代用品の少女はその街で彼と出会い自らの願いを見つける事ができるか⑥
「あら、お客さんの予定は無いのだけれど、どんな御用かしら?」
その女、ソフィアはこんな血濡れた人体の坩堝に在っても少しも汚れていない白衣を纏い、その空間の中心、心臓の側に佇んでいる。
彼女はどうやら写真写りが悪い方らしい。街中で出会ったのならお茶の一杯くらいお付き合い願いたい美女であるが、この状況ではそんな軽口も叩けない。
「突然の訪問で申し訳ないがミス、俺は探偵だ。依頼でアンタを探して、此処に辿り着いったって訳なんだが」
「あらあら、せっかく訪ねて来てくれたのに、少し散らかっていてごめんなさいね。残念だけど忙しくて、お茶も用意出来ないの」
あまりにも自然な会話の内容に眩暈がしそうだ。異常に紛れ込もうとする日常は、危険の前触れ以外の何物でもない。
「気遣いは無用だ。色々聞きたいことは有るんだが、依頼人の方が先約なんでね」
肩を支えるように促す手から伝わるのは緊張と、怯えの震え。今にも張り裂けそうな程に高まっている胸の鼓動。何よりも強い、隠しきれない恐怖と、それすら超える悲しみの匂い。とても感動の再会とは言えない場面に、背後の相棒を何時でも取り出せようにとケースに手をかけた。
「マスター、お久しぶりです」
「あら、貴女は」
マスターだと?いや、まだ俺が口を挟むべきではない。
握る手は白く。震える唇をかみしめて、どうにか声を絞り出すアリス。悲壮な彼女に対してソフィアは暫く思い出す様に顎に手を当て思案した挙句に。
「ああ、貴女。誰かと思ったら七号じゃないの。確か廃棄したはずだけれど、どうして此処にいるのかしら?」
その柔和な声色は、例えば捨てたはずのゴミが何故残っているのか、といった調子で。不思議そうに言いながら、彼女はその動作すら優雅に首を傾げるのだった。
七号などと意味の分からない符号で呼ばれたアリスはもうその悲痛の表情を隠せない。それでも、自分が為すべき事を為そうとしている。
「・・・それは錬成炉ですね。マスター、貴女はまだ。まだ、諦めていなかったのですか」
震える声で力なく指し示す先、この空間の心臓。アリスはそれを錬成炉と言う。
「ああ、分かる?此処じゃあ設備も揃えにくくって、どうしようかとも思ったんだけど」
アリス自身にでは無く、錬成炉と言う言葉に反応したのか。饒舌に回りだすソフィアの口調は対照的に朗らかと言ってもいい。
「想定以上にこのニヴルヘイムは魔素の濃度が安定していてこんな間に合わせでも調子がいいの。もうすぐ完成するわ。そうだ、せっかくだから貴女もご覧になりなさいな。この子はきっと、貴女みたいな失敗作じゃない。今度こそ、あの子が帰ってくるのよ」
「おい、クソ女」
まだ口を出すべきでは無いと分かっている。判断材料は少なく、べらべらと自分語りをするソフィアから引き出せる情報は貴重だ。もっと、謳わせておいた方が良いと理解もしている。
「あら、どうしたのかしら。えっと、犬のお兄さん?」
だが、悲しいかな理性と感情は別の問題だ。
もう我慢の限界だ。これ以上この女に毒を吐かせるのは耐えられない。
「口出しするのもどうかと思ったが、流石に無理だ。おい、ソフィアさんよ。こいつは何だ?錬成炉といったな。外見以上に、この禍々しさは何だ。この匂いは何だ!アンタ、何を造っている?そして、何より、何よりもだ」
そう。俺が我慢できない理由。この一点だけで、俺はこの女が既に嫌いだ。
「アリスを、失敗作だなんて呼ぶんじゃねぇ・・・!」
意味が分からなくても、その理由を知らなくたって。俺は俺が認めた人間を侮辱する行為を絶対に許さない。
対するソフィアの反応は、静止だった。先程と変わらずに張り付けたままの笑顔で。
「アリス?」
そして静かに、地の底から染み出す様に湧き上がる憎悪と怒り。
「七号、貴女。まだその名前を使っているの」
「マスター、待ってください!彼は悪くない、私が」
「黙りなさい。ああ、そう。そうなのね。やっぱり、ゴミの始末を適当にするのは良くないわ。そうね」
表情は変わらないままだ。そのままで上がり続ける負の感情の濃度は泥の様に重く体積していく。
「七号、貴女死になさい」
それが頂点に達したのだろう。言葉と同時に壁の一部が躍動し、飛来する肉の触腕。その先端でも質量として優に数百㎏。其処にこの蛇めいた速さを乗じれば、触れるだけでアリスの華奢な体はバラバラにされてしまうだろう。
しかし目標を貫く事は出来ない。鈍い衝突音で黒いアタッシュケースがそれを阻む。
「クソが!アンタ、正気か!」
「あら、犬のお兄さんは邪魔をする気なのかしら」
「当たり前だ!」
初撃を防がれてなおケースを叩き続けるこの肉には火を纏うだとか、電気を放つだとかいう魔術的な効果を帯びてはいない。だが単純に膨大な物量からなる物理的な攻撃は有効だ。続けて飛来する複数の触腕、受けるケースに亀裂が走る。
「もう、やめて、やめてくださいマスター!彼は関係無い。殺すなら私だけを!ベオも、もう」
「止められるか馬鹿!」
雨のように絶え間なく、重く痺れを残す衝撃に耐えながら泣き叫ぶアリスを庇い、じりじりと彼女を出口方向へ誘導して、俺はソフィアへと最後通告を投げかける。
「おいクソ女!アリスと話をする気は、無いんだな!?」
「あら、失敗作と何を話すのかしら」
成程。クソ女は自らのクソみたいな発言を訂正する気も撤回するつもりは無いらしい。ああ、そうかい。上等じゃねえか!
「よし、交渉決裂。話し合いは終わりだ!アリス、急場を凌ぐ。肉の薄い扉側に走れ!」
続く肉の一撃。損壊するケース。その破壊音は始まりのゴングでもある。
「起きろ!スコル、ハティ!」
此処からは暴力の時間。この悪趣味なインテリアをぶち壊し、あのクソ女を会話のテーブルに無理矢理にでも座らせる。話はそれからだ。
闘争に血が沸き立つのを覚える。内側から響き始めた声に思いきり怒鳴り応える。馬鹿、お前はお呼びじゃない。引っ込んでろ。
そう、それでいい。今はこの相棒の出番さ。
両の手に伝わる頼もしい重さと鋼の艶やかで硬質な触感。それを確かめる間もなく殺到するは肉の鞭と槍。
衝撃の総量としては数台のトラックが同時に殺到、衝突するに等しい圧力を伴う津波の様な物量。
俺をお仲間の肉塊にすべく迫る怒涛は、その全てがこの手から放たれる轟音で、この身に触れる寸前で切断、爆散し血煙に変わった。
「あら」
クソ女、まだ余裕なのか間抜けな面を晒してやがる。その表情を、今から凍り付かせてやる。
相棒の一つ、右の爪。
その刃渡り50㎝。柄を含めた全長は1mを超える。低く重い駆動音を響かせるエンジン、唸るソーチェーン。形態としては斧に分類される兵器は本来であれば片手で扱える重量ではない。
「スコル、リッパー!」
俺の声に応え、時折火花を散らして回転し吠える刃が血と内容物をまき散らして太い触腕を切断していく。
切り離された肉片は痙攣じみて跳ねまわりこそするが、しつこく襲ってくる様子は無い。
本体から切り離された肉はコントロールを失う様だ。こいつは朗報。
シェフは俺、材料はお前。手前の肉で作った挽肉を腹いっぱい食わせてやる。
そしてもう一つの相棒、左の咢。
外見としてはそれだが最早拳銃とは言えぬサイズの鉄塊から放たれる50口径の弾丸が音速を越え、轟音と共に触れる肉は大穴が開く。
が、元々ふざけた質量に加え本体と繋がっているせいか周囲組織が膨張しすぐさま出血は止まり、通常弾頭では足止めにもならない。
「ハティ、誘導装填。弾頭は銀製に変更!」
打ち尽くした通常弾倉を投げ捨てるとケースの破片から拡張弾倉が飛び出し導かれるように装填。間髪入れずに銀の弾丸を吐き出す。
鉛玉とは違い銀の弾頭が穿つ孔は白煙を吹き出し治癒も遅い。この反応から肉どもは魔素を多く含む様で、類する化物の特徴と同じく銀に対する過敏な組織反応が見られこの選択は有効なようだ。
スペシャルがお気に召したようで何よりだ。俺は下ごしらえを欠かさない主義だが生憎塩コショウは切らしてる。代わりに追加で鉛と銀をたっぷりと撃ち込んでやるさ。
「さあ、刻んでやるぜ!」
その光景は異様、部屋を構成する全ての肉が一人に殺到する。
本能が有るというのなら、肉は理解している。ちっぽけな小娘を磨り潰すという主の命令を聞いている場合ではない、アリスには構っていられない。その行為は無防備な背を晒し敗北する事と同義、勝利よりも優先される最優先事項、生存の為に排除するべき敵はこいつだと言わんばかりに物量に任せた猛攻は続く。
そしてその全ては。
「スコル、ブッチャー!」
ぐるりと中心から両開きに展開する刃は見た目通りの鉄塊に。チェーンを回す動力は熱に変換され、赤熱した鉄槌が肉を焼き、潰し、引きちぎる。
「ハティ、掃射、ぶちかませ!」
銃弾の雨が殆ど一度に響く発砲音と共にまき散らされ、心臓を庇い他の肉の壁が波打ち、千切れ、降り注ぐ血のシャワー。
始めは目の前の空間そのものと個人という圧倒的物量差で、数秒すら持たないとの予想に反して戦いは均衡。いや、完全に此方が圧倒している。肉の攻撃の手は最早アリスを狙う何処ではない。意識をそちらへ向けるが最後。致命傷は疑いようのない現実だ。
「どうしたクソ女、派手な割にメニューは増えねぇなあ。手品はそろそろ品切れか!」
「犬のお兄さん、乱暴は困るわ。困ったわねぇ、ゴミを捨てるのにかまけてこの子が傷つきでもしたら大変。犬のお兄さんは諦めてくれそうにないし、そろそろお暇しようかしら」
その言葉に続いて防空壕の空間全体が震え、ベオの猛攻で体積を減らし、肉の間から覗きつつあった岩肌から瓦礫が崩れ始めた。更に壁面に張り付いた肉の筋や腸管が収縮を始め、天井を支える岩盤を引き始める。
「待てコラ、逃げる気か!」
収縮によりあちら側の肉の壁が大きく剥がれると隠れていた洞穴が続き、心臓がコンベアの如く動く肉の地面で運ばれていく。
同時に壁面の肉の全てが躍動を強め、瓦礫の量が増加。崩壊が加速していく。
「させるかよ!ハティ、銃身拡張展開。次弾、特殊弾頭装填!」
優先順位の一位はアリスの安全。しかしあの心臓を放置する事は悪手だ。
あれはヤバい。あの内側から這い出すモノが何であれ碌なものである筈が無い。
ハティの銃身を展開し特殊弾頭を装填。こいつは威力の代償に命中率が劣悪。加えて一発で銃身が焼けてお釈迦にはなるが、あれだけ大きな的を外すわけがない。しかし。
「ああクソ、其処をどけクソ女!」
「駄目よ犬のお兄さん。この子を傷つけるのは駄目」
その表情は変わらない。相変わらず笑顔のままで、だというのに、この匂いは何だ?
保身でも無く、狂奔でも無く、ましてやその身を挺す行為に俺が躊躇うという打算でも無い。
だが、俺は、それを、その名で呼びたくはない。本能で分かっていても、そう理解する事を理性が拒否する。
だから銃口に身を晒し立ちふさがるその思考が理解できない。この女は、何を護っていやがるんだ?
いや理解する必要は無い。なら、その■を抱えて逝きやがれってんだ。
「アリス、あの女は無理だ!どうしたって救えない。何かをやらかす前に、此処で確実に殺す!」
ああ、俺らしくもない。そんな事を問う前にさっさと引き金を引くべきだった。
だから聞いてしまった。出会って暫くの強がりでも、やっと僅かに胸の内を開いてくれた瞳でも、あの女にゴミ呼ばわりされて見せた悲痛な表情でもなく。
「母さん!」
只の、そう。何処にでもいる只の。
「待って、母さん!」
子供の様に母を呼ぶ声に、引き金を引くことを躊躇う事も無かったのだから。
その逡巡の間に、アリスの声に振り向きもせずソフィアは心臓を伴い瓦礫に紛れて反対側の洞穴へ消えていく。
「あああああ、畜生!俺の、大馬鹿野郎!」
最悪だ。こういう中途半端な躊躇や情けが一番状況を悪くすると、分かっていた筈なのに。
しかし終わった事を後悔する暇はない。こうなればやる事は、いや、やれる事は一つだ。
取り乱し泣き止まぬアリスを抱え、全力で走る。
空間の崩壊はこの防空壕全体に連鎖しており、今は其処から逃れるために土にまみれ、落石を避けながら必死に出口に向かうしかない。
更に状況は混沌とし、僅かに判明した事実に反して謎は増えていくばかり。それでも確実に分かる事は、今夜はあのクソ女に完全に出し抜かれたという認めたくない事実だった。




