代用品の少女はその街で彼と出会い自らの願いを見つける事ができるか④
事務所に戻ったのは日付も変わって一時過ぎ。
外から見える窓に灯りは付いており、事務所内では所長が先に送っておいた情報の分析をしている所だった。
「なんだよ、お嬢さんはこっちに泊まってるのか」
見れば来客用のソファーには毛布を掛けられたアリスが横になり、静かに寝息を立てている。こうしていれば昼間の横柄な態度も何処へやら、年相応の子供にしか見えない。
「お帰りベオくん。彼女、君を心配して帰ってくるまで待つって聞かなくてね。疲れていた様だし先に休んでもらっているよ」
違う意味での心配なんだろうなと思いつつ、作業用の眼鏡をかけ、カーディガンを羽織って何やらパソコンを操作している所長の側に、出来るだけ静かにアリスの脇を通り抜けて向かう。
アナログな実地調査と対外折衝を含む荒事担当が俺なら、デジタルな情報収集、それから二人が集めた調査結果の全体を俯瞰、統合して精査する担当が所長だ。留守の間に依頼人から提示された僅かな情報に俺が先だって報告しておいたモノを含めて、今はその背景を探っているのだろう。
横から彼女の操作するモニタを覗き込むと、幾つかの場所と人間、それから手掛かりの写真と別の姿をした探し人、ソフィアが映し出されていた。
「へえ、なかなか優秀だぜ。このソフィアって女」
ソフィア・オーガスタ。
メイガスの本場であるイギリスでも数少ない、紀元前に遡るほど古い起源を持つメイガスの大家、その現当主。
彼女は没落しかけていた古いだけの名家の屋台骨を一代で建て直し、メイガスの元締めである協会においてもかなりの影響力を誇っていた。
「いた?過去形って事は」
「そう。今は除籍、いや破門処分の上で粛清対象になっている。生死問わず、10万ポンドは凄いね」
日本円でおおよそ二千万くらいか?これだけの金額が個人にかかる事は珍しい。一体何をやらかしたのか。
「ああ、彼女禁忌に触れたみたいだ。その罪状は、ちょっとまだ分からないかな」
禁忌。メイガスにとっては禁断の果実であり、かつては目指すべき場所であった聖域。そこへ足を踏み入れる、又は踏み入れようとする者は、例外なく存在を抹殺される決まりになっている。
それはメイガスにとっての自浄作用であり、神秘を主とする小さな世界が科学を主とする大きな世界と共存する為の最低限で絶対不可侵の盟約でもある。
例えば核を越える大量破壊兵器。例えば動く死人を量産する疫病。例えば異なる世界から、別の理を持ち込む扉。
そういった、世界を改変しうる技術を禁忌と定義し、徹底的に排除する。その約定を破ったのが、今回の依頼人が探している人間という事だ。
先だってその線の網を張っておいたのは正解だったらしい。アリスがどの立場か分からないが、その動きや目的をソフィア程うまく隠しているかは疑問だ。ソフィアの関係者である可能性が高いアリスの後を追跡される事で近日中に、下手をすると今にでも、此処ニヴルヘイムが協会の追手や賞金稼ぎによって戦場になる可能性がある。
こいつは尚更時間を掛けるべきではないな。そう考えていると、所長がじっと此方を見つめている事に気が付いた。
「どうしたんだい所長?」
「うん。少し考えたんだけれどね、どうしようかベオくん。前金貰ってるけど、今からでもこの件は断りを入れるかい?」
「アリスに?所長、それこそ冗談だぜ」
「けれど余りにも不確定要素が多い。アリスちゃんには悪いけれど彼女もこれだけの情報を隠していた訳だからお互い様さ。此処までの調査報告だけで終わらせても、問題は無いと思うけれどね」
こういった時でも彼女の穏やかな態度は崩れない。例えば今、俺が、ならそうしようか。なんて言ってしまえばその言葉通りに此処でこの依頼は終了する。
けれどまあ、多分俺がどう考えてるかも解ってるんだろうな。
それでも、俺の考えを聞きたいって言うのなら。なら、答えは決まっている。
「まだこの件は始まったばかりだ。飛び込むか、引き返すかは、崖っぷちまで行ってから考えようぜ」
「ふふ、そう言うと思ってた」
所長も人が悪いな。けど悪戯っぽく此方を見上げる横顔は綺麗だ。
さて、その崖際まで進むと決めたのなら先ず、今夜あのカエル面の店主への尋問で追加で得られた情報から。
「例の人肉ショップに現れた探し人の目的は買い物。それでその購入品のリストだが、数種類の薬品に、特定の部位指定は無い新鮮な人体が雑多に約100㎏。それが一度の買い物量で、合計三回取引されている」
「同じトラックが深夜に引き取りに来て、引き渡した後は知らないっていうのが、その店主の供述なんだね」
「ああ、この情報に嘘はない。匂いでも確認してる。で、帰りがてらにワタリに調べてもらったトラックの足取りの最後が。うわ、完全にサードに向かうルートだぞ」
「そして車両が走破可能なルートを選定して、そこからの進路予測が此処。うん、うまく選んだね。サードは確かに危険な無法地帯だけど、横に広い分それぞれの地域を支配する勢力の間隔が広い。この辺りなら丁度縄張りの空白地帯だ。危険な事に変わりはないけれど人が少ない分隠し事はやりやすいだろう」
「で、その隠し事に見当は?」
「彼女の専門とする魔術は錬金術。買い物が材料調達と考えると、何かしらの薬物か、物質の錬成かな」
錬金術。石くれから金を生み出すという似非科学は、魔術という分野においてポピュラーで実践的な技術だ。
初期では今日に至る科学文明の基礎を作り、道が分かたれた後は特に神秘に属する術を当たり前の道理として結果を生み出すという。
「錬金術で粛清対象って、一体何を研究しているんだか。新しい核物質でも作ってるのか?」
「彼女の専門は医療分野らしいから、薬品系が怪しいかな。ほら、人が材料の不老薬とかって実際に有るらしいし」
なるほど、しかしその程度でメイガス達が仮にも身内の、しかも権力者の一人でもあったソフィアを抹殺対象とまでするだろうか。
何かが欠けている様な気がする。錬金術に、人体を含む材料。そして探し人が至ったという禁忌。もう少しアリスがまだ隠しているであろう情報を教えてくれれば良いんだが、あの警戒具合からして、今はまだ聞き出すのは無理か。
「けれど、高度な錬金には大規模な設備が必要になる。それを踏まえて予想地域の潜伏先の候補を幾つかピックアップしてみたけどどれも殆ど廃墟みたいなものだから、電気とか水道みたいなインフラは皆無。もっと前から準備してたって事も考えられるけど、物資も労働力も必要になるし、それを狙って攻撃だって受けやすくなる。精度はともかく、規模的にはそこまで大掛かりな事は出来そうにないね。逃走資金集めのネタにしてるのかな」
「元々協力者がいるって線も本人が粛清対象じゃあ薄そうだしな。まあ、手っ取り早く直接お伺いしてみますかね」
考えても仕方がない。今できる事は複雑に見えて、実際やる事はシンプルだ。絞られた候補地を捜索してねぐらを特定し、探し人を見つける。以上だ。
「所長、広い範囲の探索になるし足が必要だ。車使わせてもらうよ」
「了解、キーは何時もの所。でも夜は危険だし、出発は少し休んでからにした方が良い。私はもう少し情報の精度を上げておくから」
「そうさせてもらうぜ。あ、警備局の鷹野チャンから連絡あったら要件を聞いておいてくれると助かるよ。急を要しそうなら携帯鳴らしてもらえればいいから」
俺の何気ない言葉に、少しだけ所長は機嫌を悪くする。
「鷹野くんに頼り過ぎるのはいけないよ。彼女はあくまで体制側の人間なんだから、君を害だと認定した時点であっさりと切り捨てる。人が良さそうに振舞うのが上手だけれど鷹野くんはそういう人種、というよりそういう兵器だからね。実際に一度半殺しにされただろベオくん」
二人は俺が所長に拾われる前からの知り合いらしい。この態度から察せるように、関係は余りよろしくない。この前なんて、俺が留守の所に尋ねてきた鷹野と所長が出くわして、そこに戻ってきた俺が目の当たりにしたのは、うん。コノハナシハヤメテオコウ。
「はは、まあ今回ばかりは状況優先だし、俺に免じて勘弁してくれよ。それと、アリスは朝起きたら帰しといてくれるかい?ってのも最近俺、悪い連中から賞金掛けられたらしくてさ。流石に此処を襲撃してくることは無いと思うけど外に出れば俺個人に関しては別だ。昼間みたいに追っかけられて何かあったら大変だから、話付けるまで此処には近寄らない、調査状況は定時に報告って事でアリスに伝えておいてほしい」
「それも了解。けど無理しないで、人肉ショップへの押し込みみたいに何かある時は今度から私に先に相談。オーケー?」
「オーケー。お休み、所長」
俺の返答に満足したように彼女はにこりと微笑む。
何時も頼りになるぜ所長。話は終わった、そう思っていると不意に彼女に問われる。
「あ、ベオくん。サードに行くのなら、スコルとハティも準備しておくかい?」
サードの調査となれば何が起こるか分からない。が一瞬考えて、前回の事件で相棒をかなり酷使したままである事を思い出した。簡単な整備なら自分でも出来るが完全なオーバーホールとなると所長を頼らなければならない。だから今でさえ根を詰めている彼女に、更にそんな作業を頼むのはやり過ぎだと思い直した。
「あー、止めとくよ。今回は偵察。戦争しに行く訳じゃ無いから」
さて、話を終えて未だ静かに寝息を立てているアリスの横顔を確認する。うん、確かに寝ているな。今のやり取りに聞き耳をたてられていたって事は無さそうだ。
だから、まあ。ついうっかり。何となくズレている毛布を彼女に掛け直して、何となく柔らかな髪を撫でてみた。
見れば穏やかな寝息ではあるが、少しやせ気味の頬に昼間は気が付かなかった目元の疲労の跡。触れても少しも妨げられた様子でない睡眠の深さに、彼女がこんな風に熟睡するのは随分と久しぶりなのではないかと思う。
状況を察すると此処に辿り着くまでに彼女も色々と苦労があったのだろう。未だに目的も定かではないが、幼い身の上で健気なものじゃないか。これで実は懸賞金狙いの賞金稼ぎって事ならある意味笑えるが。
それならそれで頼もしい。どうあっても、少女はこのままいけばいい女になる。
「そうさ、まだ始まったばかりだ。崖っぷちまでは付き合うぜ、アリス」
夜更かしのせいか何時もより遅い起床時間の八時ごろ、目覚めると事務所のソファーには既にアリスの姿が無かった。
入れ替わりに眠りに付こうとしている所長に確認すると、彼女は一時間ほど前に拠点として確保しているファーストのホテルに戻ったらしい。
聞けばどういう訳かアリスはこちらの指示をすんなりと受け入れて出ていったそうだが、その素直さが少し気になって辺りを確認してみてもその姿は無い。
昨日の彼女の行動力から考えて少し腑に落ちないが、新しい匂いも無く、考えすぎだと思い直して予定通りに社用車で出かける事にした。
「よっし、今日は長丁場になる。頼むぜ、キャス」
変わらず頼りがいのある黒い車体を一撫でし、乗り込んでキーを回すと腹の底に響く振動と低い重低音でエンジンが起き上がり、アクセルを踏めば厳つい外見からは考えられないくらいにクセなくスムーズに走り出すボディ。何時もながら所長の調整は完璧だ。
それから事務所を出て暫く走り、調査予定のサードに向かう前に野暮用を済ませる為、途中昨夜訪れたセカンド外縁部近くに存在するとある建物へと向かう。
ストリートとはまた違った様子の違法建築とその場しのぎの補修作業で歪な建築物が立ち並ぶ景観のセカンド外縁住宅街。一戸建てのその家屋は周辺のボロい建物と異なり佇まいこそ年季が入っているが細部まで丁寧に補修され、また常に手入れが行き届いているのが外観から分かる。
何度か依頼やトラブルで訪れた事のある、数メートルの高さで立ち並ぶ外壁に等間隔で点在する機銃付の監視カメラに見下ろされ、戦車砲でも破れなさそうな巨大な門のインターホンの呼び鈴を押す。ブザーの音は普通だ。
『はい、清水興業』
「ああ、マキか。悪いが清水の親分か、若頭の藤堂に会いたいんだが」
『あ?なんだベオかよ。このクソ忙しい時に面倒な』
インターホン越しでも分かりやすいくらいの不機嫌を隠そうとしない一応知人の声。
相手の、というよりこの団体の名乗りどおりに彼らを香具師の元締めと呼べばいいのか、まあその実体のままでいいだろう。清水興業は今時珍しい昔気質の任侠集団、つまりヤクザだ。
嘘か本当か知らないが彼等は東京が容を変える前のその更に前、江戸と呼ばれていた頃から延々と続く老舗であり、純粋な武力と清濁併せたある意味公平な差配で入れ替わりの激しいセカンドの一部に影響力を維持し続けている。
「そう言うなよ、俺も結構急ぎの要件だ。最近清水仕切りのシマにかかる範囲で、俺に賞金がかけられているらしい。流石にどうにかしてくれなんて頼まないから、そいつが何処の誰からの手配か知ってるなら聞きたいんだ」
『今は立て込んでて親父もアニキも出払ってる。てか部外者がアポ無しで上の者に面会なんて出来ると思ってんじゃねぇ!帰れ馬鹿野郎!』
「何?組長と若頭がどっちも不在って、抗争の予定でもあるのか?の割にはその辺騒がしく無かったが」
武闘派の名に違わずかかる火の粉を全て実力でねじ伏せてきたのが清水だ。初期ではバルドルにも一歩も引かず不可侵の協定を結ばせ、最近でも勘違いした新興組織やはねっ返りを言葉通りに殲滅している。その清水が戦争状態となれば周囲に兵隊や戦闘車両がうろついていても不思議では無いが、此処に着くまでにそういった姿は見ていない。
『クソ、余計な事言っちまった。とにかく部外者に話す事は無ぇ、あ?』
「何だよ?」
何かに気が付いて、それから何故かにやけるような様子でマキは続ける。
『お前が来たら伝えろと書置きがある。親父からの伝言だ』
「オイ、やっぱり把握してるんじゃないか」
『相手はお前が先月潰した密輸ルートを仕切ってた元バルドル傘下企業のクズだ。覚えあんだろ?』
ああ、そいつなら覚えてる。確かバルドルのパスを使って下で造られた強力な武器や薬をニヴルヘイム経由で上の階層へ持ち込もうとしていた馬鹿だ。
案の定、即警備局にバレて、特に厄介な代物を勝手に勘違いして俺達に押し付けて、それを狙った傭兵と大騒動になったのだ。
『ウチとしても目障りな相手だが、かといってお前に手を貸す理由も無い。そもそもそいつを取り逃がして逆恨みされたのはお前の落ち度なんだから自分で何とかしろ、だとよ』
げらげらと下品に小物臭い笑いで煽るマキの物言いに対し、俺は割と冷静だった。
清水の親分か、それとも若頭の藤堂が気を利かせたのか分からないが、一応賞金を掛けた相手が誰かくらいは教えてくれるつもりらしい。具体的に協力が得られないのは最初から期待していないし、必要以上にこの手合いに借りを作るのは良くない。この辺りが妥協点だ。
しかし相手が雲隠れした状況では片手間でどうにか出来る問題では無さそうだ。少し面倒だが、この人探しが終わるまでは降りかかる火の粉だけ払う事にしておこう。
『まあ、お前の所の事務所がウチの下請けになるってんなら口きいてやってもいいんだぜ?この若頭補佐のマキ様の使い走りからだけどな!』
がははと笑いながら、何をどう勘違いしたのかマキは更に偉そうに語っている。そういえば直ぐに調子に乗る所はこいつの短所だと何時だか藤堂が言っていたっけか。
「それは結構だ。清水の親分には礼を言っておいてくれ。それから、何だか分からないがトラブルの相談ならこっちも暫く立て込んでる。そいつが片付いたら話聞いても良いってな」
『誰が手前なんか頼るかクソ探偵!』
叩きつけるような音と共にぶつりと切れるインターホン。
さて、用事は済んだしこのまま本命の調査に出かけるか。そう思っていると。
「ん?」
何か今、車から音がしたような。
出発前に確認したが、今の離れていた間に何か悪戯か、仕掛けでもされたか?
一応車内をぐるりと見渡し、トランクの中まで見てみるが空っぽのままで何処もおかしな点は無いし、加えて相変わらず匂いも無い。
「・・・考えすぎかね」
昨日から色々とあったせいで、またこれからサードへと向かう為か気が立っているのか?
まあしっかりと確認したし大丈夫だろうと自分を納得させ、運転席に乗り込んで走り出す。
まだ昼前だ。今から急げば明るいうちに目当ての場所の調査を終える事が出来るだろう。




