第8話 胸に沈む想い(アナスタシア視点)
エルディア王国に戻った翌日、
アナスタシアはテオアルディの執務室を訪ねた。
けれど──会えなかった。
国の危機は去ったとはいえ、
王都復興の指揮、各地の被害状況の確認……
彼には、やるべきことが山ほどある。
分かっている。
分かっているけれど──
それでも、会って話したかった。
渡したいお土産もあったのに。
胸の奥が、少しだけきゅっと痛んだ。
どう過ごそうかと考えていたところへ、
ルークから使いが来た。
──約束を守る気があるなら、午後、王都を案内してほしい。
……そうだった。
ルークとの約束。
すっかり忘れていた。
正門で待ち合わせると、
ルークはいつもの穏やかな笑みを浮かべていた。
「やあ、アンナ……じゃなくて、アナスタシアさん。
今日は本名でいいんですよね?」
思わず吹き出してしまう。
「ルーク様こそ、レオンさんじゃなかったんですか?」
「お互い様でしょう。あの時は、よくもまあ平然と嘘をつき合いましたね」
軽口を交わしながら、二人で馬車に乗り込んだ。
王都といえば、街並みと丘の上の公園。
一望できて、とても気持ちがいい場所──
……そのはずだった。
馬車が走り出してすぐ、アナスタシアは息をのんだ。
街のあちこちに残る魔獣の爪痕。
崩れた建物。
復旧作業に追われる人々。
胸が痛くなる。
(軽く考えていて……ごめんなさい)
隣を見ると、ルークも険しい顔で窓の外を見つめていた。
丘の上の公園は幸い無事だった。
馬車を止め、二人でベンチに腰掛ける。
眼下に広がる王都は──
半分ほどが壊れていた。
涙が止まらなかった。
ルークは黙ってハンカチを差し出してくれる。
「……私、ここまでひどい状況だとは思っていませんでした。
浅はかで……恥ずかしいです」
「いや、恥じることなんてない」
ルークは少しだけ強い声で言った。
「あなたが必死につかんだ情報を早く伝えたおかげで、
これくらいで済んだんだ。
討伐された魔獣の数を聞いて、私も驚きました。
あの規模で、これだけの被害で抑えられたなんて、奇跡だよ」
そして、ふっと柔らかく笑う。
「我がノルディア王国も、同じように計画されていたんです。
それをあなたは阻止した。
あなたがいなければ、私の国も……こうなっていたでしょう」
「あなたは……本当に、よくやった。
胸を張ってください。私のおかげよって」
その言い方がアナスタシアをまねたのか妙におかしくて、
涙を拭きながら思わず笑ってしまった。
「……ありがとうございます」
「そういえば、お土産は友人に渡せましたか?」
ルークが何気なく尋ねると、
アナスタシアはふっと寂しそうに目を伏せた。
「……まだなんです。
渡したかった人に……会えなくて」
その表情を見た瞬間、ルークは悟った。
(ああ……あの王子か)
アナスタシアは気を取り直すように続けた。
「そうだ。お譲りしていただき、ありがとうございました。
ルーク様もあのお酒好きなんですか?」
ルークはギョッとした。
あれは世界で一番度数が高い幻の酒。
彼自身も酒には強い方だが、あれだけは舐める程度しか飲めない。
舌が痺れてまともに話せなくなるほどだ。
限界値を超えた酒──ゆえにドラゴン用とも言われている。
魔力の多いドラゴンは飲めば、一帯が火の海となるという伝承すらある。
「酒はかなり行ける方ですが、あれはなかなか」
「もう、渡せなかったら私が飲んじゃおうかしら」
「アナスタシアさんはいける口なんですか?」
「いえ、お酒はまだ飲んだことがないです」
(……絶対にやめた方がいい)
「なかなかな度数なので、やはりその方に渡すのをお勧めします。
あなたは絶対に飲まないようにしてくださいね!絶対に!ですよ」
「まあ、そこまで言わなくても」
アナスタシアはクスクスと笑った。
アナスタシアの笑顔は太陽みたいに眩しくて、胸が痛くなった。
ルークは思わずため息をついた。
「はぁ……あなたは清楚なのか、
向こう見ずなのか……無邪気なのか……
本当に、どんどん分からなくなりますね」
アナスタシアはきょとんとしたまま、
「え? どういう意味ですか?」と首を傾げる。
その仕草がまた、ルークの胸を締めつけた。
(……惹かれてしまう。こんなにも、簡単に。
まあ、どれも、あなたなんでしょうね)
ルークは少しだけ真剣な顔になった。
「……ところで、アナスタシアさん。
覚えていますか。
正式に求婚したいと言ったことを」
私は固まった。
「えっ……あ、あれは……」
ルークは優しく笑う。
「冗談ではありませんよ。
ただ──あなたの心がどこにあるのか。
それを無視するつもりもありません。
ゆっくり考えてください」
胸がどくんと跳ねた。
テオアルディの顔が浮かぶ。
会えなかった寂しさが、また胸を締めつける。
ルークは、そんなアナスタシアの揺れを見抜いたように、静かに言った。
「今日はただ……
あなたに笑ってほしかっただけです。
それだけで十分ですよ」
その優しさに胸がじんわりと温かくなる。
この人といたら、私は優しさに包まれて幸せになれるのかもしれない。
ルークとのデートを終え、部屋に戻ったアナスタシアは、
そっと扉を閉めて深く息を吐いた。
夜の晩餐まで、まだ少し時間がある。
久しぶりに、心が静かだった。
(……考えることを、ずっと避けていた気がする)
国境の戦い、潜入、救出、帰還。
目の前のことに必死で、
自分の気持ちを見つめる余裕なんてなかった。
でも今は──
ようやく、立ち止まれる。
(……そろそろ、ちゃんと向き合わないと)
そして、自然と浮かんだのは──
テオアルディが言ってくれた、あの言葉。
「俺(推し)の隣の特等席は見逃せないだろ?」
あれは、はっきり言って衝撃だった。
私は──彼と生きたいと思った。
けれど──今のままでは釣り合わない。
私は悪行を犯した家の娘。
たとえ関わっていなくても、本来なら一族郎党が罪を償うべき立場だ。
そんな私に、彼は「隣にいていい」と言ってくれた。
その優しさが嬉しいのに、どうしても罪悪感がぬぐえず、
素直に受け取れない。
じゃあ、どうしたら胸を張って彼の隣に立てるのか。
考えて、考えて……
犠牲になった人を少しでも救うことができれば、
前に進めるかもしれない。
だから、私は、そうしたいと彼に申し出た。
彼は理解してくれて、その部隊に私を配属してくれた。
その懐の深さに、また救われた。
本当は自分の力だけで成し遂げるべきなのに、
私は彼の力を借りた。
全て救えたとは到底言えないけど、
でも行動したおかげでスッキリしている。
国に帰ってきて、彼の顔を見た瞬間──
抱きつきたいくらい、心が弾んだ。
ルーク様に正式に求婚したいと言われたとき、
彼がヤキモチを焼いてくれたことが、嬉しかった。
みんなが私のことを褒めてくれるけれど……
私は、あなたに褒めてもらいたいの。
早く会いたいのに。
どうして会いに来てくれないの?
もう、私のこと……好きじゃなくなっちゃったの?
彼を好きだと、ようやく認めた瞬間──
胸の奥に黒い影が落ちた。
その時、部屋の扉がノックされた。
「アナ様、ライザです。入ってもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
ライザはいつもの凛とした顔で入ってきたが、
どこか名残惜しそうだった。
「明日から別部隊に派遣されますので、
しばらくお会いできません。ご挨拶に参りました」
「そう……寂しくなるわね」
アナスタシアが微笑むと、ライザはふっと目を細めた。
だがすぐに、アナスタシアの表情をじっと見つめる。
「……アナ様、何かお悩みですか?」
「え? 別に……」
「まだ償いが足りないとお思いですか?」
「そうじゃないの。ただ……」
アナスタシアは言葉を濁し、視線を落とした。
「会いに来てくれないし……私のことなんてもう……」
もごもごと口ごもるアナスタシアに、ライザは目を丸くした。
「アナ様らしくないですね。
あの特攻隊長が、そんなふうに悩むなんて」
「特攻隊長って……!」
アナスタシアが頬を赤くすると、ライザはくすっと笑った。
「では、ひとつお伝えしておきますね。
私たち、捜索部隊として三ヶ月間ご一緒しましたけど──
あれ、国の方針ではありません」
アナスタシアは瞬きをした。
「……え?」
「第三王子殿下の独断です。
『アナスタシアのやりたいようにサポートしろ。
そして必ず守れ』と」
アナの心臓が跳ねた。
「そ、そんな……」
「ちなみに、その間の給料は全部、殿下のポケットマネーです。
まあ、ボーナスまでしっかりいただきましたけどね。
なんせ、特攻隊長のアナ様を守ったんですから」
ライザは冗談めかして言ったが、
アナスタシアの胸には重く、温かいものが落ちてきた。
(……全部、私のために?
そんなこと、ひと言も言わずに?)
ライザは静かに言った。
「殿下があなたを大切に思っているのは、
三ヶ月一緒にいた私たちが、よく分かっていますよ」
「さあ、アナ様、どうなさいます?」
アナスタシアは唇を噛んだ。
胸の奥で、何かがほどけていく。
(……会いたい。ちゃんと、向き合いたい)
「突撃するわ!」
「それでこそ、アナ様ですよ」
ライザは微笑んだ。




