Ex 01. たのしい新生活
修道女の朝は早い。
私は元々早起きが苦ではないので、日の出と共に起きるような生活も苦ではないのだが、この修道院にはそうでない人も当然いる。
私はいつも通りに、彼女の部屋をノックする。
返事はない。中からは、安らかなイビキが聞こえるのみだ。
無言でドアを開ける。
ベットの脇には、いくつもの空の酒瓶と、散らばった軍略遊戯の駒。
思わず、ピクリと眉根をあげる。
いつものことだが、この部屋に来るとここが修道院だということを忘れそうになる。
窓のカーテンをジャッ! と思い切りよく開けると、朝日が部屋に差し込んだ。
「うーん……」
眩しそうに身動ぎする彼女から、掛け布団をべりっとひっぺがす。
「ううーっ! さみぃ……」
温もりをかき集めるように、ベッドの上で芋虫のようにうごめく。
露わになったのは、下着姿よりもよほど目に毒なモヒカン頭。
女性としてはかなり筋肉質な体躯には、無数の傷跡。
戦士の如き鋭い目つきは、いまはすっかり寝ぼけ眼である
「今日も、おはようございます。セロン。朝食は食べませんの?」
「食う」
むくり、と起き上がる。
そして、足元に転がっていた布団の塊に、軽い蹴りを入れた。
布団の塊からは、一人の少女が転び出た。
「シズク、いつまで寝てんだ。メシだぞメシ」
「……うう、あたまいたい」
おそらくは二日酔いだろう。美しい顔立ちを情けなく歪めて、頭を抑えてフラフラと立ち上がる。
艶やかなはずの淡い水色の髪の毛はボサボサである。
私はため息を付いた。
頭が痛いのはこちらのほうだ。
これが、私を含めて、この教会に務める三人の修道女の、いつも通りの朝だった。
◇
流石に説明が必要だろうから、ストーリーを少しばかり巻き戻そう。
異世界のデスゲームで見事勝利を果たし、元の世界へと戻った私は、過去に起こした犯罪行為を帳消しにする代わりに国内の教会の再建を任命された。
期限は特に設けられていないので、事実上は恩赦のようなものだ。
そして、教会の本山に管理者として派遣された私が出会ったのは、死んだはずのノワールが、この教会の神父をしている姿だった。
黒猫だったはずの彼は、私よりも少しばかり年若い少年として蘇ったのだ。
「ただいま、ローズ」
私は、堪らず彼に抱きついた。
「ノワール! ノワール……!」
こんな奇跡が起こるなんて、誰が想像できただろう。
ずっと我慢していた涙が、とめどなく流れる。
ノワールの手は優しく、私の背中をぽんぽんと抑えてくれた。
どのくらいそうして、彼の胸で泣いただろうか。
「ノワール、私、今まで生きていて、こんなに嬉しかったことはありませんわ。でも、一体どうして」
「ローズ、実はね」
ノワールが話そうとしたその時。
「あっれ、ローズじゃねーか! マジで!」
粗野なハスキーボイスが教会に響いた。
私は、耳を、そして目を疑った。
礼拝堂に現れたのは、見覚えのある筋肉質なモヒカン女。
そして、陰気な雰囲気の、ボーイッシュな少女。
ものすごく見覚えがある。
内心のイヤな予感を裏付けるかのように、ノワールが説明してくれた。
「あのね、ローズ。なんか、神様がすっごい雑な仕事をしたみたいでね。ボクだけじゃなくて、彼女たちもこの世界に転生してきちゃったみたいなんだよね」
「ウッソでしょう」
呆然と呟いても、現実は変わらなかった。
◇
「多分なんだけど、神様は別に、ボクのために特別、ここに転生させてくれたわけじゃないんだと思うんだよね」
ノワールは難しい顔をして、そうボヤいた。
彼らは、ここに転生させられる直前、神様の声を聞いたという。
――『あれ、なんか上手くいってないな。仕方ない、エーテル素体を与えてあげよう。場所はあの子のそばでいいか。ああ、好きな姿をとるがいい。第二の生を楽しんでおいで』
不安に思う間もなく、気づけばこの教会に務める聖職者として務める人間として存在していたという。
推論としては、こうである。
あのデスゲームは、本来は生者の魂によって勝者を決めるものだったが、術者の解釈違いによって死者の魂までも集められていた。
術式が正常な状態へと戻されたことによって、生者の魂は自動で元の世界に戻された。
しかし、死者の魂はあの世へ返すことができなかった。
神がデスゲームの空間を消滅される際に、死者の魂が残っていることに気づき、処理に困った。
ノワールが私の飼い猫だったことから、取り敢えず私の世界に転送し、肉体としてエーテル素体を与えた。
そして他二名……セロンとシズクについても、面倒だったので同様に私の世界に送った。
「ものすごい雑な仕事ですわね」
私は呆れるしかなかった。
はるか昔に、「デスゲームがもう開催しないようにしろ」という勝者の願いを雑に叶えた結果、今回は他人の手によって開催されたという経緯もある。
あの神様らしいと、頷ける所業ではあった。
彼らはこの世界に送られた時点で、因果律が逆転したのか、『この世界に産まれた経緯』が与えられていた。
記録上は、この教会に引き取られた孤児として、幼い頃からずっとこの教会に務めていた。……ということになっている。
彼らには一様に、ぼんやりとこの世界で過ごした知識が与えられているが、基本的には『生前』の記憶のほうが強く自分の過去として認識されているようだ。
「おかわり!」
セロンから勢いよく差し出された空の食器を、チョップで叩き落とす。
「それにしたって、よくもまあ、このアマゾネスを修道女なんかにしたものですわね……ここまで不似合いな職業もないと思いますけれど。修道女ってどういう職業なのか分かってますの?」
セロンの居た世界は、聞いた限りでは、倫理も節制もないような、血と暴虐の世界である。
彼女に問いただしてしても、意味は無いと思っているが。
「ノワールからなんとなく聞いたぜ。要は神様に仕えるんだろ。それだったらオレ、前の世界でもそうだったし」
「はあ?」
思わず、頭っから疑うような顔をしてしまった。
失礼だったかと思い直すが、セロンに気分を害した様子はなかった。
「いやいや、マジだって。オレのオヤジは神様として君臨してたし。オレはその娘として、一番偉い神の従者として仕えてたよ」
「あ、あー……もういいですの。だいたいわかりましたわ」
おおかた、野蛮な戦闘民族を統率するための方便として神を騙ったのだろう。
その感覚で修道女をやられても非常に困ってしまうのだが。
まあ、この教会にはそもそもマトモな聖職者など一人も居ないので、彼女を咎めるものは誰も居なかった。
「それを言うなら、僕のほうが修道女にされているのがおかしいんですけど……」
おずおずと、シズクが抗議の声をあげた。
「シズクは呪術がメインの魔導士だったんでしたわね。呪術と教会の取り合わせは、確かにミスマッチかもしれませんわね」
「いや、それもあるんですけど、そうじゃなくて」
シズクが、すうっと息を吸い込む。
「僕、男なんですけど」
ぴたっ。
一瞬、全員の動きが止まる。
「いや、そんなわけないでしょ。ボク騙されないからね」
「オメーでもそういう冗談言うんだな。ちょっとびっくりしちまったぜ」
「ちょっと。失礼ですわよ。シズクがそう認識しているのでしたら、私たちもきちんとその認識に合わせるべきでしょう」
性認識の問題はデリケートですものね。
シズクは諦めたようにため息をつく。
「もういいです……」
幸薄そうな表情。紛れもなく、この中の誰よりも、修道服が似合っていた。
◇
「案外、板についていますのね」
礼拝堂での朝のミサが終わり、ノワールに話しかけると、彼は照れくさそうに笑った。
「ボクは一応、ずっとここで務めてたことになってるからね。」
「なかなか、いい話しぶりでしたわよ。聞きにくる人が少ないのが、残念ですわ」
教会らしく定期的にミサなども行っているものの、参拝者はほとんど居ない。
誰も来ないのでミサをせずに終わることもザラにあるくらいだ。
それは、この教会に限った話ではない。国内全体で、教会は下火の文化となってしまった。
「今までと同じように続けているだけなら、滅びゆく文化なのでしょうね。それでも別にかまわない気もするのですけれど」
しかし、仮にも私がここに管理者として派遣されたのは、有り体に言えば全国教会を『稼げる施設』へと転化するためだ。
教会で稼ぐのが目的などというと敬虔なる神の僕は怒りそうだが、国の慈善事業と割り切るには、費用が掛かりすぎる。
むしろ、国営施設にしてしまったことが、こうも教会の権威が落ちた一番の原因なのかもしれないが。
とにかく、今の教会には、存在価値が薄い。
まずはそこからなんとかしなければ。
「神父はいいと思うのですわよね。若くてカッコイイ神父がいるなら、それだけで目の保養に来る参拝者がいるはず」
「えへへ」
おかしなタイミングで嬉しそうに笑うノワール。
褒めようと思って言ったわけではなかったのだが、照れられるとこちらが恥ずかしくなる。
私はごまかすように話題を変えた。
「もう少し、実用的な価値をつけるべきなのでしょうね。観光化できそうなところはそちらへ舵を切って、できなさそうなところは保育事業に手を伸ばすとか。ここも昔は孤児院だった……ということになっているのでしょう?」
「そうだけど。でも、実際にそういう事実があったわけじゃなくて、後付で『そういうことがあった』ってなってるだけだよ。ボクらの昔からの知り合いみたいな人もご近所さんにはいるけど、たぶん洗脳みたいなものなんだろうね」
「経験はないも同然、ということですわね。まあでも、周囲にその認識があるなら、人を集めること自体は可能かしら」
立て替え費用まで稼ぐには足りないが、上手く動かせば維持費くらいは賄えるかもしれない。
頭の中で計算していると、ノワールがこちらをじっと眺めていることに気付いた。
「どうかしましたの」
「いや、なんていうか。いつものローズだなあって思って。懐かしいというか」
昔とは、何もかも違う。
私はお嬢様ではなく修道女で、ノワールは猫ではなく少年だ。
オマケに同僚は女戦士と魔導士である。
「私はまだ、全然この状況に馴染んだとは思っていないのですけれど。ノワールの今の姿にだって慣れていないつもりですわよ」
「まあ、そうかもしれないけど。どんな状況でも、なんとかしようと頑張るのがローズだなあって」
それは、お母さまが亡くなった時も、王子との婚約が決まった時も、ヴィヴィが現れた時も、あのデスゲームの時ですらも。
そうだったのかもしれなかった。
ノワールに嬉しそうな顔をされると、どんな褒め言葉よりも自分が認められたような気持ちになる。
「ボクは、この世界に戻ってこられてよかった。今度こそ、ずっとそばにいるから」
黒猫を抱きしめるように、ノワールの頭を胸に抱え込む。
ノワールは一瞬慌てたように手を宙に舞わせたが、しばらくすると諦めたように私の背中を優しくたたいた。
「ローズ、念のため言っておくけどね。ボクはもう猫じゃないんだからね」
不服そうな声で唸るが、無視を決め込む。
そんな文句を言うのなら、殺し文句はいうべきではない。
ノワールの猫っ毛をもてあそぶ。
「ずっとそばにいるなんて言っておいて、また私より先に死んだら承知しませんわよ」
「ボクが何のために人間の身体を貰ったと思ってるの。それとも、不死の王にでもなるべきだった?」
私は、これ以上はないほどに、愉快な気分だった。




