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G ~epilogue~

 王都医術局、静養院での治療を終えたロマナは、霧の町に住む薬術師のもとで修業することになった。

 ちょうど、弟子になる者を探していた老練の薬術師だ。住み込みでその仕事を手伝い、次第に知識も技術も受け継いでいくことだろう。中津国(ミズガルズ)で過ごした十六年という短い生などは、ロマナの脳裏にはすでに無い。多くの優秀な魔女や魔術師が住む霧の町で、彼女もまた、魔術を扱う者へと変貌を遂げようとしていた。

 静養院から出た人間は専ら、二種類に分けられる。自ら魔術の類を身につけ、魔物たちと生きていくか、王都から遠く離れた地にある人間たちだけの町――ミッドガルドに住まうか、そのどちらかだった。ミッドガルドは、女神ヘルが治める冥界において唯一、邪悪な魔物が入り込めない地である。どうしても冥界に馴染めない人間たちが逃れ、築き上げた、小さな小さな町だった。誰が名付けたのか、いつの間にかその町は中津国(ミッドガルド)と呼ばれるようになった。

「自分が人間だった時のことなんて、本当に、すぐに忘れてしまうものですよ、エリアス次官」

 魔薬とハーブを扱う店の片隅で、冥界一の魔女ローザが赤い唇を嫣然と緩めながら、ハーブティーを注いだ。数十種類の魔薬とハーブをブレンドしたものだ。湯気とともに、甘いような苦いような不思議な香りが漂う。ローザは、口と持ち手に金の縁取りが施された白いティーカップをエリアスへ差し出した。店に並ぶティーカップの中でひとつしかない、ローザのお気に入りのカップだという。

「たとえ人間だろうと、冥界(ここ)で生きる覚悟をしたものは、みな立派な魔物になるのですよ」

 エリアスの向かいに座るローザは、テーブルに肘を置いて、組んだ手の平にちょこんと顎を乗せた。たっぷりとしたブロンドの髪が、波打つ。そして大きく魅力的な目を瞬かせ、大きなガラス窓から外を見遣る。

 霧の町に暮らす者たちの半分は、元・人間だった。エリアスが昔から懇意にしている魔術師もおそらく、元は人間だったはずだ。

「君もそうなのか?」

 ローザと同じように外へ目を向けながら、エリアスは問うた。ローザはくすりと小さく笑った。少女のようにあどけなく、それでいて艶のある笑みだ。

「そんなこと、遠い昔に忘れてしまいましたわ」

 軽やかに笑いながら、でももしそうだったとしたら、とローザは言葉を続けた。

「きっと人間だった頃よりも、私の心はずっと自由でしょうね」

 店の前を、例の薬術師と、それに付き添う少女の姿が横切った。二名が向かう霧の町の東側は、深い森になっている。別名、惑いの森と呼ばれていて、不用意に入る者はいない。

 そこではあらゆる薬草が生い茂っていた。森の奥に踏み入れば踏み入った分だけ、貴重で高価な魔薬が手に入る。ローザなどは、何がどこに、どれだけのものが群生しているか、惑いの森を熟知している。その為、店に並ぶ魔薬の種類は数百にも昇る。鮮度も保存状態も良いそれらを求めて、ローザの店には同業者も多く来店するのだ。

 エリアスは受け取ったティーカップに口を付けた。ふわりと仄かに香る茶は、甘やかな中に程よい渋みが出ていた。喉越しのすっきりとしたもので、爽涼感が残る。口腔に含んでから飲み下すまでに、変化に富む味わいだ。

「お味、どうですか?」

 ローザはにこにこと可愛らしく笑いながら、エリアスを見詰めた。

「それ、一般的にいう惚れ薬が入っていますのよ」

 悪くない、と答えようとして、エリアスは噎せた。

「あなたには魔薬、毒薬の類が効かないことくらい、分かっています。それでも少し、期待したのですけど」

 照れたように微笑みながら、別のものを淹れますね、とローザは立ち上がった。



◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 自宅謹慎を命ぜられていたボリスは次官を退官し、更迭となった。ただし、王からの許可が出て、医術局の静養院に復帰している。第十七地区で大飢饉があり、急激に増大した死者の治療をする手が足りなかったことも一因だ。度々不祥事を起こすものの、ボリスは医術局に必要な悪魔なのだ。

「真面目にやってくれよ」

 静養院へ様子を見に寄ったエリアスは、管理部でカルテを作成するボリスへ声を掛けた。とうに左顔面の腫れは引いているが、正面から見ると右と左と、頬の位置がほんの少しずれているように見える。歪んでしまったのだろう。美しく優しげな顔付きは変わらないものの、おそらくこれは治らない。

「ああ、今度ばかりは真面目にやるさ」

 ボリスはしゅんとなって肩を竦めた。反省はしているようだ。だが、前回も前々回も、処罰を受けた直後はこうして反省していた。そうしてしばらくすると、その反省はどこかへ忘れてしまうのか、何らかの厄介事を引き起こすのだ。

 エリアスはカルテの保管棚に紛れた擬態蝙蝠を見遣った。擬態蝙蝠は情報局が使用する蝙蝠で、姿形を変え、あらゆる場所に紛れ込み、対象を監視することに長けた蝙蝠だ。体の色を、保管棚に並ぶカルテと同じ色に変化させて、じっと息を潜めている――…ボリスについた監視蝙蝠だ。その姿を見分けるには、ある程度コツがいる。

 エリアスの視線の先にあるものを思って、ボリスは苦笑を漏らした。

「仕方ないよ。自業自得だ」

 まあな、その通りだ。エリアスもそう思ったが、苦笑いのまま、何も言わないことにした。



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