ヤミーパンプキン
りん子がカボチャを切っていると、闇の支配者と名乗る少年が現れた。
飾り用のプッチーニカボチャを買ったのだが、あっさりした味わいが美味しいと聞いて、食べてみることにしたのだ。
しかし思ったよりも固く、半分ほど切れ目を入れたところで包丁が動かなくなった。
そんな折りに、いつの間にか闇の支配者がキッチンに上がり込んでいた。
「見てらんねえな。俺が切ってやる」
「結構よ。危ないからどいてちょうだい」
りん子は背伸びをし、包丁の柄に全体重をかけた。カボチャはびくともしない。包丁を挟み込んだまま、前へごろり、後ろへごろりと傾くだけである。
手には真っ赤な跡がつき、額から汗が流れる。りん子はあきらめて包丁を放した。闇の支配者がしたり顔で笑う。
「本当にできるの?」
「俺を誰だと思ってる」
「知らないわよ」
闇の支配者はりん子を押しのけて立ち、包丁を握った。喧嘩をしかける猫のように、目をぎらつかせている。こんな子に刃物を持たせるなんて不用心ね、と自分に呆れた。
「あんた、どこから入ってきたの?」
「外だ」
りん子は玄関を見た。鍵は閉まっている。ベランダの窓が少し開いているが、ここは二階だ。
闇の支配者はりん子と同じように背伸びをし、ぐいぐいと包丁を押し込む。
「魔法でも使ったら?」
「俺を誰だと思ってる」
「知らないって言ってるでしょ」
りん子は眉をしかめた。闇の支配者は全身に暗いオーラをまとっている。それが汗に混じってぼたぼたと落ち、薄オレンジ色だったカボチャがみるみる黒ずんでいく。
「いい色だ。これは三十年に一度の逸材だぜ」
りん子はキッチンを離れ、洗濯物を片付け始めた。見たところ十二、三歳の少年だが、何しろ闇の支配者だから、放っておいても大丈夫だろう。
すり切れかけたバスタオルをたたみ、部屋着やパジャマを重ねる。アイロンが必要なブラウスはまとめて椅子の背もたれにかけ、ハンカチや靴下などはなくさないようにすぐ引き出しに入れる。
そうしているうちに、今起きていることを一瞬忘れた。
鼻歌を歌いながら布巾とランチクロスをたたんでいると、闇の支配者が素っ頓狂な声を上げた。
「おおぅ! やべえ!」
りん子はキッチンへ飛んでいった。
「何? 指でも切り落とした?」
「俺を誰だと思ってる」
りん子は隣に立って覗き込んだ。ついでに、布巾とランチクロスをフックにかける。
カボチャはまだ切れていなかった。最初の位置から包丁が動いていないように見える。
「役立たずもいいとこね」
しかしよく見ると、包丁ではなくカボチャが動いていた。切れ目を唇のようにすぼめ、刃に吸い付いている。カタカタと震えながら、少しずつ包丁をたぐり寄せる。
「あら、すごいじゃない。どうやったの?」
「ふ、ふ、ふ、こんなもの、俺様の手にかかればああああああああー!」
闇の支配者の体が浮き上がった。カボチャに向かって髪が逆立ち、黒いオーラもなびいている。磁石に引き寄せられる砂鉄のようだ。
カボチャはさらに口をすぼめ、蕎麦をすするような音を立てた。包丁をずるっと飲み込み、闇の支配者もひと口で飲んでしまった。黒いしぶきが飛び散り、空気に溶けて消える。
りん子はカボチャの表面をひと撫でした。不思議なことに、切れ目は跡形もなくふさがっていた。皮の色は薄紫に変わり、暖かな闇を放っている。
「へえ、面白い」
りん子はテーブルにカボチャを置いて眺めた。ろうそくやランプとは逆に、置いた場所の周りがうっすら暗がりになるのだ。
「こんなのもいいかもしれないわね」
顔を近づけると、甘くて香ばしいにおいがした。焼きたてのカボチャあんぱんのにおいだ。
りん子はこのカボチャが気に入り、本を読む時も食事の時もそばに置いた。扱い方もだんだんわかってきた。乾いた布でこすると、闇色が濃くなる。そっと息をふきかけると、淡い色になる。へたの部分を押すと、香りが強く広がる。でこぴんをするように指で弾くと、中から歌が聞こえてくる。
飛べ カボチャ 星を染めろ
行け カボチャ 闇に吠えろ
勢いと深さのある歌声だ。枕元に置いて寝ると、子守歌調で歌ってくれる。
「闇の支配者ってば、歌だけは上手よね」
甘いにおいに包まれて、りん子は毎晩カボチャの夢を見た。
カボチャは日に日に大きくなった。最初は片手に乗っていたのが、両手でも抱えきれなくなり、一週間もすると持ち上げることすらできなくなった。
テーブルに乗せておくのも限界だ。よっこらしょ、とカボチャを押して転がし、床の上にずしんと鎮座させた。
燃えよ カボチャ 栗を焦がせ
戦え カボチャ 芋をつぶせ
成長するにつれて、歌声も大きくなった。とてもじゃないが、子守歌など歌わせられない。それでも勝手に歌うので、分厚い布団を出してきてカボチャにかぶせた。
「まったく、近所から苦情が来ちゃうじゃないの」
ある日、買い物から帰ってくると、部屋の中から音がした。慌てて玄関を開けると、リビングの扉が外れかけている。カボチャが部屋いっぱいに膨れ、今にも壁を突き破ろうとしていた。
りん子は扉を取り払い、カボチャを押してみた。表面は硬くつややかに、弾力性も増している。しぼませるのは無理そうだ。
「品評会にでも出そうかしら」
こんなに大きくて立派な、しかも紫色のカボチャなんて珍しいに違いない。が、これでは運ぶことはおろか、部屋から出すこともできない。できたとしても、その時には部屋が壊れている。
「残念だけどお別れね。このままじゃ住むところがなくなっちゃう」
とにかく、早く切り分けて食べてしまうことだ。
りん子はインターネットで、カボチャの切り方が書いてあるサイトを片端から調べた。
電子レンジで温める。下に濡れた布を敷く。包丁をよく研いでから切る。この大きさになってしまっては、もはやできないことばかりだ。
料理サイトを当たるうち、へたを取って中心から切り始めると良い、という情報に行き着いた。
りん子はさっそく部屋のすき間から入り込み、カボチャによじ登った。何度も手を滑らせ、しがみつき、その間にもカボチャは大きくなっていく。どうにか登り切ると、天井に頭がぶつかるすれすれの高さまで来ていた。
カボチャのへたは、荒縄のように太かった。りん子は腕まくりをし、両手で握りしめる。靴下を脱いで足を踏ん張り、渾身の力で引いた。
頭に血が上り、全身の筋肉が震える。息が止まるほど引っ張り続けた時、ようやく手応えを感じた。
「それっ!」
カボチャがポンと音を立てた。りん子はへたを握ったまま、床に転がり落ちる。見ると、へただけではなく、周りの皮が帽子のように取れていた。ちょうど、キャンディボウルのふたを取ったような形だ。
「本当にお菓子が入ってたりして」
りん子は再びカボチャに登った。穴の縁から覗き込むと、中は空洞のようだ。暗くて様子がわからず、身を乗り出した。
「おう、遅かったじゃねえか」
中から声がして、りん子は危うく手を滑らせそうになった。よくよく目をこらすと、闇の支配者が座ってこちらを見上げている。
「あんた、そこで何やってるのよ」
「見りゃわかるだろ、操縦だ」
さっぱり見えないしわからない。りん子はしびれを切らし、穴の中に飛び込んだ。
「きゃっ」
尻もちをついたが、底は柔らかかった。カボチャの綿のような感触だ。闇の支配者は隣にあぐらをかいている。
腰を落ち着けてみると、なかなかいい座席だった。背もたれもある。肘をかけるスペースもあるし、足も思い切り伸ばせる。
「すごーい。ふかふか」
りん子は座席の上で飛び跳ね、背もたれを倒したり顔をうずめたりした。目が慣れてくると、中は広々としていて、カボチャの中とは思えないほどだった。
「で? ここで何するの?」
「察しの悪い娘だな。こうだ!」
闇の支配者は勢いよく前方に転がった。すると座席も、カボチャそのものも一緒に回転し、りん子も逆さまになった。
「ちょっと、何よこれ」
入り口の穴はいつの間にかふさがっている。窓もドアもなく、閉じ込められてしまったようだ。闇の支配者は高らかに笑いながら前転を繰り返す。りん子は何度も跳ね飛ばされ、壁にぶつかり、ようやく座席にしがみついた。
「ねえちょっと、どこ行く……」
舌を噛みそうになり、りん子は黙った。お前も回れ、と闇の支配者が言った。
どうやって、と思ったが、座席に座ったまま体を倒すと、自然にくるくると前転ができた。体の重さがなくなったように、苦もなく回れる。
自分が回ってしまえば、回るカボチャの中にいても平気だった。どこを走っているのか、どこに向かっているのか、考えても仕方ない。どうせ外から見れば、巨大カボチャが転げ回っているだけなのだ。
「ほら、腹が減ったらこれを食うんだ」
闇の支配者は、壁や床をむしり取って口に入れた。あまりにもおいしそうに食べるので、りん子も壁をもぎ取ってみた。皮と同じ薄紫で、もちもちとした手ざわりだ。
食べてみると、ほどよく甘く香ばしい、カボチャあんぱんの味がした。これだ、とりん子は思った。ずっと香りに食欲をそそられていたが、ようやく食べることができた。
悪くないだろ、と闇の支配者が言った。
りん子は夢中で頬張った。カボチャの味がぐるぐる回り、自分までカボチャになってしまいそうだ。現に、闇の支配者のまとうオーラからは、ほんのり甘い香りがしている。
「下りたくなったらどうするの?」
「簡単だ」
闇の支配者は得意気に言う。
「ひたすら食って、食いまくればいいんだ」
「なるほど! それなら安心して乗ってられるわ」
こんなに大きなカボチャでも、食べればいつかなくなってしまう。それは少し残念だったが、りん子は気を取り直して回り続けた。
進め カボチャ 海を越えろ
撃てよ カボチャ 大地に響け
どこまでもどこまでも、二人は歌い、回り続けた。