Ex 02. お父さまは心配症
夕刻。
教会の庭の手入れをしていると、見覚えのある豪奢な馬車が走ってくるのが見えた。
教会の前で停止する。
とても見覚えのある、壮年の男性が、どことなく挙動不審な様子で馬車を降りてきた。
こそこそと教会の前をうろついている。
私は一瞬、呆れて放っておこうかと思ったが、結局のところは見ていられずにその男性に声を掛けた。
「お父さま、何をしていらっしゃるんです」
「おおっ? ローズ、奇遇だなあ。なに、偶然通りかかってな。元気にしていたかね」
何が偶然通りかかったなのか。
王都からここまでは、どんなに馬車を飛ばしても五時間はかかるというのに。
「その、貴族の下履きと平民の上着に、道化師の帽子を被ったような珍妙な服装、まさか変装ですの?」
「私の変装を見破るとは、流石は我が娘だ。いや、それとも家族愛の賜物かな」
変装する前に、王家御用達の馬車をなんとかしろ。
そう言いたい目で、馬車の御者を見ると、思い切り目を逸らされた。
彼らも仕事とはいえ大変である。同情を禁じかねない。
我が父ながら、国政に関しては有能と思うのだが、こういうところは隙しかない。
「で、何をしに来ましたの」
早く帰れ、と言いたかったわけではないが、多少言葉にトゲがこもったかもしれない。
お父さまは泣き出しそうな顔をしていた。
私が悪いのだろうか……。
自分の娘だからと言って、元囚人と接触するのは危なっかしい行為でもある。
それでもどうしても来るというのなら、こんな風にコソコソとせずに、何かしらの理由を取り付けて、堂々と来てほしいものなのだが。
「……娘が心配で、つい」
情けない声で呟くお父さまを見て、私は深い溜め息をついた。
「仕方ありませんわね。お茶くらいはお出ししますわ。大したもてなしはできませんけれど、よろしくて?」
その一言だけで、お父さまの表情が目に見えて明るくなる。
この人には、色々と腹の立つ思いもあったのだけれど、どうも憎めないのはこういうところなのだろう。
まさか、ヴィヴィの新婚家庭にはお邪魔してないだろうか。
そこがなにより心配だった。
◇
教会は礼拝堂と居住区が分かれている。
お父さまを居住区のほうの、小さな居間へと案内すると、ノワールがそこで聖書を開いて勉強をしていた。
集中しているのか、こちらを振り向きもしない。
「ごめんなさいね、ノワール。お父さまが急に訪問されましたの。ここに通していいかしら」
「えっ。あれっ、こんばんわ。すみませんこんな……お邪魔ですよね。今片付けますね」
「いや、いいのだ。そこに居てくれたまえ。私こそ邪魔をして申し訳ない」
縮こまるノワールと、鷹揚なお父さま。
どちらが客人かわかったものではない。
国を治める立場の貫禄といえば聞こえはいいが、人に家に急に上がり込んでいるのだから、もう少しは申し訳無さそうな顔をしてほしいものである。
居てくれ、と言われてしまったノワールは、「ええ……めんどくさい……自室に引っ込みたいなあ」と言いたげな目で私を見ている。
私が無言で首を振ると、諦めたように閉じかけた聖書を開いた。非常にやりづらそうである。
わざわざ残れというからには、ノワールから私の話をリサーチでもしたいのだろう。
なんとなく、お父さまの目論見を察した私は、気を利かせるようにしてお茶を淹れに台所へ向かった。
お湯を沸かすふりをして、こっそりと居間へ戻り、聞き耳を立てる。
そこでは案の定、お父さまがおもむろに、ノワールに話しかけていた。
「君、ノワールと言ったね」
「あ、はい。覚えていただき恐縮です」
「ああ。もとより覚えのある名前でな」
そういえば、家で飼っていた猫と同じ名前の少年がいるとなれば、不思議な偶然として記憶に残るものかもしれない。
まさか、その猫と同一人物とは思うまいが。
「娘とは随分と、仲がいいようだが?」
お父さまが、幾分、緊張感のある声音に変わる。
「はい。付き合い長いですから」
ぼんやりと躱すノワール。
そう言えばそのあたりの設定、どうするつもりなのだろう。
柄にもなくハラハラしてしまうが、私がいま出ていくよりも、このまま影から観察していたほうが間違いなく面白そうである。
ここは腹を決めて、ノワールに任せてみよう。
「ほう……私が知る限り、娘の交友範囲に男性の友人はいなかったように思うが……」
「あ、そうなんですか? でも結構、古くからの友人ですよ。確かボクが一才か二才のころだったような」
よく考えれば、ノワールの正確な年齢は私も知らないのだった。
人間として転生した時に、年齢はそのまま引き継いだのだろうか。
お父さまは、一瞬目を見開いたが、気を取り直したように話を続ける。
「ず、随分と古いな……一五年くらい前の話かね?」
「そうですね。確か、ローズ様のお母さまの亡くなった日だったような」
人間の一才か二才の記憶にしては随分と鮮明な気がするが、人づてに聞いたということもありうる。
ノワールがどこまで考えて喋っているのかは怪しいが、私は心のなかで言い訳の準備をしていた。
お父さまは、深くは聞かなかった。
お母さまの命日だったということで、思うところもあったのかもしれない。
「そうか……そうだったな。思い出したぞ。あの子が猫を拾ってきたのも、そんな時分だった。ひょっとすると君から名前をもらったのかもしれんな」
「それは……光栄です」
ノワールは明らかに、「しまった」という顔をしていた。
全然考えてなかったようだ。こわい。
もはや出歯亀というよりは、スリルを味わう感覚である。
「そんな小さな頃から君と出会っていたのならば、弟のような感覚なのだろうか……。出会い頭に君にハグをするなどと、君にはとても気を許しているように見えたものでな。その、どういった関係なのか、気になってな」
どことなく、言い方にトゲがある。
ノワールは気付いているのかいないのか、相変わらずぼんやりした顔をしている。
「関係、ですか。お互い親しい友人のように思っていると思いますが」
「親しい友人ねえ……」
疑わしそうな目である。
ノワールは純粋に答えているというのに、お父さまは何が不満だというのか。
というか、何が言いたいのだろうか。
「私としても、この教会の常駐の神父が、娘とそう代わりのない年頃の男子だとは思っていなくてね。その、年頃の娘を持つ父親として……わかるだろう」
「はあ。心配なんでしょうか。ここにはローズ様とそう歳の変わらない女性も二人ばかりいますから、安心だと思いますよ」
なんとも気の抜けた返事である。
お父さまの眉間の皺が深くなる。
「そうではなくてね。単刀直入に言えば、君は、ローズのことを魅力的に感じたりはしないのかね」
「そりゃあ、ローズ様は魅力的だと思いますよ」
おっといけない。口元がニヤける。
なんだろう、嬉しいような、急に恥ずかしくなってきた。
私の気持ちをよそに、お父さまは鬼の首を取ったような顔で、勝ち誇っていた。
「そうだろう、そうだろう! やはりな! やはり、こんな若い男のいる場所に娘を置いておくわけにはいかん! どうせローズの着替えを覗いたり、間違えて風呂で裸で遭遇したり、そういうハプニングがあるんだろう!」
「いや、そんなことはないですけど。ていうか、男女の居住区は完全に別れていますので」
「はー? なんで魅力的な女性がすぐそこにいるというのに別々に住んでいるのだ」
これはもしかして、アレだろうか。
お父さまは、私がノワールと男女に関係にあるのかどうか、確かめに来たのだろうか。
あの、ここ、修道院なんですけれど。
たしかに全員なんちゃって聖職者ではあるのだが、頭っからそんな前提でかかってこられるのもいかがなものかと思う。
ノワールも、ようやくお父さまが何を言いたいのか察したようだ。
かったるそうな半眼になった。
「ああー……まあ、その。公爵閣下におかれましては、男女といえば、『そういうもの』なのかもしれませんが。ローズ様とヴィヴィ様の、それぞれのお母さまと同時に関係を持たれていたようですし」
チクリ。
言葉のトゲが刺さるのが見えるようだった。
お父様の動きが止まる。
ギギギ……と、軋んだブリキのように首を動かすと、やっとのように口を開いた。
「ノワールくん、もしかして、ローズからその、ヴィヴィの母親とのことも聞いているのかね?」
「あ、はい。それはもう、よく愚痴っていましたから」
お父さまが冷や汗を全身から流している。
なかなか珍しい光景だった。
「……ちなみに娘は、私について何か言っていたかね」
視線を地面に落とし、処刑を待つ罪人のような沈痛な面持ち。
ノワールは逡巡して、こちらを向いた。
気づいていたか。
頃合いだろうか。そう思い、私は二人の前に出ていくことにした。
「お父さま、随分と盛り上がっていたようですけれど、何の話をしてますの」
私が出ていくと、お父さまはビクッと動揺した。
「なななな、なんでもないぞ、愛しい我が娘よ。ところでお茶はまだかね。ノドが乾いてしまったなあ」
「お父さま」
ピシリ、と言うと、観念したようにうなだれた。
「ノワールは、立派な神父ですのよ。私も、修道女としてきちんと務めを果たすつもりですの」
お父さまは叱られた子供のように縮こまっている。
ノワールは気を利かせてくれたつもりか、今だとばかりに撤退したのか、素知らぬ顔で台所に向かっていった。
「私、お父さまのこと、今はもう怒っていませんわ。私のお母様のこと、そしてヴィヴィのお母様のこと。私なりに消化したつもりです。お父様にはお父様の恋愛があって、お母さまもきっと知っていらした。そういうことでしょう」
「ローズ……」
感極まった様子のお父さまに、私はとびっきりの笑顔で告げた。
「というわけで、私には私の恋愛がありますもの。お父さまはほっといてくださいませね。よろしい?」
◇
「あれ、公爵閣下、もう帰っちゃったの?」
ノワールが、茶器と焼菓子を携えて居間に戻ってきた時には、既にお父さまはすごすごと帰っていったあとだった。
「あら、ごめんなさい、ノワール。私の代わりに用意してくれようとしていたなんて」
「いや、ボクも一息いれたかったし。ローズほど淹れるの上手くないけどね」
椅子に腰掛け、テーブルの上に置かれた紅茶を一口飲む。
ノワールは謙遜したが、きちんと茶葉の香りが引き立っていた。
私が淹れ方を教えたようなものだが、それを忠実に守っているようだ。
「それよりも、公爵閣下のこといいの? ちゃんと話した?」
「言うべきことは言いましたわ」
「本当かなあ」
あちあち、と言いながら、ノワールは必死に紅茶を冷ましていた。
猫舌である。
「ローズは公爵閣下に関してだけは、どうも素直じゃないからなあ」
「むっ」
上手く言い返せない。
確かに、今の処遇に関する感謝の気持ちも、今も昔と変わらずお父さまを愛していることも、結局言い出す機会がないままではあるのだけれど。
「まあ、そのうち、そういう機会もありますでしょ。どうせまたお忍びでいらっしゃるでしょうし」
「どこが忍んでるんだって感じの格好だったけどね」
全くだ。
次に来るときには、もう少し庶民的な服装についても学んで来てもらいたい。
「それにしても、ちょっと意外でしたわ。ノワールがお父さまにあんなイヤミっぽいことを言うなんて」
「イヤミ……っぽくなっちゃったかなあ。でもローズが嫌な思いしたのって、だいたいアノヒトのせいでしょ。悪気はなかったにしてもさ」
「あら、私のために怒ってくれましたの?」
「それはそーだよ」
少し茶化したつもりだったのに、ノワールは当然のようにそう言ってくれた。
むず痒い気持ちになる。
以前のように、抱き上げて撫で回したい衝動に駆られるが、今となってはそれはもう叶わない。
流石に、今のノワールにそうするだけの度胸は私にはなかった。
なんだか気持ちを持て余してしまう。
私は、焼き菓子をもそもそと口にした。甘い。
ノワールは、ようやく彼にとっての適温になった紅茶を一口飲んで、幸せそうに息を吐いた。
そして、猫のように一伸びして、おもむろに質問した。
「ところで結局、公爵閣下ってなんの用があってここに来たの?」
――詰まるところ、全然分かっていなかったのだった。




