番外編 アナスタシアの帝国潜入記(後半)
アナスタシアと5人は再び帝国へ潜入した。
アナスタシアには、ヴァルカン帝国に来たらどうしても行きたい場所があった。
それは──闇市場。
理由は単純で、そして誰にも言えない。
ハル様が以前、新聞で
「ヴァルカン帝国の幻炎酒は最高」
と言っていたからだ。
酒は百薬の長っていうし、身体にすごくいいはず。
でも幻ってつくくらいだから、きっと闇市場にしかない……
完全に誤解しているが、アナは真剣だった。
前回の潜入で闇市場の場所を知った今、
個人的な欲求で5人を振り回すわけにはいかないと、
こっそり一人で向かったのだ。
しかし──
「嬢ちゃん、いいところ連れてってやるよ」
またもや変な男に腕を掴まれた。
その時──
「離れろ」
低い声が闇を裂き、男は吹き飛んだ。
「あなた……レオン?」
銀髪の青年──ルーク(レオン)が、
冷たい目で周囲を見渡しながら言った。
「アンナ嬢。ここは女性一人で来る場所じゃない。
なぜこんなところにいる?」
アナスタシアは一瞬固まったが、
すぐに清楚な令嬢の微笑みを貼り付けた。
「えっと……その……お土産を探しに来ただけですわ」
(怪しい。闇市場で何を買うつもりだ?)
ルーク(レオン)は一歩近づく。
「どんな品物だ?」
「えっと……とても希少で、炎のように熱くて、身体にいいもので……」
「は?」
ルークが困惑している隙に、
アナスタシアはスカートをつまんで軽く会釈した。
「あ、いそいでいるので。失礼しますわ!」
「待て!」
ルークが追いかけようとした瞬間、
横から女性がぶつかってきた。
「きゃっ!」
ルークは反射的に女性を支え、倒れないように抱きとめる。
「すみません、怪我はないですか?」
「だ、大丈夫です……」
女性はうつむきながら離れていった。
そのわずかな時間で──
アナスタシアの姿はもうどこにもなかった。
ルークは舌打ちしそうになるのをこらえた。
(……本当に危なっかしい。そして、何を隠している?)
その頃。
「アナ様!」
ライザが駆け寄り、アナスタシアの腕を掴んだ。
「一人で闇市場へ行くなんて……なんて無謀なことを!
肝を冷やしましたよ!」
アナスタシアはしゅんと肩を落とした。
「ごめんなさい……」
ライザは深いため息をつきながらも、
アナスタシアの手をしっかり握って離さなかった。
ヴァルカン帝国の上層部が集う仮面舞踏会。
煌びやかな音楽と笑い声の中、
アナスタシアは背中が大きく開いた妖艶な紫のドレスで姿を現した。
その視線はただ一人──
半ドクロのクラバットをつけた男爵に向けられていた。
アナスタシアはゆっくりと歩み寄り、
仮面越しに甘い微笑みを浮かべる。
「こんばんは、男爵様。
少し……お話しできるかしら?」
男はアナスタシアの姿を舐めるように見て、満足げに頷いた。
二人は休憩室へと入る。
扉が閉まると同時に、
アナスタシアは妖艶な笑みを深めた。
「ねぇ、楽しいことをする前に……
ひとつだけ聞きたいことがあるの」
男はアナスタシアの肩に手を伸ばしながら、低く笑った。
「なんだい?」
「ヴェルディエの“貢ぎ物”のこと。
あなたなら……知っているでしょう?」
男の手がアナスタシアの背に触れ、
アナスタシアの身体がわずかに強張る。
「どうしてそんなことを?」
「だって……私も欲しいんだもの。
あなたなら、教えてくれると思って」
男はアナスタシアの耳元に顔を寄せた。
「知っていたら……どうする?」
アナスタシアは微笑んだまま、
瞳だけが冷たく光った。
「もちろん──教えてほしいわ」
「それは、君次第だよ」
男の唇がアナスタシアの背中に触れた瞬間、
ぞわりと悪寒が走った。
(……無理)
反射的にアナスタシアの足が動いた。
男はうめき声を上げ、体勢を崩して床に倒れ込む。
「……あ、私にもできた」
アナスタシアは震える息を整えながら呟いた。
その直後、扉が勢いよく開く。
「アナ様!!」
カイル、ライザ、ガーク、シノ、ヨルン──
5人の護衛が駆け込んできた。
ライザが眉を吊り上げる。
「アナ様、あれほど一人で行ってはダメだと……!」
アナスタシアは肩をすくめ、少しだけ気まずそうに笑った。
「ごめんなさい。でも、この男……
やっぱり人身売買のこと、知ってたわ」
「!!」
5人は同時にアナスタシアを見つめた。
(また無茶を……!)
夜中に男爵の屋敷へ潜入した六人は、書斎の奥に隠された金庫を発見した。
ヨルンが手際よく鍵を開けると、中には数枚の“極秘作戦案”が収められていた。
カイルが一枚を取り出し、低く読み上げる。
「……エルディア王国への“裏工作案”。
“北の泉汚染計画”……
“王都魔獣搬入計画”……
“国境部隊の進軍準備”……」
ガークの顔が強張った。
「これは……完全に戦争の火種です」
ヨルンが別の文書を手に取る。
「こちらはノルディア王国への“攪乱指令”……
“王族誘拐”……
“魔獣搬入ルート確保”……!」
ガークが息を呑む。
「二国を同時に混乱させるつもりか……!」
5人の背筋に、冷たいものが走った。
「テオ様に知らせて!」
アナスタシアはすぐにカイルへ命じ、大鷲が夜空へ飛び立った。
もっと裏に大物がいるはずだ。
カイルたちは気絶したドクロ男を拘束し、尋問を始めた。
最初は口を割らなかったが──
追い詰められた男は、ついに震える声で“大物の名”を明かした。
「お、俺は……ただ文書を預かってただけだ……!
あんな危ねぇもん、自分の屋敷に置くわけねぇだろ……
本物は……あいつの別荘に……!」
6人はその別荘へ潜入した。
本当はアナスタシアを置いていくつもりだったが──
(どうせ脱走するだろう)
(絶対ついてくる)
(むしろ目を離す方が危険だ)
全員が同じ結論に至り、結局連れていくことにした。
別荘の地下には、複数の囚われ人がいた。
その中に──ひときわ気品ある女性が一人。
その女性はノルディア王国の公爵令嬢、ルークの妹ルアンナだった。
ルアンナは衰弱しながらも、毅然とアナスタシアを見返した。
救出の最中、追っ手が押し寄せ、混乱が広がる。
逃走の途中で、アナスタシアとルアンナだけが取り残されてしまった。
「ルアンナ様、先に行ってください!」
「そんなことできないわ」
「ダメよ。あなたは国を守る責任があるの。
だから──辻馬車を拾ってホテルへ。私は追っ手を引きつけるわ」
「そんな……!」
「大丈夫。私、こう見えて逃げ足は速いの」
アナスタシアは微笑み、ルアンナの背を押した。
アナスタシアは追っ手を引きつけ、必死に走った。
だが背後から腕を掴まれ、物置小屋へ引きずり込まれる。
床に叩きつけられた瞬間、袖口が裂け、片腕が露わになった。
「お前、ただで済むと思うなよ……」
男三人がアナスタシアに襲いかかろうとした、その瞬間──
「離れろ」
低い声が闇を裂いた。
次の瞬間、男三人が壁に叩きつけられる。
銀髪の青年──ルーク(レオン)が立っていた。
「……レオンさん……?」
震える声で名を呼ぶアナスタシアに、ルークは素早く近づき、
自分の上着をそっと肩にかけた。
「あなたは、またこんな目に遭って……」
その声音には怒りと、深い安堵が混ざっていた。
そこへ
「アナ様ーーーー!!」
ガークの絶叫が響き、
続いてカイル、ライザ、シノ、ヨルン、そしてルアンナ公爵令嬢までもが
一斉に駆け込んできた。
「アナ様っ、無事ですかっ!?」
「アナ様!」
「本当に……よかった……!」
「心配かけてごめんなさい」
アナスタシアは胸が熱くなりながら、
駆け寄ってきたルアンナの姿に気づいた。
「ルアンナ様! みんなと合流できたんですね……よかった……!」
「……ルアンナ?」
ルアンナはその声にハッとし、目を大きく見開いた。
「……ルークお兄様?」
次の瞬間、ルアンナは兄の胸に飛び込んだ。
「お兄様っ……! お兄様!」
ルークは妹を強く抱きしめ、震える声で答えた。
「よかった……生きていてくれて……」
アナスタシアと5人は、その再会を静かに見守った。
こうして、ルーク、ルアンナ、アナスタシアたちは
急ぎノルディア王国へ向かうことになった。
ルアンナは3カ月ぶりに公爵家に戻り、家族は涙を流して喜んだ。
その後、謁見の間にて──
ノルディア王国国王をはじめ、王族、重鎮たちが列席し、
ルークとアナスタシアたちは正式に謁見した。
アナスタシアは深く礼をし、持参した“陰謀文書”を王へ差し出す。
「……これは……」
王は目を見開き、隣に控えるルークへ問いかけた。
「ルークよ。これは事実なのか」
「はい、陛下。すべて確認済みです。
以前から発生していた冒険者の失踪、魔獣の暴走……
あれらも、この計画の一端と思われます」
謁見の間に重苦しい沈黙が落ちた。
やがて王はアナスタシアへ向き直り、深く頷いた。
「このような国の存亡にかかわる重大な情報を入手してくれたこと、
心より感謝する。加えて、我が国民の救出……
どう礼をすればよいか分からぬほどだ」
アナスタシアは一歩進み出て、静かに頭を下げた。
「陛下。発言をお許し願えますか」
「許す」
「現在、我が国──エルディア王国の国境に
ヴァルカン帝国の軍が侵攻しております。
どうか……援軍のお力添えをいただけないでしょうか」
王はしばし目を閉じ、深く息を吐いた。
「承知した。急ぎ協議会を招集し、稟議を進めよう。
今日のところは皆、疲れておろう。ゆるりと休まれよ」
「ありがとうございます、陛下」
アナスタシアは深く礼をした。
アナスタシアたちは王城の来賓室に案内され、
温かい湯と豪華な食事でもてなされた。
「よかった……国は大丈夫よね」
ライザが静かに頷いた。
「はい。国境にはガルディオス第二王子殿下が守備についておられます」
「そうなの?」
「ええ。アナ様からの連絡を受けて、殿下方がすぐに協議し、
軍を展開することを決められたそうです」
アナスタシアは胸を撫で下ろした。
「よかった……すぐに攻め込まれることはないのね」
カイルが表情を引き締める。
「はい。ただし軍勢はほぼ同数です。
ノルディア王国の援軍が得られなければ、厳しい戦いになるでしょう」
「……ノルディア王国、助けてくれるよね」
アナスタシアの声には、希望と不安が入り混じっていた。
ライザは優しく微笑んだ。
「陛下はアナ様に深く感謝しておられました。
きっと、力を貸してくださいます」
その言葉に、アナスタシアはようやく安心したように息をついた。
その夜、アナスタシアたちは久しぶりに
心からゆっくりと休むことができた。
翌朝、アナスタシアたちは再び謁見の間へ呼ばれた。
王は厳かな面持ちで口を開く。
「協議の結果、我が軍一万を派遣することに決定した。
すでに準備を進めており、先発隊は今ごろ出発しておるはずだ。
エルディア王国の国境へは川を下ればよい。
風下ゆえ、実は数時間で到着する。
ヴァルカン帝国の度肝を抜いてやろうぞ」
アナスタシアは胸が熱くなり、思わず涙がこぼれた。
「ありがとうございます……本当に……ありがとうございます……!」
王は穏やかに頷いた。
「いや、礼を言うのは我らの方だ。
そなたがもたらした情報は、国の命運を救うものだった。
加えて、我が国民の救出……重ねて感謝する」
そして王は続けた。
「全軍が出発したのち、そなたたちも向かうがよい。
ルークと外務大臣も同行させる。
正式な同盟書を持参してな」
「……はい。ありがたくお受けいたします」
出発前に、ルークはアナスタシアたちを屋敷へ招いた。
屋敷では、ルアンナが笑顔で迎えてくれる。
「妹を救ってくれた恩は、一生忘れない」
「いえ、当然のことをしたまでです。それに……援軍を送ってくださいました。
こちらこそ、お礼をしてもし足りないくらいです」
二人は顔を見合わせ、柔らかく笑いあった。
「そうだ、君が闇市場でほしがっていたものがあっただろう?
それは何だったのですか?」
「あ、実は、良くはわからないのですが、
お世話になった友人がヴァルカン帝国の幻炎酒が好きでして……」
「幻炎酒ですか!その方は相当な酒豪ですね。
我が家にもたしか1本頂き物があったはずですよ」
「え?普通にあるんですか?
幻っていうから闇市場とかしかないかと……」
「ははは、アナスタシア嬢は面白いですね」
「そんなに笑わないでください」
「失礼、是非その酒、ご友人に持ち帰ってあげてください」
「いいんですか?ありがとうございます。
私にもお返しできるものがあればいいのですが…」
ルークは少しだけ照れたように微笑んだ。
「それなら……エルディア王国に戻ったら、王都を案内してくれませんか?
デートですよ。私はあなたに惚れてしまいましたからね」
「……はい?ルーク様はご冗談がお好きなようですね」
「まあ、今はそれでいいか」
その頃、カイルとガークはガルディオス第二王子へ
ノルディア援軍到着の報せを届けていた。
ノルディア軍とエルディア軍は見事に挟撃に成功し、
ヴァルカン帝国軍は総崩れとなって敗走した。
戦いが終わり、
アナスタシアたちは無事エルディア王国へ帰還することとなった。
長い旅路と戦いの果てに、
ようやく平和の風が戻り始めていた。
こちらで完了です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。




