Turn 16. 勝者の報酬
どれくらい、目を瞑っていただろうか。
気付くと、白い部屋には何もなかった。
私が床一面に出した金貨も。
光を放っていたバラも。
部屋の中央にあった魔法陣も。
部屋にはただ、私と、ノワールと。
そして、『もう一人』がそこに変わっていた。
中性的な、中庸的な、曖昧な顔立ち。
顔を見ているのに、その顔を上手く認識できない。
「やあ、こんにちは。私は、君たちが『神』と呼ぶものだよ」
うっすらと微笑みを浮かべながら、男とも女ともつかない声で、『彼』はそう言った。
普通であれば世迷い言と鼻で笑いたくなるところだと思うのだが、私は不思議と、その言葉をすんなりと受け入れていた。
「随分と懐かしい術式を起動させたものだね。三百年……いや、もっとか。かつて私は、一人の少女の恋愛に肩入れした。彼女を物語のヒロインとして、今思えば随分と都合のよい人生を送らせたものだ。その人生の影に、『悪役令嬢』として処理された、もう一人の少女がいることを、私は分かっていなかった。だから、彼女を次のヒロインとしようと思った」
シズクの言っていた、神の恩恵というやつだろうか。
具体的に、それを得た場合にどうなるのか、あまり想像がついていなかったが。
「とはいえ、彼女のような存在は世界にたくさんいた。私は彼女たちのうちの一人を選べなかった。だから、よりその思いの強いものを選ぼうと、この術式を用意した」
つまり、異母妹にも神の恩恵とやらがついていた、ということなのだろうか。
そう考えてしまうと、不愉快な気分になるので、私は一旦思考を切った。
「そういう経緯で作成したものの、一回きり使って、もう起動することはなかった。これも、もう少し慎重に考えれば分かることだったと思うんだけど。そもそも、殺し合いで勝ち残るような女の子の恋愛に肩入れするのもどうかと思うしね」
「……それは、もっと早く気付くべきでしたわね」
話のとおりであれば、決め方が雑すぎる。
『彼』は愉しそうな声音で、私に問うた。
「それで君は、今の話を聞いた上で、なにか私に頼みたいことはあるかな」
「そうですわね、いくつか、あるといえばありますけれど」
相手は神様である。頼んだら、なんでも聞いてくれるのかもしれない。
しかし、思いつく限りでは、一番の望みは決まっていた。
「この術式が、二度と起動されないようにすることは可能ですの?」
リリィにまた同じことを繰り返されては困る。
……万一、同じような呼びかけがあれば、今度は間違いなく無視するだろうが。
「なるほど。可能だよ」
『彼』はあっさりと頷くと、しばらく考えるような素振りで間をおいた。
「これでオーケー。世界から、この術式の存在は抹消したよ。私としても、事実上は捨てたつもりだったが、『存在する証拠』を消滅させなかったのは雑な仕事だったな。まさか起動できる人間が現れるとは思っていなかったんだけど」
今の数秒で、本当にそんなことをしたというのか。
しかし、『存在がなくなった証拠』を求めたところで、私にそれを認識するすべはないだろう。
不完全な起動だったとはいえ、この術式を起動したリリィが天才であることは確かなのかもしれない。
癪ではあるが。
「あとは、なにかあるかな。君が希望するのなら、元々の勝利報酬として、君に神の恩恵を与えるのだけれど」
「それは要りませんわ」
考える前に、即答していた。
仮に、異母妹に神の恩恵があったのだとして、私が今度はそれを享受するとなれば、私はかつての自分に降り掛かった理不尽を思わずにいられない。
それはきっと、私の思う幸せではない。
『彼』は愉快そうに笑っていた。
「だよね。実はね、初めて起動したときの悪役令嬢も、同じように答えたよ」
「そうですの」
それはどこか、心の晴れるような事実だった。
「折角なら、私と同じようにこのデスゲーム自体を二度と開催しないように頼んでくれればよかったですわね」
「ははは。実は彼女がそう望んだから、私は二度と開催しなかったのだけどね」
自称神様は、悪びれもせずに笑っていた。
ノワールが半眼で『彼』を睨んでいる。
「なんか不安になってきた。誰かがまた穴を突いてそのうち開催されそう」
「……まあ、その不安はないでもないですけれど、今はこれ以上の妙案も思いつきませんわね。私が巻き込まれなければどうでもいいですわ」
「大丈夫、大丈夫。今度はきちんと処理したから」
まるで反省する様子のない、軽いノリである。
たぶんこの神様は、何者かが何らかの手段で術式を起動しても、一切反省しないのだろうな……。
「まあ、ここに喚ばれたこと自体を、迷惑だったとは余り思っていませんのよね。ノワールとまた会えただけで、ここに来た価値は十分にありましたわ」
「ローズ……」
私をここに喚んでしまったことを、ノワールは後悔していたという。
その後悔は無用のものだ。
「あとは元の世界へ帰してもらえさえすれば、それで満足ですの。ここへ来た理由は、既になくなったようなものですわ」
「ああ、それなら問題ない。扉を開いておこう。君以外のご令嬢たちはもう帰っていったから、君も好きなタイミングでここから立ち去るといい。君がいなくなったら、この空間も消し去るとしよう」
神様が言うやいなや、正面に光る扉が現れた。
あの扉をくぐれば、それで全て終わりか。
終わるとなると寂しいような、早く元の世界に戻りたいような、複雑な気持ちだった。
私がなんとなしにノワールを見ると、ノワールもまた私を見ていた。
これで本当にお別れかと思うと、却って言葉が出てこなかった。
ノワールもまた、言葉を探しているように、尻尾を揺らめかせていた。
「ローズ、あのね」
先に口を切ったのは、ノワールだった。
「ありがとうね」
照れくさそうに、それだけ。
「私こそ、ありがとう」
ここでのことだけじゃない。今までのこと全部。
一番に伝えたかった言葉だった。
ノワールを抱き上げる。
この毛並みを撫でるのもこれが最後かと思うと、どうしようもない寂しさがこみ上げてくる。
でも、今こうしてノワールを撫でられること自体が、あり得ない特別な報酬なのだ。
「そういえば」
扉へと向かう私に、神様は思い出したように呼びかけた。
思わず振り向く。
「君をヒロインにするなら、こういうデスゲームを人生の舞台にするのも面白そうだな」
いたずらっぽく笑う『彼』に、私はできるだけ丁寧に返答した。
「それは是非、遠慮願いたいですわね」
ブクマ、評価をいただきありがとうございます!
もうちょっとだけ続きます。




