0:Post festum.【少年と棺】
ゲームシナリオ書いた後に変わった設定とかを含め最初から1章書き直してみる完全版。
大筋の展開は変わりませんが以前書いた物とは文章などは変わりますので、その辺比較して楽しんでいただけると幸いです。
「この子を守ってあげて、私の代わりに」
それが最初の約束だ。
幼い日の俺にとって、その言葉はあまりに大きく……そして誇らしいものだった。
その日の俺にとっての存在意義。誰かを守ると言うことは、決して隷属ではない。
大人達、その世界に認められたような高揚感。
自分は子供じゃない。そうだ。騎士になれたんだ。
「この目が再び開いたなら……もう二度と、悲しむことも……泣くこともないように」
歌うような女性の声。幸せを祈るような優しい声。
この子が本当に眠っているだけだったなら、それはどんなに良かったか。
それでも彼女がそんな風に言うものだから。あり得ないことだけれど、自分にもそう見えてきた。まるで彼は眠っているだけのよう。
眠っている?確かに眠っているのだ。それは間違いない。それが二度と覚めない眠りだという言葉を除くなら。
棺の中、眠る子供は死んでいる。
それを見ている。この場にいる三人共が。
その鮮やかな景色。まだ思い出せる。瞼に、脳に刻まれたよう鮮明に。
人が死ぬところ。
それを初めて見たのがその日だ。
子供だった俺は死というものをよく理解していなかった。母親は死んだのだと父親から聞かされはしたが、物心ついた頃にはもう彼女はいなかった。俺を生んですぐに死んだという話だったからそれもそのはず。
だから俺にとって死とは酷く曖昧な物だった。
知らない者を恋しがることはない。街を出歩き親子三人で歩いている子供を見れば、ちょっと羨ましいとは思う。父は仕事が忙しく、あまり家には居なかったから。
それでもそれを素直に口に出せるような可愛らしい子供じゃなかった。世間を斜めに見て、わかったふりをしている可愛げ無い子供。それが俺。
初めて見た、その死は衝撃的だった。
可愛げのないガキに、恐れるという気持ちはない。始まれば、終わるもの。それは万物共通事項。綴った文字が薄れるように、頁を捲った物語がいつかは閉じられるようすべては終わりに流れている。
この世界に永遠の者など何もない。それを理論的に知ったかぶりをしている本当に可愛くない子供。
そしてその日、俺は永遠を知った。
その風景は、さながら永遠。死は終わりじゃない。死が、永遠だった。
彼の死は、完成された風景だった。美しい絵画のようだ。
人一人が目の前で死んでいくというのに、悲しみも恐れもせず、息を呑むようそれを見つめた。その死に俺は魅入られた。
あんなに綺麗な色の人間を、俺は今までもこれからも……彼以外に知り得なかった。
タロックの黒でもカーネフェルの金でもない。舞うよう風に揺れる銀色の髪。
夜空の濃紺よりも尚青く、けれど血よりも深く赤い色。どれ程の重さの紫水晶を砕いたら、何本菫の花を手折ったら……そしてをれを煮詰めて染め上げたなら、あんな色になるだろう。一つの単語で例えるものが見つけられない。それくらい綺麗な紫色の瞳。
あんな人間見たことがない。これが人間?信じられない。どこかの技師が作り上げた人形じゃないのか?そう。自動人形。
白い指先。細くて小さな手。だから彼の持つ杯は重すぎたのだろう。彼の手からそれが滑り落ちて落下する。
その音に弾かれたよう、よろめく彼の口元から流れる赤。その鮮やかな色が彼の白い肌によく映えた。
それが葡萄酒だったのか、違うものだったのか。あの日の俺はわからなかったが、彼が苦しそうだと言うことは見て取れた。
咽せたように咳き込む仕草、表情。漏れる声。そのすべてが心の琴線を掻き鳴らす。
なんて出来の良い人形だ。まるで生きているみたいだ。
それでもやはりそれは人形だった。彼は床へと倒れ込み、僅かに動いたその指も……やがて完全に動かなくなる。
けれど、そうなる前に一度だけ……人形と目があった。彼には此方が見えていなかったかもしれない。かれの視界は定まっていないように見えた。
人形の両目からはボロボロと涙が流れていた。何が悲しいのかわからなかった。人形も泣くのかと、そのことに感動した。
その人形は、とても綺麗な色で愛らしい姿をしていたけれど。それでも完璧ではなかった。
人形は上手く笑えなかった。
目が伏せられていく。その前に、人形は穏やかに微笑しようとした。笑おうとした。けれど彼は泣きながら笑うから、それは成功しなかった。
それを見て俺は、その不完全さに胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
人間になりたいと人間を演じ、そしてそれにあと一歩届かなかった。そんな哀れな生き物用に見えたのだ。人間何かよりずっと綺麗に見えるのに、彼はどうしてそんなに人になりたかったのか。
完全にその目が閉じて、……会場は静寂に包まれる。
彼が動かなくなるまで、眼を逸らせなかった。彼が動かなくなっても、惚けたようにそれをじっと見つめていた。
そこにいた人間の、きっと誰もがそうだったに違いない。余韻から抜け出せずにいた。
その余韻の中、ほうと息を吐いた人間は大勢。それが彼の死の異常さを雄弁に物語る。
彼は唯死んだのではない。殺されたのだ。
けれど人々は、まだ勘違いしている。ここが未来の殺害現場だと知りながら、足を運んだ癖に、自分たちが今見たものは何かの劇の一部分だと脳は錯覚している。
もしもここで幕が下りたなら、会場は沢山の拍手に包まれるだろう。
終幕の合図は幕ではなく男の声によって告げられた。待ちわびたカーテンコール。人々は熱狂し……そしてようやく夢から覚める。
アンコールはない。殺された人間を、もう一度殺すことは不可能だ。
そう、ここは劇場などではない。処刑場。
俺も思い出す。彼は人形などでは無かったのだと、ようやくここで。
*
「アスカー!あさー!」
「…………ぐえっ」
子供の体重はそんなにない。けれど思いきり腹の上で飛び跳ねられたら話は別だ。鳩尾入った。
「起きた?」
激痛に悶えている飛鳥をのぞき込む少女。というか幼女(11)。長い桜色の髪に赤い瞳の混血児のアルムだ。少々幼すぎる気はするが、見た目も中身も可愛らしい女の子ではある。唯、時折こう……なんというか問題を引き起こす。天然故、質が悪いとも言うが。本人が本当に無邪気で全く悪びれないのがまた、脱力を誘う。
「ああ。起きた起きた。もうちょいで永眠するところだったけどな」
「えーみん?」
「……にしてもうちのお姫さんはとんだお転婆だな」
自分には地下室の寄生虫のように幼児性愛の趣味はないが、眠りからの帰還はもっと夢見てもいいんじゃなかろうか?
そうだそうだ。腹上ジャンプ鳩尾落としなんて技を食らうより、誰だってお早うのキスとかの方が嬉しいものだ。絶対そうだ。
もっとも相手にもよるが。もしそんなことをしたのが野郎だったり加齢臭の漂う中年男だったりガチムチマッチョな兄貴だったり髭面の爺とか口臭のきつい婆だったり……そんなことがあったなら、問答無用で半殺しにして慰謝料請求した後本殺しにする。
もしかしたら奴隷貿易に手を染めてどこかへ売り飛ばすくらいするかもしれない。兎に角そんな展開はお断りだ。グロ過ぎて発禁になる。
話を戻そう。それで、だ。相手はこの女の子。恋愛対象としてはストライクゾーンから外れているこの幼女でも、まぁ嫌だとは思わない。可愛い女の子にキスされて嫌な野郎なんかまずいない。いるとしたら完全にあっち側の人間だろう。
窓とカーテンを開けて部屋から出て行くアルムを見送り、欠伸をしながら朝の空気を取り入れて、ぼんやりと飛鳥は思う。
俺にももう少し穏やかな朝というものが合っても良いんじゃないかと。ていうか俺は確か部屋の鍵を掛けたはず………
いや、寝惚けているな。そうアスカは思い直した。彼女はこの宿の従業員だ。マスターキーくらい店主から借りられる。それに知らない仲でもない。今更だ。
仕事に遅れないよう起こしに来てくれる彼女は、人間目覚まし時計みたいなものなのだ。
「しかし今のでHPぜったい100くらい減らされたよな」
怠い。二度寝したい。だが、朝飯は食べなければ勿体ない。それに今日は依頼が入っている。それもこれもそうだ全ては金のため。
この無法王国セネトレアで生きるも死ぬも、全ては金次第。金金金金。金が足りない。働かなければ。
「ふぁ……顔でも洗うか」
鏡に映る自分の顔。幼さも大分抜けてきた。親父に少し似てきたかもしれない。そう思って苦笑する。似ているのは色だけだ。緑の瞳と金色の髪、それは父親譲りの色だ。
「俺のが悪人面か……?いや親父も目つきは良くなかったよな」
それでも内面の違いか。彼の方が人が良さそうに見えたし、実際人が良かった。一方自分はと言えば……お世辞にもそうとは言えない人間だ。まず職種がアウト。
飛鳥の職は請負組織。請負組織は裏町の破落戸みたいなもの。
仕事としては組織によって差違あれど、依頼を受ければ犯罪すれすれのことを引き受ける……闇の世界の人間だ。それぞれ組織によって専門分野が異なって、客はその道のエキスパートに依頼をしに行く。
飛鳥の場合は、基本的に何でも屋。ある程度の報酬が与えられるなら、仕事は断らない。それでも命あっての物種。やば過ぎる山には乗らないし、西裏町で仕事をやる身として……仕事の都合上困るので奴隷貿易には手を出さない。
自慢じゃないが、そこらの破落戸よりは腕が立つ。剣の腕には自信があった。だから何でも屋とは言っても護衛、警備、害獣駆除……どうしても戦闘関連の依頼が多いのはご愛敬。他に向いてる職もないから仕方ない。
多少の擦り傷切り傷は年中負うが、そうそう文句ばかりも言っていられない。自分はこの国で、どうしても手に入れたいものがあるのだ。
(そうだ。もうちょいなんだ)
大分貯まった。もう9年も金稼ぎしてるんだ。
酒薬煙草、ギャンブル女も我慢して……いや、たまに酒は飲むけど。ここ酒場だし。そんな高いのは頼まない。
ギャンブルは……自分のリアルラックのなさにすぐに気付いて止めた。地道に稼いだ方が向いていると悟ったのだ。金は灯りだ。すぐに虫が集る。一攫千金は危険。ハイエナ共に路地裏に連れ込まれジャンプさせられ身包み剥がされるなんてこのセネトレアでは日常茶飯事。かつあげ、追いはぎ、そのくらいならまだ良い方だ。自分は稀少な人種だから殺されるまでは行かないとしても、最悪奴隷として売り飛ばされる。
そうなったらちょっと想像したくもない展開が待ち受けている。運が良ければ貴族の家の跡継ぎ養子。運が悪ければ………加虐趣味の変態貴族の飼い犬です、本当におめでとうございます。ああ、恐ろしや。
セネトレアという国は、それだけ危ない場所。正義も悪もあったものではない。
全ては金と、力。
力が金に代わり、金が力に替わる。力があればいくらでも金を稼げるし、金が在れば弱くても護衛を雇って安全を得ることが出来る。
けれどそのどちらもない人間にとって、ここは地獄だ。弱者は、標的。狩られる側だ。
城は金稼ぎしか行わない。王にとっての不利益を起こさない限り、国から追われることはない。例え、人を殺してもこの国では罪にはならない。奴隷を売っているような国だ。人の命さえ金で贖える汚れきったそんな世の中。
勿論金を積めば死人が甦るとか、そんな魔法みたいな展開はない。所詮世の中そんなものだ。命が買えるとは、いくらでも換えが利く。そういう意味。金を出せば新しく嫁でも妾でも恋人でも愛人でも養子でも幼女でも何でも買える。
商業国セネトレア。ここでは金で買えない商品は何もない。金さえあればどんな者でも贖える。
このベストバウアーという街は、セネトレア第一島に位置する世界貿易の中心地。金の亡者の悪徳の都にして世界の市場と名高いセネトレア王都。ある者には最っ高。ある者には最っ低。そんな矛盾した街である。
しかし……そんな最低な街にも、潤いはある。
朝食の良い匂いに釣られてふらふらと階段を下ると、聞こえる女の声。
「何、朝っぱらからにやにやして。気持ち悪いわね」
金色の髪に青い瞳のカーネフェル人の少女。彼女はまだ16だがこの……宿兼酒場兼定食屋である《影の遊技者》を一人で切り盛りしている商売上手。
本人がはきはき物を言う正確なのと、しっかりしているせいもあり、彼女の方が年下なのにお姉さんっぽい印象。
邪魔と言いたげに結われている髪はそれなりの長さがあって、解けば年頃の娘さんに見える。出るとこ出て、しまるとこしまってスタイルもそれなりに良いのがだが、蠱惑的とか肉欲的な魅力とは程遠い、分類するなら健康的な色香の持ち主だ。料理の腕は確かだし、気配りの出来る子だし、嫁にしてまず損はしない。ていうか好みだ。
そして何より彼女と話しているのは楽しい。気張らずに済む。
飛鳥にとってこの店はセネトレアでの家。物騒なこの国の中で、唯一心落ち着ける場所が彼女とこの店。妹とも姉とも違うが、家族のような親しみを感じている。
それは独りよがりではないはずだ。飛鳥に対するこのぞんざいな扱いは、彼女なりの親しみから。ここに世話になってから随分経つ。彼女の父親がここを経営していた頃からの付き合いだ。半ば幼なじみのようなものだと言っても良い。
そう。彼女こそこの最低な街における心のオアシス……
「何かあんた今絶対薄気味悪いこと考えてるでしょ?アルム、あんた何か変なところ踏んづけた?下腹部的な」
のはずだが、朝っぱらから容赦のない言葉責め。いや、別に嫌いじゃない。
これは彼女の親しみであって、そう愛ある言葉だ。愛は時に厳しく荊のような痛みを持って……
(……ってほんとに俺今日おかしくね?)
思考回路の暴走具合に、思わず自己ツッコミ。
夢見が悪かったからだろうか。どうも本調子じゃない。寝惚けているというか頭の螺子が一本外れた感じだ。いやもしかしたらあの鳩尾クラッシュの後遺症という可能性もあるにはあるが。
「あんたとうとう何かやばい趣味に目覚めちゃった?」
「ディジットー……流石にそろそろ酷くね?」
此方を気遣い半分不審半分で窺っている店主ディジット。彼女のこの明るい海の浅瀬のような青い目は本当に綺麗だ。それが劣性遺伝と知っても、自分も青眼に生まれたかった。彼女を見る度そう思う。
二重の溜息を吐くと、からと彼女がくすくす笑う。
「あ、やっと戻った」
「戻ったって何?」
「だってあんたいつもはもっと五月蠅いじゃない。くだくだくだくだべらべらべらべら手も動くけどそれ以上に口も動いてるみたいな」
「そっか、それなら目覚めさせられたのかも知れないな。だけどそれはアルムにじゃなくてディジット。お前の言葉で俺は」
「はいはい、寝言は寝て言いなさい。ご飯冷めるわよ?」
「ディジット冷てぇ……俺がほんとにMに目覚めたら責任とって付き合ってくれよ」
「馬鹿言わないでよ。勝手に目覚めた奴が悪いのよそんなの」
「じゃあ俺がよりSを開花したら付き合ってくれね?」
「何でそうなるのよ」
「俺の推理ではディジットはSの皮を被ったMだ!だからM男とは付き合えない」
「な、何でそうなるのよ!?」
「動揺している。怪しいなぁーディジットさーん?」
「わ、私は好きな人いるし!あんたなんかお断りよ」
「ああ。あいつか。あの野郎の何処がいいんだか。根暗だし嫌味だし口悪いし性格最悪だしいいとこなしだぜ?家賃だって払ってないようなもんじゃないか。そのくせ三食しっかりディジットにたかってやがる」
「……先生にだって良いところはあるわよ!」
「どこ?」
「……………か、顔?」
「……………………」
思わず吹き出した。そのまま口を押さえて笑いを堪えていると、彼女が顔を赤くしながら抗議してきた。
「……………………な、何か文句ある?」
おそらく理由は別だろう。唯、彼女は言いたくなかったのだ。それで適当にそれっぽい理由を挙げてみた、的な。何を今更恥ずかしがることがあるのか。
人のことはずばずば言う癖に、自分のこととなると彼女は途端にコレだ。まぁ、それが可愛いくてついついからかいたくなるのだ。
別に本気で口説いているわけじゃない。これが自分たちにとっての日所会話なのだ、何時からか。確か彼女があの男に惚れていると知った辺りから、自分はこうなった。
今まで9年も一つ屋根の下で暮らしてきたというのに、後から現れた胡散臭い男にその幼なじみを奪われるというのはとても気に入らない話。
そりゃあの根暗男には渡したくないし、渡すくらいなら口説き落としたいとも思うが、彼女の想いを尊重したい気持ちはある。その相手がどうしてあんなクソ野郎なのかとは小一時間問い詰めたくはあるにはあるが。
そんな複雑な思いと拗くれた性格のせいで、親愛なる彼女をからかうのはもはや日課だ。
「自慢じゃないが俺もそこそこ顔には自信があるんだが」
「私のタイプじゃないのよねぇ。それにあんたアスカだし」
「ちょ……!存在からしてアウトかよ俺!?」
そしてそれを冷たくあしらうのが、彼女の日課だ。
「わかった。それじゃあこれは俺とディジットの仲だから語るが……実は俺は某国のやんごとなき方の血を引くわけあり王族で、俺と結婚した暁には晴れて玉の輿に」
「ごめん、興味ないわ。ていうかあんた冗談も程ほどにしないさいよ」
「ですよねー……」
すたすたと調理場に戻る店主と、肩を落とした飛鳥の姿に他の客がけたけた笑う。
「また振られたなアスカ」
「うっせー……」
「……しかし彼女、カーネフェリーなのに本当変わってるよな」
客の一人がそう呟く。
カーネフェリー……金髪人種のカーネフェル人という意味だ。それで言うなら飛鳥もディジットもカーネフェリーに分類される。その時々によってこの言葉は侮蔑になったり親しみのある愛称になったり忙しくオールマイティな単語だ。
前者の場合、農業国のカーネフェルを馬鹿にする意味。広い国土と温暖な気候。それに培われた陽気なお国柄のせいでいろいろと気が抜けているように舐められがち。実際昨今の偏った少子化のせいで男児の出生率が減り、女ばかりが増えていて……軍事力も落ちている。敵国タロックとの戦争が再開したらやばいとは、たぶん誰もが感じている。
後者の場合、カーネフェル人が「俺達」という親しみを込めて使う言葉。カーネフェル人ではないタロック人や混血でも、敵意を持たずに親しみを込めれば「君達」「お前ら」と言った砕けた言葉に変わる。
友好的に使う分には問題ないが、嫌味を込めればすぐさま差別用語に変わる何とも忙しい言葉。同様にタロック人をタロークと呼ぶのもこれと大体同じ意味。
「ん、ほらディジットはセネトレア生まれだから。」
カーネフェルはセネトレアに苦汁を舐めさせられてきた。
金に無頓着な国民性故、新興国に過ぎなかったセネトレアに大いにカモられたのは歴史にまだ新しい。
その貿易摩擦に苦しめられ、……セネトレアとは関わりたくない。けれど武器を買わなければタロックとの戦争に負けてしまう。強い武器がタロックに流れたら、自分たちもそれを買わなければ。買うためには金が要る。だから底値と知れても作物を、自然を売り渡すしか術はない。自分たちで作る武器よりそれは遙かに性能が良いのだから。
セネトレアは平和を騙り、自分たちが戦うことはまずないが、武器を作ることは止めない死の商人の国。金のためなら何でもするのがセネトレア風。
何百年とそんな事ばかり続いたので、カーネフェルの女達は金に五月蠅くなった。
そしてカーネフェル男子の少子化。それが玉の輿という風潮を生み出した。カーネフェル人の女は過剰供給。故に奴隷としての価値は低く価格も安い。
だから彼女たちは金を愛し、憎んでいる。それが典型的なカーネフェル人の女の子像。
ディジットはそこから大分離れている。飛鳥が彼女を気に入ってるのもその、らしくなさから。今時そんな人間、滅多にいない。
「アスカさんは今日はどうしますか?」
「おうエルム、今日のメニューは何だ?」
カウンターの席に着いた飛鳥の傍に寄ってきたのは赤毛の少年。桜色の瞳には、うっすらと六条の光が宿る。片割れの姉のアルムの方が深い色の眼だから分かり易い。彼女の瞳はスタールビー。エルムのそれはガーネット止まりだろう。
落ち着いた声、丁寧な言葉遣いにその物腰。似てない双子とはよく言ったものだ。
こっちのしっかりしているエルムの方が弟だと言うのだから世の中本当によくわからない。同じなのは……たぶん身長くらいのもだろう。
「今日はタロック料理だと紅鮭定食。カーネフェル料理だとオムレツと焼きたてのパンが」「たまにはカーネフェル料理もいいな。それじゃあ今日は」
「はい、そう言われるかと思いまして焼いてました。すぐに用意でき……」
エルムの言葉を遮るように、爆音が鳴る。後ろの調理場から。
「エルムちゃああああん……」
けほけほと咳き込みながら現れる涙目の姉アルム。それを見て、さっと顔が青ざめる弟エルム。彼は早くも爆音の意味を悟ったようだ。
「何、姉さん?……まさか」
「あのね、……ひっく、あの………うう」
エルムは泣きながら抱き付いてくる姉をどうしたものかと両手を彷徨わせ、それを引きはがすよう彼女の肩へと手をついた。
「落ち着いて。それで姉さん…………僕なんて言ったっけ?」
「オーブン見ててねって」
「それで?」
「見てたら……なんかね、爆発した」
その脈絡のない会話文に、アスカは癖となりつつあるツッコミを我慢するのに神経をすり減らす。セネトレアにはツッコミどころがあまりに多い。その異様さの中で暮らす内、自分が信じた常識という固定概念を守るためには、そのスキルが必要不可欠だった。そうしなければ正気を保てない。
しかし子供にあまり容赦のないツッコミは厳禁。怒っているわけではないがそういう風に思われても困る。子供を泣かせるのは後味が悪い。それにディジットに叱られる。
そんな葛藤の中、目の前では双子の会話が続けられている。
「………そっか、見てたんだ」
「うん。約束通りちゃんと見てたよ?」
「ところで姉さん。僕こうも言わなかったかな?見てて表面が焦げた所で火を消してディジットか僕に知らせてって」
「うう………言った?」
「……また、忘れたんだ………………はぁ」
重いため息の後、エルムの視線が飛鳥へ向けられる。どうやら話は終わったようだ。こう言ったら何だが、これは日常茶飯事。アルムはどこか抜けているためよく失敗をする。本人は頑張っているのが解るので周りはあまり責められない。
エルムはすまなそうな顔をしているが、彼の責任でもないので責められない。
「すみませんアスカさん。料理変更です。このままじゃオムレツと発癌性暗黒物質定食になりますので。タロック料理でいいですか?」
「ああ…………ここの料理はどっちでも美味いからな。気にはしないぜ」
唯、これから仕事で動き回るにはパン食の方が胃もたれしないかと思っただけだ。
タロック料理自体は好物だから、嬉しいと言えばまぁ嬉しい。飛鳥はそう思うことにした。