戦乙女はその傍らに青い鳥の実在を信じる事ができるか⑨
もうすぐ、夜が明ける。
元々の予定では、二日目は起床後にホテルを出発して、朝食用に軽食を携えて彼と一緒に周囲の散策に向かうはずだったので、今頃はサンドイッチでも作っている筈だったが。
「・・・ああ、姉さんの言ったとおりだ。本当に、私は馬鹿だなぁ」
あんな風に伝言を残して。ベオさんはきっと、辛い思いをすると分かっているのに。
時刻は五時、朝日が昇り始めた最前線。
ホテルシンドリの城壁の向こう、即席のバリケードを薙ぎ倒し進軍する敵の群れを見つめながら、誰も彼も悲壮な決意を抱えているのにも関わらず。私はそんな風に、一人だけ場違いな事を考えている。
「だけど、仕方ないよね」
そうせずにはいられなかったのだ。
分かっていた、この言葉はきっと彼を傷つける。けれどこの後に、自分に待っている事は逃れようのない死という終わりで。
彼のこれからの隣に自分は居ないのだから。せめて、これくらいのわがままくらいは許してほしい。
だって自分も、ずっと苦しかった。そもそも普通ではないくせに、普通に成れるんじゃないかと夢を見せたのはベオだ。
知らなければ良かったのだ。知らなければ、こんなに胸が痛むことも無かったというのに。
なのに、だけど。
「・・・ほんとうに、楽しかったな」
この半年は、本当に夢みたいな日々でした。
出会い方は最悪で、私は本当に彼を殺すつもりで、実際に半殺しにしてしまって。
それでも、あの事件の最後では優しく微笑んでくれた。ああ、そうだ。彼の横顔の向こうから差した朝日を見たあの時に、私は壊れてしまったのだ。
それがきっかけで中途半端に、それでも見よう見まねで、出来る限りに人間のふりをして。それは大変だったけれど、今でも胸の内を温め、瞼を閉じれば鮮明に思い出せるほどに瞳に焼き付いていて。
秋の朝。通りで見かけた姿に大きく手を振って、それに気が付いた彼が手を振り返してくれたことを覚えている。
冬の夜、遅くまで手伝わせてしまった仕事の後始末の合間に、彼が淹れてくれて一緒に飲んだコーヒーは無糖なのに甘い気がした。
春の陽気に。怒る私に慌てて、どうにか怒りを収めてもらえないかと慌てる姿は可愛かった。
それから、それから。
きっとこれからも、そんな日々が続いてく筈だったのに。少し悔しいけど、そうはならなかったんだ。
だけど、後悔はない。いつかきっと、別の形でこうなる事は分かっていたから。
自分では、優しい彼の隣には居られない。今でさえ涙一つ流せない、人間の振りが得意なままで、そうはなれなかった私は、ちょっと彼には似合わない。
「だから」
大きく息を吸い込んで、私の第一声を待つ守備部隊に指示を出した。
各自持ち場を死守。突出する自分と決死隊への誤射は気にしないで、とにかく目標に向かって引き金を引き続けろと。素人や怪我人混じりの彼らには、最早それくらいしか出来る事は無い。
さあ、行こうか。自分にだって、今更出来る事はそんなにありません。
最後にやりたかったことは、もう終えているので。後悔も、うん。そんなには、無いかな。
だから、自分のやらかした事を想う。お人好しでやさしい彼の、その心を無遠慮に傷つけた事を。
「・・・ほんの少しだけ。小さくて、目立たなくたっていい」
私の事が。私の記憶が、どうか彼にとって、何時までも残る傷跡になるように。
「あはは、知らなかった。私、けっこうめんどくさい女だったんだなぁ」
そう笑いながら呟いて、纏う鎧も、掲げる槍もその手には無いのに戦乙女は駆け出した。
それだけが、心から想う男の為に、自分が出来る唯一の事だと信じて。
「戦乙女と呼ばれる彼女達は、バルドルの九界における絶対的な力の象徴という役割で、特に要と成るべく設計された存在だ。素体は大異変で孤児となった子供たちで、その適性が女性のみという事実に対して、開発者である鷹野君は皮肉を込めてそう名を付けた」
それは今に広く使用される人体の機械化技術とは文字通りに次元の違う技術であった。
あくまで生体由来の、本人の身体的構造をそのままに強化するというコンセプトは、魔素を利用した技術、過去には英雄や半神を生じさせるきっかけとなる、極々稀な素質と適正、更には環境によって奇跡的な確率で発生する超人類を、人工的に製造するという荒唐無稽な目標を掲げて開始された。
実際、それらが成功した理由は九界という環境が大きく影響し、過去の例と比べても異常な魔素に対しての適応性が認められた彼女たちが、半ば選択肢の無い選択の末に、僅かな成功という結果に至る。
「勿論その過程で失敗は多くあった。未だに後遺症に苦しむ者も多いし、逆に中途半端な覚醒で失敗作の烙印を押された者も居る」
何故だかシズマが苦い顔をする。俺はただ静かに聞いていて、ベルも気にせず話を続けている。
「で、成功作が人造半神、戦乙女という訳さ。そう呼ばれる彼女達は普通に食事もするし生理現象も有る。調子が悪ければ風邪もひくし、加齢も確認されている。姉の鷹野くんなんて妊娠出産を経験しているくらいだ。けれどね、その性能は、通常の人間とは隔絶している。数十トンを軽々と抱え、外皮は至近距離からのライフル弾すら阻む。耐圧、耐毒は勿論の事、真空状態ですら一時間は活動が可能だ。一個人、といって良いか分からないけど、あえて兵器という言い方をさせてもらうと、外殻として設計された機動甲冑を装備した状態で、容易に一個師団を壊滅させることが出来る戦力として定義されているね。勿論、仮想敵はバルドルの最新鋭装備、戦闘車両込みのさ。エインヘリヤルの隊員でも、戦力比は一対三十だっけ?」
俺は相変わらず黙ったままだ。答えは既に口に出した後で、回りくどくて仕方ないが一応の礼儀としてベルの言葉を聞いている。今はその段階だ。
「そんな鷹野くんだけど、今回は普通に死んでしまうだろうね。戦力差は笑えるくらいに圧倒的で、おまけに彼女の性能を完全に発揮する為の機動甲冑は此処には無い。まあそれでも、他の守備隊共々全滅するまで頑張れば、今から正午までの時間を稼ぐ事くらいは出来るだろう。それからこの地下シェルターまで達する為に地上の構造物を破壊し、外壁を突破して僕たちを殺す事は現実的に不可能さ。そして彼女の本懐通り、定期便からの報告を受けた本社から救援がやって来て、敵を殲滅してこの話はお終いってワケ」
ああ、そうさ。彼女の望み、簡単な結論。
けれどそれは、彼女と引き換えという結末を意味している。
「それだって彼女自身が決断した事だろう?それを何だい君は。君が何かしようとしたって、どう頑張ったって意味は無い死体袋が一つ増えるだけ。彼女は最後の願いすら叶えられずに、無駄死にするだけになってしまう。本当に、馬鹿な事だ」
ああ、そうさ。だけどそれがなんだって言うんだ。
「もう一度聞くぜ、ベオ」
いい加減うっとおしい。俺は今にでも、走り出さないといけないのに。
「それでも君は、彼女の隣に行こうって言うのかい?」
「当たり前だ!!」
厚い門扉を何度も殴りつけたせいで拳は赤黒く変色している。だというのに、痛みすら感じられない程に俺は怒っている。
もう限界だ。例えこの場で切り札を切る事になっても、死へと向かう切符をまた一つ使う事になっても、俺はもう、止まるつもりは無い。
「もういい、お前には頼らない。この扉を蹴破ってでも俺は行く」
「そんな面倒な事をしなくても開いてあげるさ。ボクは只、馬鹿な君の理解できないおかしな心境ってやつを聞いてみたかっただけだからね」
それからベルが適当に扉横のパネルを操作すると、散々殴りつけてもびくともしなかった扉は拍子抜けするほど簡単に開く。癪に障るがベルの言葉を大人しく聞いている意味があって良かった。
扉を蹴破る労力を、そのまま群がる虫どもにぶつけてやるとが出来る。
「ああ、それから。手ぶらってのも頼りないから予備の装備を持っていくといい。シェルター備え付けの非常用だけど此処には石動君がいるし、僕は銃が得意じゃないから」
押し付けてくる二つのケースを中身も確認せずに受け取って、もう用はない。さっさと歩きだした。
「ああ、ベオ」
「・・・何だよ」
最後にもう一つだけ、と付け加えてベルに呼び止められた。
本当に最後まで煩わしいが、反射的に足が止まる。何故か、その言葉だけは聞かなければと思ってしまったから仕方ない。
「大事な事を忘れていたよ。一つだけ、忠告しておく事が有る」
そう前置いて。ベルはその予言を呟いた。
「切り札を使うのは今じゃない。そうだね、正午近くまでは我慢しておきなさい。僕の予想通りなら、それからが君の、このニザヴェリルにおける本当の正念場になるからね」
「ああ、君は駄目だ。少し話も有るしね」
シェルターを出ていく彼に続こうとして、会長に呼び止められる。
勿論自分の責務は理解しているが、此処で縮こまって居るよりは意味があると判断した。その上で、ベオという男に感化された事も自覚している。
自分にも彼と同じく、似た境遇にある女性を良く知っているからだ。きっとこの決断を彼女は怒ると思う。
それでも、それ以上に譲れない想いが有った。だから自分も防衛に加わると意見しようとして。
「だから、君の出番はもう少し後。少し待ちなさい。ちょっと色々と連絡する必要が有るから」
そういって会長が取り出したモノは、ユグドラシルを経由して通信を行う数少ない手段でもある通信機だ。いや、良く見れば自分の知るモノとは少し規格が違う。
「・・・ああ、三上君かい?少し予定が変わってね。スリュムの覚醒が思ったよりも進んでいる。このままではスケジュールに破綻をきたす可能性が有るんだ」
現在、ステーションの占拠により他階層への通信は行えない筈である。それ故に、皆決死の覚悟で戦いに望んでいるというのに。しかしそれは自分には関係ない事だと言わんばかりに会長は通話を続けている。
「うん、そうだね。既に今回の目標の八割は達成しているが、スリュムがこのままユグドラシルを経由してムスペルヘイムに到達されると面倒だ。黄昏をこの状態で迎える事は絶対に阻止しなければならない。ベオはまだまだあんな様子だし、何より彼には、絶望的に手札が足りていないのだから」
何か、聞いてはいけない事を話している。しかし何故かこの場を動くことは出来ず、張り付けられた様に直立不動で居る事しか出来ない。
ちらりと部屋の奥を見ると、先程出ていくベオに何かを手渡した後にまた別の作業を続けていた加賀見ナノハが、糸が切れたように突っ伏して意識を失っている。
これは、まずいと。幾度も死線を潜り抜けて鍛えられた、自分の直感が告げていた。
「そうしてくれ。浅間君に連絡を、うん、ムスペルヘイム守備隊は全兵力をステーションに集中。命を賭して死守と厳命を、それから」
会長は少しだけ考えるように言葉を止めて。
「ビフレストを使う。後に続く巨人たちに気取られるリスクは、この際無視する事にしよう。ブリュンヒルデは完全装備で三時間以内に、ついでにあの試作品も一緒に準備をさせてくれ。それ以上は前線が持たない。それから、今本社に居る彼に救援を要請してくれないかい?」
最後のその彼に、というキーワードに初めて会話の相手が言葉を詰まらせたようだ。
それでも、会長の言葉は止まらない。まるで何もかも、予め決まっていたかのように。
「連盟をこの件に引っ張り込む事は初めから必須条件の一つだ。今回の会談で話を付けるつもりだったんだから、それが早まっただけさ。大丈夫、バルクホルン君は今では組織の長とはいえ歴戦の騎士だ。無辜の民が窮地に在ると知れば、むしろ自分から手助けを買って出るだろう。状況を肌で感じてくれれば、より一層この戦いに深入りしてくれるだろうしね」
それから後は幾つか指示を出して、会長は通信を終える。
本来であればその会話の内容について、彼に聞きださなければならないのだろう。自分がこの九界にやって来た理由もそこに在る。だが、果たして。
果たして、自分は此処から生きて出る事が出来るのだろうか?勿論、スリュム・レギオンに害されるという心配からでは無く、この目の前の男。ベル・バルドルという男の手に掛かってという意味で。
「あはは、そんな勿体ない事をする訳ないじゃ無いか。石動君」
自分とは違い、会長はその辺に散歩にでも行くかのようににこやかだ。
「ああ、今は僕達二人きりだからこう呼んだ方が良いね。鹿島機関の間者、石動シズマ君。代表はお元気かな?今は確か、代替わりして雷神と軍神兄妹が共同代表だったね。就任式に一回会ったきりだから、僕の事を覚えていてくれたらいいんだけれど」
不味い。恐らく何もかもをこの男に知られている。こうなってしまった場合、本来であれば事前に取り決めた通りに即座に九界を脱出するべきだ。しかし。
「出来ないよねぇ。優しい君にはさ」
そうだ。自分には、それが出来ない。間諜としては余りにも間抜けな、そんな単純な理由で。
「そう、君は裏切れない。エインヘリヤルの仲間達を。何より、御影君の事を。笑えるくらい馬鹿で、とっても可哀そうな彼女の事を、君はどうしても裏切る事ができない。そうだろう?」
ああ、そうだ。これでは鷹野やベオの事を笑うことは出来ない。その一点で、既に自分はスパイという立場のくせに、バルドルという組織に完全に絡めとられてしまっていた。
「いいんだ。それで良いんだよ、石動君。君が望む限り、僕は君の秘密を皆に内緒にしてあげよう。内通も今まで通り行ってくれて良い。けれど、その内容と方向性は、少しだけ指示させてもらう事になるからね」
悪魔の囁きだ。これを了承した所で、破滅を先送りにするだけなのだと分かっている。しかし自分が口に出来る言葉は、肯定しかない。
「・・・はい、会長。指示には全て従います」
「いやいや良かった、丁度新しい手駒が欲しかったんだよ。怪我の功名って言うんだっけ?こういうの」
ベルは本当に親しみのある、誰もが見惚れる顔で笑う。だが自分には、それが何か得体の知れないモノとの取引であると理解していたし、この先に待つ結末が何よりも恐ろしかった。




