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犬頭の探偵は黄昏に沈む世界で明日を夢見る事ができるか  作者: せんこう
代用品の少女はその街で彼と出会い自らの願いを見つける事ができるか
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代用品の少女はその街で彼と出会い自らの願いを見つける事ができるか⑫

陣取った周囲を見渡せる小高い丘の上からソフィアの率いる一群を視認したのは、所長の予想より少し遅れて15時頃。

旧国道跡に沿って進む群体。捕捉されないギリギリの距離から絶えず追跡を続けていたワタリの無人機から送られる不鮮明な画像越しではおおよそでしか分からなかったが、実際の敵の数を目視で確認すると随分と多く感じる。


「察するに道中で頭数を補充したようだ。周囲を囲む兵隊は、百程か」

「ああ、それと中心の心臓。生体錬成炉だったか、穴倉で見た時よりデカさが倍近くになってるぜ」


詳しくどういう経緯で、という理由は精神衛生上考えたくはない。まあ敵側が随分と増強されたのは確かだ。

相手側は想定の戦力の数倍。万全を期すなら作戦の見直しが必要なレベルだが、今から修正する猶予は時間も距離も無い。このまま見過ごせば、あの奇怪なパレードがセカンドへ流れ込み、被害者が加害者に転じて更に群れの数を増し、その被害は昨夜の逃避行が前座レベルの大惨事となるだろう。

まあ、こういうのは割と何時もの事。臨機応変という名の行き当たりばったりは慣れたものだ。ただ、それに対する備えは当初の予定より十分に行う事が出来た。

というのも期待していなかった助っ人が、此方が思っていた以上にやる気だったからだ。


「想定外だがまだ許容内だ。頼むぜ、清水の皆さんよ!」


明らかに嫌そうな面を並べている者が多いが、それでも異形の軍団を目の当たりにしてもなお逃げ出さないのは頼もしい。人数にして十数人、清水興業の構成員としては半数に近い人数が、応援としてこうしてこんな所まで出張ってきてくれた事は慮外の朗報だった。

直接迎え撃つ此方の戦力は変わらず俺とオルターの二人きりなのだが、まさか鉄火場まで出張ってきて援護射撃まで期待できるなんて、堅物の清水の親分にしてはどういう風の吹き廻しなのか。


「うるせー!アタシらを当てにするなよ、親父に言われてるのは援護までだ。これ以上は絶対に前進しないし、手前らが死にそうになったらさっさとケツまくって逃げるからな!」

「黙ってろマキ。ベオ、あの連中がうちのシマに入り込むようなら俺達はそちらの防衛に回らなきゃならないのは理解してくれ。だから、それまでは援護を続けてやる。安心しな、間違って味方の背中を撃つような下手くそは連れてきていないさ」


悪態を吐くマキを制しながら言う昭和の任侠映画から出てきたような男。大口径の狙撃銃を携え、何処から調達したのか軍規格の強化外骨格の上にコートを羽織った彼は清水興業若頭、藤堂だ。

その他の応援の組員も皆ライフルや機関銃で武装しており、後方には何処から調達してきたのかロケット砲を搭載した車両も用意されている。


「しかしどうした?オルターの件も聞いたが清水の親分は今回、随分肩入れしてくれるじゃないか。俺にかけられてた賞金の事も何とかしてくれたらしいし、どういう心変わりだ?それに何かトラブルがあったんじゃないのか?」


俺の問いに藤堂は何か応えようとするが、先程とは異なり珍しく狼狽えた様子を見せ、取り繕いながらサングラスを抑えている。


「すまんが俺からは説明できん。只、事が落ち着いたら親父が話す事が有るんで顔を出せだと」

「話ねぇ、まあこれが片付いた後なら幾らでも顔を見せに行ってやるさ。とにかく予定通り、初っ端にロケット砲で数を減らし、俺とオルターがその混乱に乗じて真っ直ぐ心臓とソフィア目掛けて突貫する。アンタらは俺達が包囲されない様に囲い込んでくる相手側の車両を中心に兵隊を散らしてくれ。指令を出しているソフィアと心臓を抑えれば他の兵隊も無力化できる筈だ」

「了解だ。聞いたかお前らァ!探偵に後れを取るなよ、気合い入れろ!」


力の入った鬨の声が上がる。中々大したもので、武闘派の名に違わずあの異形の群れを眼にしても取り敢えず臆した様子の者は居無さそうだ。


「オルター、最後にもう一度確認しておく。アンタは本当に、こちら側で良いんだな?」


これは別に、この期に及んでオルターを疑っているわけでは無い。しかし、彼にはあちらに与する十分な理由がある。

その上で、迷いがあるのなら、もう一度戦う事になっても仕方ないと俺は考えていた。つまり、今此処が、彼にとっての崖っぷちなのだ。しかし。


「最早、迷いは無い。それにこれは彼女と戦う道ではなく、救う道であると、そう理解している」


迷い無く言い切るオルターの姿に、馬鹿げた事を聞いてしまったと後悔した。

彼はずっと前に決断している。それを違わぬ為に、今この場に立っているのだから。


「・・・そうだったな。悪い、アンタは誇り高い男だ」

「世辞はいい。合図を頼むぞ、ベオ」


その言葉を頼もしく思う。そして後方、アリスと所長の待機する車両を一度だけ振り返り一瞥し、さあ、それで準備は出来た。覚悟も完了。

今、必要なモノは始まりの合図だけだ。それもとびっきり派手なやつが。


「オーケーだ。所長、開幕だ。派手な花火を頼むぜ!」

『了解、全員頭下げて。三、二、一!』


熱を帯び吹き付ける烈風。カウントのゼロと同時に多連装のロケット砲が火を吹きながら一斉に放たれて、火薬で満たされた鉄の槍が雨となり過たず敵の群れを捉える。

着弾と同時に炸裂する激しい火柱と巻き上げられた土煙が、再終幕開始の合図だ。





期待どおりの派手な合図は巨大な心臓と、それを取り囲む死人の群れを炎と暴風の内に十分に包み込んだ。

遠く離れた此方まで伝わる、殴りつけるような振動の後。黒煙が風に払われるまでの間、言葉を口にする者は誰も居ない。

これだけであの死人の群れの全てを葬り去れるだなんて希望的観測を抱いていたのは敵の事をロクに解っていない助っ人達くらいだ。その沈黙も僅かな間で、爆発の余波は過ぎ、巻き上げられた土煙が晴れた後の光景が目の前に広がると、恐れの混じる困惑の声が彼等から発せられる。


「先制攻撃は、あまり効果が無さそうか」


爆風で兵隊を幾らかは巻き込めたようだが、その多くは着弾の瞬間、あの防空壕でも用いていた錬成炉から伸びる肉の触腕が叩き落とし、そのまま群れを覆う様にして護った。

結果群れの殆どは健在。ロケット砲の弾道の軌跡から此方の位置も把握され、意思が無い筈の、眼球すら無い兵隊たちから複数の無機質な視線を感じる。


「だが全くの無意味という訳では無いらしい。見ろ、触腕の幾つかは黒く焦げ、動きも鈍い」


オルターに指摘されて見ると、確かにその爆発から群れを庇った触腕の表皮が黒く焦げ、熱傷で爛れ、多くが傷ついている。そのせいか全体の進行速度自体が低下しているようだ。

今が好機。散発的に反撃を試みる兵隊の出鱈目な狙いの鉛玉が時折近くを掠め、それを無視しながら跨るバイクのアクセルを思いきり回す。


「よし、いっちょやるかぁ!」


清水興業が用意したバイクを思いきり走らせ、オルターと共に殆ど崖の斜面を駆け降りる。背には所長が用意した隠し玉。事前に伝えられた様に振り回す長物としては重すぎるが、強大な敵に立ち向かう今はそれが頼もしい。


「俺は右、アンタは左からだ!」

「心得た!」


オルターは既に得物の槍を展開している。

先行する俺とオルターに合わせて始まった後方からの援護射撃は既に何体かの生きる屍を斃し、それでも全体の数は多い。

迎撃に側面から迫りつつある敵の四輪に向かって、それならばと減速もせずに突っ込みつつ、衝突の瞬間にバイクから飛び退いて数台を巻き込ませ転倒させる。


「あたしのバイク!」


マキの文句を完全に無視。飛び退いた勢いのままに回転する躰を更に加速して背に手を伸ばし、その柄を掴む。


「出番だ。行くぜ、グラム!」


鞘の無い肉厚で、鈍く輝く鋼色の片刃。峰に並んだ場違いな噴射装置が起動と同時に揺らぐ熱を吐く。

確かめるようにトリガーを引くと柄と刃の間に備える空のシリンダーは回転し、其処へ炸薬を装填。これで準備は完了だ。

この剣の名は、破殻断體剣グラム。そのあまりにも長大な刀身は俺の背丈に等しい。この剣は元々バルドルの兵器開発部で魔素による変異生物や装甲車、果ては戦車等、堅固な外殻や装甲を持つ存在に対抗する為に設計された、個人が携行する兵装としては最大の物だ。

しかしその機能に相応しい、大きく、そして重すぎる重量。何より使用者の負荷を度外視した独自の機構により携帯兵器でありながら個人が使用できる兵装ではないと試作段階で判断され、死蔵されていたそれを何処からか調達し、所長が今回の為に調整、改良したモノである。

因みに名前は彼女のセンスだ。かっこいい。


「だぁぁぁぁぁ!」


その特徴的な機構、剣の柄には本来存在しない筈のトリガーを引き絞り、側面に備えられたシリンダーが回転。炸薬に点火し、峰の噴射装置から放たれる、燃焼反応による爆発を推進力に鋼の刃が数十体の動く死体を巻き込んで切断、粉砕していく。

勢いを殺さずにもう一撃。今度は自分の体を軸に独楽の様に回転し、更に数体を巻き込む。炸薬カートリッジを排出しながらそのまま刃を大上段に構え、味方を巻き込みながら直進してきた一際太い触腕を真っ二つに両断した。


「二日ぶりだなソフィアさんよ!間抜けなお友達を増やしやがって、随分と楽しそうじゃねぇか!」

「あら、何処かで見たと思ったら。犬のお兄さんはやっぱり私達の邪魔をするのね」


相も変わらず間の抜けた挨拶をしていやがる。しかし彼女のこうなってしまった経緯を知ってしまったからか俺の心境は複雑だ。

が、今はそんな事も言っていられない。

距離にして十メートル。何時もならひとっ飛びだが、その間にぎっちりと並び立つ兵隊とのたうつ肉の鞭で編まれた壁が道行きを阻み、今はその距離が余りにも遠い。


「当たり前だ!大人しく穴倉に引っ込んでるならまだ可愛げがあるが、悪趣味な仲間を増やしやがって。団体さんで何処行くつもりだ!」

「決まっているじゃない、子のこの為にもう少し新鮮な材料が必要なの」

「ソフィア、もうやめるのだ!其れの何処が君の娘なのだ。これが本当に、君が望んだ成果か?取り戻しかったモノなのか!」

「あら?貴方は、ええっと」


オルターの悲痛な声にソフィアは首を傾げる。友人の呼びかけで少しでも正気を取り戻す事を期待したが、残念ながらそう簡単にはいかないらしい。


「犬のお兄さんの知り合いかしら?貴方からも犬のお兄さんを説得してくれたら嬉しいのだけれど」


ああ、クソ。やっぱり駄目か。オルターの苦痛を押し殺す横顔を見るのが辛い。


「やはり、この九界の異様な環境に加えて錬成炉に不純物が多すぎたのだ。素体から逆流した魔素による精神汚染で記憶の混濁が起きている」


これもまた想定していた事だ。つまり、たった今説得で平和的に事態を解決するという選択肢は立ち消えた。


「ベオ、とにかく敵の数を減らす。私は周囲の兵隊を、貴公は触腕を落とし、可能であれば錬成炉を狙え!」

「了解!」


此処まではまだ予定通り。とにかく敵の頭数を減らし、それから大本の心臓を破壊して、ソフィアの戦闘力を奪いこの群れを無力化する。

それなら決まった役割で。細かい所はオルターに丸投げし、俺はこのまま大本を損耗させるって訳だ。





遠く、その光景をライフルのスコープ越しに目撃した藤堂は口には出さないがこの場に来たことを後悔すらしていた。

自分も十年前に起こった大異変の当事者であり、その後の混乱期から今日に至るまで多くの修羅場を生き抜いてきた。まだ下っ端だった自分が組を守る為に幾度も危険を退け死線を潜り、経験を重ねた今では余程の事では動じない自負がある。

しかしその目の前の光景はそのどれよりも異様で、遥かに隔絶した戦場だった。

動く死人の群体と、中心に在って拍動し、伸びる血管や肉の一部を鞭に周囲を破壊する巨大な心臓。そしてそれを率いる美貌の女。そのどれもが現実的では無く、事前に聞いて、実際に目の当たりにしたとしてもそれを現実であると理解出来ない。

そんな中でも思考を埒外に逃がし、ベオの指示に従いふざけたクラゲ頭を的に、殆ど反射的に引き金を引くだけの作業をこなせた事は自分でも上出来だと思っている。

実際、マキは早い段階で泡喰って逃げ出したし、肝が太い組員を選抜した筈がその場から逃げ出さなくてもその光景に呑まれ、金縛りにあったように動かない者が多く居た。

その中で、その異様の戦場を支配していたのは前述したどれでもなく、群れを切り裂く二つの刃であった。

その一方。無から生じた地を走る烈風が意志を持ち、動く屍を数十メートルは巻き上げ叩きつけ元の動かぬ物体へとそれらを戻す。その様は眼に見えぬ怪物が思うままに木偶人形を掴み上げ振り回し、四肢を引き千切る行為を幻視させた。

そう思えば次は笛の様な音が響き、烈風が巻き上げた土煙を一閃する不可視の何かが吹き抜け、続いて数十の死人の首が滑るようにバラバラと落ち、また笛が鳴る。

その男は一見では身なりの良いコーポのサラリーマンにしか見えないが、たった一人で受け持つ敵の半数を相手取り、一方的に屠っている。

新顔の男。聞けば外界からやって来たメイガスの殺し屋。

あれはどういうカラクリなのだ?メイガスの魔術というと、ああだこうだとぶつぶつ詠唱を行いやっと何らかの現象を引き起こすのではないか。それも精々一人二人を殺傷する程度の規模の。

そんなものは何の脅威でも無い。例えば銃であれば狙いを定め、引き金を引く。それだけで相手を無力化出来るし、何なら刃物で刺す、斬りつける方がもっと早い。魔素汚染で異形化した怪物や警備局の装甲車を相手取るならともかく、耐久性は普通の人間と変わらないメイガスを無力化する事は難しい事では無く、戦闘において彼らの役目はせいぜい後方から固定砲台代わりを務めるのが常である。

しかし彼があの状況で。自分たちが近づく事すら躊躇する最前線で、跨るバイクを文字通り振り回しながら群れを轢き、裂き、分解している様はどうだ。口元を見ても真一文字に結ばれた其処から悠長に長ったらしい呪文が紡がれている様には見えない。つまりこれが、伝え聞く無詠唱の魔術行使。ゼロ・カウント。

完全に理解の範疇を超えている。自分が今までに相手してきたメイガスの魔術などはこれに比べると児戯に等しい。

そしてもう一方。先の刃を研ぎ澄まされた白刃の冴えと例えるなら。これは正に、重さと厚さで断つ刃。


「・・・他の組員に厳命だ。今後月夜見探偵事務と、いやベオとは絶対に敵対禁止だと」


此方まで届く獣の様な咆哮と、鉄の軋み、肉と骨が砕け、千切れ飛ぶ重く鈍い切断音。

とても剣などとは言えない背丈程もある鉄の塊を振り回し、先程など敵の二、三体を巻き込みながら装甲車の側面に叩き込んだ爆発を伴う一撃で、その車体は吹き飛びながらまた別の敵を肉塊に変えてゆく。

その間も、鈍くなったとはいえ未だにその体積に反して恐ろしく速く、そしてその見た目通りに重い肉の鞭の一撃を躱し、その刃で受け、ある時は爆発を伴い、ある時はその膂力のみで両断。動かぬ肉塊に変えていく。

オルターと異なり車両を早々に放棄し、その自身の足で走る混戦の中でベオ自身も幾らか手傷を負っている筈だが。しかし勢いは衰える事無く、爆発の度に敵の群れと肉の鞭が大きく切り裂かれ、肉の破片が飛び散り、心臓が削り取られていった。

ニヴルヘイムでも指折りの強者であるとはこれまでの付き合いで十分理解していた筈だが、それ以上の化物だ。まさかここまでの傑物であったとは。以前から親父がやけにベオを気にかけていたのはこういう事か。

援護だなどとおこがましい。自分たちが減らした敵の数など良くて数十程度。

時間にして一時間も経過していないだろう。鋼と風が死人の群体を潰し、斬り、叩き、両断し。

敵側で後に残ったのは地に倒れ蠢くばかりの幾らかの兵隊と、触腕を殆ど切り刻まれ身を守る術を失った心臓と、変わらず笑みを湛えたままの女のみであった。





ああ、クソ。体中どこもかしこも痛ぇ。

所長特製の防弾防刃性能とオルターが事前に施した弾避けの魔術で守られているコートのおかげで弾丸や刃は貫通こそしていないが、流石に心臓の振るう鞭の重さや、あちこちから撃ち込まれたライフル弾の衝撃を完全には殺せていない。

加えて事前に所長の語っていた通りの暴れ馬なグラムを使う度に、相手に与える爆発力を耐え支える自身の骨格は軋み、全身の筋肉が悲鳴を上げている。ゲロはきそう。

それでも無理矢理にやせ我慢。まだ余裕な様子のソフィアに向かって歯を剝いて笑って見せた。


「さぁ、取り巻きはもう居ない。そろそろまともに話し合う気になったか?」

「私は初めから話し合いをしているわ。もう、犬のお兄さんもお友達も悪い人ね」


まだ余裕を見せる理由は俺と同じくやせ我慢か、状況を理解できていないのか。それとも、まだ何か奥の手があるというのか。


「頼むソフィア、聞いてくれ。今すぐその錬成炉から離れるんだ!魔素の経路だけならともかく、そのままでは肉体レベルの融合が始まってしまう!」


その呻く様な言葉に、オルターの視線の先のソフィアの足元を見た。


「何だ、それは」


初めは気が付かなかったが、見れば心臓から伸びる肉の枝が彼女の下腿を半ばまで飲み込むように包み、ゆっくりとではあるがその領域を広げつつある。


「おいおいおい、あれはどういう事だ」

「危惧はしていたのだ。彼女の研究の過程で、アリスの肉体と魂の製造の為に最も必要な情報。近親の肉体、魂の情報。勿論術者自身を犠牲とする事など出来ないから、その代替として複製したアリスを研究の対象としていた訳だが、もし、彼女がそれ以外の可能性を精査し、最後の素材として自分を消費しても構わないと判断した時。それを厭わないとお前は思うか?」

「・・・思わねぇ。此処までやった女だ。確信を持てれば自分自身だって、簡単に投げ出すだろうな」


どんな捨身だこの野郎、覚悟が決まってるにも程がある。

最悪の状況だ。時間はもう残されていない。つまり多分、此処が最後のチャンスだ。ソフィアが人間でいられるか、それ以外の何かに成り果ててしまうかの。

だから半ば問いに近い形で、俺はソフィアの、アリスやオルターが語った彼女自身が元々備えていた人間の部分が残っている事を信じて呼びかける。


「ソフィア、アンタも本当は分かってるんじゃないのか?失ったモノが大きすぎて、どうしたって認める事が出来なくて。それを取り戻すために多くを顧みず、足掻く中で余計、犠牲ばっかり増えちまった」


その積み重ねられた犠牲。それはこれまでに積み上げられてきたアリスの姉妹たち。それから、この地でその異形の心臓を形作る為の材料と成り果てた誰かの残骸。今も呆けて、命じられるままに歩き続ける死人の群れ。そして、彼女自身と、アリスの時間。

俺には分からない。そもそも何を失ったかも覚えてはいない。抜け落ちた空っぽの重さで、今の俺の始まりは、何時も押し潰されてしまいそうだった。

だけど、今の俺の記憶。俺がこの街で経験した全て。

このたった一年程度でも、自分と引き換えにしたって失いたくない居場所と、大切な人達が出来た。

もし、それを失ってしまった時、そしてそれを取り戻す可能性が有るとして。俺は、この目の前の母親の様に狂わずにいられるか、正直自信が無い。


「だけど、それでもだ!」


ああ、そうさ。何よりも、アンタが分かっている筈なんだ。

オルターはいいやつだ。

一人で抱え込むきらいはあるが、それも真面目の裏返し。そしてそれ程にソフィアを想っている証拠でもある。

自分の立場を顧みず、その全てを投げ捨ててでも愛した女の娘を護る事を選び、この場に至ってもソフィアの身を案じ、助けようとしている。例え自分の事を忘れてしまっていたとしても、今度こそ、その誓いを果たすために。

アリスはいい子だ。

自分を傷つけた母親を救いたいと、命をかけて此処まで無理をするような、そんな娘だ。

あの夜。あの帰り道で、自分の事をゴミ扱いした母親を、それでも助けたいと流した涙を俺は忘れられない。

言ってみればその姉妹とも呼べるアリスも、話に聞いた様に自分が死の際にあっても母親の事を思いやれる優しい娘だった筈だ。ソフィアが狂い、何を犠牲にしても取り戻すと行動してきた事がその証左だ。だから、だからこそ。


「だからこそ、アンタは此処で止まらなきゃいけない。失ったモノは元に戻らなくても、時間を過去に戻せないのだとしても。アンタにはまだ、その手を取ってくれる相手が居るはずだ!」


アリスも、オルターも。そう望んでいるから此処にいる。


「その誰かが居る限り、アンタはやり直せるんだよ!だから行くな。それ以上進むんじゃねぇ!」


頼むよ、聞いてくれ。どうか届いてくれ。

一瞬の空白。何故だろうか、目の前の光景に一つの考えが頭をよぎる。

思えば彼女は初めから狂ってなどいなかったのかもしれない。あくまで冷静に。ただ一つの目的を果たすために全てを捧げてきた。何故かそう理解してしまった。

だからそれでやっと、彼女がその行為を行うために必要だった仮面は剥がれ落ちて、最後に本当の顔を見せてくれたのだと、そう思う。


「ああ、本当に」


それは今までの、美しいだけの人形の様なそれでは無く。アリスやオルターから伝え聞いた、穏やかな本来の彼女の微笑だったのだろう。


「優しい人ね、犬のお兄さん」


次の瞬間、ソフィアの体が完全に肉に飲み込まれ、流動しながら心臓へ引き込まれていく。


「なんでなんだよ、なんでそうなっちまうんだ!」

「ベオ、最早猶予は無い。完全な合一を終えるまでに彼女を殺す」

「オルター、アンタもこれでいいのか!?」


俺の馬鹿野郎、そんな訳は無い。俺なんかよりもっとこの状況を受け入れられない奴は、少なくともこの場に二人居る。


「・・・感謝する。私の代わりに、伝えたかった想いを言葉にしてくれた」


短い間ではあるが、この男がこれほどまでに苦痛に顔を歪めている姿を見た事が無い。それが何を意味しているかは、分かっていたが問わずにはいられなかった。


「もう、無理なのか?」

「ああ、もう無理だ。不可逆なまでの肉体と、魂の融合。目の前のモノは、一つの生命体として生誕しようとしている」


ソフィアを取り込んだことで更に激しく拍動する心臓。吐き気を催す程の強い鮮血の匂いと濁った魔素の渦は、ソフィアが望んだ娘の再誕を言祝ぐセレモニーにはとても見えない。

その何かが、そこから這い出てくるのは時間の問題だった。であれば、後はどれだけ早く事を終わらせるか、それしか選択肢は残っていない。


「・・・そうか。なら、後は俺がやる」


泥を被るのは俺でいい。彼女にとって俺が、約束を守れなかった上に親の仇となってしまっても。それがせめてもの、残される二人に俺が出来る事だった。


「すまない、アリス。俺は、君の母親を殺す」


グラムを握る手に、無理矢理力を込めて担ぎ上げる。

錬成炉は益々内側から強く脈打ち、更に肥大化を続けている。コントロールを失ったのか生き残っていた兵隊はどれも立ち尽くして動かず、周囲の残った触腕はその大本へと栄養を吸われたかのように干からび、グラムの間合いまで接近する事は容易だった。


「こん、ちくしょう、がぁ!」


奮い立たせた渾身の力を込めて、加えてカートリッジの爆発と共に打ち込まれる鋼の刃。

終りを告げるべく放たれた一撃は、心臓の内側から肉を突き破り伸びる巨大な腕に掴まれ、何も断つことが出来ずにあっけなく阻まれた。


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