代用品の少女はその街で彼と出会い自らの願いを見つける事ができるか⑩
「鷹野君から君の窮地を聞かされてね。随分と急いだんだけれど寝耳に水ってやつでさ、準備にこんなに時間が掛かってしまって本当に申し訳ないよ。けれど元気そうで本当に良かった!」
白々しい。初めから、何ならソフィアがこの九界に密航してから全ての顛末を観察していたくせに。
いけしゃあしゃあと笑顔で語りながら、ハグでもするのか両手を広げて近づいてくるベルの顔面を殴りつけてやりたかったがそいつは無理だ。
毛ほどでもその気を起こせばベルの両脇に並ぶエインヘリヤル達が俺を八つ裂きにする為に殺到するか、鼻先に向けられているフレスベルグの主砲で打ち抜かれて塵も残らない。
「嫌だなベオ、皆ベオと会いたいって来てくれた者達ばかりなんだよ?」
「冗談も休み休み言いやがれ。で、鷹野チャンから聞いてるんだろ。どうなんだよ実際」
「うん、君の望みは理解しているよ。ソフィア・オーガスタ氏の粛清対象解除、並びにアリス・オーガスタ嬢の戸籍等、社会的保証の確保と身の安全、だったね」
「そうだ。引き換えに以前から打診されていた俺の身体の医学的、魔術的検査を全面的に受け入れる」
「んん~、それさ。それだよベオ」
ああ、くそ。これだから嫌なんだ。
もったいぶって厭味ったらしく大げさな身振り手振りで。だというのに品の良いビジネスマンを気取り、その上で無邪気な好奇心を隠そうともしていない。
胡散臭い事この上ない。それに加えて、どういう訳か俺の鼻はコイツにだけは効果が無いのだから始末に負えない。
「ちょっと、足りないと思わないかい?いや僕としては対価として十分だと思っているさ。けれど、君にとってはどうなんだい?」
腹の底を知らぬうちに探られる感覚。こいつは全て分かった上で、的確に、何時だって一番の急所を突いて来る。そして頭の痛くなるような選択を迫るのだ。
「そう、安心。安心だ。安心ってのは大事だよねぇベオ。奪われないという安心、殺されないという安心。ただ、生きて、何の疑いも無く、明日が来るのだと夜に眠りにつける安心。こいつは何かと高くつく癖に目には見えないし形も無い。けれどそいつが無ければ、人はまともでいられない。生きていられない。不便だよなぁ全く」
この九界の支配者、又は世界随一の金持ちで大国の首脳陣すら顎で使う権力者。それが今はそんな肩書はどうでもいいと、その両の眼は新しいおもちゃを目の前にした子供の様に輝いている。
それは俺に対する、さあ、どうする?どうやって、自分を楽しませてくれる?という問いに等しい。
「でさぁベオ。君はその程度の代償で、新しい君のお友達の安全をバルドルから買えると、本当に。心から安心できるのかい?」
こいつはこういう奴だ。相手がどうしても欲しいと分かっている、自分の持つ商品の値を最大限に吊り上げ、相手が顔を歪めて自分から財布を引っくり返し、金庫を空っぽにする様を見るのが趣味の変態なのだ。
心底嫌だが。こいつが満足する答えを、俺は持っている。そして天秤にかけるまでもなく、どちらを選ぶべきなのかも初めから分かっているし、ベルと交渉すると決めた時点で覚悟もしていた。
なら、仕方ないよな。
「一度だけ」
「うん?」
分かっているくせに、驚いたような顔をするんじゃねぇ。ああ、クソ。最悪だ。
つまり今から俺は、また別の、しかもこいつの言うままに、想定できない奈落へと身を投じる宣言をする事になる。
「一度だけ、お前からの依頼を無条件で受ける。それがどんな内容であってもこの身命を賭してお前の望みを叶えると。今、此処に誓う」
「は」
先程までの紳士面は何処へ行ったのか。俺の言葉に変態は眼を見開き、手を叩きながら口を歪め、腹を抱えて嗤っている。
「はははははははははははは!素晴らしい、素晴らしいよベオ!君の性格や行動原理は理解しているつもりなんだけれどね、君の家族でも無ければ恋人でも無い。知り合ったばかりの母娘の為に、そこまで譲歩するなんて!君、これが僕に白紙の小切手を切ったに等しい行為だと分かっているのかい?あはは、馬鹿だ。馬鹿馬鹿馬鹿、馬鹿だよ君!ああ、勿論これは誉め言葉だぜ?」
うるさい、悪趣味の変態に理解してもらおうだなんて思わない。最早さっさとこの会話を終わらせる事が現在の最優先事項だ。
「俺が馬鹿だなんてそんなことは自分が一番分かってんだよ。で、どうなんだ」
「ははは、あ~はは、勿論オーケー、十分だベオ。万事君の望むように事を運ぶことを約束する。だって僕は馬鹿が大好きさ!その覚悟と感動的な捨身に応じてオプションも込み込みで、差し当たって其処のフォルグ氏の協会に対する背任行為も何とかしておこう。商人は、対価に必ず報いるのが誇りだからね」
「やっぱ全部把握してんじゃねえかクソ、話は終わりだ、終わり。さっさと帰りやがれ。ほら、後ろのお付きが痺れ切らしてイライラしてるぞ」
負傷しているオルターをほったらかしにしてしまっているのも気掛かりだが、事務所の状況も心配だ。所長にワタリも詰めていてくれるからアリスは大丈夫だろうが自分で安否を確認する為にもさっさと帰りたい。
「ええ~、せっかくならこの後一緒に朝食でもどうかと思ったんだけど、まぁ君も寝不足で疲れている様だからそれは次の機会にさせてもらおうかな。ああ、君の献身に報いるために余計なおせっかいを、耳寄りな情報を一つ提供させてもらうよ」
勿論これはタダでいいぜ、なんて勿体ぶってベルは言う。
「母親の方、ソフィアさんだっけ?君、つい先日彼女の工房を訪ねただろう。ねぐらを何処かの馬鹿に追い出されたかわいそうな彼女は、其処を出た足で二つ程サードのクランを壊滅させてね。随分と手勢を増やしたそうだ。で、此方の予想では明日にでも錬金の材料を求めてセカンドに攻め込んでくるみたいだよ」
「それを先に言いやがれ馬鹿!」
まだこの事件は解決する所を見せない。それどころか状況が悪化しつつあるその事実を認めなければならない。
それはそれとして取り敢えず一度眠りたかった。アレをした後はそれまでの肉体的な負傷は全て回復する代わりにかなり疲労する。
ベルに事務所まで送らせれば良かったと、その去っていく姿を見ながら思ったが、どれだけ楽で早くても物騒な連中に囲まれてのフライトは勘弁だ。
「すまないなタクミ、キャスの事は頼んだぜ」
「了解だベオの旦那。片付くまでその辺で休んでてくれよな」
それからオルターを伴いキャスが転倒した場所まで戻ると、顔見知りの警備局職員が車体を引っくり返している最中だった。彼らは騒動を知って俺の様子を見に来てくれたらしく、車を見つけると損傷具合を確認してくれている所だった。そしてレッカー車両が出払っているので牽引出来ないが、代わりにスペアタイヤを融通すると提案してくれた。
その見立てでは、キャスのボロボロの外見はともかくどうやら駆動系は無事で、何とか自走できるそうだ。流石所長のスペシャル。
まあ落下の衝撃で潰れたホイールにフロント、リアガラスは粉々になり、ドアは両サイド吹き飛んでいる。見栄えは悪いが、動くならいい。風通しが良いってもんだ。
その応急処置を行ってくれている間、少し離れた場所にある路肩のガードレールに腰かける。オルターも自然とそれに続く。無言だが思ったより怪我は無さそうな彼に、それならと疑問に思っていた事を確認する事にした。
「で、そろそろアンタの事情を話してくれてもいいんじゃないのか。アリスには聞かれたくないんだろ」
「・・・ああ、すまない」
アリスの名前を出したせいか、暫く苦い顔をして押し黙っていたオルターは、覚悟を決めたように静かに語りだす。
「その様子ではもう察しているのだろう。私とアリス、そしてソフィアは旧知の仲であると」
「なんとなく推測はしていた。でもさ、アンタがアリスに肩入れしてるのはそれだけが理由じゃないんだろ?」
「ああ、そうだ。さて、何処から話すべきか」
オルターは相変わらず険しい顔をしているが、最早相対していた時の様な敵対心は感じない。何処か、戦いの中で感じた、もう隠しきれていない酷く疲れた匂いをしていた。
「彼女と、ソフィアと出会った時のことは今でも覚えている。私も彼女もまだ十代に
なったばかりで、魔術の基礎を学ぶべく同じ師に師事していたのだ」
とにかく良く笑う女、それが初対面のソフィアへの印象だった。
噂に聞くとこの様な広く門戸を開いている私塾に等しい教室には似つかわしくない歴史ある本物の名家の出身。それから聞きもしないのに話す、偶々教室で隣の席になったソフィアの身の上話によると、家名ばかり古めかしいがその実体は産業革命以降に徐々に没落し彼女の祖父の代に挽回を狙った事業に失敗。
その果てに治める広大な領地も、価値在るアーティファクトも全て借金のカタに売り払ってしまい、何とか残ったのは古い邸宅と僅かな土地。それから名ばかりの爵位なのだと笑いながら話し、だから自分も最低限自分の食い扶持くらい稼げるようになる為にこうして学び、励んでいるのだという。
成程。暫く接してみてその言葉どおりに、ソフィアはよくある貴族の姫君の様に身分に胡坐をかき、只のトロフィーの様に飾られるだけの女では無い事が直ぐに分かった。
決して偉ぶらず謙虚で、勤勉で才能もある。彼女の言うとおりにその身と見識のみで身を立てる事は現実的な事実だ。他の生徒や師ですらその利発さと人柄、そして幼くも開きつつある花の様な美貌に惹かれ、自分から進んで彼女の為に何かをしようとする。
そして、そんな平凡な未来が彼女を待っている筈はないと、子供の自分でも分かっていた。
彼女の入塾以降にやたらと増えたという私塾への匿名の寄付金。そして彼女の送り迎えに甲斐甲斐しく通う何人かの男達。皆自分ですら知っている著名な貴族や実力者の子弟であり、噂では社交界でソフィアを見初めて未来の伴侶にと、彼女の気を惹く為に躍起になっているらしい。
自分と言えばその比較的中層身分の多い同門の序列においても末席も末席。今親しくしているのも所詮貴族のお姫様の一時の気まぐれ。初歩の学びこそ机を並べていても、直ぐに異なる道に別れ、それからもう二度と会うことも無いのだと思っていた。
「それならば、そこで話は終わっていた。よくある幼い頃の思い出というやつだ。何も珍しくは無い」
それがどういう訳か。奇妙な縁は当初の想定より長く続き、彼女は錬金術、自分は本格的に騎士として戦う魔術を学ぶに至って学び舎を分かれても手紙のやり取りや、顔を合わせた際の挨拶など。彼女にとっては社交辞令の一部であったかも知れないが、人付き合いの苦手な我が事ながら良くそれに合わせて続くものだと思った。
それは何時かの折に、彼女が家庭を持ち、子供が生まれたと嬉しそうに笑みを浮かべて伝えられた時の事だ。
「情けない話ではあるのだがね。其処まで至って、ようやく私は自分の想いを自覚した、という訳さ。笑える話だろう」
それは多分、彼が初めて胸の内に秘めていた想いを吐露した瞬間だったのだろう。
この鋼の様な男が、ずっと抱え続け、捨てられなかった想い。それがどんなに身を蝕み、焦がしてなお、手放せなかった呪いにも似た何かだったのか。
俺には分からない。けれど、この男にとってはそれが、何よりも尊いモノだったのだと。それだけは分かるから。
「いいや、俺は笑わないよ」
「負け惜しみする訳では無いが、その感情は穏やかなモノだったのだ。そう自覚してなお、ただ、彼女とその夫。そして生まれたばかりの娘が幸せであればいいと、私は心から言祝ぐことが出来た」
それもまた事実の筈だ。こんなにも誰かの為に、見返りなどなくともその幸せを願う。それが偽りであるはずが無い。
「その頃私は既にフィアナ騎士団の末席に属し、暗い仕事も幾度か経験していた。対して如何に歴史の影を歩むメイガスとはいえ、自分とは違い彼女等は穏やかな明るい路を選ぶことが出来る。そう信じたからその家庭に自分から関わる事を止め、その想いにも静かに蓋をする。それが最善であると私は信じた」
当たり前の選択だ、これは正しい筈だ。そう自分に言い聞かせて、一方的に関わりを断ち、物理的にも距離を取った。
そしてそれが間違いであったと後悔した時には、既に全てが手遅れであった。
「幾度も、その機会はあった。例えば彼女の夫が死んだ後、例えばその娘が病に倒れた時。勿論、知人を介して間接的な援助は行ったさ。けれど、私の手は汚れ過ぎていた。そしてその重ねた業が引き寄せる類が彼女とその娘へ及ぶ事を避ける為だなんていうのは只の言い訳で、何よりも、醜く変わってしまったこの姿を彼女に見られることを恐れたのだ。そのくだらない羞恥心が、私の本当の過ちだ」
オルターの口の端には血が滲んでいる。その告解にも似た、絞り出すような声で自らを罰する為の言葉を、俺は一言も聞き逃す事が出来なかった。
それは何時かの何でもない口約束で、その招待を受けての訪問という私事でなく、騎士としての仕事として訪れた彼女の自宅を兼ねた工房。その場所は自分にとって今まで経験してきたどんな凄惨な現場でも及ばぬ、正に地獄以外の何物でも無かった。
無造作に捨てられ、床を埋めるその面影は、出会った頃の彼女によく似ていた。
その面影を持つ死体。積み上げられた同じ顔を持つ死体の山とそこから流れ出し床を染める血の河。
この惨状を、本当に、彼女が。
「・・・なんて愚かな、なんと見苦しい。その瞬間、思い知らされたのだ。私はこのちっぽけな自尊心を守る為に、地獄へと堕ちていく彼女を見捨ててしまったのだと」
どれだけその場で呆然としていただろう。永遠とも感じた静止から自分に正気を取り戻させたモノは、付いた膝を染める半ば凝固した血液の冷たさでも、腐りつつある臓腑の匂いでも無く、その掠れた声の端と息の震えだった。
止まった思考が初め緩やかに動き出し、それに思い至った瞬間に。我を忘れて駆け出して、踏みつけてしまった彼女等の一部に足を滑らせて無様に頭から転倒する。
四肢を付き更に血に汚れ、乱れた呼吸で思わず腐り澱んだ空気を肺に吸い込み、反射的な嘔吐で彼女等を汚す事を恐れ、喉まで出かかったそれを必死に堪え、嗚咽にまみれながらもその主を探す。
祈るように屍をかき分け、幾つもの光灯らぬ虚ろな眼にみつめられながら。そうして、オルターはようやく彼女を見つけた。
「・・・母さんと、子が親を当たり前に呼ぶように。そのよすがが、僅かに命を繋ぎ、彼女自身を救った」
その姿を見て、恐る恐る抱き起し、寄せた頬に息を感じて、ようやく彼女が、アリスが生きている事実を理解する。
そうして、やっと男は涙を流すことが出来たのだ。
「こんな地獄の中で、何もかも手遅れになってしまって。それでも一つだけ、救い上げることが出来た。私はね、今度こそ失わないと。今度こそ、その残された彼女を護るのだと、そう誓ったのだ」
それが、どれ程の救いだったのだろう。オルターの眼差しは変わらない。それでも、言葉に出来ない分の想いが匂いとして自分には痛い程分かる。
それでようやく俺が疑問に思っていた、そしてオルターとの戦いの中で感じた違和感の答えを得た。
「アリスを逃がしたのは、やっぱりアンタだったんだな」
「ああ、そうだ。協会の知人から老人共がアリスを研究対象として解剖し、解析するとリークがあった。私はアリスの暫定的な保護者であり、そして彼女等との関係性から監視されていて直接動くことが出来なかったが、彼女は聡い子だから適切な情報と手段を提示してやればそれを直ぐに実行に移した。そして逃亡先は最も協会の手が及ばぬ隔絶された土地である九界。其処であれば今度こそ、只の一人の娘として幸せになれると、私は考えたのだ」
今思えば協会にとってアリスはあくまでソフィアの製造物であり、扱いがもっと粗雑になっていてもおかしくは無かった。
しかし実際にはアリスは自由に使える多額の資産に加えて、幾つかの身を護る為の強力な伝承兵装を所持し、実践的な魔術を収めている。それがソフィアから教え、与えられたもので無い以上、誰から学び、また庇護されていたのか不思議に思っていたが、これで説明がつく。
「唯一計算違いだった事は行方不明であったソフィアの潜伏先が九界の一部であるニヴルヘイムで、しかもバルドルの間者がその情報をアリスに漏らした事だ。今考えると、ベル・バルドル。彼の思惑なのだろうな」
「ああ。アリスが月夜見探偵事務所を尋ねるよう仕組んだのも、多分アイツだ」
未だ意図は計りかねるが碌なもんじゃない。アイツはきっとこの母娘とオルターの背景や協会とのいざこざまで計算した上で、ウチの事務所を巻き込む事にしたのだろう。
「そうか。そして、母娘の追討を命じられたのが私だ」
禁忌に至る成果の回収と違反者の粛清。彼らの関係を知っていればこそ皮肉過ぎる命令をオルターは受ける。
そして彼は、その全てを欺き、必要であれば敵とする覚悟を決めた。今度こそ間違えない為に。
「そうして例え協会と敵対し、今度は自分が粛清される立場になる事も覚悟して此処に至ったのだが。結果は見ての通り惨敗だ。殺すつもりで挑んだ相手の情けでこうして生き永らえている。何処までも間の抜けた話だろう」
語り終えたオルターの顔には何処か穏やかな様子すらある。何かができただなんて偉そうな事は言わないが、自分の行いで幾らかこの男が背負う荷を軽くしてやれたのかもしれない。
「成程な、これで色々と合点がいった。さってと、アンタの本音も聞けたところで出発するかね」
応急作業が終わり、此方へ手を振る警備局の職員の姿を捉えて立ち上がる。
「本当にいいのか。私を、彼女に引き合わせて」
「いいに決まってるだろ。そんな事より覚悟してもらうぜ?ベルの言葉が本当なら此処からが本番だ。アンタにもしっかり働いてもらわないといけないんだからな」




