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犬頭の探偵は黄昏に沈む世界で明日を夢見る事ができるか  作者: せんこう
戦乙女はその傍らに青い鳥の実在を信じる事ができるか
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戦乙女はその傍らに青い鳥の実在を信じる事ができるか⑥

俺は無様に這いつくばって、その光景を見ていた。

狂気の笑いで、だというのに酷く疲れた匂いのする壊れた女が、最早為すべきことは無いのだと言うように眼下で火勢を強める炎に照らされている。

その手から、一つの端末が転がり落ちる。液晶の割れる硬く、軽い音がして、きっとそれは、もう必要の無いものなのだと、それだけが分かった。

その女の隣に、近づいていく影が一つ。

両手をだらりと下げたままで。至る所から血の赤と、油の黒を流して、ゆっくりと。一歩一歩男は、女に近づいていく。

女は気が付かない。単純に気が付いていないというよりは、警戒をするとか、そういった必要が無いから備える必要が無いという事なのだろう。

手を伸ばす。手を伸ばしたのは俺だ。此処からではどうしたって此の手は届かない。ジョーの一撃で揺れる脳は、未だに満足に体を動かす指示を出せそうにない。

だからきっと、この行為に意味は無い。

だけど、俺は。そうせずにはいられなかったんだ。


「ジョー?」


男が、女の隣に辿り着く。其処へと至る為に男はどれだけのモノを犠牲にして、どれだけの時間が必要だったのだろうか。

けれど、ようやく。彼は辿り着いた。

例えば何も知らない余人が其処に居て、枯れ木の様な女の隣に立つ継ぎ接ぎの怪物という、その光景を見ていたのなら。もしかすると、もっと悲惨な結末を予想したかもしれない。

けれど、俺には出来なかった。だから、その必要が無いっていうのに。こんな風に、馬鹿みたいに手を伸ばしてその光景を見ている事しか出来なかった。

ジョーはこつんと、軽く自分の生身の額でナノハの額に触れる。

それだけで、無防備なナノハは昏倒する。ジョーは両の手が使えないのにどうにか彼女を支えようとして、俺はといえば自分でも良く分からないまま、事前にアリスに教えられていた静止の術式を解除する符号を唱えていた。


「すまない、ベオ。ありがとう」


自由になったその腕でナノハを抱えるジョーの声は、想像していたよりもずっと若く、穏やかな声だった。


「俺の事を許してくれとは言わない。何度も君を傷つけて、下手をすると殺してしまう所だったから。だから君は、俺を許さなくてもいい」


だけど、それでもと。彼は穏やかな様子のまま、静かに言葉を続けた。


「彼女の事を、許してくれないだろうか。ナノハはずっと、暗い地の底で、聞きたくも無い囁きに怯えながらこの日まで生きていた。彼女のした事は酷いことだ。それは分かる。分かっている。だから、俺が彼女の罪を引き受ける」


だから、許してほしいと男は言う。


「・・・分からない」


俺は本当に、役立たずでどうしようもない。この男の言葉の意味が、何も分からない。分かってやれない。それだけが苦しくて、悲しい。


「重ねて、無理を言ってすまない。けれど俺にはもう、君しか頼れる人が居ないんだ。頼むよ、ベオ。どうか彼女だけは、暗い穴倉に戻すのではなく、どうか。日の当たる場所へと返してやってほしい」

「分からないんだよ」


俺には、分からない。

何故君は、こんなにも傷だらけで、血と油を流しながら。


「どうしてそんな眼が出来るんだ」


人間らしい所と言えば、たった一つ残る、その右目だけだ。濁るような先程までとはまるで違う。とても穏やかで、何処までも澄んだ瞳でジョーは。


「うん、惚れた弱みってやつかな。きっと、君だってそうだろう」


ジョーは少し照れたように、鋼の顎ではにかんで。


「男は何時だって、好きな女の子の前で格好をつけるモノさ」


ジョーは本当に無責任に、そんな言葉だけを言い残して窓ガラスを叩き割り、赤い炎と目の群れる地上へと飛び込んでいった。





うん、良い傾向だ。

先程までは囁きと感じていたそれが、次第に自分の思考と同期、いやそちら側へと意識が浸食されていくのを感じる。

せわしない事だ。約一年ぶりに正気を取り戻したというのに、これではまた、自我を持たない人形へと逆戻りという事になる。


「それでも」


それでも、今度は自分の意思でこうなる事を選んだ。そう思えば、ある意味では死と等しい自己意識の消失を、きっと今度は不可逆の眠りとなる事を自覚してなお、彼女の安全と引き換えであるのなら、それを穏やかな心持で受け入れる事が出来る。


「うん、きっと大丈夫」


少ない時間ではあったが、ナノハを託した彼、ベオの事を自分は信用していた。

勿論、無制限に全てが思い通りになるとは思っていない。けれど、多分大丈夫。

性格の悪い話にはなるが、殺されかけた相手にあんな風に何故と問える人間は、良い意味でも悪い意味でもその甘さに苦しむ事になる。結果的にそこに付け込むことになる訳なのだが、こればかりは勘弁してほしい。


「さて、これが、俺の最後の悪あがきだ」


囁きの方向性に一つ、変化を生じさせる。

奇襲は成功。ホテルとバルドル基地に展開の群れは再編の為に一時退却。

ステーション周囲の警備を強化し、翌明朝の再侵攻をもって目標を達成するものとする。

これでいい。概ねの方向性を保ちつつ、時間は稼げる筈だ。


「・・・ああ、やっぱり嫌なものだね。自分が薄れて、消えていく」


でも今度は、自らの意思で。後を託す事が出来たのだと信じて。

最後の思考の後で、右眼に灯る光が消えた。

立ち尽くす男の影はその周囲に蠢く群体に紛れてしまい、すぐにその姿すら分からなくなってしまった。





「さて、現状を確認しておこうか」

「まて、何でお前が仕切ってるんだよ」


ホテルシンドリ地下、臨時の指揮所となっているフロアに着くと通された会議室の様な部屋に何故かアヤナやトウコの姿は無く、此処には俺の他に死んだように項垂れて虚ろな眼の、唯一視察団で居残ったベルのSPが一人、そして得意げにプロジェクターを操作するベルの三人しか居ない。


「適材適所ってやつさ。鷹野くんは情報分析と作戦立案に忙しいし、鷹野くんは無事な実働部隊を率いてステーション周囲の斥候に出ている。その他目ぼしい人員も自分の職務に忙殺されてて、出しゃばりな癖に役立たずなベオに親切にも説明なんてしてくれる暇人は、僕くらいしか居ないってワケ。優しいだろう?思わず傅きたくなるだろう?」

「・・・後はともかく、俺が馬鹿やったって事を否定は、出来ないな」


実際ベルの指摘は正しい。単独で敵の首謀者と思われる二人を勝手に迎撃し、まんまと取り逃がす。自分のした事は、正直彼女等の足を引っ張っているとしか言いようがない。


「おや、流石に反省しているかい?まあお説教は鷹野くんの役割だから僕は何も言ってやらないさ。で、本題に入るんだけどね」


スクリーンに映し出される異形は生物的でもあり、機械的でもある。構成している素材はともかく、その両方の特性を持つ、実際の生命体を皮肉った存在であり、常識的に考えてそれが実際にうろついているという事実を信じたくは無かった。


「これが先程の襲撃で大挙して現れた敵側の兵隊さ」

「これは、虫か?」


魔素汚染による怪物化した虫は勿論自分でも見た事が有るし、対処した経験も有る。

しかしこの、映像に映る姿はどうだ?外観は虫を模した姿に見える。しかしこれは明らかに何かしらの金属で構成された、その分野に明るくない自分には、それはいわゆるロボットにしか見えない。


「回収された幾つかの残骸の分析から考えて、その予想で間違いないだろうね。誰がどうやって、この規模の数と質を、如何にしてバルドルに察知されずに用意できたのか、という事に関して個人的にも興味が有るけど。今はもっと物理的に、これの対処について考えなければならないというワケ」


ベルの言葉はもっともだ。現状、翌日の定期便か何かがこの階層の異常を察し、バルドル本社が報告を受け鎮圧に乗り出す事になれば確実に事態は収拾されるだろう。しかしそれまでの間、奇襲を受けて戦力の低下したニザヴェリルの戦力で少なくとも戦線の維持をしなければならないのだ。その為に、先ずは相対する敵を知る必要が有る。


「これは群れの構成でも中心となる兵隊タイプ、タイプSと呼称する実体だ」


全長1m程だろうか。鉛色の硬質な外殻に、三対の脚。その内一対は巨大に発達し鎌状の近接武器となっている。

頭部には複数の鋭利な突起が生えているが、これは何の用途に用いられるのか。


「それは飛び道具だね。ガスか何かでその棘を発射するそうだよ」

「何処のどいつがこいつを作ったかは別にして、随分と悪趣味な事だな」


とはいえ武装はそれらのみ。そう聞けばそこまで脅威には思えないが、問題は数である。


「この実体が奇襲時に確認された数だけで最低でも数百。元々このニザヴェリルは都市型では無く資源型で住民の数も少なく、常駐する兵数も設備も他の都市と比べて規模がかなり小さい。質という面で多くの装備が失われた今、数の差はあまり考えたくないね」

「質でカバーといっても限度があるしな。戦いは結局数だ」

「そういう事。それに、対策すべき対象は他にも居るんだ」


次に映し出された姿は、正直げんなりするものであった。


「全高2m、全長5m。我々で言うところの主力戦車に当たる実体、タイプT。これも最初の襲撃で複数体確認されている」


タイプSを巨大化させ、その胴体部に更に巨大な棘を備えた存在。見た目のまま、その棘を戦車の砲弾が如くに打ち出してくるのだろう。


「おまけにその打ち出す棘に幾つかの種類が有るらしくてね。実体弾の他にも徹甲弾、榴弾などが確認されているよ。加えてその外殻も堅牢ときたもんだ。正面装甲は携行の対戦車砲でも抜けないって、ちょっと笑えるよね」


そんなものどうしろというのだ。文字通りに重戦車ではないか。


「まあ奇襲で此方のヘリや戦闘車両が全滅した今、敵に空戦戦力が存在していないのが唯一の救いかな。今の所確認している範囲で、って事だけど」

「実際どうなんだ。この状況ならやっぱり籠城しかないか?」

「そうだね。鷹野くんは現在、戦力の分散を防ぐために住民の避難誘導と同時に残存部隊をホテル周囲に集結させているらしいから、斥候の報告次第だろうけど現実的にはそうなりそうかな」


ベルが言うにこのホテルシンドリは、緊急時に要塞と成るべく外壁を大規模な砲撃すら耐えるべく強固な造りをしており、更には複数の防衛設備が用意されているのだとか。


「全く、どんなリゾートホテルだよ。外界ならともかく、バルドルの庭と言ってもいい九界に、こんな要塞みたいな施設が必要なのか?」

「備えあればなんとやらってね。実際、役に立っているからいいじゃないか」


得意げに胸を張るベル。今回の視察とやらも、リゾートというよりはこういった防衛施設の出来を確認しに来たのだと思えばわざわざトップが足を運ぶのも腑に落ちた。


「大体状況は分かったよ。ああ、俺も幾らか疑問に思う事が有るんだ。あの女は確保しているんだろ?少し話をさせて欲しいんだが」

「あはは、君、ちゃんと話聞いていたのかい?」

「なんだよ?多分この事態の収拾にも必要な事だぞ」

「その必要はありません」


会議室の扉が外から開く。暗室が、外からの光で彼女の姿は逆光となり、その表情は分からない。


「ベオさん。貴方は事態の収拾まで此処で会長と待機していてください。寝食をはじめ、退出は一切認められません」


それは、懐かしい匂いに似ていた。


「いや、アヤナ。俺も何か」


何か、出来る事をしたい。いやするべきだと。そう言いたかった。


「この際はっきりと言わせてもらいますが、ベオさんは現状、足手まとい以外の何物でもありません」


けれど彼女は余所行きの私服でも、夕食時のドレスでも、何時もの見慣れた警備局の制服でも無く。

無骨な装甲服を身にまとい、何時かの、その出会いと同じ表情で。


「これ以上は迷惑です。貴方は、もう何もしないでください」


表情もないのに美しく、けれど少しも好きには慣れないその感情で、その事実を口にしていた。





「その、本当に良かったのですかアヤナ」


その私の問いに、妹は何も答えない。


「貴女の考えは分かります。以前聞かされた通りに、ベオさんは他人と自分のリスクを天秤にかけた時、自分がそれを負う事を選ぶ傾向にあると。それは、その通りなのだとは思います。けれど今回の場合は余りにも」

「姉さん」


妹の声色の変化にぎくりとする。


「姉さんは何か勘違いをしている。私は単純に、彼を戦力として期待出来ないと判断したのです。独断専行、敵勢力の過小評価、更には自意識過剰。あれではまだ、一般の歩兵の方が役に立つ。肉壁すら期待出来ない相手に、何を望むというのです」


それはここ最近の彼女とは違う、まるで以前の彼女に戻ったように錯覚される様子だった。


「それでも会長の気まぐれを抑える役には立つでしょう。理由は分かりませんが会長は彼に個人的な興味を抱いている様子です。まとめて軟禁しておけばこれ以上現場を荒される事を心配する必要もなくなる。指揮系統が一本化されれば姉さんも仕事がやり易くなるのでは」

「それは、そうなのですが」


こんな状況だというのに、私は別の事が心配だった。


「・・・貴女は、それで良いのですか?」


今度こそ、そうアヤナに問う。

これでも長い事彼女の姉として接してきたのだ。何を考えているか、そして何を選ぼうとしているかは分かる。自分も、そして他の姉妹達も同じ問題に苦しめられてきたのだから。

私は、歪な躰のままで、誰かと共にある生き方を選んだ。

問題は多く、解決できない事ばかりで、未来への悩みも多い。けれど得たモノも在った。何を引き換えにしても失いたくはないモノが。

だから、その路を選んだことに後悔は少しも無い。


「貴女にも、そう望む事は出来るのですよ」


問いに応えたのは破砕音で、それはアヤナが手にしていた長距離通信装置を握りつぶした音だった。


「私は、姉さんとは違います」


破損した通信機は様々な環境下で使用される事を想定し、頑健な素材で造られている。それを破損させる事は容易では無いが、その砕けた破片の鋭利な断片が皮膚を裂き、肉を抉る事は容易である筈だ。

しかし、その掌に傷一つ付くことは無い。彼女は、いや私達は、自分がそう望まなければ血の一滴すら流す事は無いのだ。


「私は、愚かでした。どうしようもなく救いの無い、何時か、そうですね、義父さんに指摘された通りに」


その響きは悲しみというより諦観に近い。アヤナはもう何もかもを諦めている。


「何かになれると勘違いして、何かのふりをしたままで。誰かを好きになって、その誰かに想ってもらえるだなんて」


涙一つ流すことも無く、それを当たり前だと思い込むことで、彼女は諦めを受け入れようとしている。


「私がした事なんて、彼を意味もなく傷つける事ばかりで。何も出来る事は無いのに、結局何も出来なくて。彼を信じる事すら、出来なくて」


それは違うと言いたかった。けれどその言葉は口に出せない。これ以上、彼女を苦しませる事は自分には出来ないのに。


「ほんとうに、ばかみたい」


だから一つ。これは同僚としてだとか、姉としてだとか、そんな事ではなくて。


「アヤナ」


一人の女として。自覚なく、自分の願いを手放そうとしている女へ。


「その通りです。貴女は本当に、馬鹿ですね」


そう言ってやらなければならないと思ったのです。

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