お馬の稽古にゃん
○州都オパルス クリステル・オパルス・オルホフホテル 頂上
夜もふけて、オレはホテルの天辺に立って神経を研ぎ澄ませる。感覚がホテルの敷地を越え州都の繁華街にまで拡がった。オレたちをおびやかす不審物はひとつもない。路地裏に潜んでいたコソ泥と強盗には電撃を浴びせて素っ裸にして転がした。
今夜はどんな悪さも見逃さないにゃんよ。
姫様を狙う呪いの追撃はなさそうだ。
追撃があれば尻尾を捕まえるチャンスなのだが、今回はハリエットの時のように拙速な攻撃はない。
オレに呪いを返された術者がどうなったかは不明のままだが、姫様の呪いと毒が仕掛けられた時期より後のことなので、多少傾向は違ってるが術者が同一人物だった可能性がある。
だとしたら追撃は無理か。
そうは言っても第三騎士団の馬車と魔法馬、それに側仕えのイライザに仕掛けられた爆散の魔法はごく最近のものだし、姫様を死地に送り出す準備もハリエットの帰還後に組織だって行われている。
到底、安心できない状況だが、オレがいる前でちょっかいを出してくれれば反撃の糸口が掴めるのだが、だからといって姫様やオレの仲間を危険に晒すわけにはいかない。
「問題なしにゃんね」
再度、入念に確認したが脅威は発見されなかった。
何か有ればリーリが警告してくれるだろうし。いまのリーリはビュッフェめぐりを終えて、オレのおなかに張り付いて夢の中に旅立っている。
脅威はないが別のモノが近くいた。
オレはそれに声を掛ける。
「それで、領主様はこんなところに何の用にゃん?」
オレの直ぐ側にカズキが姿を現す。空中に立ってる辺り並の魔法使いじゃないことがわかる。
「やっぱり見付かっちゃったか」
愉快そうな笑みを浮かべた。どこからどう見ても十五歳ぐらいの少年だ。こちらの公式な年齢でも五〇を越えてるはずだが。
「にゃあ、姫様の寝姿でも覗きに来たにゃん?」
「違うよ、ボクは巨乳派だから幼児には興味はないよ、それに王室に喧嘩を売るつもりもないし」
「にゃあ、だったら行動は慎重に頼むにゃん」
「わかってるって、ボクがここに来たのは、マコトにお願いがあったからなんだ」
「にゃ?」
オルビスの光を浴び空中に立つ美少年は絵になるにゃんね。
「毛虫の毛皮を三枚ほど恵んでくれないか?」
微笑んで片手を差し出す。
「カッコよくモノをねだるにゃんね」
神々しい姿だが内容は格好悪い。
「まさかクリステルたちに全部むしり取られると思って無かったから、ほら、付き合ってる彼女たちにあげるって約束しちゃってたし」
「この非常時にその余裕、オレの尊敬する領主様は一味違うにゃん」
「我が妻と娘ながら血も涙もないよ、マコトも覚えておくといい、女はね妻になると途端に厳しくなるから」
「にゃあ、オレは将来的にも嫁ぐ予定も娶る予定もないにゃん」
「うん、それがいい、世界に強い影響力を持つマコトを振り回す女性が現れたら大変だ。場合によっては男もあるかな?」
「どっちもないにゃん」
「そう願うよ」
「それで毛皮は三枚でいいにゃん?」
「そう、ひとり一枚ずつだから」
三人の彼女がいるらしい。愛人と言わないところをみると囲ってるわけではないみたいだ。貴族のお嬢さんにでも手を出してるのだろうか?
毛皮はカズキの格納空間に直接放り込んでやった。
「ありがとうマコト、助かるよ」
「火遊びは、ほどほどにするにゃん」
「わかってる、本気になったらクリステルが怖いからね」
最強の転生者も奥さんには頭が上がらない。そのぐらいが平和でいいか。
「お代はいくらぐらい?」
「そうにゃんね、代わりに情報が欲しいにゃん」
「情報かい?」
カズキと三〇年前の人間の特異種を戯れのように生み出した魔法使いについて話した。
「人為的に人間の負の感情を喰らう特異種を造り出したわけか、にわかには信じがたいのが正直なところだけど」
「残念ながら真実にゃん」
「マコトがそういうんだから真実なんだろうね」
カズキは信じないというより認めたくない感じだった。
「三〇年前なら、カズキもこっちの世界にいたはずにゃん、それらしき魔法使いの存在は聞いたことないにゃん?」
「いまから三〇年前か、ボクが冒険者でブイブイいってた頃だね、魔法使い系の噂は当時からよく聞くけど、そこまで独創的なヤツのことは知らないな」
記憶を手繰り寄せるが該当の情報は無かったらしい。
「カズキはその魔法使いをどう思うにゃん?」
「マコトの推測どおり転生者の可能性は否定できないかな、引っ掛かるのはオリエーンス連邦時代の魔法を使ってる点だよね」
「にゃあ、オレたちが授かった精霊情報体とは別口にゃん」
「そのイカれ具合から転生者の他にもうひとつ候補を上げるとすれば、この国の宮廷魔導師だね」
「にゃ、宮廷魔導師にゃん?」
「宮廷魔導師の中には魔法の研究に没頭するあまり倫理観を置き去りにする人間がそう珍しくないんだよね、目に余るヤツは密かに処分されるそうだから表沙汰にはならないらしいけど」
「宮廷魔導師の中にはやりかねないヤツがいるにゃんね」
「絶対にいるとまでは断言できないけど、王宮には封印図書館があるからね、いちばん怪しいよね」
宮廷魔導師すら入館が許されない禁忌の魔導書を封印するための図書館だ。
「封印図書館には、オリエーンス連邦時代の魔法が収められてるにゃん?」
「たぶんね、ボクの知る限り魔法式の貧弱な現代魔法に強力な呪法はないからね、隔離が必要な禁呪ならオリエーンス連邦時代の魔法で間違いないんじゃないかな?」
「転生者もしくは宮廷魔導師、またはその両方の属性を持つ人間が怪しいにゃんね、カズキは心当たりはないにゃん?」
「さすがに三〇年前の宮廷魔導師になるとボクも良くわからないな」
「宮廷魔導師の中に転生者がひとりいたはずにゃん、在籍した時代も合うにゃん」
「ケイジ・カーターかい?」
「にゃあ」
宮廷魔導師でケイジ・カーターの弟子だったカトリーヌの記憶とも一致している。
「確かに時代は合うけど彼がおかしくなったのはその五年後、妻と死別してからだよ、それまでは善良な人だった」
「にゃあ、そうにゃん?」
「奥さんと死別してから後の五年間が酷かったからね、実際に彼と会ったことのある人間じゃないとまず信じないと思うよ」
それもまたカトリーヌの記憶と一致する。おかしくなる前の彼は常識的で優しい人間だった。
「ケイジ・カーターの豹変ぶりはまるで特異種に操られてるみたいにゃん」
「もしくは彼自身が特異種になったか?」
カズキがユウカともに倒したケイジ・カーターの姿を思い出したのだろう。
「元宮廷魔導師の特異種はヤバいにゃんね」
「特異種か、なるほどね、あるかもしれない」
カズキは何か納得したような顔をした。
「別口のイカレた魔導師がいた可能性があるにゃん」
「いまも王宮を根城にして危ない研究をしてたりして」
魔力の強い人間は老化が遅く長寿だ。人間を特異種に変える魔法を難なく使いこなす魔法使いなら三〇年程度ならほとんど同じ姿を保っていてもおかしくはない。
「三〇年前に人間の特異種を造り出した魔法の元ネタが、封印図書館ならまだいいんだけど」
「そうにゃん?」
「さっきは宮廷魔導師かもっていったけど、ケイジ・カーターが転生者を見落とすわけがないんだよね、ボクに接触して来たのは彼の方からだったし」
「にゃ?」
「ボクが会った頃の彼は転生者を探してはこちらに順応できるように生活のサポートをしていたんだよ」
「本当に良い人だったにゃんね」
「ボクやユウカの恩人だよ」
その恩人を手に掛けなくてはならなかった二人の心境を推し量るとオレまで胸が痛くなる。
「つまり転生者なら容易に彼に近付くことが出来たんだよ」
「油断したケイジ・カーターに何かをした可能性があるにゃんね?」
「そう考えれば納得が行くかな」
妻を失い憔悴しきった彼にその転生者は何かをしたのだ。カロロス・ダリを特異種に変えた時のように。
「サイコパスの転生者なんて、お付き合いしたくないね」
「にゃあ、同感にゃん」
「それでも備えた方がいいね、何事にも最悪を想定したほうがいい」
「そうにゃんね」
「ユウカにも転生者に気を付けるように注意を促しておくよ、それと改めてオリエーンス連邦時代の禁呪を探ってみる」
「にゃあ、ツテがあるにゃん?」
「だてに何年もこっちで生活してたわけじゃないからね」
「ヤブヘビはダメにゃんよ」
「わかってる、慎重に事を進めるよ、それに王宮には一度探りを入れないとイケないからね、ついでに探ってみるよ」
「探りを入れるにゃん?」
「今回のフレデリカ第一王女の一件にもボクを巻き込んだんだ、黒幕に挨拶ぐらいはしておきたいよね」
「黒幕が人間の特異種を造り出した魔法使いかもしれないにゃんよ」
「それはどうなんだろう、強力な魔法を使いこなせるのだからチマチマ策を弄する必要もないんじゃないかな」
「にゃあ、そうにゃんね」
「特異種を造り出した異常な魔法使いも三〇年も時を重ねれば、計算高い役人のような仕事するのかもしれないけど」
「好奇心旺盛で緻密な人間が敵なんて嫌すぎにゃん」
「まったくだ」
いまの段階では危険な転生者の存在が想定されるだけだが、カズキの協力も得られたので今後何かしらの情報を得られるかもしれない。
○帝国暦 二七三〇年〇九月十八日
○州都オパルス クリステル・オパルス・オルホフホテル 裏庭
翌日は午前中からアーヴィン様にフレデリカ王女と側仕えのイライザに乗馬のレクチャーをしてもらう。
ホテルの裏庭でアーヴィン様に曳かれた二頭の魔法馬が歩く。第三騎士団の少女騎士と魔法使いはキャサリンとエラの指示で馬場を囲むように配置されてる。騎乗してる馬はごく普通の魔法馬を貸している。
「おうまさんおもしろい!」
姫様は直ぐに順応してご満悦だ。
姫様の馬はハリエットと同じく青く光る聖魔石のモノを用意した。これなら大概の呪い系の呪術を跳ね返せる。
五歳のお姫様をひとりで魔法馬に乗せたら怖いおばさんが飛んで来そうだが、側仕えはイライザただひとりなので問題ない。
「こ、怖いです」
いまは馬の首に抱き着いて涙をポロポロ零してる。
「にゃあ、例え落ちても痛くないから大丈夫にゃん、それ以前に落ちないにゃん」
オレも隣で馬を歩かせながら応援する。
「あぅ、申し訳ございません」
「にゃあ、謝らなくていいにゃんよ、こんなのは慣れの問題にゃん」
「そう、慣れだよl」
リーリが頭の上でドーナツを食べてる。降り注ぐ砂糖にも慣れたにゃん。
「はぅ、頑張りますぅ」
最終的には姫様の護衛もしなきゃならないのが、側仕えのはずだがイライザは見事なまでの運動音痴振りを披露していた。
使えない若手をあてがったにしても極端すぎるのでイライザには悪いと思ったが、念のため記憶の中まで探った。
実は稀代の暗殺者なんてオレ好みの胸アツ中二設定が隠されてるかもしれないと思ったのだが、まったく怪しいところのない本物の運動音痴だった。
ちょっと残念にゃん。
下級の法衣貴族出身者から選ばれた死んでも何の差し障りのない使い捨て要員だけあって、能力もメンタルも中の下辺りなのは仕方ないか。
でも、頑張りやさんだからオレたちでスーパーメイドさんに鍛えてやるにゃん。
姫様のオパルス行き直前に解任された本来の側仕えと近衛の守護騎士は黒幕との繋がりを疑われて現在、王宮で取調中らしい。
逮捕された官吏や女官長たちと違って巻き込まれた被害者だとは思うが疑いが晴れるまで拘束されるみたいだ。
組織的関与が疑われている宮廷魔導師も全力で犯人探しをしているらしいが黒幕は未だに尻尾を掴ませずにいる。
アーヴィン様情報では宮廷魔導師団の綱紀粛正と予算の削減は避けられないだろうとのことで、影響力を削ごうとしていた勢力には絶好の好機だとか。
王宮内の権力闘争なんかオレの知ったことじゃないのでどうでもいいけど。
ハリエットの誘拐に続く姫様の暗殺未遂事件がこの先、王宮に与えたインパクトは小さくないようだが、主に権力闘争のダシになってるだけで根本的な解決には結びつかないようだ。
第一王女とはいえ五歳児をひとり殺しても王宮に影響などないのが本当のところだ。王族の中の権力闘争をあらかじめ防止するためなんてお題目を本気で信じているヤツはいないだろう。
「防御面は問題ないのである、問題は攻撃面であろう」
姫様を見ていたアーヴィン様が指摘する。
「銃でも持たせる?」
リーリがオレの頭をよじ登る。
「にゃあ、五歳の姫様に攻撃まで求めるのは無理にゃんよ、だからってイライザに銃を持たせると不幸なことになりそうにゃん」
「イライザは論外であろうな」
「別の人に交代させたら?」
妖精の言うとおりではある。
「にゃあ、イライザは替えないにゃん」
イライザの姫様に対する忠誠は本物だ。
「前後は馬キックが炸裂するのでクマだろうがトラだろうが普通にイケるにゃん」
「問題はグール級の化け物が出てくる可能性が否めないことである」
アーヴィン様は腕を組んで難しい顔をする。
「にゃあ、魔法馬に奥の手が仕込んで有るから倒すのは無理でも逃げるのは大丈夫だと思うにゃん」
「奥の手とは何であるか?」
「にゃあ、それを言ったら奥の手にならないにゃん」
「それもそうであるな」
アーヴィン様はニヤリとした。
魔法馬の格納空間を利用して猫耳ゴーレムを送れるのだ。
本当のピンチの時だけに使う奥の手だ。
猫耳ゴーレムも魔獣を相手にして頻繁にバージョンアップを繰り返してるから、姫様を守りつつ鎧蛇程度なら撃退可能だ。
そんな事態に陥らないといいのだが、あちらも奥の手である姫様に仕込んだ毒が失敗したとわかった時、敵が次の手を打ってくる可能性は否めない。
「「「ひめさま!」」」
姫様がひとりで馬を走らせられるようになったところでチビたちが練習に混ざる。
「今日は、早く走っちゃだめにゃんよ」
「「「はい!」」」
姫様はチビたちと楽しそうに馬を歩かせる。
側仕えのイライザもひとりで馬を歩かせるのは出来るようになった。後は身体で覚えるしかなさそうだ。
『にゃあ、お館様、オパルスからケラスの州境までの街道の整備が終わったにゃん』
アルボラ側の街道のメンテをしていた猫耳から念話が入った。
『にゃあ、お疲れにゃん』
『休憩所と宿泊所も作ったにゃん』
『にゃあ、一日どれぐらい進めそうにゃん?』
『アルボラ州内は、時速五~六〇キロ辺りが限界にゃん、プリンキピウムの街道よりは交通量があるからスピードは出せないにゃん』
『にゃあ、州境まで意外と人が住んでるにゃんね』
『州境にも強力な獣避けの結界が張って有るからプリンキピウムより獣の出没は少ないみたいにゃん』
『にゃあ、プリンキピウムはたまに洒落にならないのが出るから、そっちに住みたくなる気持ちはわかるにゃん』
続けてケラスで道路工事中の猫耳に念話を送る。
『にゃあ、ケラス領内はどうにゃん?』
『現在、巨大蜘蛛と交戦中にゃん!』
『魔獣にゃん!?』
『青いエーテル機関を持ってるみたいにゃん、にゃあ、スゴい量の糸を吐くにゃん』
『だ、大丈夫にゃん?』
『問題ないにゃん、たぶんこれも元家畜にゃん、いまエーテル機関を修正する魔法を撃ち込んだら急におとなしくなったにゃん』
研究拠点で開発した青色エーテル機関の修正魔法はかなり精度を上げていた。
『にゃあ、青色エーテル機関の修正でおとなしくなるなら、その蜘蛛の糸も使えるにゃんね』
『にゃあ、ひとまず地下牧場に連れ帰るにゃん』
『道路はどうにゃん?』
『近日中にネオケラスまで全面開通にゃん』
『にゃあ、無理は禁物にゃんよ』
『全員、お館様譲りで逃げ足は早いから大丈夫にゃん、それと重機型の魔法車は面白いにゃん』
ユンボのアームを振り回して獣と戦っていた。
『それはちょっと羨ましいにゃん』
当初の予定では、オレも大木の伐採をしたり重機を乗り回したりしていた頃合いだ。
道路の整備は主に魔法だが。
そしてホテルの地下から念話が入った。
『お館様、明日使うトラックはこんな感じでいいにゃん?』
そこで明日からの移動に使うボンネットタイプの六輪トラックの製造が行われている。
『にゃあ、いい感じにゃん』
軍用の流れを汲むデザインなので無骨だが、そこがカッコいい。中身は本物とは似ても似つかぬシロモノだけどな。




