腐った紳士はどうですか? ―カボチャが来たりて―
閻魔殿、と言えば閻魔の威厳を感じられるが、今はその閻魔もその他の死神の上司達お偉いさんも皆、対面におわす一人の大悪魔のご機嫌取りで忙しく、その風格は感じられない。
『ジョージはさぁ、ほんっと何でも吸収してさぁ、あれは確かに天才だったよ。だってボクを召喚できちゃうくらいだし、そりゃ凄いのは当然だったんだけどぉ、当時っていえば錬金術が超流行ってたじゃん? あんなのジョージにとってはただの科学の実験だったの。人間には小難し~い本もサクサク読み進めて、実際に実験してみて「これは少し違うな」って本の間違いを指摘しちゃたり、あーんもう最高よ! アタシゾクゾクしちゃったもの!』
「な、成る程」
何が成る程なのか。
『それでそんな天才なのに、なーんか天然入ってたりするのよ人の事すぐに信じちゃったりとか。まぁでも他の人間からは疎まれてたんだけどね。ほらあいつって天才だから普通の人間から見れば奇人変人でしょ、それで疎まれていたんだ。でもあいつはそんな周りに全然反応しなくてさ、ただ普通に挨拶して、人が落とした物を拾って差し出してた。石とか投げられてんのにだぞ? だから本当に気付いてないのかと思って言ったら、「知っている」って。あいつは気付いていたのに、自衛もせず排他もせず、ただそのままを受け止めていたんだよ』
「そ、そうか」
相槌がだいぶ適当だが、下手に刺激すると大変なため、妥当と言えるかもしれない。
『うんもう興奮したな、人間の毒に晒されながら濁らないまま、気付いていたのにそのままで在り続ける! その上人を信じるだって? ハハッ! あんな魂はそうそう無いね、素直で聡明で純粋で泰然としている! 何でも分かるクセに雪につまづいて顔面から突っ込んだりするんだ、可愛いだろォ? ――楽しいだろォ? そんな奴を、堕落させて、濁らせて、オレの手の中に誑し込むなんてさァ……』
「た、確かに」
そこは中立の裁判する立場としては同意しちゃまずい気がするが。
しかしぺろりと舌なめずりをした大悪魔がかなりの凶悪顔で、同意以外の道は残されていなかったようだ。
『もちろん堕落させんのも仕事のうちだけどさ。いくら取引だっつってもあんなキレイな魂じゃ、終わった後に手に入れらんないし。ほらオレって悪魔だから、あんまりキレイだと長時間一緒に居るのがキツくなっちまうだろ。まぁ飾っておくだけなら平気かもしれないけど、私はそれだけじゃ嫌だったの、撫で回したいし舐め回したいしお腹の中で飼っておきたかったわけ』
ふいに、大悪魔が涙声になる。
『だから……頑張ったのに……あのコも堕落したと思ったのに……っ』
このまま話させておくとまずいんじゃないか、そんな予感が閻魔や上司達を襲った。
なんとか制止しなければ、と声を出す。出したが。
「お、おいメフィ」
『何でキレイなままだったのよォーーーーッ!!!』
閻魔殿にオカマじみた絶叫が響き渡った。
『何なの!? 酸いも甘いも裏も汚れも知ったくせに、アタシが教え込んだのにっ、うっ、生を終えて契約完了って魂もらおうとしたら、すっごい嫌な感じがしてっそしたらなんか、グスッなんかっジョージの周りにぃっ白くてキラキラした、あの忌々しいクソ天使共がァっいやがってえええ!』
ダンッ、と机を叩きながら話す様は、まるでたちの悪い酔っ払いだ。
先ほどからころころと変わる口調がたちの悪さに拍車をかけている。まぁ、それは彼が元々流動的な性質を持っているからだが。
『あんなに一緒にいたの俺なのにっそれを横からトンビに油揚げだぞ! どこの馬の骨とも知れない天使に!』
セリフが幼馴染か父親かといった内容だ。
「え、じゃあもしかして天使ではなく神とかだったら、彼の魂を……」
うっかり、そううっかり聞いてしまったのは死神部隊長その1のミスに他ならなかった。
大悪魔の睨みが圧力となって襲い掛かる。物理的に。
『私以外の者に渡すわけがなかろう』
ミシリと閻魔殿が音を立てたのは気のせいではなく、柱の一つにヒビが入っていた。いったい補修にいくら掛かるのか。
死神部隊長その2が慌ててフォローする。
「そっそうですよね相手が誰でも嫌ですよね、だっ誰にも渡したくなかったから、彼をゾンビにしたんですよね!? いやあ流石だなぁ、なかなか思いつきませんよ!」
このままでは同僚が布団圧縮袋に入れられた布団状態になってしまう、と急いでゴマを摺る。ゴマ摺りのプロである悪魔にやってもバレバレではあるだろうが、応急措置だ。
フン、と鼻を鳴らして椅子に深く座りなおした彼は、どうやら機嫌を戻したようで。
『魂が堕ちていなかったのは予想外だったけど、そのまま奴らに渡すのも嫌だったからね。なら“死んでない”事にしちゃえば手は出せないだろうって、無理やり肉体に固定したワケ。といってもホントは死んでるからさ、完全な生者じゃないし……まぁゾンビは成り行きかな?』
(成り行きでゾンビ…………)
ご機嫌取り集団になんともいえない思いが去来する。
仕切り直すように閻魔がおほん、と空咳をして空気を改めた。
「それ程までに彼に関心を寄せていたにも関わらず、今回“執着”を薄め協力してくれた事、まことに感謝する。貴殿の協力が無ければ手出しは不可能だったからな」
「ええ、本当に助かりましたよ。貴方の“執着”の色が強くついた魂になど、天使や悪魔はおろか中立的立場の私達にさえ触れられませんでしたからね」
「彼に関する裁判がこれでやっと始める事ができます、ご協力感謝いたします」
閻魔の傍に控えていた鬼二人がそう言えば、つまらなそうに。
『んーまぁアタシもちょっと長く彼を地上に留まらせ過ぎちゃったかなって思ったし? 彼どんなに腐っても、消失するそばから再生しちゃう力があるから、このままだといつまで経ってもあのままだろうなって思ってさ。朽ちきる事もできず中途半端な状態でそのままってのは、流石にどうかなって。そろそろ解放してやろうかなって。嫌だったけど。』
最後の一言に口がひきつりかけた者数名。笑おうとして失敗した者数名。顔が強張った者数名。
つまりその場にいた殆どの者が顔を歪ませた。
どうもこの大悪魔にはいまだに不満があるようだ。未練たらたらである。
今回の事で下手を打てば、彼の不満が噴き出すに違いない。気を引き締めていかねば。
『ところで、』
がらりと変わる雰囲気。
ゆっくりと体を前に傾かせ、机に片肘を乗せる、かの悪魔の口元が吊り上がっていく。
『――魂の回収に、新米の死神を向かわせた、と……聞いたが』
新米の、を殊更ゆっくりと言った彼の目が笑っていない。
『本当か?』
眼光鋭く笑う相手に死神の上司達は思う。
(誰だ言ったの)
背中に冷や汗が流れてきた。
お怒りだ。どうみても大悪魔様はお怒りだ。憤ってらっしゃる。
それもそうだ、自分が長年独占欲を発揮して誰にも触れさせなかった魂への“執着”をここにきてわざわざ薄めたのに、回収に向かったのが偉い奴でも歴戦の死神でもなくただの新米だったのだから。
もちろん新米を派遣したのには意味はある。別に彼のお気に入りの魂回収なんていう物凄く面倒くさそうな仕事を新米に押し付けたわけじゃない。自分達が回収に行って何かトラブルあったら嫌だなとかそんな事思ってない。あまり。それ程。思ったよりは。
けれど本人にバレたら面倒な事になるだろうなと思っていたからこそ、黙っていた。
本当に誰だ言ったの。
こうなったらちゃんと理由を話してご理解頂くしか彼の怒りを納める術はない。
暫く無言で説明役の押し付け合いをしていた死神上司達であったが、明らかに分が悪い上司が一人いた。
件の新米死神の上司である。
当然押し付け合いの視線はその上司の元に集まり、その上大悪魔がトン、トン、と机を人差し指で叩き始める。それも威圧するようにゆっくりと。
間もなく彼は降参した。視線が痛い大悪魔超怖い、空気が耐えられない。
顔色を真っ青にしながらも説明すべく口を開けた。
「……恐れながら、かの魂の元へ向かわせたのは確かに入ったばかりの死神でございます。し、しかしながらそれには理由がありまして」
『理由があるなど当然だろうが。これで考えなしにと言ったならその首、骨ごと裏返しにしてくれる』
余談だが、死神は確かな一撃を食らわなければ絶命しない。そして“首を骨ごと裏返し”は確かな一撃足り得ない。
つまり、そのままである。
どっと背中に汗をかきつつも、上司は再度口を開いた。モザイクが掛かる姿にならない為に。
「そそそそのですねっ、あ、新しく入った者ならばですね、フレッシュと言いますか、熟練の者のように目が死んでいないでしょうっ? 初々しさがありますし」
そこまで言った途端前傾姿勢だった体を起こしていく大悪魔。
やばいやばいまずい。
「ででですからっほら彼の魂は彼が許可した者でないと触れられないでしょうっ!? あんまりゴツいのとかおどろおどろしい死神然とした者が行っても警戒されて終わりかもしれないじゃないですかぁ! でもその、まだ死神っぽくないぎこちなさのある奴なら彼も受け入れやすいでしょうしっ、見た目が若いほど回収がスムーズになるかと思いましてですね! 回収に万全を期す為だったんです、仕方なく! 彼が少しでも魂を渡しやすいようにぃぃぃ!!」
ゆっくりと立ち上がっていくその人影に最後の方は声が裏返っていたが、どうやら分かってくれたようだ。フン、と鼻を鳴らしつつも椅子に座り直してくれた。
『ナルホド? 確かにアンタら枯れ死神が行ってもジョージは警戒するだろうし? まぁ及第点ってところかな』
「あ、ありがとうございます……」
肩で息をしつつも何とかお礼を言う上司に、もはや大悪魔は視線もやらない。
ギラギラと威圧していた目をつまらなそうに細め、そのまま椅子にもたれ掛かる。それを見て一安心、と力を抜いた(抜けたとも言う)彼らは悪くない。悪くないが、やっぱり安心するには少々早かった。
『もし、』
ひんやりとした声にあれ?と動きを止める一同。
条件反射のように冷や汗が流れだす。
『こんなに私が協力したのに、万が一、彼の魂を回収できなかったら…………』
恐る恐る目をやれば、周りを見下すその姿が。
それはもう優しげに、しかしやっぱりひんやりとした空気のまま、にっこりと。
『――――分かっているね?』
とにかく回収に失敗したら頭部がチューリップになるだけじゃ済まない事はすごく分かった。冷や汗がすごい。背中側の服がびっちょりである。
分かりたくなかったが分かってしまったのでとりあえず返事はしようと「はい」の「は」の形に口を開けた途端、ズドガラッシャンドッファバサッバサ、などと言う音が聞こえついでに建物が軽く揺れた。
席についていた者が皆立ち上がり「何だ!?」「何があった!?」と言い合うが、もう何だか嫌な予感しかしない。
そのうち廊下から騒々しい物音と警備の者達の「あっお前」「ちょっなん」「何しに」といった声が聞こえ始め、聞こえ終わり、静かになった。
閻魔の配下である鬼達が廊下に通じるドアを囲む。侵入者に対抗する為だ。
だが予想外に、ドアからは礼儀正しいノックの音がした。コンコンコン、と。
その場に困惑した空気が広がる中、大悪魔が顎をしゃくって開けるように促す。それに閻魔も頷き、手ぶりでもって開けろと指示する。
鬼の一人が警戒しつつもドアの取っ手に手を掛け、ゆっくりと開けた。
すると向こう側に立っていた男が、
「ちわーっす! ここにかの有名な大悪魔様がいるって聞いたんスけど本当ですかぁ? あのですねワタクシとぉ~っても素敵なモノをついさっき手に入れたんですけど、是非ゼヒ大悪魔様に献上いたしたくて!」
チャラい口調で右手に持っている物を上げた。
鳥籠のような箱の中にある、それ。
ザァッと血の気が引く死神達。失神しなかっただけマシだろう。
これこれコレなんスけどね、と男が指し示しているそれは、新米死神に回収に行かせたはずの、ゲオルグ・ファウストの魂だった。
大悪魔に「分かっているね?」と言われてすぐのこの事態に、上司達の中でも年若い死神が「ああこれがフラグ回収ってやつなのかな……」と現実逃避で思ったとか。
ジョージ=ゲオルグの英語読み。(George)
悪魔さん的あだ名です。