アブシント州の人々にゃん
○アブシント州 街道 旧道
アブシント州はヌーラの北西に位置し西は人の住まないエクシトマ州に隣接している。オーリィ州とクァルク州と共に王国の中でも西の果てに位置する土地だ。
いずれの領主も貴族派に属し、領内の困窮した経済はフェルティリータ連合に依存しており単独での領地経営はかなり前に破綻していた。
領民も重い税負担や働き手の徴兵で疲弊しており、反乱には至らない小さな小競り合いは毎月のように起こっていた。
それが突然、終焉を迎えた。
アブシント州の街道をヌーラ州のある方向に向かいたくさんの人たちが歩いている。いずれも疲れ切っており、道端に座り込む者も少なくはなかった。
怪我人も多く傷に巻いた血をにじませた薄汚い布は、いつ感染症を引き起こしてもおかしくはない状態だ。
「よりによってまともな道がないヌーラかよ」
悪態を付く人々の先頭を歩く髭もじゃの男。大きな身体に大きな腹。槍を担いだその姿は、まるで山賊の様な風体だ。土埃で汚れた顔から年齢を言い当てるのはほぼ不可能な感じだ。
「確かに道はいまいちだな」
髭もじゃの隣を歩くのは青い守備隊の制服に身を包んだ四〇半ばの男。髭もじゃほどではないが、かなりがっしりとした身体つきをしている。
人々が歩くその道が街道として使われていたのははるか昔の話で、いまは辛うじて石畳が残ってるだけの廃道寸前の状態だ。
道の左右は耕作が放棄されて久しい農地で、一面が枯れた色のススキに覆われている。周囲には集落も人家もない。捨てられた土地だ。
「おい隊長さんよ、何度も聞くが『ヌーラに向かえ』という話は本当なんだろうな?」
髭もじゃが隣を歩く守備隊の隊長に声を掛けた。
「ああ、騎士殿が王宮から直に指示を与えられたそうだ、それから変更の命令は来てないぞ」
アブシント州の州都トリィティーの守備隊は、騎士団の命令で一時間ほど前に避難民を先導してスース州との境界門がある東からヌーラ州のある南に行き先を変えたばかりだ。
魔法馬はすべて怪我人を乗せた馬車を牽いてるので守備隊の隊員は隊長も含めて全員が徒歩だった。
避難民は着の身着のままで夜通し歩いている。移動に耐えられないほど怪我が酷い者は置き去りにされたが仕方のないことだった。
先頭を行く髭もじゃの山賊風の男は地方の豪農で今回の反乱の首謀者の一人だったが、いまは避難民のリーダーになっている。
反乱と言ってもこれといった抵抗も無く州都近くまで攻め上がったのだが、そこで待ち受けていたのは突然の魔獣の襲来と天から雨のように降り注ぐ鉄球だった。
多くの人間が犠牲となり、州都は僅かな時間で壊滅し領主の居城の有った場所には何匹もの魔獣がとぐろを巻いた。
「よりによってヌーラか、隊長もあそこがどういう場所か知ってんだろう?」
「心配要らない、ヌーラの新しい領主が安全な避難場所を用意してくれてるそうだ」
「ヌーラの新しい領主と言うと今回の戦争を起こした子供か?」
「そう、マコト・アマノ侯爵様だ」
「可哀想に、また王宮に貧乏くじを引かされたってわけか」
「だろうな、フェルティリータ連合はオレたちのアブシント州にクァルク州、それにオーリィ州の領民の受け入れを拒否している。その最中、侯爵様だけが手を挙げてくれたそうだ」
「俺が言うのも何だが、反乱を起こしたヤツらも一緒くたに受け入れるのか?」
「そこは何も聞いてないぞ」
「俺たちが受け入れを拒否されるのは仕方ないが、家族は逃してやって欲しい」
「ああ、俺からも頼んでおこう」
「すまない、隊長」
「騎士殿の話では既にクァルク州、オーリィ州、そしてここアブシント州もマコト侯爵の領土となったそうだ」
「本当か?」
「ああ、それで救援隊を出してくれてるそうだ」
「王宮じゃなくてマコト侯爵がか?」
「ああ、そうだ」
「何の為の王宮なんだ?」
「王宮は動かないだろう、ここは貴族派の領地だったんだぞ」
「それもそうだったな」
貴族派が王宮の統治から半ば離脱してるのは公然の秘密だ。
「動いてくれたのはフェルティリータ連合でも王宮でもなく六歳の子供だったわけだ」
「侯爵様の話が本当なら、少なくとも小麦は心配しないで済みそうだぞ」
「ああ、それだけでもありがたい」
前方の坂道を駆け下りてくる三騎の騎士が見えた。
「何だ?」
魔法馬を飛ばしながら騎士が何か叫んでる。
「おい、止まれ!」
髭もじゃのリーダーが声を上げた。
数キロ続く人の列が前から順番に停止する。
蹄の音が近付く。
「「「魔獣だ! 逃げろ!」」」
その声の直後、坂の頂上から巨大な蛇が這い出した。
「「「……っ!」」」
あまりの大きさに誰もが立ち尽くしてしまう。
「隊長、てめえは逃げろ! 後は頼んだぞ!」
髭もじゃの大男は前に出て槍を構えた。
先端から炎が吹き出す。
「紅蓮の槍だ! 刺し違えすら無理だろうが、多少時間は稼がせて貰うぞ!」
アーティファクトの槍を魔獣に向ける。
「無理するな、お前こそ逃げろ!」
隊長も剣を抜いて横に並んだ。
「隊長こそ、そんな剣で何をやらかすつもりだ、死ぬぞ!」
「後ろから喰われるよりはマシだろう」
「そいつは言えてるが」
馬ごと騎士を跳ね飛ばし口を開けた魔獣が突っ込んで来る。
「頭だけで俺んちよりデカいぜ」
「確かに」
『ニャア!』
突然、ピンク色の魔法車がススキの野原を突っ切って道の真横から飛び込んで来た。そして車輪で蹴り飛ばす様に魔獣の頭を弾いた。
「「なっ!?」」
髭もじゃと隊長は変な声を漏らす。
「「「にゃあ!」」」
魔獣に巨大な杭が何本も突き刺さり地面に縫い付けた。魔法車がUターンして戻る。
「トドメにゃん!」
最後の杭が魔獣の頭を縫い付ける。
一瞬で魔獣は沈黙した。
「エーテル機関の沈黙を確認、分解するにゃん!」
魔獣の巨体が消え去った。
「大丈夫か?」
髭もじゃは隊長に肩を揺さぶられて我に返った。
「おい、いまの魔法車に乗った女の子たちが魔獣を倒したのか?」
「ああ、そうらしい」
「そんなことが有り得るのか?」
「有るから俺たちは助かったんだろう?」
「そうなんだよな」
自分たちの目で目撃していながら隊長と髭もじゃは半信半疑だった。
「にゃあ、騎士の人たちは大丈夫にゃん?」
女の子の声がする。
魔法車から降りた女の子たちが魔獣に弾き飛ばされた騎士たちを助け起こしてる。
「騎士どもは、あれで怪我してないのかよ」
「ちゃんと見ろよ、彼女たちは治癒魔法を使ったんだ、普通なら死んでる怪我を一瞬で治すとか、どれだけ凄腕なんだ」
「マジかよ!?」
隊長の話に髭もじゃは目を丸くした。
魔法車がふたりの前に来る。
「にゃあ、ウチらはマコト・アマノ侯爵家の者にゃん、代表と話がしたいにゃん」
近くで見ても間違いなく年の頃十三、四歳の女の子たちだ。
見たことのない魔法車に軍隊の様な戦闘服と編上げのブーツ姿。
頭には獣の様な耳に尻からは尻尾が生えていた。
魔導具なのだろうが見事な逸品だ。
「なし崩しに俺たちが先導している、そうだろう、隊長?」
「ああ、そうだ、ひとまず俺たちが代表と思ってくれていい」
「にゃあ、避難民の皆さんをここからヌーラの州都サロスに運ぶにゃん、ただし犯罪奴隷相当の犯罪者は拘束するにゃんよ」
「だったら俺は拘束だな」
髭もじゃが手を挙げた。
「ちょっと待て、おまえは何も悪いことはしてないだろう?」
「お嬢ちゃん、俺は反乱の首謀者の一人だ、どうか俺の首だけで他のヤツらは勘弁してくれねぇか?」
「にゃあ、ウチらのお館様は今回の反乱は不問にするお考えにゃん、だから拘束するのは反乱に乗じて犯罪行為を行った者だけにゃん」
「ああ、それは構わない、そうだろう?」
隊長が同意し髭もじゃを見た。
「無論だ、俺たちの蜂起に泥を塗ったヤツらは好きにしてくれていい」
髭もじゃも頷いた。
「了解にゃん」
「それでサロスに運ぶって、えっ!?」
道端に巨大な魔法車が現れた。
「にゃあ、順番にこのトラックに乗って欲しいにゃん、体調の悪い人も荷台には治癒魔法が付与してあるから死んでない限りは大丈夫にゃん」
「「お、おお」」
髭もじゃと隊長はまた変な声を漏らした。
州都守備隊の隊員と元反乱軍の民兵たちが協力して避難民の誘導に当たる。
猫耳の女の子の魔法で巨大な魔法車が次々と現れ避難民を乗せた端から走り出す。
「いったいどんな魔法なんだ?」
「さあな」
隊長と髭もじゃは次々と現れる巨大な魔法車に考えるのを放棄した。いまは気が抜けたのか二人して突っ立ってるだけだった。
その間も猫耳たちが再生するトラックがサロスに向かって途切れること無く走る。
いつの間にかヌーラに向かう道路が舗装され幅員が倍に拡げられていた。
「これなら暗くなる前に一息つけそうだ」
「ああ、まさかこんなに早く片付くとは思わなかったぞ」
二人の目の前で、流れ作業のように避難民は送り出され、数キロに亘る避難民の列はどんどん数を減らした。
「見たこともないデカい魔法車をゴーレムが運転とか、フェルティリータ連合はとんでもないヤツらと戦争を始めたらしい」
「ああ、まったくだ」
守備隊の隊長と髭もじゃがうなずきあう。
「聞くところに依るとマコト侯爵が吹っ掛けた戦争なんだろう?」
「ああ、上からはそう聞いてるが、お前らの反乱でこっちはそれどころじゃなかったけどな」
「だろうな」
ほんの数日前までは敵同士だったが、いまは無二の親友みたいな感じだ。
「にゃあ、お二方それは違うにゃん、お館様だって戦争なんて面倒なことはしたくなかったにゃん」
猫耳の一人が話に加わった。
「侯爵様は、何でまたやりたくない戦争を始めたんだ?」
「にゃあ、フェルティリータ連合がエドモンド第二王子を立てて革命を画策したからにゃん」
「革命ならかなり大事だな」
髭もじゃが同意した。
「にゃあ、ウチらとの開戦前にフェルティリータ連合は、既に騎士と戦闘ゴーレムをボース州の東側州境に配置を終えていたにゃん」
「いまの話、本当ですか?」
さっき治癒された騎士の一人も話に加わった。
「にゃあ、本当にゃん、アブシントの騎士団にも動員が掛かっていたはずにゃん」
「ええ、確かに反乱の前に詳細は知らされずにアブシントの東隣にあるスース州との境界門に集められました」
「革命軍が蜂起すれば、国王派との大規模な衝突は避けられなかったはずにゃん」
「しかし、マコト侯爵の領地からは離れた場所では?」
「にゃあ、大規模な戦闘は魔獣の大発生を誘引するにゃん、下手をすると王国の大半が魔獣の森に沈むにゃん、だからお館様は先手を打って革命に待ったを掛けたにゃん」
「ちょっと待ってくれ、戦いが起こると魔獣が来るのか?」
髭もじゃが疑問を差し込んだ。
「にゃあ、そうにゃん、現にクァルク州、オーリィ州、それにここアブシント州でも反乱に合わせて魔獣が越境したにゃん」
「なんてこった、俺たちは自分の手で魔獣を呼んだのか!?」
「そうにゃん」
「しかし、州都では戦闘は起こってないぞ、それとお前さんはろくに戦ってないだろう?」
「そうにゃん?」
「ああ、それは間違ってない、俺たちは地元の市長や町長の私兵を蹴散らしたぐらいで戦闘ってほどのものは一度も無かったぞ」
隊長と髭もじゃは首をひねる。
「何処も大きな戦闘が無かったとするとアブシントを襲ったのは、別な理由が有りそうにゃんね」
「いや、アルケスでは戦闘があったはずだ」
騎士が否定した。
「アルケスにゃん?」
「州都の次に大きい街だ、今回の反乱が始まった場所でもある」
髭もじゃが教えてくれる。
「そして最初に魔獣に襲われた街でもある」
騎士が付け加えた。
「俺も後から話を聞いたが、蜂起した直後に魔獣に襲われたようだ」
髭もじゃも情報を得るのにタイムラグがあったらしい。
「何で街が壊滅したのに反乱が有ったってわかるにゃん?」
「その日、アルケスで蜂起すると檄文が回ったからだ」
髭もじゃが答えた。
「なるほど、それでか」
騎士が得心いった顔でつぶやく。
「にゃ?」
「反乱の前夜のことだ、フェルティリータ連合から十二騎の戦闘ゴーレムを連れた魔導師たちが境界門を通ったそうだ、行き先はアルケスだったらしい」
「にゃあ、檄文の情報が漏れてたにゃんね」
「派手に撒いてたからな、それは否定できねえ」
「戦闘ゴーレムがいたら、領民の武装蜂起なんてそれこそ一瞬で終わりにゃん」
「ああ、アレは本物の化物だ」
騎士は深くうなずいた。
「にゃあ、檄文を撒いたのは誰かわかるにゃん?」
「アルケスのエドガー・クルシュマンって男だ、ヤツの檄文にしびれて俺も蜂起した、この冬は餓死者が確実視されていたからな」
「するとアルケスで本当に反乱が有ったかも怪しくなって来たにゃん」
「おい、それはどういうことだ!?」
「ウチの予測では、アルケスの街は魔獣を呼び込む為の生贄にされたにゃん」
「なんだって!?」
「何故そうだと言えるんだ!?」
髭もじゃと騎士が猫耳に詰め寄る。
「エドガー・クルシュマンは王宮の主席魔導師だった人の名前にゃん、既に殺されてるにゃん、檄文にこの人の騙る辺りいやらしい悪意を感じるにゃん」
「おい、するとまだ起こってもいない反乱を戦闘ゴーレムで鎮圧して、魔獣をアルケスの街に呼び込んだっていうのか!?」
髭もじゃが声を上げた。
「たぶん戦ってはいないにゃん、一方的な虐殺にゃん」
「それが魔獣を呼び込むための生贄か」
「すると俺たちは、州都まで魔獣を案内したわけか?」
髭もじゃは表情を厳しくした。
「案内しなくても鉄球を使えば同じことにゃん」
「あの鉄球はいったい何だったんだ?」
隊長も鉄球の正体を知らなかった。
「鉄球はフェルティリータ連合の秘密兵器にゃん、開戦と同時にお館様のところにも飛んで来たにゃん」
「フェルティリータ連合か!」
「ヤツらが魔獣を呼び寄せたのか!?」」
髭もじゃと隊長が怒りをあらわにする。
「正確には、一連の事件を裏で操ってる黒幕にゃんね、これでヤツの目的がはっきりしたにゃん、王国の破壊にゃん」
○リーリウム州 廃道
アブシント州に派遣した猫耳から第二の街アルケスで魔獣を呼び込む儀式が行われたらしいという情報がすぐにオレにも伝えられた。
「黒幕は健在にゃんね」
オレはトラックの真ん中の席で猫耳に抱っこされたまま誰にいうでも無く呟いた。黒幕がこの国に仕掛けたのは、封印図書館の第二階層の国を滅ぼす禁呪か、第三階層の魔女の首が語る人の世を滅ぼす禁呪のいずれかだ。
ただ魔獣を呼び込むだけの魔法なら、いまのオレたちでも対処が可能だが、それ以上となるとどうなるかわからない。
逃げるにしても何処まで逃げればいいのやら。人の世を滅ぼす魔法からは逃げられる気がしないにゃん。
いずれにしろ、封印図書館をロストしたのは大きい。黒幕をボコる機会があったら絶対に回収しておきたい。
『お館様、犯罪奴隷相当のチンピラを大量に捕まえたにゃん』
王都拠点の猫耳から念話が入った。
『にゃあ、大量ってどのぐらいにゃん?』
『全部で八五六〇人にゃん』
『にゃー、随分いたにゃんね、いったい何処にそんなに隠れていたにゃん?』
『王都の城壁内にゃん、あちこちの抜け道からコソコソ出て来たのを一網打尽にしたにゃん』
『全員が犯罪奴隷相当にゃん?』
『にゃあ、間違いなく弁護の余地のない札付きの悪党ばかりにゃん』
『それはオレたちには好都合にゃんね』
『王都内での警備が厳しくなったので罪状が発覚する前に逃げ出したにゃんね、ちょっと行動が遅かったのでウチらに発見されたにゃん』
『そうにゃんね、この時期に城壁の抜け道から逃げ出すなんて、自分から怪しい人間だって言ってるようなものにゃん』
『にゃあ、毎回これぐらい簡単に捕まえられると楽なのになかなか思うようにはならないにゃん』
『八五〇〇人以上の犯罪奴隷相当の悪党に毎回ゾロゾロ出て来られたら王国の将来が心配になるにゃん』
『呪法も魔獣も無くても滅びそうにゃん』
『そうならないことを祈るにゃん、八五六〇人の罪深き魂は何処にいるにゃん』
『王都拠点の地下に分けて大事に保管してあるにゃん』
『にゃあ、いまは猫の手も借りたいところにゃん、片っ端から魂のブートキャンプにゃん』
『了解にゃん! ウチらが責任を持って鍛え上げるにゃん』
『頼んだにゃん』
これで人手不足がいくらか解消されるといいのだが。領地ばかり増えてなかなか追いつかない。
今日も三つ増えたし。
「にゃあ、オレはこの戦争が終わったら手付かずの領地を探検するにゃん、魔獣の森の中を通る太古の道を猫耳ジープでかっ飛ばしたいにゃんね」
フラグみたいなことを言ってると、カズキから念話が入った。




