第9話 重なる想い
王都の庭園のベンチに座り、
アナは小さく息を吐き、ぽつりとこぼした。
「……今日もだめだったわ」
隣に座ったフィーナがそっと肩に寄り添い、
グレイはだまったまま、二人の横に立っていた。
「皆さん、こちらにいらしたのですね」
ルークと外務大臣ゼファーが、まっすぐ歩み寄ってきた。
二人が立つと、ゼファーは前で足を止め、
胸に手を当てて深く頭を下げる。
「アナスタシア様。
この度は……我が国を救ってくださり、心より感謝申し上げます」
アナスタシアも丁寧にお辞儀をする。
「こちらこそ。
ノルディアの皆さんが力を貸してくださったおかげです。
私ひとりでは、何も成し遂げられませんでした」
「いえ、あなたの勇気が道を開いたのです。
ノルディアはあなたに大きな恩があります。
困ったことがあれば、どうか遠慮なくお申し付けください」
アナは少し照れながら微笑む。
「ありがとうございます」
その後、ゼファーはグレイに視線を向ける。
「……あなたに、ひとつ伺ってもよろしいですか?」
「俺に?」
「はい、つかぬことをお伺いしますが、ご出身はエルディア王国でしょうか?」
グレイは眉をひそめた。
「……どうしてそんなことを?」
ゼファーは慌てて手を胸の前で振った。
「い、いえ! 他意はありません。
ただ……あなた様によく似た方を知っておりまして。
もしや親類の方かと思い、つい……。
ご不快でしたら申し訳ありません」
グレイは表情を緩め、丁寧に言葉を返した。
「いや、こちらこそ……すみません。
気を悪くしたわけじゃないんです。
……その方の名前を、教えていただけますか?」
ゼファーはほっと肩の力を抜き、話を続けた。
「ライサンダー・ボルトという魔獣狩りの冒険者です。
10年前に亡くなりましたが……その時、一緒にいた息子が行方不明でして。
生きていれば、あなた様と同じくらいの年齢かと」
グレイは息を呑み、腰に下げた剣を見下ろした。
「……実は、15歳より前の記憶がないんです。
気がついたら、この国の孤児院にいて……
その時に持っていたのがこの剣と、
“グレイ、十五歳の誕生日おめでとう”と刻まれた銘だけで。
なので名前と年齢しかわからないのですが」
ゼファーは剣を見て、目を見開いた。
「……やはり。息子さんの名前もグレイと言います。
そして……あなたの面差しも彼に似ている」
ルークが驚いたように声を上げる。
「英雄ライサンダー、ですか?」
ゼファーは頷いた。
「君は直接は知らないでしょうが……
ノルディアで彼を知らぬ者はいません。
魔獣の脅威から国を救った英雄。
剣の腕で彼に並ぶ者はいませんでした」
グレイはゆっくりと息を吐いた。
「……俺が、その英雄に似ている……か」
ゼファーは真剣な眼差しで続ける。
「奥方様は数年前に亡くなりましたが、彼の弟君がご存命です。
もしよければ……落ち着いた頃にノルディアへ。
会えば、何か分かるかもしれません」
その言葉に、フィーナがそっとグレイの背中へ手を添えた。
「会いに行ってみようよ。家族かもしれないじゃない。
私も、その人に会ってみたいわ」
グレイは少し目を伏せ、
その言葉を胸の中でゆっくり噛みしめる。
「……家族、か。
そうだな。もし本当にそうだったら……
お前と一緒に行って、今は幸せだって伝えるのも……悪くないな」
「ええ、ぜひ」
ゼファーが穏やかに微笑む。
グレイはフィーナの肩をそっと抱き寄せ、
二人は静かに微笑み合った。
その様子を、アナスタシアはどこか切なげに見つめていた。
そして、ぽつりと口を開く──
「……私も、行こうかしら。ルアンナ様に会いたいし」
するとルークが軽く笑みを浮かべる。
「では、皆さんでノルディアへ来てください。
ただし—―ノルディアに闇市場はありませんから、
突っ走らないでくださいね、アナスタシアさん」
「え?アナってば、また暴走したの?」
ルークとフィーナの言葉で場がふっと和んだ。
笑い声が広がり、その場は穏やかに締めくくられた。
やがて一行が庭園の小道を歩き出すと、
ルークがそっとアナスタシアの隣へ歩み寄った。
「殿下とは話せましたか?」
「いいえ、逃げられてばかりです」
アナスタシアは明るく装って答えるが、声の端に疲れが滲む。
ルークは小さくため息をつき、しかし優しく笑う。
「そうですか。……彼は、本当にバカですね」
「え?」
「いえ、なんでもないですよ」
ルークは柔らかく微笑んだ。
その日の午後。
王宮の応接室では、王太子レオナルトと外務大臣ゼファーが固く握手を交わし、
別れの挨拶を終えようとしていた。
ルークはテオアルディのもとへ歩み寄り、恭しく頭を下げる。
「テオアルディ殿下。最後に……ありがとうございました」
「……何がだ?」
ルークは穏やかに微笑む。
「アナスタシアさんも、グレイさんも、フィーナさんも──
皆、ノルディアに来てくださるそうで。
賑やかになりそうですよ」
「……は?」
テオアルディはわずかに目を見開いた。
「後のことは、お任せください。皆さん、歓迎しますので」
「皆がノルディアに行く?俺は何も聞いてないぞ」
ルークは肩をすくめる。
「殿下。逃げていると──
大事な人は簡単に遠くへ行ってしまいますよ」
テオアルディは言葉を失い、視線を落とした。
(……アナが、ノルディアに……?
俺に何も言わずに?
いや──言わせなかったのは俺だ……)
アナスタシアは部屋で荷物をまとめていた。
いつまでも王城に甘えるわけにはいかない。
カルマン侯爵家に戻り、また勉強を再開するつもりだった。
(あーあ、テオ様と話せなかったな。私たち、相性悪いのかな?)
荷物の中から幻炎酒の箱を取り出す。
(これも渡せなかったし……もう私が飲んじゃおうかしら)
その時、扉が勢いよく開いた。
「アナ!」
「……テオ様?」
息を切らしたテオアルディが立っていた。
アナスタシアの荷物に気づいた瞬間、表情が強張る。
「ノルディアに行くって……どうしてだ?」
「え?」
テオアルディは一歩踏み出し、拳を握りしめた。
「……俺は逃げてた。
お前の隣に立つ資格がないって思ってた。
国を救ったお前を、こんなオレが幸せにできるのかって」
言葉を区切りながら、テオアルディは続ける。
「……お前がいなくなるのが怖かった。
誰かに奪われるんじゃないかって……
怖かったんだ」
「テオ様……」
テオアルディは目を閉じ、深く息を吸う。
「でも、もう逃げない。
誰にも渡さない」
アナスタシアの胸が熱くなる。
テオアルディはまっすぐにアナスタシアを見つめた。
「俺と一緒にいてくれ。
俺の隣は……お前だけだ。
お前がどこへ行こうと、
俺も一緒に行く。
お前が望むなら、どこへだって。
……それが、俺の答えだ」
アナスタシアはゆっくり微笑む。
「……遅いわよ。
“特等席”なんでしょ?
私しか座れないでしょ?」
テオアルディの瞳が揺れ、そして柔らかくほどけた。
「……ああ、お前の席だ。誰にも渡さない」
二人は、どちらからともなく歩み寄り、そっと抱きしめ合った。
互いの鼓動が落ち着くまで、しばらくそのまま寄り添う。
やがて、アナスタシアが小さく囁いた。
「……どこへでも、一緒に行ってくれる?」
テオアルディは迷いなく答える。
「ああ、ノルディア王国に移住するなら、俺も行く」
「移住?」
アナスタシアが瞬きをすると、テオは不思議そうに眉を寄せた。
「え?移り住むんじゃないのか?荷造りしてるだろ?」
「え?これは、カルマン侯爵家に戻るだけよ。
いつまでも王城にお世話になっているわけにはいかないから」
「でも、ルーク殿がお前も、グレイもフィーナ嬢もノルディアにくるって」
「ああ、それは、落ち着いたら会いに行くっていう話だけよ」
テオアルディは舌打ちし、つぶやいた。
「……やられた!」
(ルーク様、ありがとう。彼をあおってくれたのね)
「どこでも連れてってくれるんだよね?」
「ああ、もちろん」
「それじゃあ、氷霧の大地に連れてって!」
「氷霧の大地??」
「聖地巡礼で、どうしても行けなかったのよ」
「なんだよ、聖地巡礼って」
「私、ハル様の大ファンだって言ったでしょ。
ハル様がいたところはだいたい回ったの。
でも、氷霧の大地だけはどうしても行けなくて」
「あんな寒いところ、行かなくて正解だ」
「ええー、どうしても行きたいの!」
アナスタシアはふと思い出したように箱を取り出した。
「そうだ、これをお土産で買ってきてたの」
テオアルディは差し出された箱を見て、顔色が変わる。
「幻炎酒!!」
「ええ、テオ様、これ好きなんでしょ?
氷霧の大地で飲む幻炎酒は最高だって記事を読んだの。
だから、どうしてもこれを買ってきたくて、
ルーク様から譲ってもらったのよ」
「はぁーー??」
テオアルディの脳裏に、あの日の悪夢がよみがえる。
氷霧の大地で魔獣狩りをした帰り、冒険者軍団と酒盛りになった。
「ヴァルカン帝国の幻の酒だ、祝いに飲もう!」
そう言われて飲んだ瞬間──
喉が燃え、口から火が噴き出し、
地面が熱されて温泉が湧きでた。
テオアルディは喉を軽くやけどし、しばらく声も出なかった。
(……二度と飲むか、あんなもん)
「いやだ、絶対行かない」
「ええっ! さっきどこへでも一緒に行くって誓ったくせに」
アナスタシアはむっと唇を尖らせた。
「いいよ。じゃあ、一人で行って温泉につかってくるもん」
その言葉に、テオアルディは反射的に叫んだ。
「よし、行こう。今すぐ行こう!」
「バカ!!」
アナスタシアが真っ赤になって拳で軽く叩く。
テオアルディはそれを受け止め、照れくさそうに笑った。
二人は顔を見合わせ、同時にふっと笑みをこぼす。
二人の想いがようやく重なり合った。
fin.
読んでいただきありがとうございました。
番外編でアナスタシアのヴァルカン帝国での活躍(珍道中?)を載せています。
もしよろしければ、そちらも楽しんでいただけると嬉しいです。




