戦乙女はその傍らに青い鳥の実在を信じる事ができるか⑩
戦況は当初の想定とは異なり拮抗したまま推移していた。
理由の一つはアヤナ率いる精鋭で構成された決死隊の奮戦と、トウコの戦線維持能力が卓越していた事にある。
アヤナは遊軍となり、雲霞の如く迫る敵の群れが突出する度、ピンポイントに突撃を繰り返す事でその足並みを乱し、特に主力戦車に該当するタイプTを優先的に破壊する事で敵側の突破力を大きく削いだ。
タイプTを除けば編成の多くを歩兵に当たるタイプSが占める群れは、事前に築かれた防塁や即席の塹壕に侵攻を遅らせ、停滞する敵の全面にはホテル正面に備えた複数の銃座から狙い撃ちを受ける。
彼我の戦力差が隔絶しているとはいえ、バルドルには防衛用の小銃に機銃、それらの弾薬の備えだけは潤沢に残っており、狙いをつけ引き金さえ引くことが出来るならば病人だろうが女だろうが銃座に着かせて数を揃えた。
それに加えてトウコはよく全体を指揮し、効果的に後方の非戦闘員を含めた人員を救護班、補給班として運用する事で前線を支え、絶妙に戦線を維持していた。
それ故に絶望的な数の差に対し、必死の覚悟と地の利を最大限効果的に利用する事で、その時点までは防衛を行う事に成功していたのだ。
負傷者は経過時間に応じて増えるが、最前線で行われる効果的な遅滞戦闘、そして戦線離脱者、戦死者を最低限に抑える絶妙な指揮で堅い守勢を崩さない。これは元々の前線指揮を執るアヤナと、後方から全体を統括するトウコとの阿吽の呼吸という、個人的な相性に寄る所が大きい。
ともかく戦端が開かれて、幾度かの大規模な侵攻を防いだ直後。時刻が九時を回り、残り時間が折り返した時点でその変化が起こる。
「何です、この音は」
真っ先にその異変を感じ取ったのは、やはり最前線に在ったアヤナだった。
空気を揺らす音は、良く知るバルドル採用軍用ヘリのローター音ではない。自軍の航空戦力は初日の奇襲で悉くが破壊され、それが今残っていればどれ程に助かっていたか。
「・・・これは、羽音、ですか?」
例えば高速で羽を振動させホバリングするように。それらは遠方から小さく、やがて大きく。十を超える編隊で、高速で飛来してくる。
「対空戦闘、間に合わない!総員、今すぐに遮蔽物に退避!」
考え得る限りでの最悪の想定。現状の戦力では対応できない、それは敵側の航空戦力からの圧倒的な空爆による面制圧。
恐らくは今の今まで秘蔵されていた飛行する蜻蛉に似たレギオン、タイプF。その腹部から投下される、本体から更に子爆弾をばらまく空対地兵器、いわゆるクラスター弾が頭上に炸裂する寸前に、百戦錬磨のアヤナもトウコも、成す術無く身を護れと、そう叫ぶ事しか出来る事が無かった。
つまりその場で誰も彼もが少しでも後ろへと向かう動作へと移る中、只一人、真っ直ぐに。前へと走る者はベオ以外に存在しない。
「ぶっつけ本番かよ、クソッタレが!」
正面入り口から飛び出して一秒、状況を把握するのに三秒。更に投球のフォームへ移行するのに一秒。
狙いはタイプF編隊先頭。唯一のタイミングは地上爆撃の為に開放した下部ハッチから投下弾が放たれる直前。
その動作はかつて、町内会草野球の遠投で一度きり。佐々木のおっさんの見よう見まねで行った一投と同じ。
あの場ではとんでもない暴投になってしまって、誘ってくれたアキラにバット無しのホームランだと笑われた。しかし、今回は。
「こん、ちく、しょう、があああああああああ!」
今回だけは、絶対に外す訳にはいかない。その一念で、白球の代わりに託されたソレを投げつけた。
真っ直ぐな軌跡は狙いどおりに。今度はアキラに笑われる事は無いなと思いながら、後は彼女の仕事を信じるしかない。
遠く、爆発と巻き上がる黒煙の広がる光景を見ていた、スリュム・レギオンの群れの中に在って唯一人型を保つ男。ジョーは、そのぼやけてはいるが唯一自分に許された思考の内で全ての終わりを確信する。
もうバルドルに抵抗する戦力は残ってはいないだろう。先程の爆撃は、先行量産で揃えた爆弾を全て消費し、文字通り壊滅的な戦果を遂げた。僅かな抵抗とばかりに、敢えて一度に全てを浪費するコマンドも、これでは逆効果に働いてしまったらしい。
これで何もかも終わる。本体がステーションに移動しつつある今はその支配が薄れ、僅かながらに意識がはっきりとしてきたが。正午になれば、それも意味は無い。
「・・・せめて、ナノハだけは」
自分の言葉が口から洩れて驚いた。これは本当に終わりが近いのかもしれない。
「せめて。この体が動いてくれれば」
この体は完全に置換された右腕の他に、下顎、側腹部と幾つかの臓器を機械部品に代替されている。その上で理由は不明だが本体に情報収集の目と耳としての役目を与えられ、他の個体とは識別シグナル等の一部を除き、殆ど孤立した直接の回線を有していた。
故にこの中途半端な意識の覚醒に対して自由のきかない体、これでは意識がある分生殺しに近い。
「本当に、俺は、役に立たない」
まだその多くを黒煙が占める視界が歪む。こんな事には意味がない。けれど、残った人の部分が覚醒するにつれて、この悔しさを抑えられそうにない。
「頼む、頼むよ。俺は、どうなったって良いんだ・・・!」
何時か、あの暗い地の底で。ナノハは全て終わった後に自分の願いを叶えてくれると言った。
「まだ、伝えられていないんだ。君が、自分の為に、笑えるように」
そんな事は不可能だ。如何に自分の意思でなく、その思考を操作されていたとはいえ、自分が生み出したモノが引き起こした惨禍を目の当たりにしてしまえば、きっと彼女は二度と笑う事は出来ないだろう。
それでも、例え他の全てから恨まれる事になっても、憎まれる事になっても。
どうしようもなく役に立たない自分でも、それこそが自分の願いだと。
「やっと、自分の言葉で伝えられるのに・・・!」
黒煙が晴れる。晴れつつある。そうして、その異常にジョーは気が付く。
「何故だ?早すぎる」
そう、早すぎる。例えば爆撃により発生する地上での火災、特に車両や燃料が燃焼している場合は其処から新たな煙が発生し、そうでなくても今の間に鎮火する事などは有り得ない。だというのに黒煙の下に、揺らめく火焔は見えない。
更に不可解な点に気付く。たった今まで悠々と飛行していたタイプFの姿が一機として見えない。十二機の編隊はその影一つすら見当たらず晴れた空が広がっていて、随分久しぶりに青空を見上げたな。だなんて、間抜けな事を思った。
「どういう訳なんだ?」
「そんな事は決まってる。アンタの女が、根性見せたのさ」
間髪入れずに連続する銃声。周囲のレギオンを薙ぎ倒し、粉砕する鉛の雨。
彼の背の向こうにも転がる残骸たちは、想定よりずっと早い投下弾の爆発の余波に巻き添えになったもので、残った周囲に展開するレギオンも原因不明でその殆どが自壊、著しく機能を低下させたという自己診断の返答の後、間もなく信号がロストしていく。
それは同じくこの場の群れが彼に、悉くが殲滅されたのだという事実を意味していた。
その声は、昨晩聞いた声だ。
「ああ、本当に」
自分が無責任に託し、意味が無いと捨てた可能性。何処か自分に似ていて、少しも似ていない。あんな押し付けの、守る必要のない一方的な頼みを、こうして聞いてくれた男。
「・・・ありがとう、ベオ。さあ、役立たずの俺を殺して、先に進んでくれ」
また一方的な頼みになってしまった。けれど此処までやって来た彼だ。きっと、その願いを叶えてくれるだろう。
「嫌だよ、馬鹿」
だけど彼は、撃ち尽くした機関銃とショットガンをもう用はないとばかりに投げ捨てて、今度こそ自分の勝手な頼みを正面から断りながら。
「第二ラウンドだ、ジョー。今度こそアンタを正面からぶん殴って、テンカウントを決めてやるさ」
彼は何故かとても楽しそうに、不敵な笑みで拳を掲げたのだった。
「こいつは何だよ?」
ベルの阿呆がやっと扉を開いたと思えばこれだ。時刻は九時少し前、戦闘が開始して二時間近く経過している。
だから本当に時間が無い。地上の戦況が不明な今は、一刻も早く救援に向かいたい。だから俺は、別に彼女の呼ぶ声を無視しても良かった。
しかし、そうできなかったのは多分、昨夜ジョーから放たれていたモノと少しも違わない匂いがナノハからしたからだ。
「即席の間に合わせで一つしか無いが、これは敵侵攻の決め手と予測されるタイプF、つまり飛行タイプに対するカウンター装置だ。周囲に展開する部隊限定だが、起動と同時に相互ネットワーク上にある全ての個体に作用し、自壊ないし行動に支障をきたす命令を伝播することが出来る」
外見は生物的だが本質は機械。特に戦闘中は相互に連携、同士討ちを避ける為にも付近の個体同士は頻回に交信を行っている。これはその回線に相乗りし、破壊的な作用を期待するという作戦だという。
「ただしスリュム・レギオンはその学習し続けるという性質上、デジタルな妨害にはめっぽう強い。この方法が有効なのは一度きり。更にタイプFに搭載予定の投下弾、その子爆弾は接触信管だから切り離される前、投下直前の僅かな時間でしか自爆命令の効果が無い。タイミングを外せば意味がない事は覚えておいてくれ」
一見してゴタついたグレネードを俺に手渡しながら使用方法と注意点を説明するナノハ。その姿に、俺はこいつを殴りつけてやりたいという衝動を必死で堪えていた。
「・・・お前、知っていたんだな。航空機タイプのレギオンが存在する事を」
ならば何故、戦端が開く前に情報を共有していない。幾らかの備えは有るだろうが、事前に相手側に航空戦力が存在していない事を前提に、地上では陣地が築かれている。
初戦の奇襲で味方に航空戦力は無く、レーダーによる索敵も不可能な今。いくら防衛側とはいえ上空からの攻撃には全くの無防備であり、下手をすれば一瞬で全滅する可能性が有るのだ。
「天才さんよォ?アンタならこれがどれだけ馬鹿な事かは分かってるよな。事と場合によってはアンタの事を二度と信用できないぜ」
「勿論、その危険性については考慮した。その上で、敵が勝利を確信し、後詰のタイプFを展開するタイミングで全てを殲滅する為に、ボクが必要だと判断したんだ」
こいつが説明の間に何度もフラついて倒れそうになるのを堪えているのは疲労からだろうか、そういえばこの女は食事を終えてから不眠不休で作業をしていた。言葉使いもふざけた様子は見られない。
「で、だから何だ。それはアンタの判断だ。クソ、話が通じると思ったが駄目だな。時間を無駄にした」
しかしそんな事は関係ない。
コイツの話は仮定ばかりだ。その虎の子を逐次投入されたら?又は分隊として波状攻撃に運用すれば?その時点で終わりだ。例え二、三機の航空機でも、情報を知らず奇襲を受ければ対空戦闘能力を持たないこちら側の戦力では戦線を維持できず、下手をすれば即座に壊滅させられる。
「情報だけは共有させてもらう。だがな、これ以上はアンタの事を信用できない」
理屈はどうあれ。それが、殆ど八つ当たりに近い感情である事を自覚していた。
俺は本当に馬鹿で、ナノハにはナノハの考えがあっての事だと分かっていても理解したくない。そんな感情論だけで、彼女の努力の全てを台無しにしようとしている。
「頼むよ、ベオ」
そんな馬鹿な俺が、それでも救いのない馬鹿にはなり切れなかった理由が。
「ボクは、ジョーに殺されなくてはならないんだ」
誰かを想って、そんな泣き言を言う女の涙を見てしまっただなんて。だから、本当に馬鹿としか言いようがない。
「ジョー・スミス?何だかテンプレみたいな名前だね。変なの」
「良くある事ですよMs。キリスト教圏では文化的に、同姓同名の多さは日本での比ではないのです。それに、由来がカッコ良いので気に入っています」
初めて出会った時の会話の内容は、こんなモノだった。
自身の研究のせいで身辺がきな臭くなってしまい、自衛の為にボディーガードを雇う事になり。知人の紹介で丁度いいのが居ると、そして面接に来たのが彼だ。
元陸軍特殊部隊出身、元アマチュアボクシング北米チャンプ。その他の経歴も、元、元とつくものばかりで、立派に見えるから履歴書には書いてみたが今は無職だと。そう笑って頭を掻く年の割に幼い仕草が妙に印象に残って、彼の採用を決めた。
「大学も出ていない身で言うのも何ですが、貴女の研究には夢がありますね。彼方にも、そう望めば人の手は届く。願う場所に、何時かきっと辿り着く事が出来る。そう示す為の存在の名がHarbingerだなんて、なんだか気が利いているじゃないですか」
しばらく一緒に過ごしてみて、なんだかこいつ、けっこういい奴だなと思っていた頃。
誰にも言った事は無いのに。誰にも言うつもりの無かった、自らの発明に託した願いを簡単に言い当てられてしまった時にはもう駄目だった。
自他ともに認める天才とはいえこちとら色恋沙汰は単位未取得の素人だ。そのつもりがジョーに無い分、余計に始末が悪い。
実際に彼は優秀で、幾度も自分を助けてくれて。もう彼の存在が隣に居る事が当たり前になって自分一人で勝手にやきもきしていた頃、バルドルからオファーがあった。
自分の為の研究室の新設に、其処での研究内容には干渉しない。予算無制限、リソースは使い放題。これに飛びつかない研究者が居れば、そいつはどうしようもない変人だ。
その契約内容に、専属の護衛を一人加える事は特に問題にはならなかった。まあ護衛というのは殆ど言い訳で、用意された宿舎も研究室もバルドルの施設なのだから、警備体制はホワイトハウスより厳重だ。
だから個人的なマネージャーという名目で彼を口説き落として、研究者としても、一人の女としても充実した夢の様な生活が始まる筈だった。
そしてその終わりは突然に訪れる。
初出社の日、突然自分の立つ床の底が抜けた。そう表現するしかない出来事が起こったのだ。
光も無く、自分の体すら見えなくて。唯一確かだったのは咄嗟にこの手を掴んで、少しも躊躇せずに自分の落ちる奈落へと飛び込んだジョーの左手の感触だけ。
それからどれくらいの時間が経ったのか。
眼を開いて初めに気が付いたのは非常灯の光の赤と、自分の左手を握りしめたまま今にも途絶えそうに息をするジョーの姿。それから、彼の欠損した部分から流れ出る熱を失いつつある赤黒い血液。
「ああ、ああああああああ!」
自分の絶叫を聞きながらも、天才と褒め称えられた頭脳は冷静に思考を巡らす。
先ずは彼の状態の確認。下顎と右腕の欠損、左側腹部の消失。
左側腹部の欠損は特に位置が悪い。明らかに小腸と大腸。それから大部分の左腎を欠損し、下部の主要な大血管を損傷している。これでは数分、数十秒も持たないかもしれない。
周囲の環境は薄暗いが、見知った設備から何かの研究施設に見えた。しかし暫く人が足を踏み入れた形跡がなく、何らかの理由で放棄された施設と判断する。
「何か、何か無いか!」
右上腕を駆血し、間に合わせではあるが自分の白衣で下顎と左側腹部への直接止血を試みる。だがそんな事は大して意味がない、数秒の時間稼ぎにしかならない事を理解した上で、その上で泣きわめく事しか出来ない自分が呪わしかった。
「頼む、頼むよ!ボクはどうなったって良い。どうか、彼だけは!」
神に祈った事は無い。その行為が無駄だという事も分かっている。
「ボクはどうなっても良いんだ!」
心からの本心でそう叫び、何かがそれに応える。
ソレがそもそもの原因で、自分達をこんな目に遭わせた存在であるとぼんやりと理解していて、それでも自分が縋り、そして自分自身の他に差し出せるモノは無かったのだから。
それからの事は、良く覚えていない。
何故だかバルドル会長、ベル・バルドルを殺害しなければならないと当たり前に考えるようになって、あんなに大事に想っていたジョーの事も、その目的を遂げる為の道具にしか思えなくなっていた。
あれが必要だと思えばすぐに手元に現われる。
この施設を拡張しようと思えば次の瞬間には現実となる。
これこそが自分の望んでいた研究環境だ。これこそが自分が成そうとした発明だと疑わず、あんなに嫌だったHarbingerの兵器化に成功し、あんなに優しくて穏やかに笑う彼は、自分が継ぎ接ぎの怪物に造り変えてしまって。
その最中に、全てが終わったら貴方の願いを叶えてやると。
そう言葉にすることが出来たのは、ソレにとって何もかも終わった後に自分はどうでもいいらしく、だからこそ狂ったままで、本心を告げることが出来たのだと思う。
その言葉がほんの少しでも、ジョーにとっての慰めになってくれるようにと、今では願っている。
それから、お前はもういらないと自由になった。その理由は囁きとしか言いようのないソレが、容を手に入れたからなのだと推察する。
だというのに、ジョーは自由にならない。
きっとその躰の、特に右腕を構成する部分の多くがスリュムのそれに近い為に干渉を受け続けているためだ。
だから、自分に出来る事をしよう。
今度こそ彼を自由にして、彼の願いを叶えてあげよう。
自分が彼を、あんな継ぎ接ぎの怪物にしたのだから、その鋼の手で引き千切られるべきなのだ。無残に殺されるべきなのだ。
そう結論に至ったのは、ベオに声を掛けられ意識が覚醒してから凡そ二十秒後の事である。




