代用品の少女はその街で彼と出会い自らの願いを見つける事ができるか⑤
清水の組を出て一時間程度走ると、周囲には他の車どころか殆ど人影も見当たらなくなり、建物もまばらで舗装が剥がれひび割れたアスファルトの荒い路面が続く。それすらも暫くの間の事で、今では殆ど露出した、地平線の果てまで乾いた砂と岩の大地が眼前に広がっている。寄り道したせいで予定より少し遅れたが、それでも昼過ぎには目的地付近に辿り着いた。
「とは言ってもなぁ」
この辺りは大異変前の土地でも郊外に位置し、元々自然が多かった地域だ。それが今では幾つか廃墟がある他はとある理由により殆ど禿山になっている。だから調査地域の見渡しも良く相手のねぐらの見当も付きやすいと思っていたのだが。
「これで三ヵ所目。空振りが続くな」
事前に幾つか当たりを付けていた付近の目ぼしい廃墟は探し人の痕跡どころか暫く人の立ち寄った様子もない。所長の話ではメイガスの、特に錬金術師の工房となればそれなりの規模になる事が多いという。その為幾らか形を残している廃墟を再利用していると踏んでいたのだが。
「こりゃ廃工場とか廃病院の再利用って線は薄そうだな。どーすっかねホントに」
日はまだ高いとはいえ傾きつつある。たとえ各勢力の間の空白地帯とはいえ此処がサードである以上、日が落ちると危険度が跳ねあがる。
注意すべきサードの主勢力、各クラン以外にも、夜になれば動きが活発になる魔素汚染により狂暴化した野生動物、流民集団にバルドルから賞金を懸けられた逃亡犯。それらを手ぶらで相手するには少し荷が重い。
「所長の調査状況次第だが、こりゃ星見に話を聞きに行った方が速いかな」
うーん、出来ればそれは最後の手段にしたかったが。
「と、またか」
ひょいと軽く前方へステップを踏むと次の瞬間に先程まで自分の体が有った空間を弾丸の様に通り抜けてゆく物体。
昼間のサードを支配しているのは人間や狂暴化した動物では無く、変異した昆虫や爬虫類だ。
こいつはその中でもポピュラーな方。かつてのトカゲ類が魔素汚染で巨大化したバジリスクと呼ばれるスカベンジャー。死骸でも残骸でも何でも喰らう悪食の掃除屋である。
サードでは勢力同士の抗争で、夜に殺し合いで大量に死体が出てそれを野ざらしにしておいても、次の夜までは残らない。それは埋葬やゴミの後始末がしっかりと行われているだなんて気の利いた理由ではなくて、こういった日中に活動する化物がそれらを痕跡すら残さず綺麗に食い尽くしてしまうからだ。
それだけならまだ便利な存在だがその旺盛な食欲を彼らが抑える事なんて事は出来る筈も無く、目に付く物全て齧りつき、無機物有機物好き嫌いなく喰らう。それがこの一帯が何もない荒野となっている理由でもある。
サード各勢力下においてはそれぞれが駆除やそれらを食料として活用するなどして対処しているようだが、こうしてそこから逃れた個体がはぐれとなって空白地帯にうろついている事は珍しくは無い。
こういった襲撃を受ける事はサードにおける死亡理由の上位に食い込んでいる。故に逃亡者は身を隠すのに易く、また身を守るのに難い。
「これで五匹目。今日はけっこう多いか?」
殆ど反射的に、その食欲を満たすべく2m程の体でも不釣り合いなほど巨大な大口を開いて再度飛びついてくるバジリスク。何でも噛みつくせいで所々欠け、不揃いで鋸の様な歯。加えてワニを越える強力な咬合力も脅威だがその口腔内には特殊な細菌が数百種類共生しており、噛まれれば掠っただけでも感染症で死に至るらしい。
「まあ、噛まれればって話だが」
旺盛な食欲を満たすために馬鹿みたいに広げている口腔内目掛けて先程避けた折に拾っておいた小石を投げつける。直進する礫はウエハースを砕く様な音で口蓋を突き破り、小さすぎる脳を掻き廻し、頭蓋に内側から風穴を開けて通り過ぎた。
勢いを殺さず彼方へと飛び去る死骸となったバジリスクを見送ると、動かなくなった骸になんだかよく分からない虫が群がっていた。食う側が次の瞬間には食われる側に代わる。これも一つの食物連鎖と言えば良いのか。うん、やはり長居はしたくないな此処は。
「流石に出直すか。もう少し角度を変えて情報を洗ってみるか、な?」
そう考えていると、車の後方から物音がして、それが断続的にトランクから響いている事に気が付いた。今度は勘違いなどでは無い。今、こうして確実に聞こえている。
いや待て、事務所を出発する前、それから清水の組を出る前に、確かに確認はしたはずだ。
目視でも、匂いでも、確実に自分以外の存在が同乗していない事を確認したはずなのだ。
なら、この音は何だ?
「おい、聞こえているだろう駄犬、さっさと開けろ!」
ああ、幻聴が聴こえるぜ。
「なあ、聞いてくれるかキャス。俺、思っていたよりあの子にお熱なのかもしれない。ほら、今でも近くに居るみたいに声がするんだ。それとも彼女は俺の守護天使で、こうして途方に暮れている俺を励ましてくれているのかい?」
「妄想も大概にしろ。貴様が向き合うべきは私が此処に居るという事実だ」
「ああクソ、やけに物分かりが良いと思ったんだ!なあアリス、君が勇敢なのは分かったから、頼むからこういう事は止めてくれ!」
トランクを開けると、空っぽだった筈の空間には毛布や食料などを詰め込んで、思ったより快適そうにくつろいでいるアリスの姿があった。
「ってどうやって潜り込んだ。出発前に確かに確認したし、匂いも無かったぞ」
「お前の言う匂いというのは良く分からないが、私は優秀だと言っただろう?」
そう言って彼女が此方に示すものは、一見するとただのつば広な帽子に見える。
「っておい、まさかこいつは」
「ああ、冥神の隠れ兜だ。勿論レプリカではあるが、一部本物を埋め込んで、込められた術式も一流。そして効き目はこの通り。大したものだろう」
神秘の残滓、伝承兵装。かつて存在したという神々の残り香を今に伝える骨董品やソレを模して造られた複製品がそう呼ばれている。
かの怪物の邪眼から英雄を隠したという遺物の効果は模造品とはいえ自分程度を出し抜くには十分だったらしい。くそ、自信無くすぜ。
「じゃあ何故ついてきた。昨日は聞き分けよく事務所で待っててくれたよな」
「それは昨夜、本拠地の捜索を行うと話していただろう?貴様の鈍い鼻では彼女の欺瞞を見抜けない。故に私の協力が必要だと判断した、それだけだ」
「いや確か、君はあの時寝ていたよな?そいつも何か遺物を使って」
間髪入れずにアリスが示したものは、自分も使用する見知ったもので。
「ボイスレコーダーかよ・・・」
「初歩的なミスだな探偵。メイガスとはいえ私は文明の利器も最大限利用する。頭の固い老人達とは違うのだ」
暫し青い空を見上げ、途方に暮れる。自分が思っていたよりこの少女は用意周到で、無謀かつ勇敢らしい。
完全に彼女に出し抜かれた形になってしまった。流石に今から出直すわけにもいかないし、実際調査が行き止まっているのは事実でもある。
アリスの安全を優先して今すぐ事務所へ引き返す事は勿論考えたが、自分の鼻すら誤魔化せる冥神の隠れ兜に、まだ隠し持っているかも知れない伝承兵装。なによりこの無謀すぎる行動力の塊を自由にしておくよりは自分の眼に留まる場所に居させた方がまだ安心か、と自分に言い聞かせて、この敗北を受け入れる事にした。
「分かった、君の勝ちだアリス。けどな、此処からは勝手は駄目だ。俺の指示を確実に聞いてもらうぞ。それが駄目なら今すぐ事務所まで戻る。それだけは妥協できないぜ」
その上での妥協点がこれだ。流石にこいつを守れないとなると引き返す他はない。
俺の真剣な調子に、アリスも流石に押し黙る。けど、俺は何も言わない。彼女の返答を聞くのが先だからだ。
「・・・何故だ」
「は?何で質問?」
「何故、私の勝手な行動を本気で怒らない。何故生意気な言葉使いに憤らない。何故聞かない。何故、あそこまで知っておいてこの依頼を断らない」
それは、これまでの不遜な態度では無く、つい先程自分を出し抜いた時に見せた、勝ち誇るような表情でも無く。何処か頼りなさげで、迷子の小さな子供の様だった。
ああ、そう言う事か。その理由に思い至ると、これまでの彼女の無鉄砲な行動にも合点がいった。
その裏にある事情は今も分からない。それでも経緯を知れば知るほど、彼女自身も窮しているのだと察しは付く。
そして依頼を受けた時から感じていた小さな違和感。たった今確信したそれは多分、彼女なりにこういった事態に、依頼を受けたとはいえ無関係に近い俺や所長を巻き込みつつある事に罪悪感を感じているという事だろう。
今までも色々な依頼人を見てきたが、その中でも此方を利用するだけして使い捨てにする、それどころか初めから嵌める気満々の奴など、腹に一物も二物も隠していた者は珍しくない。
それに比べて彼女はどうだ。態度こそ多少問題が有ったかも知れないがその年齢と単身九界へと潜入した状況を考えれば精神的にも肉体的にも大きな負担があった事は想像に難くない。
やたら攻撃的な言葉使いも硬い表情も今では見る影もない。元々、善良な性質なのだろう。
そんなアリスが、そういった自己防衛に近い取り繕いも出来なくなっている。これもまた予想にはなるがその状況から残り時間もそう残されてはいない、そういう事だろう。
「今なら、取り返しは付く。前金は返さなくてもいい。むしろ今の段階で成功報酬を支払おう。実際お前たちは優秀だよ。この付近に、彼女は潜伏している」
何故だかは分からないが、確信に近い言葉でアリスは続ける。
「ベオ、崖っぷちは此処だ。此処から先は、引き返せなくなる。家族の始末は、私が付けるから」
その瞳は、揺れているが真っすぐで、この日の下、透き通るような深い翠。この色彩が彼女自身の本来の色なのだろう。
初めて呼ぶ俺の名も、別れの挨拶の代わりのつもりなのか。強がっているつもりでも、その言葉の終わりは隠せない程に震えている。
そいつを眼にして、この胸を占める感情を例える言葉は無い。俺にはその記憶がない。
けれど、魂が覚えていると、そう信じているから。
そう、そうさ。そいつが一番大切な事だ。
そう納得することが出来れば、俺は何時だって崖っぷちから、その下に口を広げ待つ真っ暗な奈落へと飛び込める。
「アリス、君は間違いなくいい女になる。保証するぜ」
「な、何を言っている。ふざけている場合では」
今度は昨晩の様に何となくではなく、思うままにアリスの頭へと手を伸ばし、くしゃりとその柔らかい髪を撫でる。アリスは口で文句は言うが何故か嫌がる様子は無く、何処か懐かしいモノを思い出す様な匂いがしていた。
「うーん、英国のレディに日本食はありきたりかな。うん、あそこならベターだ」
「だから何を、こら、頭を撫でるな!」
流石に手を払いのけられ、怒る顔を造るが最早年齢相応のそれだ。ようやく本当の彼女に出会えたと思うから。だから、一つ約束をしよう。
「この事件が解決したら、俺とデートしてくれ。旨いフレンチの店を予約するよ。そいつが、追加報酬って事でどうだい?」
何でもないような、契約でも強制でもない、只の約束。こいつがこの事件を最後までやり通すに足りる俺への報酬だと定めた。
さあ、もう飛び込んじまった。行き先は不明。奈落の底に待つのは何なのか。
けれど、取り敢えずの追加報酬として彼女の安堵の涙を視ちまったから仕方ない。そうだろ?
其処から車で数分ほど移動し、迷いなく何でもないような岩肌の影を指し示すアリスの目線の先に、それは隠されていた。
「これは、防空壕ってやつか」
太平洋戦争の折、大きな街や軍事基地の郊外の山間部には幾つも緊急の避難場所として用意され、使われず忘れ去られたものも多いと聞く。
意図的にか周囲の地形に溶け込み、また一見では分かりにくく偽装された鉄の門扉を開くと、地の底へと続く様な深い闇が穿たれている。
「この先だ。間違いない」
「オーケー、虎穴に入らずんば虎児を得ずってやつだな」
果たして虎穴程度で済めばいいが。こうなると所長の勧めた通りにそれなりの用意をしてくるべきだった。だが全ては遅い。今が最短で、時間制限ギリギリの選択のチャンスだ。それを逃すわけは無く最悪の場合を想定し、それでも切り札を使う事は躊躇しない。
「ベオ、これを」
「ん?」
一人考え込んでいるとアリスが何かをトランクから引き出してくる。それは彼女の背丈半分ほどの大きさの、俺にとっては見慣れた黒いアタッシュケ―スだった。
「メモがあった。マナからだ」
アタッシュケースに張り付けてある可愛らしい便箋には、見慣れた知的で綺麗な文字が並んで、こう記されている。
ベオ君へ。アリスちゃんも君も、無事にちゃんと帰って来る事。オーケー?
「おいおい、気が利きすぎてるぜ所長!こいつが有れば怖いもん無しだ!」
気を使ったつもりだったが結局所長には無理をさせてしまったようだ。確認するようにわずかにケースを開き、中身は言わずもがな。幾つもの修羅場を共に潜り抜けた二つの相棒が鈍い光を放っている。
「さあ、進むぜアリス。この暗がりの向こうに何があるか、確かめに行こう」
ケースを背負い、アリスを背後に進む。鉄の門扉の向こう、その内部は昼間でも一歩踏み入れれば暗く、幾らか温度も低い。
湿った空気に黴の混じる匂い。しかしそこに僅かに紛れた花の様な香りに、足元を見れば最近も人の出入りがあったと分かる、奥へと続く新しい足跡と荷台か何かの車輪の跡。アリスの言う様に目的地はここで間違いは無さそうだ。
それから暗い道行きを数メートル、いや数十メートルは進んだだろうか。始めのうちに感じたものは、洞窟特有の温度と湿度と匂い。その三つだけだったが。
「・・・言いたくは無いが、君の身内は中々趣味が悪いみたいだな」
これでは先日の人肉ショップの方がまだマシだ。あれがある意味整頓された悪趣味な店舗のそれで有るとすれば、これはそれを遥かに超える混沌。
禍々しく、重く纏わりつく異臭。下がり続ける温度はまるで地の底どころか、死の国へと向かっていると錯覚させる。
その理由。フラッシュライトが差す荒い岩肌は所々濡れている。それは血液であり、漿液であり、胃液であり、腸液であり、膵液であり、髄液であり、その全て。人体を構成するあらゆる液体がごちゃ混ぜになって、無秩序にキャンバスへと塗りつけられたスプラッタ。
俺の気分も最悪だが、それ以上にアリスの顔色は悪くなる一方だ。けれど頑なに引き返そうとしないのは。この先に目的の人物が待っているという確信からだろう。彼女が耐えている間は、俺が弱音を吐くわけにはいかない。
暫くは互いに無言で進む。それは数分だったか、もしかすると数時間だったかもしれない。
「終点か」
思ったより深く、現在地は恐らく山の中頃まで進み。そこに在るのは意外な事に、蛍光灯が灯る何処のオフィスに在っても不思議ではないステンレスの扉だった。
一度振り返る。そうすると頷くアリスには疲弊の色は見えても、覚悟が決まっている事が分かったから。
さあ、鬼が出るか蛇が出るか。
そうやって扉を開いて、覚悟していてもなお、その光景に思考が凍った。
扉の先は思ったより広く、30m四方の空間が広がっている。内部は工事現場などで使用される光源が幾つか設置され、視界は悪くない。
成程。設備はともかく隠れ場所、そして何かをやらかすにスペースは十分だ。集団で避難する場所であったか、又は軍の施設だったのか。着眼点は中々。まあ、問題なのはそこじゃあないんだ。そんな事で俺は、敵地で、こんな風に間抜け面晒して驚いたりはしない。
一つ。壁一面に張り付けられた壁紙は、脈打つ肉と内臓。その全てに血管が走り、大腸と小腸がバイパスし、蠕動し、血液と栄養を循環させている。
まるで巨大な生き物の胃袋の中に入り込んだとでも言えば良いのか。此処では俺達は異物であり獲物。まさか鯨に呑まれたピノキオの気分を体験出来るだなんて、しかしこのインテリアは趣味が合わない。ホラーハウスは嫌いじゃないが、グロは勘弁。チケットの返金は対応してくれるだろうか?
二つ。今、一歩踏み入れた床も例外ではない。
足裏から感じる嫌悪感の正体は踏み抜いた肝臓の感触だ。厚いブーツ越しからでも伝わる、靴底からはみ出る柔らかい弾力のある紫に近い赤黒い塊。その隣は胃か、肺か、腎臓か、脾臓か、膵臓か。人の内側である事が通常。だというのにその外側という異常にあって、血濡れで蠢くそれを、人間だったモノだと信じたくは無かったが、疑いようはない。人肉ショップで嗅いだそれに似た、その数百倍に凝縮されたこの匂いは、人の内側の匂いである。
「こいつは百や二百じゃきかねぇ。素材の仕入れ先は複数あったって事か」
そして、三つ。その空間の中心に在るモノ。鼓動の元であり、他に散らばる内臓の仲間はずれであり、この部屋の、文字通り心臓。
拍動を続ける巨大な心臓と、隣に佇む人影。まるで地獄の坩堝、問題の探し人は其処に居た。




