戦乙女はその傍らに青い鳥の実在を信じる事ができるか⑦
「話をちゃんと聞いていたのかい?何というか、少し鷹野君には同情しちゃうな。君は本当に馬鹿だよねぇ」
「うるさい。そんな事は骨身に染みて分かってるんだよ」
がちゃがちゃと鎖を鳴らし、ベルを引きずるように通路を歩く。その後に続くのは例の居残ったSPが一人、最早何もかも諦めたという表情だ。
途中何人かバルドルの職員とすれ違ったが、皆驚きや恐怖の顔をするものの、ベルが同行しているせいで勝手に動き回る事に対して咎める者はいない。
スムーズに事が運ぶことは良いことだ。アヤナが去り際に俺とベルを手錠でつないだこともいい方向に働いている。切迫した状況でフリーパスが少し大きくて、皮肉まみれの文句が多くて煩い事は利便性を優先してこの際気にしない。
只、今自分がやろうとしている事が、本当に正しい事なのか。それは分からない。
もっと彼女を失望させる事になるのかもしれない。自分の勝手で、アヤナの事を傷つけて。
彼女との関係が、此処で終わる事になるのかもしれないと、恐ろしい未来が脳裏に浮かぶ。
「ああ、そうさ。俺は馬鹿だよ」
だけど、それでも。馬鹿なりに。
正しいと信じる事をやってやるさ。そしてそれは、彼女の為だけという訳では無く。何かを託して去っていった彼の事を知る為にも必要だと思うから。
「で、此処か」
「うん、そうだね」
だからその一歩目、その謎に最も近しいであろう人物から情報収集。探偵の端くれらしく、其処から始めよう。
その扉の前にはこの非常事態の中でも特に重武装、メットにフェイスプレート、フルアーマーの警備員が二人、重火器を抱えて歩哨に立っている。
彼らはその役割上、俺はともかく、ベルの姿を見て一瞬困惑した様子だが、それでもその責務を全うするために取り繕う努力を継続する様だ。俺のせいなのは棚上げにして、正直同情する。
「ご苦労様。ちょっと入らせてもらうよ」
「・・・会長、その、困ります。捕虜への尋問は上級執行官殿が行うと、通告が」
これは当たり前の反応だ。しかし、対応する相手は彼らのマニュアルで想定できるモノではない。
なにしろこいつは、自分たちの上司どころか所属する組織の長であり、自分たちなんて吹いて飛ばせる存在だ。
「知っているよ。けれどそれが何だと言うんだい?」
「そ、それにお連れの方は部外者なのでは?セキュリティ上、さ、流石に問題が」
「そうだね。で、それがどうしたんだい?」
バルドルにおいて、いや九界においてはベルが黒と言えば白も黒、獅子も猫だ。
「僕が通せって言っているんだよ。何か問題が有るとすれば、君の方だよねぇ?」
ベルは変わらず笑顔のままである。それに対して、装備の隙間から覗く警備員の顔はどんどん青くなっていく。
「そのくらいにしておけよベル。なあ、アンタ。ちょっと疲れただろ?そうだな、五分くらい休憩してくるといい」
「・・・しかし、だな」
真面目なのはいい事だが、これ以上無理するのは良くない。良いことにしても悪い事にしても、ベルに眼を付けられることは、少なくともバルドルに関わる限り幸いする事は無いからだ。
彼らがそれを望むかは別にして、上位の存在に見込まれるが故に発生する苦難というのは、確実に存在する。
「いいから。こいつがこう言ってるんだ、何かあれば全部ベルのせいにすればいい。ほら、一服して丁度戻ってくる頃にはこっちの用事も終わってるさ」
「・・・ああ、そうだな、うん。そういえば、喉が渇いたな、相棒?」
「ええ、エアコンの故障かしら、やけに汗が。水分が足りないのは、判断力が鈍って、良くないわね」
一応の言い訳を残しつつ、そそくさとアドバイスに沿って報告へ向かう背を見ると、その提案は彼等にとって魅力的だったようだ。まあ当たり前か。
「ベオは優しいね。僕としてはもう少し、職務への義務感と理不尽な権力から受ける圧迫の狭間で葛藤する若者の姿を見ていたかったのだけれど」
「本当に悪趣味だなオイ」
警備員が去った事を確認し、ベルとSPを伴いその部屋に入る。
臨時で整理された物置のような部屋は思ったより狭い。本来の配置場所では無いからか、持ち込まれた簡易ベッドには革のバンドで拘束されている女が眠っている。
見れば腕から点滴のチューブが伸びている。ボトルは匂いから中身は多分普通の栄養、水分補給用途のそれで、鎮静等の効果がある薬物は使用されていない。
というより、その必要は無いのだろう。
その女、加賀見ナノハは亡骸の様に思えた。あの病的ではあったが、狂気にも似た活力が、今は全く感じられない。
まるで何かが抜け落ちたように、今は見た目そのままの辛うじて生きている病人の様に、長く細い息で眠っている。
「こいつはどういう事だ。死ぬほど元気な病人が、今では只の死にそうな病人だ」
「過度の栄養失調、極端な運動不足による四肢の筋力低下。おまけに複数の薬物による中毒状態と、報告では聞いていたけれど、中々にアナーキーな生活をしていたようだね彼女は」
「それでも、少なくともほんの一時間前は馬鹿みたいに元気だったぞ。それこそ、バルドルを敵に回してお前をぶっ殺すだなんて息巻いているくらいはな」
そんな彼女は、いったい何から解放されたというのか
「う~ん、薬物でハイになっていた、とはいえ限界は在る。全く、急に行方不明になった後は何処で何をしていたのかと思えは、まさかニザヴェリルで僕を暗殺する準備の為に何処かに潜伏していただなんてさ。久々の大物新人だって、大喜びで採用を推した佐山君が聞いたら卒倒するかもしれないね」
「・・・おい待て、その口ぶりだと、アンタはこの女の正体を知っているのか?」
俺の問いにベルは当たり前に、この九界において自分の知らぬことは無いと言うような顔をして答える。
「そりゃあ知っているさ。余りにも様相が変わっていたから初めは気が付かなかったけど、名前を聞けば流石に思い出す。けっこう面白そうな子だったから、特別に採用前の面談もしたんだったっけかな」
何でもないように、ベルは手にした端末を幾らか操作すると、一人の採用レポートが映し出される。
「何せ彼女はバルドル研究部門期待の星として鳴り物入りで一年前に入社して、その出社初日に行方不明になってしまった問題児だったからね」
其処には、今の枯れ木のような彼女とは程遠い。しかし何故なのか、カメラに向かって中指を突き立てた加賀美ナノハの姿が映っていたのだ。
加賀見ナノハは神童であった。そしてその神童は、他の有象無象と化した同類と違って、神童のまま成熟に至る。
「十二歳で複数の博士号に、数多の基礎分野を引っくり返す革新的な論文の発表。専門は機械工学だけどその他科学、生物、遺伝子工学までその道の権威と渡り合える知見が有る。俗っぽい言い方だけど、正しく天才と呼ぶべき人物だね」
その天才をバルドルがスカウトし、彼女の為に新設された新部門に晴れて初出勤というその日、当の本人が其処へ現われる事は無かった。
「当時はもう大変な騒ぎでね。初め他国や企業による誘拐や暗殺と考えられたんだけど、彼女の姿が最後に記録された場所は社宅で。九界の、しかも本社の存在するアースガルズだ。バルドルでも最高レベルのセキュリティに、そもそも外界からのアクセス手段も極々限られるVIPエリアで誘拐や暗殺なんて無理さ。外部からは彼女を獲得するための無理な裏取引や根回しが祟って、ウチが彼女を死んだことにして極秘裏に何らかの兵器を製造させているだとか、在りもしない事を探られたモノだよ」
内部犯という線も考えられたが幾ら精査してもその痕跡すら判明しない。結局、この事件は未解決案件として社内内偵を役目とする監査部を悩ませる事となる訳なのだが。
「当時十六歳、一年後の今は十七歳か。成程、たった一年で色々と苦労があったみたいだねぇ」
眠り姫を背に、ベルの操作する端末を見れば、失踪当時の彼女の詳細データに加えて先程の採用データとはまた異なる幾つかの画像が添付されている。
何だかどの写真にも不機嫌そうに映っているが、それでも今よりはずっと健康で、年相応の少女としての姿が余計に今までの間、彼女に一体何があったのかと考えさせた。
「前提として、本人の同意が有ってか、それとも無理矢理の拉致だったのかはともかく、アースガルズからニザヴェリルへ移動した手段が不明だな。勿論、他階層への移動手段は精査したんだろ?」
「勿論。けれど早々にその線は行き詰まった。一年前はまだフレスベルグも試運転中だし、ユグドラシルを介してしか階層を越える移動手段はなかった訳だからね」
「という事は少なくとも、監査部にその手がかりすら掴むことは出来なかったって訳だな」
「そういう事さ」
眼を付けられれば死んでいても棺桶まで追い詰められ、その棺桶さえもひっくり返され荒らされるというバルドルの監査部が未解決事件として調査し、判明しなかった彼女の行き先が、こうして何の因果か会長暗殺の未遂犯として解決に至る。
さて、それを踏まえた上で自分が先ず為すべき事と言えば。
「あの男が、ジョーが言っていた事だが。彼女が潜伏していた場所に繋がると思われる符号、暗い地の底。そして、囁き」
こいつだ。過去はともかく現在進行形で悪化している現状を解決する為に始めの取っ掛かり。機械の群体も脅威だが、表面的でない、そもそもの根本的な問題は其処に有ると考える。
「おいおいベオ、それあの継ぎ接ぎ男が言っていたって、ちゃんと鷹野くん達に報告してるのかい?」
「トウコさんには勿論伝えた。アヤナには殆ど無視されたけどな」
取り付く島も無く去る後姿にどうにか伝えてはみたが、多分俺の言葉は届いてはいない。
全く、そのくせ今もこうして彼女の意図に反して勝手な行動をしている訳なのだから、俺は本当に馬鹿だ。
「君は抜けているようで流石にその辺はしっかりしているね。ふむ、暗い地の底に、囁きか。確か採用前の精神鑑定ではパーソナリティはともかく、精神疾患等の問題は見られないという報告だったけど」
「虚言って事はないと思うぜ。彼女はともかくあの場での継ぎ接ぎ男、いや、ジョーはまともに見えた。抽象的な表現なのか、それとも言葉の通りの意味でそれが彼女等に起こった事なのか。先ずはそれを調べてみないとな」
突然イカれた天才科学者の暴走って事なら話は早いが、事はそう簡単では無いだろう。
しかし、どうにも調子が狂う。いかに危険なテロリストとはいえ、こうして弱り切って眠る女をどうこうするのは気が引ける。
俺は一方的にだが、あの継ぎ接ぎの男に見込まれて何かを託された。その意味を、あの匂いの彩を考えると、其処だけはどうにかしてやりたいと思っている。例え、ジョーとは最後に殺しあう敵になるのだとしても。
「クソ、流石に病人を叩き起こして尋問ってのは趣味じゃない。ベル、俺にも彼女の資料を見せてくれ。監査部が見落としている何かが在るのかも知れない」
「・・・無駄な事をする必要は無いぜ、ベオ」
そんな事に悩んでいると、死人が眠っている筈の背後から。俺と、ベル以外の声が響く。
「けほ、ファック、最悪の気分だ。ライブハウス三件はしごして、四徹目の朝日だってもう少しマシだったぞ」
酷くかすれて弱弱しいが、吐き出す台詞は相変わらず最悪だ。多分、元々彼女はこういう性格で、こういう言葉使いであったのだろう。
「点滴はもういい。固形物はもう半年は食ってないが、とにかく腹に溜まるモンを喰いたい。脂の乗ったリブステーキを、ミキサーに掛けて持ってきてくれないか?」
しかし、先程までは本当に死体みたいだったのに。相変わらず病人のままなのにその眼は、火が灯るようにギラついている。それは昼間や、夜に遭遇した時の様な病的な狂気をはらんだそれでは無く、例えるならば。
「今すぐにでもやらなきゃならないといけない事が有る。手始めに全部の元凶、クソったれのスリュムをぶっ殺しに行くんだ。それなら今度こそ、手を貸してくれるだろう?ベオ」
正しくマッドでパンクなサイエンティスト。つまり正真正銘の加賀見ナノハが、この瞬間にカムバックしたのだった。
拝啓、一日ぶりではありますが。室長殿、お元気でしょうか。
この文章がどういった経緯で貴女の眼に留まるか定かではありません。場合によっては、このまま事態が悪化すれば、確実に遺書となる事を自覚した上で、私の社員証内の非常用ストレージに現状明らかになった情報、映像記録と共に、個人的に文章を残す事にしました。
さて、会長のニザヴェリル視察において、何時もの如く会長の思い付きでの滞在延長に、随行員の内私一人が会長の護衛として居残る事になった事は、今でも誤った判断で無かったことを此処に証言として残します。
というのも、ニザヴェリル総督である鷹野トウコ氏は戦乙女としての性能が低下しているとはいえ、彼女が率いる守備隊は少数ながらバルドル内部でも指折りの精強であると知られており、また休暇中という事ではありますが戦乙女でも序列二位、鷹野アヤナ氏が滞在しているという事で、あの時点で過剰すぎる戦力が健在であったという事は間違いではありません。
更には後日に控えた、連盟総代の来訪による本社周囲の警備体制強化の為に多くの人員が必要であり、その旨を踏まえて社長より許可を得ての今回の配置という事実は、間違いなく室長の判断による過失を咎める事にはならないと判断します。
故に後日の監査部への報告として、私見とはなりますが現場意見の一考としてこの記録を報告に添える事を具申致します。
前置きが長くなりましたが、やはり現在の状況は思わしくありません。
未確認の勢力からの襲撃、守備隊の戦力は奇襲により半減し、ターミナルが占拠された今、本社への連絡もままならず未だに事態は収拾を見せていません。
にも拘らず会長は相変わらずで、その行動を私などに御せるわけが無く。また会長に同行する、対策室においても要注意人物とされているベオ氏の存在も相まって、今後の予想が全く出来ません。
故に私が出来る事は最早ひたすらに会長に追従する他なく、必要とあれば身を盾として果てる覚悟を此処に定めました。
さて、ストレージの性質上記録の改変が不可能である為、此処では先に述べた事件の詳細に含めて最後に私事とはなりますが、先に述べたように遺書として、幾つかの遺言を残す事をお許しいただきたいと思います。
一つ、会社の寮、デスクの私の私物は課内の他職員に希望が有れば分配し、残った物は全て実家に送付していただきたい。
一つ、残った金銭、証券を含めた財産、及び遺族年金の受け取り先は私の唯一の肉親である妹とする。その権利を主張する職員がいたとしても絶対に取り合わないでいただきたい。
一つ、課内で行われていた賭け麻雀の負債は死亡時に清算されたものとする。というより現在は私の勝ち分の方が多いので、それも清算される事を有難く思っていただきたい。
最後に、これは本当に個人的な記録であり、此処に残す事に躊躇した上で。
やはり最後に残すべきであると判断しました。
室長。いえ、御影シオン様。きっと貴女は、私の様な者の死であっても心を痛めてくれる事でしょう。
何時かの事ではありますが、普段は他の者に見せぬ苦悩を、僅かながらでも私に吐露してくださったことは今でも嬉しく思っています。
だというのに。私の方が年長であるにも関わらず、その苦労を知っているにも関わらず。これまで多くの心労を掛けてしまった事を他職員に代表して此処にお詫びします。
故に、シオン。一言だけ、一人の大人として貴女にお伝えしたい。
貴女はどうか、もっと自由に生きる事を自分自身に許してあげてください。それだけできっと、貴女の世界は大きく拡がっていく事でしょう。
そしてその先で。その隣に居るのが私では無くても、何時か貴女が貴女らしく笑う事の出来る場所を見つける事が出来る事を信じて、また心から願っています。
室長補佐、石動シズマ
「お時間を掛けて申し訳ありません会長。これで、もう何も心残りはありません」
「真面目だよねぇ石動君はさ。まだ死ぬと決まった訳じゃあないし、気楽にいこうじゃないか」
何か吹っ切れたように穏やかな顔をしているSP、聞けばバルドル特務エインヘリヤル、つまりバルドル特別事案対策室、しかもそのNo2、室長補佐であるという彼は石動シズマという名らしい。
流石にジョーまでとは言わないが、長身にスーツ越しでも分かる鍛えられた体躯に、目に付くのは額から頬に向かって顔を縦断する古傷。切創の痕に見えるが、それが有っても丁寧な言葉遣いと所作で柔和な印象を受ける。
「これからは一蓮托生ですベオさん。どうか私の事はシズマと」
「俺の事もベオでいいぜシズマ。エインヘリヤルの、しかも室長補佐が協力してくれるのは頼もしいさ」
これまでは立場上、ベルの専横に従っていても良いのか、そして部外者である俺との協調を計りかねていたらしいが、この期に及んでの躊躇は意味がないと彼は判断してくれたようだ。
「ではベオと。さて、これからどう動きますか?」
「それは彼女次第でもあるんだけどな」
これもまた、後に問題になるとは分かっている。ベルの許可を得ているとはいえ、現場の指揮を預かるトウコさんに無断で行っている暴挙ではあるのだから、発覚した後の事を考えると今から頭が痛いが。
「ファック!足りねえ、もっとポテトをくれ!」
その問題の彼女は前言通りにリブロースのステーキを500g、氷を加えてミキサーでドロドロになるまで撹拌し、それをジョッキで飲み干した後は山ほどに盛られたマッシュポテトを平らげている。
「・・・穴倉では保存食しか食えなかったって言っていたが、急に重たいもん食ったら胃が受け付けないんじゃないか?」
「だからステーキはミキサーに、ポテトもフライでもソテーでも無くマッシュで我慢してんだろ?それに頭脳労働にはカロリーが必要なのさ」
そういう彼女は初対面の病的な様子とは異なり、飯を食うというだけで枯れた大地に雨が染み込むように生気が満ち、何処か肌艶も良くなっている気がする。
なんという生命力か。天才という存在は、その肉体の在り方から埒外であるらしい。
そのバイタリティで再度ベルを狙いに来るのではという危惧もあったが、匂いからはその気が全く失せている事が分かる。警備の人間が聞けば安全の保障としては頼りないかもしれないが、狙われていた当の本人が良いと言っているので問題無いだろう。
だから実際に彼女の気が変わってベルが危険な目に遭っても俺のせいじゃない。そもそもこいつが狙われる理由の大概は自業自得だろうからだ。
「飯を食うのは良いがそろそろ満足してくれ。施設の通知でアンタの顔を見知ってる人間は多いし、暫定では今回の襲撃の首謀者って事になってるんだぞ?悠長に食堂で飯を食ってる場合じゃない」
「ふん、まだ腹八分目ってとこだが、まあいいさ。次は何処か、中央のシステムにアクセスできる端末まで案内してくれないか?」
「なら先程の会議室まで戻ろうか。あそこなら端末が有るし、資料を集めるスペースも十分だからね」
「・・・今更だがこれで、この女がハッキングからのメインシステム掌握とかましやがったら、今度こそ終わりだな」
それから殆どナノハ用の食料を抱え、元々押し込められていた会議室へと戻る。
ナノハはすぐさま端末に張り付くとその操作を始め、ベルが一応のその作業を監視しつつ、時折何かを彼女と話し合っている。だから残った俺とシズマはその作業が終わるまでにニザヴェリルの状況を確認する事にした。
「私が他の者から聞き及ぶ限りでは現在、この階層の駐屯部隊の基地施設は無力化されているといっていいでしょうね。其処に配備されていた車両、特に航空戦力は壊滅的です。これでは防衛施設としては完全に機能を失ってしまっている」
「ホテルに指揮所も出来上がってるから、前提としてトウコさんもこのまま、此処で籠城する方向で行くんだろうな」
言いながらシズマが持ち出し、アナログに卓上に広げられた地図は実はデジタルに映像を出力する軟質なモニタだ。
起動すると立体映像が立ち上がり、その上に周囲の地形と幾つかの構造物が記号で記されている。
「さて、敵戦力の構成については会長から説明をいただいましたので。次に問題となる敵勢力の本拠地ですが、これは侵攻ルートからおおよその見当がついています。昨夜の襲撃時での爆発のタイミングからステーション、幹線道路、基地施設の順に襲撃が行われているのでしょうね。これは事故にしろ襲撃にしろ有事の際は即座にユグドラシルを経由して情報がバルドル本社へと伝わる事を考慮して、真っ先にステーションが制圧されたと思われる為です」
「つまりその理論で行けば敵の本拠地は少なくともステーション方面に在るという事だな?」
「ええ。流石にあの規模の群体が移動していれば前兆にしても大規模なものです。ホテル周囲ならなおの事察知は容易く、その他では如何に人工物の少ないニザヴェリルといえ周回する監視ユニットも点在していますから、その考え方で間違いないかと」
地形を見ると、昼間に見た山岳地帯は湖を越えた側に、つまりホテルの背に広がっている。という事はホテルとステーションの間に広がる森林地帯、更にステーションを越えた先に広がるという平原がその候補という事か。
「故にバルドル側の残存戦力は当初の予定通りにホテル周囲に配置し、明日の、いえ、もう今日ですが。おそらくは正午に到着予定の定期便から異常事態の通報が本社へと成され、それから増援を待つ。という流れが基本方針になるかと」
「だろうな。問題は相手の目的を考えると、その正午までの間に、再侵攻が行われる事はほぼ確定しているって事か」
「此処まで用意周到に準備していた相手です。流石に定期便からの通報などは想定済みでしょう」
「そうさ。つまり半減した戦力でどうにか再侵攻を凌ぎ切って、援軍が到着するまで持たせる事が勝利条件って事だね」
ベルは呑気に言っているが、全くとんでもない休暇になってしまった。
豪華なリゾートは即席の戦場に。伴うアヤナは何時かの彼女に戻ってしまい、拗れた関係も修繕できるかどうか。
「・・・それもまあ、生き残ってから悩む事か」
現状の確認は出来た。とはいえ自分の出来る事は限られている。殆ど軍隊同士の戦いに、一介の探偵が出来る事などはたかが知れている。せいぜい元首謀者のナノハのの監視と、それにより少しでも有益な情報を収集するくらいか。
よし、方針は決まった。これならいつも通り俺の仕事だ。
情報収集と、その分析。所長が此処に居ない事が痛いが、甘えた事を言える状況では無い。
「そういえば結局どうだ。本当に覚えていないのか?その地の底って所の事」
「それに関しては頭が痛い。何せ引きこもっていた間の記憶は有るのに役に立つ情報が全くないのさ。あの場所がどういった施設で、何処に存在していたかなんて事は付近を出歩いたことが無いんだから知りようがないんだ。確実なのはかなりの地中深さに造られた施設で、其処でボクが何をしていたかって事くらいのもんだ」
今更だが本当に信用していいものか。匂いでは確かに嘘を言っている様子では無く、また今の彼女にベルを害する思惑は無いと思う。しかしこの調子では埒が明かない。
「僕も彼女が言っている事は嘘では無いと思うよ。元々こんな調子の変わった子だったからね」
「お前の人物評は当てにならいんだよ」
「酷いねベオ。イカれてたとはいえお前の事気に入ったってのはホントなのに」
ナノハはエレベーター前でのやり取りも覚えているようだ。洗脳の程度はともかく記憶は継続性が有るらしい。
「ならいい加減に話してくれないか。アンタが失踪した一年前から今の今まで、いったい何をしていたのかを。アンタの事だけじゃなく、ジョーの事もだ」
何となく、その話題をナノハが後回しにしている事には気が付いていた。
本人からすればその身に起こった事は状況からして誘拐、更に監禁というショッキングな事実であり、そして失った一年という時間は若い彼女には果てしなく重い。それを話したくはないだなんて事は誰だって分かる。しかし状況が状況だ。
「勿論全てを話せだなんて事は言わない。例えばあの機械の虫の出所とか、後はベルを殺そうとした動機とかその辺をだな」
「ああ、勘違いをさせて悪いが別にこの一年間の事を話したくなかった訳じゃ無い。今の今まで若干記憶のおぼろげな部分も含めて、脳内で話す順序をまとめていただけだから」
多少気を使った俺の言い方を何でもない様に受け止め、ナノハは語りだす。その内容はやはりと言えば良いのか、それでいて想像の斜め上を遥かに超えていくモノであった。
「先ずはあの群体、総体そしての名をスリュム・レギオンと言うが」
スリュム・レギオン。それがあの機械の虫の名か。まあ個別の性能は分かっているのだから今の問題は名前では無く出所だ。あの数をどうやって、バルドルに気取られる事無くニザヴェリルへと持ち込んだというのか。
「そんな事は出来るはずが無い。物流を全てバルドルが抑えている九界で、あの数をよそから持ち込む事など不可能だ」
「じゃあ何処から?まさか、実はバルドルが隠れて製造してた兵器とか言わないよな」
「まさか。バルドルが関わっている悪だくみで僕が知らないワケないだろ?」
ベルの言う事は正しい。少なくともバルドルという組織内で、ベルが知らぬ事など存在しないだろうと思い知らされた事は今までも多々あった。それが隠し事であれば尚更である。
なら何処からと聞こうとして、少しの間も置かず、ナノハは何でもない様に答える。
「アレは此処ニザヴェリルで、ボクが造った」
「やっぱテメェが黒幕じゃねぇか!」




