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ホームルーム エイムズ

作者: 一柳 紘哉

 右手にシロップと、左手に空色の空き缶があればいいのに。そうすれば僕にも素敵なものができるのに。


                   友達の言葉


 嘘吐きなピエロはビルが立ち並ぶアスファルトに倒れこむように眠る。朝、目を覚ました彼は泣いていた。しかし誰もがその涙を本物とは思はなかった。何故なら彼は毎日自分の顔に涙のメイクをしていたし、なによりも嘘吐きだった。彼の涙がアスファルトに溶け込んで、そう遠くない未来に革命がおきる。誰も知らない。彼の涙がそこで流れたことを、誰も知らない。


「ねぇ……先輩見えてますよ」


 僕は読みかけのピエロの本を閉じて話しかけた。この台詞を僕は何度口にしただろう。数えるのももう飽きた。

 少し溜息。

 煙草は全部吸い終わってもう無いし、風呂から上がった先輩はいつもどうり裸のままで畳に腰を下ろしテレビの音を掻き消すようにビールを飲んでる。何故か少しの焦燥感。

 先輩の喉をビールが通っていくたびに形のいい乳房と喉が揺れる。小さなころに見た、木漏れ日の中で、冷たくて透明で岩がごつごつと浮かんだ小さな川をなんてことないようによけて泳ぐ落ち葉のようだ。

 何故かは分からないけど、そんなどこか懐かしいとも思うし、毎日の光景だけれどもただ単純に綺麗だと感じる。


「ん?」


 何にも無いようにビールを片手に先輩は僕を見た。感情の石が胸の中から何処か暗い所にめがけて小さく落ちていく。

 僕はコタツの布団を引き上げて、眼鏡の隙間から目頭をさする。


「明日大学何時からっだっけ君?私仕事あるし朝ごはん食べたいから7時におきてみて」


「……わかった」


 僕は読みかけの本をまた開いた。先輩はビールをコタツのうえに置き、肩まである濡れた髪を犬のように首を振る。そして、あたりかまわずに水しぶきが飛んでくる。

 読んでいるページにその水しぶきが飛んだ。少し時間がたって文字がにじみ、ゆがんで、悲しい物語よりも、なんだか好きな物語を破り取られたみたいに悲しくなった。そして、何処かで猫が鳴いた。

 真夜中の使者で、三日月の欠けたところからテクテクと暗い道ばかり歩いてきました。もう体中が真っ黒です。って猫が僕にだけこっそりと打ち明けている気がした。

 少し期待して窓を眺めた。街路樹は葉だけが揺れ、木の葉に寄り添い、たよりないけどかすかに遠くで星は光り、まるで明かりがともっていない真昼のツリーみたいだ。月は残念ながら三日月じゃなく半月で、何処を見ても猫の姿も見えなかった。理由なんてそんな小さなもので、意味もなく、分けもなく、ただ悲しくなった。





 八畳のダイニングキッチン。五畳の和室。同じく五畳の洋室。ユニットバス。クーラー無し。様々な所でがたが来ている鉄筋ひび割れ二階建て。家賃65,800円。

 僕の家賃は食費(外食以外)とガス代。そして、いつまでも慣れない大体の家事全般をやることで先輩は家出同然の僕を拾ってくれた。それが四ヶ月前。

 ルームシェア。

 ある意味同棲生活。

 でも、指をいくら折り返したって今まで数えてセックスは三回。

 いつまでたっても僕は敬語を使い彼女を先輩と呼ぶし、先輩は、君。とか、あんた。とか必ず僕を名前で呼ばない。

 僕は五畳の洋室を自室として使わせてもっらっていて、先輩は何故か八畳のダイニングキッチンを自室にしている。五畳の和室を共同スペースにして、コタツやテレビが置いてある。

 僕はしがない大学生。先輩は小さな会社の事務員。

 貧乏、金なし。毎月先輩は月末お金が無いってわめいてる。僕は叫べるものなら毎日だって叫びたい。

 僕の趣味はつまらない風景画。大学でサークルみたいなものに入ってる。先輩は僕の書いた絵を見て、まぁ趣味だね。っといつも言ってくれる。

 先輩の趣味は知らない。というか分からないのだ。何日間かきまった周期で何かにどっぷりとはまり込んで、翌朝起きたら興味をなくしている。まるで駄菓子についてる玩具を買ってもらった子供のように。だから、うちのダイニングキッチンには変なものが散乱している。まぁ先輩の部屋だから別にいいんだけども。




 なんていうのか、この話は僕が絵を書いた事で、先輩との距離が少しだけ近づいた話だ。

 それ以上にも、以下にも簡単にとれると思う。すべての物事の重要性や意味は他人が決めるものだから。僕が誰かに好きだといっても相手は僕の事をどう思っているのかは分からなくて、でも僕の宝物の指輪は僕が宝物ってきめたけど指輪がきめたわけじゃないという事ではなくて。……まぁ、つまりはうん多分そんな感じなんだろう。




 けたたましい音で先輩が僕の部屋に無断で置いた目覚ましがなり、僕は目を擦った。頭の中にトドがまだ横たわっていて、僕は固くて冷たい氷枕で一緒に眠りたいと思った。

 でも朝御飯を用意しなかった時の先輩を想像したらとても怖くなって、僕は鉛のように重く感じる布団をどけて、頭を掻き毟り、背骨の骨と首の骨を塔の上で高らかに鳴るラッパのように鳴らし、眼鏡を掻けてカーテンを開けた。朝日は柔らかく僕を照らしてはくれたけど、どうしても寒くて軽く身震いをした。

 部屋着でつかっている緑色のジャージを上から羽織って、自室を出てキッチンに立つ。そして切れそうな水で顔を軽く洗った。先輩のいびきは耳の横でなっているかのようだ。欠伸をして涙が流れる。

 和室にある冷蔵庫からずっと前に作っておいた赤いトマトソースと白菜、輪切りになった大根、ちゃんとしたブロックのベーコンに卵を取り出して、脇にある牛乳をラッパで少し飲んだ。

 ベーコンを薄く四枚切り、二枚をみじん切りにして、白菜と大根をザクッと大まかに切った。

 鍋を火にかけてオリーブオイルをさっとたらす。琥珀色が鍋の中を薄く広がっていき、温まり香りが出てきたと思ったらゆっくり歌うように心で二十秒数え、みじん切りにしたベーコンを入れた。

 身が小さく、硬くなってきた所で白菜と大根を入れ焦げ色がつかないうちに、トマトソースを入れて少し馴染ませて、コップ三杯くらいの水をいれる。

 沸騰したところで火を弱め、味をみながら粉末のコンソメを入れていき、最後に荒く引いたペッパーをサッと振りかけてスープを作った。なんて適当な作り方だと自分で思う。

 フライパンを暖めながらトーストを二枚レンジでセットした所で、先輩のベット脇から懐かしいドラマの主題歌の着メロが流れてきた。

 僕はフライパンの火を止めて、おはようございます。と先輩に語りかけた。

 もそもそと動きながら顔を出して先輩は言う。


「……おはよう。着替えたいからちょっとでてって」


 はいと言って、僕は和室に行きジャムとバターとお皿を用意して、机の上にある煙草に手を伸ばした。しかし、手にしたところで思い出したが空き箱で中身は無かった。

 テレビをつけて、ニュースを見る。右手で繋いだ手で優しかった人が左手で裏切って、どこかでまた誰かが死んだみたいだ。

 先輩がスーツに着替えて、メイク用品を持って和室に入ってきた。僕はキッチンに行ってフライパンを暖めなおしベーコンを焼いて、半熟になるように目玉焼きを焼いた。ホックリとなるような匂いに白い湯気。お腹が少しだけ意地の悪そうに締まったきがした。

 先輩が着替えていたうちに冷めてしまったトーストに、暖めなおしたスープの鍋。フライパンに乗った目玉焼きを和室に運んでコタツの上に置いた。

 ポットで妥協したインスタントコーヒーを二人分入れて、コタツに戻ると先輩が朝食を綺麗にお皿に盛り付けていてくれる。いつもの朝、いつもの毎日だった。


「……いただきます」


「はいどうぞ」

 

 先輩はそれだけ言うと、スープに手をつけてもそもそと何も言わずに食べだした。

 僕はコーヒーに牛乳を入れて、ほんの少しだけ砂糖を入れた。それを飲みながらたずねた。


「どうですか?」


「うん……おいしい」


 固いバターを塗った食パンに目玉焼きを乗せて頬張っていた先輩はそう言った。

 僕もスープを飲んだ。まぁまずまずの出来だった。先輩はテレビを見ながら僕に言った。


「あっ」


「ん。どうしたんですか?」


「しまった今日の占い私三位だ」


「ふうん。僕は?」


「さぁ……あぁ七位だって、よかったね」


「……そうですね」


「はぁっぅ。眠いよっとコーヒーこぼしちゃった」


「まぁ朝ですから」


「……ちょっと君。ベーコンが歯に挟まったんだけど。てかこれ染みにならないかなぁ……」


「僕のせいなんですか?」


「うん。わたし占い七位だったのに……なんだか朝からついてないなぁ」


「七位って僕ですよ」


「そうだったっけ?まっいいや。ご馳走さま。じゃ私もうちょいしたら行くから、いつもどうり鍵かけといてね」


「……はい」


 先輩は立ち上がり、洗面台に向かった。先輩が抜けてもコタツの中は暖かく、外は冷たく、冬の日の毎日は誰かの開始のベルの音もなくはじまっていた。






 寒そうに晴れた青空を無視して、室内で大学の講義を砂をこぼすようにだらだらと受けて、ふらりとサークルによった。

 灰色の廊下の奥から三番目のサークルの部屋の扉を開くと、一瞬で飲まれる。

 部屋の中は汚く、色とりどりの絵の具や、焦げたような汚れた色で壁も床も満たされているけどなぜか僕はそこが気に入っていた。絵になる光景だと入学したそのころから思っていて、僕がサークルに入ろうと思ったきっかけでもある。

 六人ぐらいの知り合いが、各自自分のキャンパスを眺めながら話し合っている。僕は靴音を気にしながら、奥のパイプいすに座りながら缶コーヒーを持ってぼうっとその光景を見ている間宮さんに話しかけた。


「お久しぶりです。間宮さん絵見ましたよ、入賞したみたいじゃないですか」


「……武弘か」


 佐藤 武弘。ああ僕の名前か。


「入賞したのはまぁ……運がよかったんだろ。俺以外にもすごいやつはいっぱいいたぞ」


「いやでも、たしかに写真でしたけど、僕は凄いとな思いました、綺麗でした」


「ふうん……」


「七年もかよっとる問題児だが我が校初の有名人になるかもしれない。って田端教授も言ってましたよ」


「お前馬鹿にしてるだろ」


「……少し」


「正直だな」


 僕は間宮さんの隣に腰掛けた。パイプ椅子は僕の重みを受けて少し鳴いた。窓の外から光がこぼれ、僕の後ろでカーテンが揺れた。少し寒い。


「こんな俺のちょっとした賞で、こんなにも他の奴までやるきになるなんてな」


「あいつらですか?」


 僕はキャンパスの前で話し合ってる人たちを見た。


「こんな工業大学で真剣に絵やろうって奴が俺以外にいるとは思えんかった。まぁお前は別としてな。以外の真剣な奴らは対外なんだかオタクくさいもんばっか描いてる奴らだけだと思ったらこれだ。あんなコンパグループまでもが絵みたいなもん描いてやがる」

 

「まぁ、ミーハーですからね」


「そんでもって、お前まで絵描くのか?」


「趣味で」


「まぁそういうところは好きだぞ」


 武弘っ。と呼ばれたから僕は立ち上がってみんなのところへ行った。間宮さんは大きな欠伸をした。退屈を全部飲み込んでしまいたいような。そんな欠伸。


「なぁ間宮さんなんか言ってた?」と知り合いは僕に尋ねた。


 僕は「何も」とだけ返した。


「そっか。武弘ってさこれどう思う?」と知り合いは絵を見せてきた。


 別にこれといって良いものでもないし、きちんと描けているわけでもない抽象画っぽい絵を見て「いいんじゃない」と言った。


「ほらみろ。武弘は良いって言ったっぞ。っとそうだこれからコンパなんだけどお前も来る?」


「どこと?」


「■■■のバイト先の子が用意してくれるんだって」


「前やったじゃん」


「一応違うメンツだってさ」


「……やめとくよ。前やっちゃったし、なんか面倒くさい事になる」


「マジで?」と言った後、彼らは勝手に僕の行動を妄想で話をしだした。

 僕はゆっくりと彼の描いた絵を眺めていた。赤や青が途切れ途切れにキャンパスに書きなぐってあり、裸の女がこっちを見て笑ってる。別に訴えてくるものは無く、でもなんだか鳩が青空につばを吐きかけるように気持ちが悪るくなる。そんな絵だ。

 

「お前ら」と間宮さんがいきなり声をかけてきた。本人は意識してないのだろうけど、声は大きく、背中の中心を握られたような気持ちになった。


「よかったら俺と一緒になんか応募せんか?絵ただ描いとるだけじゃもったいないだろ」


 間宮さんは僕の隣まで歩いてきていた。したり顔のにやりとした唇で。


「まぁ一種の経験みたいなもんやから、決定な。各自再来月までになんか一枚絵を仕上げて来い」


 彼らは文句でも言いたそうな顔、でも何かを期待してるのかわからない顔をしながら立っていた。

 僕は嫌です。と間宮さんに断ろうと声をかけようとしたら肩をつかまれた。そして「決定」と目を見て言われたから、何も言い返せなかった。僕は路地裏の犬のように気が弱いのだ。

 

「まぁ、お前は趣味の風景画以外のものかいてみろや。みんなもとりあえずなんか描け」


 誰かの携帯の着信音が聞こえた。エドガーの曲のようだけど、ただのポップソングだった。

 僕は少々単純で、頭のどこかでは嫌だって言ってるんだけど、頭のどこかでは考えていた。風景画以外のもの?何を描けばいいんだ。って。






 

 家に帰り、洗濯物を取り込んで、ハンバーグと大根と大根の葉の味噌汁を作り、先輩の帰りを待って一緒に食べているときに相談してみた。


「ふうん。いいんじゃないなんか描けば」と味噌汁をすすりながら先輩が言った。


「何を描けばいいんでしょう?」


「自分で決めなきゃ……あっ今日のハンバーグ旨い」


「……ジャガイモでかさましたんですよ、昔そうすると肉汁がこぼれ落ちにくくなるって何処かで読んだことがあったから」


「旨い旨い。いつもとおんなじで味噌汁はしょっぱい」


「……何描けばいいんだろう」


「梅干とって、あとお茶入れて。……そんなことも分からんのかいあんたは、好きなものを描けばいいのだよ。好っきなもの〜モンシロチョウだって知ってるよ」


 僕は冷蔵庫から梅干を取って、茶色いコタツの上に置いた。そして残り少ないお茶葉でお茶を入れた。

 好きなもの。そうか好きなものか。

 米粒が残ったお茶碗にお茶を注ぎいれて、梅干とともに流し込んでる先輩を見て、僕は迷う。

 僕の好きなものって何?






 十日間ぐらい考えたけど、何も描くことが浮かばないから自分の部屋の窓から見える景色を描いていた。何も説明が要らない、緑色の隣のアパートを。

 先輩はそれを見て言った「いつもよりもつまんない絵だけど良いんじゃない。君っぽい」

 僕は昨日間宮さんにもいわれた言葉を思い出した。「趣味。って自分でわかって描いとる絵だからのう。まぁそこらへんの奴よりは確かに旨いけどこれも趣味やわ」

 僕の絵ってなに?

 趣味以外の絵ってなに?



 それから三日たった土曜日、答えが無いままただ単純にぼうっと過ごしていたら、バイトの帰り道に奇妙なモノを拾った。それは僕の心の中芯のほうを上手にくすぐって、表面を柔らかく撫でてきた。

 気がついたら僕はその奇妙なモノを家に持ち帰っていた。真昼の太陽は街中で僕の事をサンサンと照らしていたし、道行く人々は僕のことを振り返って指をさしてくるような気がした。言いようの無い不安感がまとわりついた。

 でも、こんな綺麗なモノは今までで見たことはない。

 しかし、何よりも奇妙で鈍く光っていたから多分誰かが探しているだろうという事もわかっていた。背徳感に身を何度も刺された。

 僕は誰にも、先輩にも悟られないように空になった茶缶の中にそのモノを入れて自室の机の鍵のかかる引き出しにしまいこんだ。そして、何故か気持ちあせりながら洗濯や家事をすませた。

 そこでやっと気がついた、先輩が外出してる事に。土曜日はいつも十時ぐらいに起きて、ブランチを食べて三時ぐらいまで昼寝をしているはずなのに。先輩がいないのだ。

 別に僕に何も言わずに居なくなる事なんてよくあることでもあったけど、モノのせいで妙にに不安だった。引き出しにしまわれた、夏休みの課題みたいに。

 僕は又自室に行き、何をするわけでもなく鍵のかかった引き出しをただ眺めた。

 





 夕食の時間になっても連絡の一つもいれないで帰ってこない先輩に対し少し心配をして携帯に電話をかけたけど電源が切られていた。

 有り合わせで作られた野菜炒めはゆっくりと冷めていった。その冷めていく過程を、僕はもしかしたら見れるんじゃないかと思いずっと眺めていた。畳と洋服。カーテンにオレンジ。それに時間とか部屋にある物たちがが僕の隣で孤独に一緒になって過ごしてくれた。

 水滴が落ちる音が何処からか聞こえて、僕の耳にいつまでも残った。






 真夜中という時間を何時の事をさすのかは知らないけども、真夜中になっても先輩は帰ってこなかった。

 僕は諦めて、まぁしょうがないから玄関の鍵をかけずに布団に入ろうとした。しかし、どうしても奇妙なモノが気になって、僕は鍵を開けて茶缶の中から出した。

 ほんのりオレンジ色の蛍光灯の光を受けて、昼間よりも怪しく、薄く、鈍く光るモノは触れば溶けてしまいそうだ。

 僕は我慢できずにそのモノの中心を触った。冷たくも暖かくもなくて、指先からつるりと滑り、枯れ木を触るように優しく力を込めると少しだけへこんだ。

 何かの強迫観念のように僕の頭の中で膨らんでいく思考があった。『唇で触れてみたい』でもそんなことをしたら、この奇妙なものがどうなるかは分からない。『唇で触れてみたい』僕は重さを確かめるように手のひらで包み、茶缶の中へ戻そうとした。『唇で触れてみたい』

 だが、諦めきれずに唇で触れてしまった。そして奇妙なモノは形を変えて僕の目を塞ぎ、両手をきつく縛って、足をゆるく締め上げた。

 そしてだんだんと耳から聞こえてくる音がいつもの部屋の音じゃなくなった。生活音は消えうせた。水の流れる音に重なるように響く草木が揺れる音。何処かで聞いた事もないような鳴き声。……そうだ、鳥だ。あと土の柔らかく踏みしめる音。それらが和音となって、僕の耳に音楽となって響きあってきた。

 僕は無機質な何かによって何処かはわからない、狭く苦しい場所に運ばれたみたいだった。目も見えないし、手足を縛られていてよくは分からないけども筒状の何かの中に入り込んでいるようだ。狭く苦しくて、誰かに助けを呼びたいけど、そんなちっぽけな勇気さえ臆病な僕の泉の中にはコイン一つ見あたらなかった。

 耳に聞こえる音楽の音。つまりは鳥の鳴き声や草木が揺れる音が一つずつ耳から聞こえなくなっていくと同時に、奇妙なものはゆっくりと僕の拘束を解いていった。そして目を開いた。

 これは、多分透明な水道管の中に僕は立たされて閉じ込められていた。周りを見ると見慣れたもの。僕や先輩の部屋にある全ての物や和室にある物たちが一つ一つ僕みたいに水道管の管の中に入れられていた。

 かなり大きな部屋の中は透明な管が何本も張り巡らせられていて、何故かその管の上にキッチンの台所用品や果物や野菜が載せられている。天井からはデコボコと真っ白な柱が何対もせり出してきてる。不思議に白く明るい。

 その部屋の中心に、管たちが集まっている中心に先輩がいる。先輩は自分のベットで、何時ものように何処か祈るように眠っている。

 僕は管を力一杯叩く。しかし音は出ない。諦めて叫ぶ。それすらも駄目だ。

 右奥の管の中の電話がなる。先輩はそれにきずいたのかはわからないが、寝返りをうつ。しかし変わったのはそれだけだ。決まった回数だけコール音を響かせて、沈黙し留守電のマークが光る。

 僕は泣き出したくなる。でも無理に口の端を持ち上げて笑う。自分のために泣くのはなんだか無性に悲しいことのようで、みっともなく思えたから。でっも、外から見たら精神異常者みたいだったかもしれない。

 耳のすぐ横の水道管から水の流れる音がする。どこからか水が、水道管という役割を果たすかのように流れ出してきているのだ。足元にも僕の入った水道管を満たすように水があふれてきた。

 僕は水にのまれていく。先輩を見る。すべての管に水があふれている。その管はすべて先輩のベットに集められ、まるで噴水の上で静かに眠るように見える。しかし、僕の目は水によって歪んで、滲んで、何本も重なったただの線の集まりに見えてくる。

 そしていきなり頭の真ん中から口みたいなものが開き、いきなり奇妙なモノに食いついた。

 そのせいかは分からないが、頭の中は幾分か冷たくなってすっきりとしてくる。直感的に先輩の体の何処かにも、奇妙なものがあると感じる。

 でも、僕は息が続かずに、水の中へと沈んでいく。

 何故かそれが当たり前のように息はできないけど苦しくはない。でも、沈む。

 海の中へ、ただ物言わぬ無機質な欠片のように。





 目を覚ます。首を傾けると先輩が隣で猫のように眠ってる。どうも僕は先輩のベットで寝ていたようだ。

 夢?とも思い、僕は布団を抜け出した。裸であることはわかっていたけど着替えが見当たらないから急いで自室に向かった。ひやりとしたがフローリングが僕の足元から全身を凍えさしてきた。

 自室に戻り、枕元に転がっている眼鏡をかけて、パンツとジーンズをはいた。カーテンを勢いよく開いて朝日が目にしみた。そして、鍵のかかった引き出しを開けた。

 そこには茶缶も無く、奇妙なモノも無かった。

 そこにあったのは、誰のものかもわからない、ラベルの無い瓶で、中には青い折り紙で折られた奇麗な小さなカタツムリがいた。

 まるで水道管の中にいた僕のようだと何故か思って、どうしようもなく、ただ間抜けで、ただ情けなくなった。そして僕は振り切るようにその瓶を勢いよく振って、壁に投げつけた。

 音が響き、破片は飛び散り、僕は首を振り椅子を持ってキャンパスの前に座り、筆を折れそうなくらい力を入れて持って絵を描いた。そうだ。好きなものを書くんだ。

 何分たったかわからないけど先輩が起きてきて、僕に言った。


「……朝ご飯は?」







 僕は間宮さんにできた絵を渡して、どこかに送ってもらった。


 それから数日がたって、絵は送り返されてきた。置く場所がないから大学におかせて貰った。


 同じく送った間宮さんの絵は入賞した。きちんとした場所に飾られえるみたいだ。


 その絵を見に、僕と先輩は町に出かけた。


 入り口で間宮さんを見かけた。「よう」と間宮さんは僕に声をかけてきた。


 「すごい絵ばかりですね」と僕はパンフレットみたいなものをペラペラ捲って言った。隣で先輩は本当に退屈そうにあくびをして「ねぇ君。本当にご飯おごってくれるんでしょうね」と言ってきた。頭がちょっとだけ痛くなった。溜め息。


「そうでもない。全体のレベルは低いぞ」


「そんなこと言っていいんですか?」と僕は笑いながらたずねた。


 僕は貰ったパンフレットみたいなものを抱えて間宮さんの言葉を待ったけど、結局返事は返ってこなかった。 僕の目を見つめたまま、何かを考えているかのようだ。

 

「お前の絵も飾ってあるぞ」


「え?」


「俺の絵の横にな。当日になって無理言われたからお前に言わずに大学からもってきた。まぁ見て来い」


 そう言って間宮さんはスタッフオンリーと書かれた扉を開けて、振り返らずに行ってしまった。

 僕たちは仕方ないから歩き、一枚一枚感じるように絵を見た。

 何枚かの絵は本当に綺麗で、美しくて、単純に驚いた。だんだんと歩みを進めて奥へ奥へと向かった。

 間宮さんの絵は部屋の一番奥に飾られていた。その脇に二枚。緑色のアパートの絵と、沢山の水道管の上で眠る先輩の絵が飾られていた。どちらも僕の絵だった。

 先輩は僕の絵を見比べてこう言った。


「左はいつもどうりで、右は分けわかんない。なんか趣味っぽくない。まぁいいけど右のこれ何でこんな線みたいのばっかが書いてあるの?それに真ん中のこれ私?もうちょっと奇麗に書くなら書きなさいよ」


 間宮さんの絵。一本の巨木に吹雪の中でたたずむ薄着の老人の絵を見ていた僕はちょっとだけ反論した「どっちも風景画なんで、見たままを書いたつもりです」


「ふーん。まっいいや。いこ武弘。ご馳走様って感じ。もうなんか全部見た。なんかもうつまんなくなっちゃった」


 え、武弘。……武弘?ああ僕の名前か。





 先輩は多分あのときから僕のことを名前で呼ぶようになった。そして毎日僕のベットで眠るようになった。でも僕はまだ先輩と呼んでる。

 間宮さんは有名になって、僕の絵もちょっと有名になった。そして僕も。

 これが僕と先輩が少しだけ近づいた、ただそれだけの話。それ以上でも、以下でも、もうどっちだっていい。手を伸ばしたって、指をまっすぐに正したって、結局それはもう過去のことで触れることはできないのだ。



 


「武弘。明日七時におきてみて」


「……わかった」 


 先輩はいつもどうり犬のように体を震わせて水飛沫を飛ばしてきた。

 僕は足を伸ばして寝転がり、畳についた水滴を服でぬぐうように手を動かした。コーヒーが飲みたかったけど、めんどくさかったから諦めた。


「……先輩見えてますよ」


「ん?」


 僕は目を閉じて、欠伸をした。窓の外から風の通っていく音が聞こえて、テレビからは何人もの笑い声が聞こえた。


「なんだい。武弘はもう眠いのかい?しょうがない子ね」


「……先輩眠いんですか」


「ん。わたしはまだまだいけるわよ」


「……はぁ、いいですよ。もう寝ましょうか」

 

 僕はゆっくり立ち上がって、歩き出した。なにか小さなものを踏んでしまって、痛い。と飛び跳ねたかったけど我慢して自室に行きベットに入った。

 先輩は部屋の電気を消して、僕の脇に器用にもぐりこんできて、まるで煙草の煙を吐き出すように僕の首元に息をは吹きかけてきた。カーテン越しの窓から隣のアパートの灯りが薄く部屋に届いていた。


「先輩。明日の朝ご飯何がいいですか?」


「……なんでもいいや。おいしくてわたしの好きなものなら」


 好きなもの。好きなものか。

 左腕を少しだけ動かして、先輩を抱き寄せた。まだ少しぬれた髪から柑橘系のにおいがした。指で少しだけ触れて、舐めた。

 好きなものって何?

 毛布をくるむようにゆっくりと夜が閉じていって、風が街で遊んでいる音がする。

 夜がにゃあと鳴いて。僕は先輩を抱きしめた。

 少しだけ、いつもとは違い力を込めて。

 ぬいぐるみで遊ぶ子供達の手に渡らないように。彼等は力いっぱい奪い取ろうとするから放さないよって僕はこっそり子供たちに言いいたかった。そして、そういう積み重ねで毎日を変えようとしたけど、結局は毎日の繰り返しになった。


 夜がまた鳴いた。

 先輩の耳にも届いているのかもしれない。

 僕らは町中に響く夜の鳴き声のちょっとだけ真ん中のほうで抱きしめて眠った。ゆっくりと鳴き声は落ちていって、明るいところに届きそうだった。

 そして、僕は何も気にしない場所で、ただ夜の鳴き声が聞こえてこなくなるまで深く眠り続けようとしていた。

 何かが頭の何処かでで奇妙に鈍く光るから。







 まずは読んでいただき本当にありがとうございます。そして、はじめましての方は、はじめまして。知っていて覚えていていただいていた方には、お久しぶりです。一柳です。

 本当に久しぶりにこのサイトに投稿させていただきました。なんだか初めてのデートみたいに緊張しました。

 今僕は色々四苦八苦してコンスタントに書いています。でも、なかなかこちらのほうを更新できなて……前回のモノで頑張って書いていきたいと思いますなんて書いたくせに恥ずかしいですね。

 またなにか時間があったら書き溜めたやつ等をのっけていきたいと思います。

 その時は、また見ていただけたら本当にうれしいです。

 それでは、また。    

 ピース。

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