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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

04:忠誠の牙

作者: 佐々木レン
掲載日:2026/05/12

ヒロイン・リアナ活躍回です!

帝都の裏側に広がる地下街は、常に淀んだ湿気と、饐えたような安い酒の匂いが立ち込めている。



剥き出しになった鉄パイプからは赤錆を含んだ水滴が等間隔で落ち、石畳の窪みに黒い水溜まりを作っていた。





そんな吹き溜まりのような場所に、およそ似つかわしくない二つの影が歩みを進めていた。




先頭を歩くのは、銀青色の髪を薄暗いガス灯の光に透かせる美しい男、ギルベルトだった。



一切の皺を許さない軍用シャツの上に、仕立ての良い暗色の外套を羽織っている。




彼が泥濘を踏み締めるたび、冷たい夜気と混ざり合うような、微かながらも極めて上質な香草の香りが周囲の悪臭を払いのけていた。




その斜め後ろを、影を踏まないよう正確な距離を保って歩くのはリアナ。



腰まである黒い長髪をきっちりとリボンで結い上げ、軍服に身を包んだ彼女は、周囲の不穏な気配に常に濃い翡翠の瞳を走らせていた。




「……閣下、足元がお悪うございます。お気をつけて」


「ありがとう、リアナ。」




振り返ったギルベルトは極めて柔らかく、甘さを孕んだ声で薄く微笑んだ。


その完璧な造形を持つ美貌が優しく綻ぶたび、リアナの胸の奥で不規則な動悸が跳ねる。



無敗の最強軍人である彼を心配するなど不敬にあたるかもしれないと思いつつも、自然と口をついて出た言葉を優しく受け止めてもらい、彼女は少しだけ安堵して「はい」と短く頷いた。





軍内部の汚職に関わる証拠がこの地下街に隠されているという情報を得て、ギルベルトは自ら足を運んでいた。



本来ならば将官自らが赴くような任務ではない。出立前、右腕である参謀長のクラウスも「閣下が出向くには泥に塗れすぎている」と難色を示したが、ギルベルトには彼なりの計算があったのだ。



その時、前方の路地裏と、背後の暗がりから、ふいに複数のひどく粗雑な殺気が膨れ上がった。


ギルベルトは足を止め、面倒そうに外套の裾を払った。




現れたのは先日の掃討作戦で生き残った敵軍の残党たちだった。彼らの目は血走り、手には粗悪だが鋭く研ぎ澄まされた刃物が握られている。




泥濘で息を潜めていた負け犬たちが、偶然にも標的の顔を見つけたに過ぎない。



「銀髪の将官……! 俺たちの仲間をよくもッ!!」



憎悪にまみれた怒声が湿った空気を震わせる。


しかし、ギルベルトは剣の柄に手をかけることすらしない。警戒する価値もない。ただ静かに、絶対的な零度を秘めた翡翠の瞳で男たちを眺めただけだ。



彼にとって、この程度の暴漢は路傍の石に等しい。向かってくるならば、瞬きをする間にその首を落とし、視界から消し去るだけのことだった。




(さて、どう片付けてやろうか)




退屈な思考を巡らせ、彼が静かに息を吸い込んだ、その瞬間だった。



「死ねェッ!!」



一人の男が、狂気に歪んだ顔で跳躍し、錆びたナイフをギルベルトの首筋目掛けて振り下ろした。

ギルベルトが最小限の動きでそれを躱し、素手で男の喉笛を砕こうとした、その時。





「――させません!!」





凛とした、しかし確かな殺意を乗せた声が地下街に響いた。



背後に控えていたはずのリアナが、弾かれたように飛び出していた。抜刀の金属音が鋭く鳴り響く。


小柄な身体からは想像もつかない踏み込みの速度から放たれた銀の閃光が薄闇を切り裂き、男の持つナイフを根元から弾き飛ばした。



硬質な金属同士が激突する火花が散り、鉄が削れる生々しい匂いが弾ける。男が体勢を崩した隙を逃さず、リアナは流れるような身のこなしで男の鳩尾に強烈な蹴りを叩き込んだ。



「がはッ……!」



くぐもった悲鳴を上げて男が石畳に転がる。残りの残党たちがその予想外の反撃に怯み、後ずさった。


リアナはすぐさま剣を構え直し、ギルベルトの前に立ち塞がった。彼女の背中は、主君に一切の指を触れさせまいとする絶対的な意志に満ちていた。



ギルベルトは、珍しくその翡翠の瞳を丸く見開いていた。




挿絵(By みてみん)





(……守られた?)




この、最強と謳われる「氷の将官」である自分が。


前線で敵の血を浴び、冷酷無比に命を刈り取ってきたこの俺が、こんなにもひたむきな女の背中に庇われている。



その事実は、ギルベルトの胸の奥底に、ひどく甘く、そして悍ましい熱を呼び起こした。



無敗の将官である彼にとって、他者から庇われることなど本来であれば不愉快極まりない事象だった。


だが、目の前で必死に剣を構えるリアナの、泥一つ跳ねていない美しい黒髪と、自分を守ろうとするその純粋な忠誠心が、ギルベルトの歪んだ独占欲を強烈に刺激したのだ。



(ああ……なんて愛おしいんだろうな。俺の、可愛い番犬は)



表の顔である「優しく完璧な上司」の奥底で、ドロドロとした暗い執着が渦を巻き、彼の血液を熱くしていく。喉の奥で、静かに凶暴な喜悦が跳ねた。



「……リアナ。もういい、よくやった。」



ギルベルトはゆっくりと歩み寄ると、彼女の細い肩に背後からそっと手を置いた。先ほどの張り詰めた空気を溶かすような、ひどく甘く、優しい声だった。



彼はリアナの隣に立つと、残党たちに向けてただ一瞥をくれた。それだけで十分だった。

底知れぬ凄みと、命を塵芥としか思っていない絶対者の冷徹な眼差し。


その圧力に耐えきれず、残党たちは悲鳴のような息を呑み、蜘蛛の子を散らすように暗がりへと逃げ去っていった。



静寂が戻った地下街。


カチャリ、とリアナが剣を鞘に収め、慌てて振り返る。



「お怪我はありませんか、閣下!出過ぎた真似をいたしました、申し訳ありません……っ」


「謝る必要はない。まさかお前に庇われるとは思っていなかったから、少し…驚いた」



ギルベルトは微苦笑を浮かべると、そのまま前を向いた。



「さて……本来の目的を果たしに行こうか」





二人が向かったのは、地下街のさらに深部、廃墟と化した旧礼拝堂だった。


そこには帝都の浄化を阻む、軍内部の「汚職の温床」となる密売組織の拠り所がある。重厚な扉を蹴り開けると、中には武装した男たちと、高級な軍服を崩して着こなした中年の男がいた。



「……ギ、ギルベルト将官!? なぜ、貴様がこんな場所に……!」


「久しぶりだな、ベックマン大佐。前線の兵士たちが泥を啜りながら戦っている最中、お前はここで随分と贅沢な『サイドビジネス』に精を出しているようだ」



ギルベルトの声は、温度を感じさせないほどに冷徹だった。



「やれ! 殺せ! 証拠を隠滅しろ!」



大佐の悲鳴のような号令とともに、十数人の私兵が一斉に襲いかかる。リアナが前に出ようとしたが、ギルベルトはその肩を優しく、しかし抗いようのない力で制した。




「リアナ、下がっていろ」




次の瞬間、地下街の空気が凍りついた。



ギルベルトが腰の剣を抜く動作すら、常人の目には捉えられない。



銀色の閃光が礼拝堂の空間を網の目のように切り裂く。悲鳴が遅れて聞こえてくる。


襲いかかった男たちは、武器を握る手や足の腱を正確に断たれ、一瞬にして石畳の上で転げ回った。



返り血一滴、その仕立ての良い外套に浴びることなく、ギルベルトは大佐の目の前に立った。



「……ひ、ひぃっ……!」



大佐の喉元に、冷たい銀の切っ先が突きつけられる。



「お前が隠し持っていた、横領の記録と内通者の名簿……。それを引き取りに来た。抵抗すれば、次はこの喉笛を断つが、どうする?」


「だ、出します! すぐに出します……!」



震える手で差し出された黒塗りの木箱。ギルベルトはそれをリアナに受け取らせると、大佐の耳元で、吐息のような甘く残酷な声を囁いた。



「賢明な判断だ。だが、この罪は重い。……明日、軍事法廷で会おう」








「……お疲れ様でございました、閣下」



旧礼拝堂の出口、冷たい夜風が吹き抜ける外へ出ると、リアナが安堵の息を吐いた。彼女の手には、帝国を揺るがす汚職の証拠が握られている。



「ああ。これで少しは、軍も風通しが良くなるだろう」



ギルベルトは立ち止まり、月光の下でリアナを見つめた。


薄暗い地下では気づかなかったが、彼女の頬には、先ほどの小競り合いでついたと思われる、筋のようなわずかな汚れがあった。




「リアナ、こちらへ」


「はい……?」




怪訝そうに歩み寄る彼女に対し、ギルベルトは黒革の手袋を外し、素手でその頬に触れた。



「っ……!?」



体温の高い親指の腹が、汚れを拭うようにゆっくりと肌をなぞる。そのまま、彼の指先は彼女の耳裏から、きつく結われた髪のリボンへと滑っていった。



完璧な上司の微笑みを浮かべながら、彼女の黒髪を慈しむように一房、指に絡める。




「今日は……よくやったな、私の番犬?」




悪戯っぽく、しかし蕩けるように甘い声色で紡がれた言葉。


リアナは、その「私の番犬」という言葉と、素手で頭を撫でられるという過剰に甘やかな接触に、ぶわっと顔を赤くした。



「ば、番犬だなんて……わたしは、閣下をお守りする盾ですから……っ」



俯きがちに反論するリアナの耳までが真っ赤に染まっているのを、ギルベルトは静かに見下ろしていた。


至近距離。彼の体から発せられる熱を帯びた香りと、隠しきれない大人の男の生々しい色気が、リアナの呼吸を乱していく。彼女の濃い翡翠の瞳が、戸惑いと、隠しきれない淡い慕情を湛えて潤んでいる。



彼女が自分に抱いているのが、ただの忠誠心だけではないことに、とうの昔にギルベルトは気づいていた。



だからこそ、その芽生えかけた感情を利用し、縛り付け、自立できないほどに自分の毒で満たしてやろうと決めているのだ。



「頼りにしている、リアナ」



ギルベルトは完璧な仮面を貼り付けたまま、薄く微笑んだ。


赤錆の匂いが立ち込める湿った地下街の片隅で、ギルベルトの甘い指先は、微かに緊張を残すリアナの髪をゆっくりと、名残惜しむように梳いた。





……数日後、この愛らしい番犬が死んだという誤報を聞き、彼自身が被っているこの理性の仮面すらも粉々に砕け散り、凄絶な狂態を晒すことになるなど、今はまだ誰も知らない。





ありがとうございました!

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