしく騎士たちが全員、魔法馬を降りた。
アイリーン元第二王妃たちが乗ってる馬車にも伝令の騎士が走る。
キャリー小隊に向けては手信号だけだ。
風雪で肉眼ではほとんど見えないが、わからなかったら聞きに来いというのがスタンスだ。
「午前中だけど、ここでビバークみたいだね」
ホワイトアウト寸前だがキャリーはしっかり認識した。
「どの魔法馬も機能停止寸前みたいなのです、ケントルムの騎士も完全に動けなくなるまで進むほどバカでは無いみたいなのです」
「流石の副大使も前進を諦めたか」
「動かなくてはね」
「出来れば、今朝の野営地から出ないで欲しかったのです」
「だね、ここは本当の吹き晒しだもんね」
魔法使いが防御結界を張ってなかったら突風で馬車が横倒しになる風だ。それ以前にテントの設営も出来ない。
その防御結界もキャリー小隊の猫耳ジープまではカバーされていないので、普通の随行者だったら途中で置いてけぼりを食らっていたはずだ。
「おお、凄い」
普段あまり魔法を見ないイルマが声を上げる。
魔法使いが風上に雪壁を構築する。
「防御結界だけで風雪を凌ぐのは効率が悪いのです」
魔法騎士たちは、休むこと無く周囲の警戒に当たっている。
雪に隠れて賊が近付かないとも限らない。
こんなところまで追い掛けて来られる様な気合の入った盗賊の類は既に猫耳たちによって狩り尽くされていた。
「ケントルムの魔法騎士は働き者なのです」
「アナトリの騎士は、警護以外の仕事はしないものね」
「野営の準備は使用人任せだったのです」
「王国騎士団は第一から第三までいずれも解散したから、もうそんな優雅な連中は王都には存在しないけどね」
「アナトリでは、貴族の領地に残ってるだけなのです」
続けて魔法使いと騎士たちがテントの設営を開始する。
残念ながら装飾華美な大型テントは、暴風雪には向いていないから雪壁を作ったというのもあるようだ。
「昨日も思ったけど他にテントは無かったのかな?」
「あれは、貴族用だけどガーデンパーティー用だと思うのです、環境の安定した敷地以外の宿泊には適して無いのです」
「ああ、やっぱりね、だから寝る時は馬車に戻ってたんだ」
「少なくともあの馬車なら凍死は無いのです、賢明な選択なのです」
「さて、私たちもテントを張ろうか」
「張るというより再生なのです」
「確かにマコトのテントはそうだね」
今度はキャリーがジープを格納してベルがテントを再生する。
「あれれ、昨日のテントより大きくなってない? それに耳が生えてるし」
エルダが最初に気付いた。
再生されたのは昨日と同じドーム型だがかなりの大きさがあり、何処かで見たことのある耳が生えていた。
「昨日のとは全然違うのです、今回のはまるでケラスで見た猫ピラミッドの小型版なのです」
「あーあれか、同じピンク色だし、いいと思うよ」
フランカは気に入ったらしい。
「今回のテントは設置状況に合わせた姿で再生されるみたいなのです、驚きの機能なのです」
「うわ、有り得ないレベルの魔導具だよね」
カタリーナは今更ながら驚く。
「カタリーナ先輩、以前のテントの時点で有り得ないレベルですよ」
イルマに突っ込まれる。
「魔法式がまったく見えないとか、完全にアーティファクトの領域なのです」
ベルも感心する。
キャリーは小型の猫ピラミッドに近付いてその表面をペシっと叩く。
「うわ、何これ硬い、ぜんぜんテントじゃないよ」
続いてエルダも触る。
「ガラスみたいに見えるけど?」
キャリーが顔を近付ける。
「たぶん違うのです、たぶん本物の猫ピラミッドやホテルと同じ材質なのです」
ベルも顔を近づける。
「もうテントを偽装する気ないよね?」
「無いんじゃないですか?」
フランカとレーダも猫テントを覗き込む。半透明だが中は見えない。
「ベル先輩、これがあれば魔獣の森にでも大丈夫なんじゃないですか?」
リリアーナが尋ねる。
「硬いしマナの調整もしているし、何より防御結界が厚いから、十分イケるのです」
「うわ~流石、中将様の魔導具ですね」
ロレッタも感心する。
「魔獣の森だったら、前のテントでもイケるはずだよ」
キャリーが付け加える。
「あっ、ピンクから白に変わった」
ミーラが声を上げた。
猫テントの色が変化して完全に背景に溶け込んだ。
「この大きさでピンクは目立つのです」
「カモフラージュまで勝手にやってくれるんだね」
キャリーとベルも初めて知る新機能だった。
ベルの予想通り風雪は弱まるどころか更に酷くなる。
「皆んな、テントの中に入って下さい!」
猫テントの扉を開けて小隊の面々を収容した。
「うわわ、見て見て来た時の轍がもう消えちゃってるよ」
「吹雪はこれからが本番なのです」
ベルが空を仰ぎ見た。
「この天候は普通じゃないのです」
「だね、アーヴィン様との合流地点も変えた方がいいかな? この先の街ならここまで凄いことになってないだろうし」
「賛成なのです」
「じゃあ、早速、相談してみるね」
キャリーがアーヴィン・オルホフ侯爵と念話を開始する。
話し合いは直ぐに終わった。
「近くまで来てるし、心配だから、ここで合流するって」
「流石、アーヴィン様なのです、でもこの雪は危ないのです」
「アーヴィン様の領地ニービス州は、ここよりもっと北だから雪には慣れっこなんじゃない? それにマコトのところのジープを借りたみたいだよ」
「ああ、それなら安心なのです」
「安心じゃないのは、あちらさんだね」
キャリーはケントルムの一行を見る。
雪壁を作ったのだがそれでも防御結界が雪にかなり侵食されていた。
魔導具を使ってはいるが、魔法使いがそれなりに魔力を注ぎ込まなくてはいけないタイプらしい。
「雪を甘く見るからこうなるのです」
「想定外の大雪だからね、冬季間通行禁止の街道を通ったのもアレだし」
「大失敗なのです」
「雪も今晩中に峠を越えれば大丈夫だと思うけど、それ以上は危ないかな」
「この様子だと数日足止めは覚悟する必要があるのです、だから私たちも備える必要があるのです」
ベルも小型猫ピラミッドの周囲に雪で壁を作った。更に入り口の前に直径二〇メートルほどの円形のスペースを設ける。
「雪の上に立ってるのに寒くない不思議」
「小型猫ピラミッドの防御結界が半端ないのです、昨日のテントよりも強力なのです」
「マコトは、私たちが何処に行くと思ってるんだろう?」
「各領地の統治がしっかりしているケントルムに比べたら、グダグダの領地が多いアナトリの方がずっと危険なのです」
「心配してくれるのは嬉しいんだけどね」
「そこは同感なのです」
「私たちが無事に帰らないと大変なことになりそうだね」
「責任重大なのです」
雪は更に激しさを増す。その隙間に光がチラチラ見えた。
「アーヴィン様だね」
アーヴィン・オルホフ侯爵の乗る猫耳ジープのヘッドライトの光だ。
「道じゃなくて雪原を走って来るあたり流石アーヴィン様なのです」
「総司令のお父さんなだけはあるね」
「総司令より破天荒なのです」
アーヴィン侯爵の息子である王国軍副司令ドゥーガルド・オルホフ少将は総司令官に就任し中将になっていた。
侯爵の猫耳ジープは、ケントルム大使館の一行のテントとキャリーとベルの小型猫ピラミッドの間に到着した。
吹雪の中の到着にざわつくケントルムの騎士たち。
「吾輩はハリエット陛下の名代アーヴィン・オルホフ侯爵である! アイリーン様にお目通り願いたい!」
運転席から立ち上がったアーヴィン侯爵が名乗りを上げた。
合流の予定は知らされていたので、騎士たちの緊張は直ぐに解け、アイリーン元第二王妃と副大使それぞれのテントに走る。
侯爵はキャリーとベルに向けて手を振り、二人も敬礼して返した。
直ぐにテントから走り出て来た使用人に案内され、守護騎士の二人を引き連れて元第二王妃のもとへ向かった。
「あっ、イライザだ」
アーヴィン侯爵と入れ替わりでイライザがテントから出てキャリーとベルに向かって小走りにやって来る。魔法馬の防御結界に守られているのでケントルムの防御結界から出ても吹き飛ばされることはない。
「キャリー様、ベル様、アイリーン様がお呼びです!」
「えっ、アイリーン様が?」
「はい、昼食も兼ねてお二人とお話をしたいそうです」
「昼食会に行く服がないのです」
「見苦しい格好でアイリーン様の御前に出るわけにはいかないので……」
「大丈夫です、堅苦しい席ではありませんので、そのままでお越し下さいとアイリーン様が仰せでした」
イライザがニコッとして面倒くさいので逃げようとした二人の退路を速攻で塞いだ。
「仕方ないか」
「仕方ないのです」
キャリーとベルは猫テントの中に声を掛けた。




