代用品の少女はその街で彼と出会い自らの願いを見つける事ができるか②
「お客様は、神様ってか」
今、狭いスペースながらも俺手ずからこだわりの機材を整えた台所で、それらを使うことなく一人悪態を吐きながら何をしているかと言えば、見ての通り、こうして湯を沸かしている。
説明すると所長も俺もコーヒー派で、その種類もストックも中々のものだ。そういう事も有って何時もなら客に出すのはコーヒーか、後はパックの日本茶くらいか。
事務所に通した依頼人のあの子供にも、まあ一応の礼儀としてどちらが良いかと確認して。
「なぁにが泥水も草を煮詰めた汁も飲まねえだ。それに日本茶も紅茶も元を辿れば同じだろ。これだから金持ちの坊主は」
あ、いや、依頼人は女だった。まあそれはどっちでもいい。
そういう事情で何時だかの貰い物の、それでもけっこうお高い茶葉とカップのセットをわざわざ引っ張り出してご希望通りに紅茶を用意してやっている。
子供相手にどうこう言っても仕方は無いが、無駄なストレスは健康に悪い。口の悪い依頼人にこれ以上文句を言わせない様に完璧に仕上げてやっている訳だ。そもそも俺はこういったところで手を抜かない主義である。
こんなこともあろうかと茶に詳しい知人にあれこれ教わっておいて良かった。これで完璧。文句は言わせねぇ。
「おーいベオくん、こっちに来てくれるかい」
所長の呼ぶ声が茶を淹れる作業の終りにタイミングよく重なり、二人分のコーヒーと一人分の紅茶を盆にのせそちらへ向かった。
「ああ、ありがとうベオ君。君も掛けてくれるかい。今回は外回りがメインになりそうだから、先ず君の意見を聞きたいんだ」
そう礼を言い、自分の隣に座るように促すのはこの月夜見探偵事務所所長、月夜見マナ。一年と少し前に俺を拾ってくれた恩人で、今の雇い主だ。
流れるような明るい灰色の髪に、深い紫の瞳。少し幼げだが理知的で、どう見たって美人なのにそれが嫌味にならないのは穏やかな物腰と人柄故だろう。あと着痩せで分かりにくいがスタイルは抜群に良い。
給仕の後彼女の座っているソファーの隣に腰かけると、正面に座る依頼人は妙な面持ちで俺の用意した紅茶を啜っている。
何か難癖でも付けるのかと思えば、どういう反応なんだその顔は?少なくとも不快な様子では無いが、彼女からは何故かやけに戸惑うような、混乱している様な匂いすらしている。
「ベオくん、彼女はアリス・オーガスタ嬢。見ての通り外部から、それもわざわざイギリスからこの九界へやってこられたそうだよ」
所長のその言葉には少し驚く。よその階層からならともかく、外部から、しかも日本国内どころか海外からとは。
「マジか。厳しい渡航制限がある九界に日本人ならともかく外国人で、ってなるとバルドルにコネがあるか、相当な金を積まないと無理だぜ」
「彼女の叔父がグループ内でも低くない地位に在る人物らしくてね。その紹介で、此方に依頼にやって来たという訳らしい」
「へえ、という事はバルドルの関係者が、バルドルの私兵を使わずに、俺らみたいな一介の探偵に依頼を、ねぇ」
その経緯を聞いて思わず顔を顰めた。途端に話が胡散臭くなってきたなこれは。
此処を紹介したという依頼人の叔父とやらが聞く通りにバルドルの権力者であれば、スパイまがいの情報部や実際暴力装置の保安部など幾らでも都合よく動かせる人員を融通できる筈だ。だというのに依頼人が使える筈の安牌を切らず、使い捨てのきく探偵のような便利屋を使う。
そういう時ほど用心しなければならない。特にバルドルが絡むと話は更にややこしくなる。
こういった案件で何かと厄介な、先の二つとも異なるバルドル擁する九界の公的機関。実質はその私兵であり、治安維持組織も兼ねるバルドルの警備局とは良いにしろ悪いにしろ付き合いはあるが。
「基本的に融通利かないんだよなぁ、あいつら」
「だからだ、探偵。これは極めてデリケートで、バルドルにも介入して欲しくは無い
案件だ。だから、君らに依頼をしたい」
言いながらカップを置く、アリスと視線が合う。
意志の強い、けれど僅かに、幼さゆえか隠しきれていない微かな不安の匂い。
出会い頭のやり取りも、今思えばそういった感情を誤魔化すための強がりだと考えると、少し俺の考えも改まる。
今の所その依頼の危険性がどれ程のものかは分からないが、一応彼女は依頼人だ。だから、まあ。話は聞いてやらないとな。
「人を、探している」
そして差し出される写真。其処に映るのは一人の女性だ。
「君の親類か?」
恐らく数年は前の、今時珍しいアナログな手法で撮影されたであろう少しくたびれた写真。しかしそれでもはっきりと見て取れる美貌に、それが自然かつ品性を感じさせる穏やかな表情。そして俺が依頼人の親類であると察した理由。目の前の少女が順当に歳を重ね、美しく成長したら、と予想される姿がそこに在った。
俺の問いに依頼人、アリスは答えない。
「探し人はソフィアさん。それ以外の詳細不問、というのが希望らしくてね。先月このニヴルヘイムのターミナルにある監視カメラに姿が捉えられたらしい。遡って依頼人の叔父が調査したところ、彼女は同じ頃に偽装IDを使ってユグドラシル経由で外界からやって来たみたいなんだ。つまり、彼女はラタトスクの監視網を不正に突破した密航者という事になる。これも警備局に大っぴらに協力を要請できない点の一つかな」
ユグドラシル統合管理システム、ラタトスク。ユグドラシル内部全ての映像、音声、人と物資の行動記録全てを管理、運営するAIプログラムは正規の手段以外でのユグドラシルの使用を許さない。
まあ抜け穴が無いわけでは無いが、少なくとも一般の人間が出来るような容易な事ではない。それこそバルドルに強いコネがありバックドアから大手を振って入れるか、又は超一流の、いや、話が脱線してるな。
「へえ、ラタトスクの目を良く誤魔化せたな。で、その先月以降の足取りは?」
「完全に不明。けれど偽造IDは密航直後に発覚して直ぐに停止されているし、それからの他の階層への移動は無いようだね」
「まあ階層移動はユグドラシル経由じゃないと現状一つしか無い。鷲は最近飛んでないし、ニヴルヘイムに今も滞在しているって事は間違いなさそうだが。しかしそれだけの情報で、この馬鹿みたいに広く複雑な街で一人の人間を探せってか」
情報は写真で分かる外見と名前だけ。やろうと思えばそのどちらも幾らでも誤魔化す術は有る。実際に会った事のある人間ならともかく、全くの見知らぬ人探しとなれば打つ手は限られてしまう。
実質的には金がかかる方にするか、精神的にしんどい方にするかの二択なのだが。精神的にしんどい方は精度にムラが有るので非常時以外に出来るだけ選びたくはない。
「君がこの探し人についてそこまで知らないのか、それとも知られたくないのか分からないが、名前以外の情報も調査の過程で色々と明らかになると思う。が、それは此方が調査の過程で必要だと判断した情報だ。そこは構わないな?」
「その判断は任せる。報酬は前金で2万、依頼達成後に3万。どうだ、その対価としては不足か?」
「いや待て、これだけ開示される情報も少ない厄介そうな人探しにそれはちょっと安いんじゃないか」
普段であれば何とか納得出来る報酬金額も、こう厄ネタが揃うと簡単に安請け合いは出来ない。特に金が掛かる方だと確実に足が出る。
「ベオくん、ベオくん」
「ん、どうしたんだ所長」
目の前に依頼人が居るのに内緒話をする様に口に手を当て、ひらひらともう一方の手で招く様子の所長。時折見せる知的な彼女のこういった少し幼げな所作も、やはり可愛い。
「ポンドだよ」
「何が」
「報酬の単位、英ポンド。日本円だと、大体合計800万円位かな」
一瞬、計算式が頭の中でぐるぐる回る。溜まった家賃を支払い、光熱費を支払い、出前のツケを支払い、それから、それから。
「やりましょう所長、俺人探し超得意!だって頭が犬だから!」
うん、断れるはずが無い。
まあ、そういう訳で。明らかに裏の在りそうな依頼にも関わらず不自然に高額な報酬に釣られて請け負ったのが運の尽き。だって基本的に自転車操業の事務所にとっては久々の大仕事であり、雇用主が全くと言っていい程金勘定に疎いものだから特に最近の懐事情は寂しいもので。
だから、依頼を承諾したその時、依頼人の表情に僅かな安堵と、何か暗い後ろめたさが隠れていた事には気付かない振りをすることにした。のもまあ、後の祭りってやつさ。
さて、それじゃあと出かける先は二つの選択肢の内の一つ、金のかかる方。
高すぎる報酬に最初は半信半疑だったが、一先ずの承諾の後、即座に枯渇寸前だった事務所の口座に前金はしっかりと振り込まれているのだから経費の心配は少ない。それこそ面倒な人探し位なら悪くて諭吉が数人で家出する程度だ。
事務所を出て徒歩で二十分程、見慣れた街並みを歩く。この辺りはセカンドでも浅い区域で、ファーストのベッドタウンを兼ねる住宅、マンションが多い。しかしどれも老朽化が進み、ファーストと比べるとインフラ整備も後回しで錆まみれの水道管に数か月は消えたままの街灯。幾分も快適度は下がり実際治安も良い方ではなく、金が有る奴は皆ファーストに住む事だろう。つまりそんな寂れた一帯だ。
この異界、通称九界の中でも人の住める環境ではない下二層との境界に位置するニヴルヘイムは特徴としてその中心に位置するユグドラシルに特に繫栄が集中し、外へ向かう程貧しく、更にその末端は荒廃している。その区分けを中心から大雑把にファースト、セカンド、そしてサード。
つまり中心地程治安が良くて警備局や監視カメラ等の目がきつく、其処から離れれば離れる程治安は悪いがそれらが少なく隠れやすいって事だ。
依頼人から得た情報によると、先に述べた監視カメラ等の記録を精査した結果、探し人はファーストに潜伏している可能性は低いという。こいつはウチにお鉢が廻ってきた理由でもあるらしい。
今回はデジタルな方法には期待できない。故に、アナログな方法が活きる。いくら機械的な監視システムが無くとも、それでも当然そこに生きている人間が居ればその眼や耳がカメラの代わりをしてくれる。古典的な手段ではあるが、そこから得られる情報が人探しの取っ掛かりとなる事は多い。
そういった情報の元締めが烏の巣と呼ばれる情報屋の溜まり場な訳だ。一見すると小汚いチェーン店のファミレスだが。
入店のベルを聞きながら店内を見渡すと連絡をしていたせいか馴染の情報屋は既に待っていて、俺も向かいの席に腰かける。
「悪いワタリ。こっちも急な話でな、無理させちまったか」
「別にいいさベオ。お前には借りも有るし、こいつで俺も、一つ恩を着せられる」
情報屋ワタリはそう言って機械仕掛けの片目を閉じた。
年齢は四十半ば、くたびれたトレンチコートにハンチング帽。俺よりもよっぽどオーソドックスな探偵調の装いの鍛えられた、年季の入ったハードボイルドといった男。
ワタリは多少金が掛かるが取り扱う情報の精度が他より頭一つ抜けている。元は大異変前の警視庁で刑事をしていたらしいが、どういう訳か大異変後に治安維持組織としての後釜に収まったバルドル警備局のオファーを断り、今は昔の伝手や経験を生かして情報屋をやっている。
彼の経験と勘を活かしたアナログな情報収集、分析能力は正にこういった案件には最も適している。そういう訳で真っ先に声を掛け、その成果を受け取りにやって来た。
「で、何処まで辿れた?ちょっときな臭いしこの件は早めに終わらせたいんだが」
「まあ待て、何せ急だったからな。まださしあたっての足取り程度だ」
「って事は生きている可能性が高いって事か。それが聞けただけでも十分だぜ」
そこは一番に懸念していた点だ。訳アリの探し人、それもニヴルヘイムの情勢を理解していない外界からの密航者がファーストならともかくセカンド以降で潜伏し続ける事は困難だろう。探し人がもう死んでいました、だなんて事は笑えないジョークだ。その辺は流石ワタリ。期待通りに初めの取っ掛かりはこれで掴めた。
しかしそうなると別の懸念も生じる。単に運が良かった可能性も有るが、彼女は何かしらの、こういった場所で生き抜くための自衛手段を持っているのかもしれない。
「ああ、情報に類似する人物がって事にはなるが、最終の足取りが三日前。場所はセカンドの外縁部、殆どサードだな」
「って事はサードまで出ちまった可能性もあるか」
都合よく朗報ばかりでは無さそうか。それが事実であればこの依頼の難易度は跳ね上がる。セカンド外縁部がスラムだとすればサードは荒野といってもいい。
「いや、その線は薄そうだ。サードの方であんな上玉がうろついていたらトラブルになるか、さっさとバラされちまう。裏のマーケットには此処数日似たような容姿の女の目撃情報も出品情報も無いから、先ずは最後に目撃された場所から探ってみるんだな」
これまでの情報を反芻しながら考えてみると、探し人は生きている可能性が高く、その最終の足取りがセカンド外縁部付近、更に何らかの自衛手段が有ると予想される。こんなところか。
「ありがとよ。で、その最終の目撃場所は?」
「いや、それは良いんだがな、ベオ」
やけに俺の後方を気にするワタリは、別に勿体ぶっているわけでは無く何か気になる事があるらしい。
「なんだよ」
「あのクソ目立つお嬢さんは知り合いか?」
「ああ、可愛いもんだろ。一応今回の依頼人って所だ。事務所で待っといてくれって言っておいたんだけどな。俺の事が心配でへったくそな尾行しながら慣れない街を健気に追いかけて来てくれたのさ。おいハニー、こっちにおいで!奢るからフルーツパフェでも食べないかい?」
「気付いていたのならさっさと言えこの駄犬!」
俺の声に頭から湯気が出るくらいに顔を真っ赤にして二つ手前のテーブルからやって来るのは依頼人で、何のつもりか事務所から俺を追いかけてきたアリスである。
此方に気取られているつもりは無かった様で焦っているのか、こうしていると年相応の可愛げってのも有るんだけどな。
「何だよ可愛いな。年長者として子供が頑張ってる所を生暖かく見守る文化がこの国には有ったんだとさ。知ってるか?ハジメテのアヤマチってやつ」
「お使いだ馬鹿。依頼人って事ならお嬢さんにも話していいのか?」
「いいや駄目だ。ハニー、残念だがここからはR18指定だ」
まあ仕方がない。サード近くまで出張るとなると危険度は無視できないし、何より教育に悪い。
「君に根性があるのは分かったから、大人しく事務所で昼寝でもしてな」
「見くびるなよ駄犬が。自分の身くらい自分で護れる」
そう言って、彼女が取り出すのは革製のグローブである。年季の入ったアンティークの様で指先部分は金属で覆われ、掌の部分に赤い石がはめ込まれている。
何事かと見ているとアリスはその手袋を身に着け、指を鳴らす要領で。
「ign」
短く唱え、指先が石に触れ、硬質な小気味いい音が鳴る瞬間俺の鼻先に紅い火焔が弾けた。
「ってあっつ!焦げる、俺の毛が焦げる!」
「へぇ、触媒有とはいえ一節詠唱のワンカウントでこの火力。お嬢さんメイガスか。それも中々腕が良さそうだ」
メイガス。大異変以前より世界の影に潜み、異変後は数こそ少ないもののこの九界では認知されている異能を行使する者達。魔素と呼ばれる隠された元素を基に無から有を生じさせる様に見える、タネの無い手品師みたいなもんだ。
ふふん、と心なしか可愛らしくふんぞり返るアリスとは裏腹に、俺は別の事が心配だった。
「馬鹿!こんな所で火遊びしやがって、火災報知器鳴らしたらどうすんだ馬鹿!」
過去トラブルを起こして出禁になった奴を知っているから質が悪い。此処が使えなくなるのは後々に激しく面倒な事になる。
幸いメンテナンス不足のスプリンクラーは不感症。睨みつけてくる店員に全力の愛想笑いで事なきを得た。
「分かっただろう、その気になれば私は」
ああもう、まだ言ってやがる。なら、仕方ないか。
「なあ、アリス。君の手品は立派だよ。俺だってこういう仕事をしてるんだ。メイガスの知り合いは何人かいる。やりあった事もあるし、その怖さも知ってる。だから君の事を子供だからって侮っているって訳でも無い」
「なら、私も」
「その上で、だ」
そう。だからこそってやつだ。
「俺は、君から依頼を受けた。人探しって依頼をな。なら、そいつをやり遂げた時、報告出来る相手が俺には必要なんだよ」
今度は真剣な様子で。おふざけは嫌いでは無いが、此処だけは譲れない。
「お前は、何を言って」
「いいから聞け。これはまあ、俺の我儘だ。けどな、俺には我儘を通す権利と、義務がある」
そう、そうさ。そいつは、何よりも大切な事だ。
当のアリスは意味が分からず混乱している様だ。まあ仕方ない。お子様にはまだ早いお話だからな。
「その我儘が、俺だ。俺を俺にするたった一つの証明なんだ。だから、文句は言わせない。聞く気もない」
それでも、少しは伝わったらしい。アリスからはもう反抗する気が失せている。
「って事だ。悪いがワタリ、俺はこのまま現地に向かうからこのお嬢さんを事務所まで送ってもらえるか?情報の代金はこれで頼む」
「ああ、構わんぞ。こいつがその場所のメモだ」
手渡した数枚の紙幣の代わりに差し出された紙片を掴んでその場を後にする。
アリスは何かを俺に言おうとして、そして諦めた様子で。
「なあ、あの駄犬は何をカッコつけているんだ?」
「まあ許してやってくれ。本人はキマっているつもりなんだ」
「しまらねぇなおい!」




