悪魔の森は今日も雨にゃん
○ケラス地下要塞 地上
朝ごはんの後はオレはクレア司令たちと一緒にケラス軍二万四千人を率いて境界門を抜けてカンケル州に入る予定だ。
先日まで魔獣の森に沈んでいたこの広大な土地から魔獣が一掃され月光草がマナの濃度を人の住めるレベルにまで下げつつある。
ここからはカンケル州を縦断しフィーニエンスとの国境の境界門まで太古の道を模した道路が通じている。猫耳たちが昨日造ったんだけどな。
フィーニエンスのヤツらが想像を絶して弱かったので道路を作っても問題ないと判断した。飛行戦艦が凄いのかもしれないが、それこそ道路があろうが無かろうが関係ないのでオレたちの利便性を優先した。
道路なのでここからはまたトラックで移動することになる。列をなすトラックに兵士たちを積んだら出発だ。
「マコト、昨日は地下要塞で一日潰しちゃったけど大丈夫なの?」
キャリーがトラックに乗り込みながら質問する。行程の遅れが心配らしい。
「問題ないにゃん、トラックを使うから最終的には二日の短縮にゃん、それにあっちが遅れているにゃん、しかもボロボロで本当にたどり着けるか心配にレベルにゃん」
オレと一緒のトラックに乗るのはキャリーとベルとその小隊にクレア司令だ。天使様と妖精たちは先に国境近くの地下要塞に行ってる。チビたちはジープで先行していた。
「フィーニエンスの侵攻軍はボロボロなんだ」
「いつ全滅してもおかしくない状態にゃん」
オレたちのトラックが先頭を切って走り出す。
「予想の範疇だな」
クレア司令は当然といった感じだ。
「魔獣の森を無傷で移動出来るわけがないのです」
「にゃあ、ベルの言う通りにゃん」
無茶な計画は当然破綻する。奇跡はそう簡単に訪れない。
「ボロボロでも命令があれば進軍しなくてはイケないのが軍隊の辛いところだ」
クレアが肩をすくめる。
「オレは変な命令は出さないにゃん」
「マコトは大丈夫だ、私も信用している」
クレアも変な命令は出さないだろうが、単身で敵地に乗り込むとか副司令を困らすことはやらかしそうだ。
「全滅しなくても、こちらにたどり着いた時は戦闘力がなさそうだね」
「そこは魔法兵と魔導具があるから油断は危険にゃん」
「でも、こちらにはマコトたちともっとスゴい魔導具があるのです」
「にゃあ、あっちも飛行戦艦とかあるにゃんよ」
「それって、まだ飛んでないんでしょう?」
「秘密兵器にゃん」
「このままだと秘密にしたまま侵攻軍は全滅しそうだぞ」
「冗談が過ぎるのです」
「本当に飛行戦艦なんてモノがあるなら、普通はその完成を待って行動を開始するよね?」
「王国の政変の知らせを聞いて慌てて出撃したから足並みが揃ってないにゃん」
「宮廷内での権力闘争も絡んで、引くに引けない状況なんだろう、何処の貴族も体面を気にする生き物だからな」
クレア司令は、いろいろ知ってるようだ。
「革命が起きないのが不思議にゃんね」
「数百年に渡る国是はそう簡単には変えられないってところだな」
「難儀だね」
「難儀なのです」
○カンケル州 旧アルカ街道
魔法馬なら三日ほど掛かるカンケルを縦断する行程をトラックで一日に短縮する予定だ。人数は多いが統制が取れてるので行動はスムーズだ。あのチンピラばかりだった元王国軍の連中が良くぞここまでとオレは目頭が熱くなるにゃん。
フィーニエンスの軍隊もあの過酷な行程でもしっかり進軍をしているところを見ると優秀な軍人が多いのだろう。上の連中はバカばっかみたいだが。
そのフィーニエンス連中は、現在、泥にはまって行軍が停まっている。進路上に長雨の影響で湖のような巨大な水溜りが出現していた。水深も深いところで二〇メートルほどある泥沼で、斥候が突っ込んで泥に足を取られて立ち往生。本隊の連中が二次遭難に遭ってる。
予想以上に移動が不可能な湿地エリアが広がっていた。魔獣の森なんだからもっと慎重に行こうぜ。湖級にデカい水溜りなら何か潜んでるに決まってるだろう?
実際、水溜りには魔獣が潜んでいた。ヤツらは気付いてないみたいだが泥の中まで探査魔法が飛んでないのか?
魔獣は、いまのところ集合体だと騙されているみたいが、見ているこちらはハラハラ・ドキドキの連続だ。
○カンケル第一地下要塞
「マコト、もしかして昼飯を食べる為だけにこの地下要塞を造ったのか?」
クレア司令が地下都市風味の要塞を見渡す。
「そういうわけじゃないにゃん、今後のことを考えるとケラスとフィーニエンスの中間にも基地は必要にゃん」
「なるほど」
トラックの荷台に乗ったまま道端でランチも味気ないので造ったのも事実だ。地下にあるから邪魔にはならないからいいだろう。スロープでトラックのまま潜れるし。
今後もケラス軍の為にあちこちこの手の地下要塞を造っておくのもいいかも。ネコミミマコトの宅配便でも使えそうだし。
「マコト、遅かったな」
要塞の食堂では天使様がまたトレーを料理でいっぱいにしていた。
「マコト、こっちの地下要塞もオリジナルメニューがいっぱいあるなんて、なかなかやるね」
「リーリに褒められたにゃん」
「ミンクも良くやったと褒めてあげるの」
「にゃあ、ありがとうにゃん」
妖精たちにも満足いただいたようだ。拠点や地下要塞の食堂ごとにオリジナルメニューを増やしてるのは猫耳たちだ。いろいろ競い合ってるらしい。いいことだ。
○カンケル州 旧アルカ街道
昼食の後は、食休みもそこそこに出発する。フィーニエンスの国境には日暮れ頃に到着の予定だ。トラックの車列は出来たての道を飛ばす。
「こちらは慌てる必要は無いけどフィーニエンスの連中はまたマズいことになってるみたいにゃん」
「そうなのか?」
「あちらで降ってる雨が原因にゃん」
「雨か」
クレア司令が呟く様に復唱した。
オレたちはトラックの荷台で情報をすり合わせる。
「フィーニエンス側だけ不自然に雨が続いてるにゃん」
「この時期、天候が不安定になりがちだが確かに不自然だ」
「どうも魔獣の森に隠されていた古い刻印が目を覚ました可能性が高そうにゃん」
これはラウラとギーゼルベルトの推測だ。
「刻印ということは、フィーニエンスの人間が自分たちの軍隊に向けて仕組んだの?」
キャリーが訊く。
「にゃあ、作ったのは多分フィーニエンスから脱出した人たちにゃん、その行き先の王国を侵攻されてはたまらないので仕掛けを残したみたいにゃんね」
「刻印が原因なら数百年前からの積み重ねな上に場所が場所だから、何処に何が隠されているのか把握している人間は誰もいまい、特に魔獣の森の間のルートには数が多いはずだ」
ラウラとギーゼルベルトとは違いクレア司令は王国とフィーニエンスの間にある魔獣の森の現在の姿に精通してる。そのクレアでも足止めの刻印の全容は把握してない。
「侵攻軍の連中は今回、雨の刻印を踏んだにゃんね」
「ヤツらの行軍の様子からすると刻印はコース上の樹木に隠されていた様だな」
「刻印の入った木を切り倒すと発動するにゃんね」
「そんなところだ、スイッチが入った以上はしばらく降り続くと思う」
「突然出来た湿地もヤバいにゃんね」
「魔獣の森に湿地が出来たの?」
「そうにゃん」
「すると迂回が必要になって行軍の期間が伸びると予想されるのです」
「にゃあ、その通りにゃん、フィーニエンス軍のヤツらは迂回に一週間は取られると見積もってるにゃん」
「一週間で済むの?」
「難しいにゃん、フィーニエンスの軍隊が足止めを食らってる辺りは深い谷が連なってる難所にゃん、そこに水が溜まって横に長い湖になってるにゃん」
「迂回するのも大変そうなのです」
「にゃあ、湖の周囲がところどころ底なし沼みたいになってるにゃん、魔獣の森を渡れる魔法馬でも足を取られたら終わりにゃん」
「命にかかわる危険地帯なのです」
「にゃあ、そうにゃん、しかも雨がまだ降り続いてるにゃん」
「湿地帯が拡大しているのか?」
クレア司令は答えを導き出す。
「にゃあ」
「探査魔法で通れる場所を探れないの?」
「ヤツらは地面の探査能力がいまいちにゃん、下手をすると湿地の中に侵攻軍全体が取り残されることも考えられるにゃん」
「場所が場所だから隊列を反転させるのも時間が掛かるか」
「にゃあ、探査魔法を打った猫耳の報告によると、いま斥候を使って迂回ルートを探ってるみたいにゃん」
「このまま雨が降り続くと本当に逃げ場が無くなって手詰まりになりそうだね」
「二〇万を越える将兵を一度に移動させたのは悪手なのです」
「魔獣の集合体を偽装する為にそれなりの数の魔石が必要になる、だからあの数を分けたくても出来なかったのだろう」
「本当にクレア司令は詳しいにゃんね」
「フィーニエンスの友人のおかげだ」
「クレア司令の友人は普通の人じゃなさそうにゃんね」
「そうだな変人ばかりだ」
類友にゃんね。
「ところで、マコトたちはフィーニエンスのヤツらの念話を傍受してるのか?」
「そうにゃん」
「念話を傍受できるとか半端ないな」
「リーリに教わった精霊魔法の応用にゃん、それに宮廷魔導師も何人か使えるみたいにゃんよ」
マリオンとか。カズキじゃないから変なことに使ってないと思う。
「宮廷魔導師は知らんが、マコトは精霊魔法か、そいつはスゴいな」
「マコトはあたしが育てたからね!」
ケチャップで口の周りを赤くしたリーリがオレの頭の上で仁王立ちした。瞬間移動的な空間圧縮魔法だ。
「じゃあ、またね」
一瞬で姿を消した。何処かの食堂かレストランに戻ったのだろう。
「妖精さんはもっとスゴいね」
「スゴいのです」
「そうにゃん、スゴいにゃん」
最終的にリーリはスゴいということで話が締めくくられた。
○カンケル第二地下要塞
夕方には、オレたちとケラス軍の将兵を乗せたトラックが予定通りフィーニエンスとの国境の境界門近くに造ったカンケル第二地下要塞に到着した。
ちなみにカンケル第二地下要塞の更に地下深くにカンケル第四拠点がある。こっちの存在はオレと猫耳たちの秘密だ。
○帝国暦 二七三〇年一〇月三〇日
○悪魔の森 湿地帯
「日付が変わったか」
ヘンゼル・ボーム魔法軍少尉は時計の魔導具で時間を確認した。いまだ雨は降り止まない。漆黒の闇に雨音が響き渡る。
「ああ、今夜は長くなりそうだ」
アリ・クルム魔法軍少尉が隣で空を見上げた。闇の中にわずかに灯る魔導具の明かりが木々の枝と雨粒を浮かび上がらせる。
二人は泥に胸まで沈んだストーンゴーレムの上にいた。腕を伸ばした先の掌に座っている。魔法を使うには都合のいい場所だがそれ以外の利点は無い。
「この雨が、人工的なものだったとはな」
ヘンゼルも漆黒の空を見上げる。
「ああ、もっと早く気付くべきだった」
「何の変哲もない雨だ、すぐに察知しろというのは無理な注文だろう?」
「いや、それでも気付けなかったのは、俺たち観測班の責任だ、もっと早い時点でわかればマシな対応も出来たはずなのに」
「どうだろうな、宮廷が撤退の決定を下すことはなかったんじゃないか? 実際、いま現在も出てないわけだし」
「状況に変化は無いか」
「俺が思うに死霊が消えた時点で撤退すべきだったんだ」
「おい、あまり大きな声で言うなよ」
アリは周囲を見回す。
泥沼の上に突き出されたストーンゴーレムの腕の上だから誰かに聞かれる心配は無いはずだが。
「秘密警察の連中も此処までは来れないんじゃないか?」
ヘンゼルも周囲を見回すが何も見えない。
「いや、わからんぞ、あいつらは何処にでも湧いて出る」
「だったらヤツらも俺たちと一緒に天に還るか、死霊になって飛び回るかだな」
「確かに」
「俺なら後者だな」
「ヘンゼルの死霊か、手に負えない化物が悪魔の森をうろつくことになるわけだ、次の侵攻軍があるとしたら魔獣以上に出会いたくない相手だな」
「次があるならな」
ヘンゼルはため息とともに呟く。
急激に広がった湿地の中に取り残されたフィーニエンスの侵攻軍の命運は尽きかけている。
慌てて退避した高台が湿地の中に出来た幾つかの島になって泥に沈むのは回避出来たが、そのまま立ち往生していた。
周囲は泥沼に沈み魔法馬は島に上げられたが、馬車はほぼ全数が泥に飲み込まれている。ストーンゴーレムも泥に浸かったままだ。
いずれもそう広くもない四つの島に二〇万を越える人間がいる。例え魔獣に襲われなくても食料が尽きればそれでお終いだ。
いまはまだ奇跡的に人的被害はほとんど無いが、水位は上がる一方で明るい展望は見いだせずにいた。
「これからどうしたものだか」
「俺たちの将軍様が握り潰してくれたが、宮廷からは此処に陣地を構築しろってオーダーが入ってたぞ」
アリが肩をすくめる。
「道具も材料も魔力も残って無いのに陣地?」
「宮廷の連中はその辺りのことがわからないらしい」
「いまは木に刻印を打って雨よけの結界を張るのでやっとだというのに」
防御結界とは別に雨よけの結界を張っている。
「それでも無いよりはずっといい、この気温で雨に打たれ続けたら死ぬぞ」
「そりゃな」
屈強な兵士も低体温症には敵わない。
兵士たちはいま島のあちこちで解体した馬車を使って火を起こして暖を取っている。
「こんな有様でも馬車に揺られるよりはゆっくりできるか」
皮肉なことにこの状況のほうが身体の負担は少なかった。
「一眠りして頭がすっきりすれば誰かが何かいい案を思い付くかもな」
「他人任せかよ」
「己の限界を知ってると言ってくれ」
「俺も似たようなものだがな」
二人の話を一般兵が聞いたら魔法軍のツートップが何を言ってるんだと思ったはずだ。
「霧が出て来たか」
魔獣の森で発生する霧はマナの濃度が濃く、防御結界で守られてなかったら死ぬ。
「探査魔法はしばらくお預けだな」
霧の中は探査魔法が通らない。
「霧がなくても魔獣の森の間を外れたせいで魔法の制御が難しくなってる」
濃いマナが影響して魔法の威力が増すのだ。
「演習でもこの濃度は無かったからな」
演習で入り込んだ魔獣の森は間を想定したマナの薄い飛び地だったので、影響はほとんど受けなかった。
「防御結界が厚くなるのは好都合だが、探査魔法の制御がおぼつかないのはマズい」
「霧が出たら濃度も関係ないけどな」
「それもそうか」
「侵攻軍の戦闘能力は落ちてない、雨さえ上がれば全員は無理でも何割かは生き残れるはずだ」
「その前に帰還命令が出ないんじゃないか? 宮廷の連中は俺たちが全滅したほうが都合が良かったりしてな、自分たちの不手際を指摘されずに済むし」
「笑えない冗談だな、でもこの天候だ、いつ宮廷からの念話が途絶えてもおかしくはない。その時はこちらの判断で動くしかないだろう」
「なるほど」
「全員は無理としてもひとりでも多く帰してやりたいからな」
「アリは将軍様みたいなことを言ってるな」
「ヘンゼルは違うのか?」
「いや、同じだ、ここに無駄に死んでもいい命など一つもない」
「ああ、何か策があるはずだが、……ってマズいな、魔石に異常が出た」
アリが島の一つを見た。
『『『魔石に異常反応発生、対処急げ!』』』
隊長たちから念話が飛んだ。
「あそこだな、行けるか?」
アリが正面の島を指さした。
「大丈夫だ」
泥に沈んだままストーンゴーレムを歩かせる。正面の島まではわずかな距離だが飛び移るには遠すぎた。
「魔石の暴走か?」
「らしい」
ストーンゴーレムの掌から降り立った二人はすぐに異常反応を起こしてる魔石の場所に向かって走った。
「済まない、道を開けてくれ!」
「悪い!」
『『『異常反応の連鎖確認!』』』
『『『緊急停止だ!』』』
『『『魔石全停止!』』』
隊長たちの緊迫した念話が飛び交う。
「あれか?」
「間違いないだろう」
島の突端に暴走した魔石を背負った兵士が、放心した表情で突っ立っている。その身体は赤い光に包まれ僅かだが浮き上がっていた。ヘンゼルよりも年下の少年兵だ。
他の兵士たちがそれを遠巻きにしている。
『はぁ、はぁ、はぁ……』
粗い呼吸がここまで聞こえていた。
「間に合わなかったか」
「ああ、手遅れだ」
「おい、あれは魔法兵じゃないぞ!」
「そうだ、何で一般兵が魔石を背負ってる!?」
「ヤツの足元に倒れてるのが魔法兵か」
「どうなってるんだ、誰かわかるヤツはいるか?」
アリが近くにいる兵士たちに声を掛けた。
「少尉殿、あれは魔法兵が魔力切れで倒れたのを見て、あいつが代わりに魔石を背負ったんです、そうしたらあんなことに」
兵士の一人が教えてくれた。
「無茶なことをしやがって」
とっさに倒れた魔法兵を助けようとしてくれたのだろう。だがその優しさが仇になってしまった。
「魔石は訓練された魔法兵じゃないと扱うことは出来ないんだが、この場合、結果は同じか」
「ああ、制御できる人間が近くにいなければ同じだ」
一般兵が身代わりになってくれなかったら倒れた魔法兵がグールになっていただけだ。結果に大きな違いは無い。
「少尉殿、あいつは助からないんですか?」
仲間であろうまだ少年のような一般兵が訊く。
「悪いがグール化が始まってしまった以上、もうどうすることも出来ない」
「そうですか」
唇を噛んでうつむく。
「始まるぞ! 一般兵は下がれ!」
アリが声を張り上げた。
『はぁ、はぁ、はぁ、ウオオオオオオオオオオッ!』
魔石を背負った少年兵の身体が大きくなり軍服が裂ける。その急激に変化する姿から少年兵の面影が急速に喪われる。
「「「ひぃ!」」」
囲んでいた兵士たちが一斉に銃を構えた。
「銃を下ろせ! グールに発砲しても無駄だ、俺がこのままヤツを防御結界の外に押し出す!」
兵士たちはヘンゼルの言葉に従い銃を下ろした。
「グールを退治するにはその首を跳ねるのが基本だ、この状況で無駄に弾を消費するわけにはいかない、それにさっきまで仲間だった人間だ、出来れば撃たせたくない」
アリの解説に頷く兵士たち。
「いいか、ヘンゼル?」
「ああ、何時でもいいぞ」
アリがグールを防御結界の外に押し出すタイミングを計る。
『ガアアアアアアアアアアアアアアアッ!』
グールに完全変態した咆哮とともに動き出す。真正面にいるヘンゼルたちに向かって突進した。
「いまだ!」
「おう!」
風の壁がグールの身体を止める。
『オオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
グールは腕を振り回すがヘンゼルには届かない。
「悪いな、しばらく外に出ていてくれ」
突風がグールの身体を島から弾き飛ばす。アリが防御結界を操作して穴を開ける。幸い島の突端にいたので樹木に抱き着かれることなくグールを防御結界から弾き出し泥沼に落とした。
『グォオオオオオオオオオオオオオオッ!』
底なし沼にはまったグールはもがくほどに沈んで行く。怪力でも為す術なくそのまま泥の中に消えた。
「悪く思わないでくれ、と言っても水が引けば息を吹き返すか」
「ああ、グールが泥に浸かったぐらいでくたばるわけがない」
アリが同意した。
「だったらせめて、俺たちが移動するまで静かにしてくれ」
「俺たちが移動できればだがな」
アリが声を潜める。
「この雨が止まないことには難しいか」
ヘンゼルも兵士たちに聞かれないように囁いた。
「いや、雨だけでは無い」
アリは更に声を潜める。
「どういうことだ?」
「ちょっとこっちに来てくれ」
ヘンゼルとアリは場所を移した。
「どうやら魔石がダメらしい」
アリが囁いた。
「緊急停止しただけじゃないのか?」
幸い上の判断が早くグールの発生は一体で抑えられた。
「残念ながら魔石の再起動は絶望的な状態だ」
「魔石が壊れたのか?」
「いや、魔石自体が壊れることはない、問題は刻印だ。魔石を制御出来なくなった。また使えるようにするには研究所に持ち帰って長い時間を掛けての調整が必要だ」
魔石に関してはアリがヘンゼルよりも詳しい。
「つまり集合体の偽装は使えないと?」
「そうだ」
「むしろいままで持ちこたえたのが奇跡か」
「その通り」
「俺たちはこれから魔獣の森の中で本物の魔獣とやり合うのか」
「認識阻害の結界に切り替えたが、これだけの人数を何処まで隠せるかはわからん」
「魔獣も死霊みたいに一瞬で消えてくれるといいんだけどな」
「死霊の件は宮廷では英霊たちが起こした奇跡ってことにするらしいぞ」
「死霊が英霊だっての」
「ああ、悪い冗談だ」
アリは苦笑いを続けた。
「それに死霊を消したのは紛れもなく聖魔法だったろう?」
「そこは間違いない」
「あれだけの出力の聖魔法なら魔獣も消えそうだけどな」
「いや、魔獣に聖魔法は効かない、少し動きを止めるだけだ」
「それしか効かないのか」
「残念ながら実験済みだ」
「一通りやってるんだな」
「研究所の連中はイカれてるからな」
「同感だ」
夜明け前に魔法兵の再配置と一般兵の陣地構築が始まった。撤退も侵攻もこの時点で破棄された。
宮廷は飛行戦艦が到着するまでの間に陣地を構築せよとうるさく指示して来たので、将軍が渋々従った。現状は底なし沼に囲まれた島からの脱出は不可能な為、寝床としての陣地は必要だ。
夜が明ける時間になったが、雨が降り続ける空は一向に明るくなる様子を見せない。
異変に最初に気付いたのは観測班の魔法兵ではなく中年の一般兵だった。陣地構築の持ち場を離れて沼のほとりでのんびり小便をしていた。
「前回は逃げ帰れたが、今回は俺も歳だし無理っぽいねぇ」
運良く生き残った七年前のことを思い浮かべ、今回は既に諦めていた。
「代わりに若いヤツらが生き残ればいいか」
小便の音も雨音に消された。
「……?」
暗いはずの水面がぼんやりと明るくなった。
水音と共に泥水の中から直径五メートルは有りそうな大きな球体が浮かび上がる。
「なっ!」
七年前の侵攻作戦で魔獣を間近で見た時の総毛立つ恐怖感が蘇る。
この感覚はあの時と同じだ。仲間たちを食い尽くしたあの化物がまとっていた濃いマナを含んだ生臭い空気が防御結界を抜けて漂う。
「ま、魔獣だ!」
兵士は声を張り上げて仲間たちのところに駆け戻った。
『『『魔獣確認!』』』
『『『総員戦闘準備!』』』
『『『迎撃用意!』』』
『『『対岸に注意せよ! 同士討ちになるぞ!』』』
隊長たちの念話が飛び交う中、ヘンゼルは魔獣に向かう。
『あまり近付きすぎるなよ』
アリから注意の念話が飛んだ。
『わかってる』
ヘンゼルは泥沼の前で立ち止まった。
「ただ魔獣相手に何処が安全かなんて誰にもわからないけどな」
それでも目の前の防御結界を更に厚くした。




