第1話 病室にて(グレイ視点)
病室には、薬草の香りが満ちていた。
身体中が鈍く痛むが、フィーナがそばにいるだけで、不思議と呼吸が楽になる。
フィーナがそっと椅子を引き寄せ、
背中の後ろにクッションを置いて身体を起こしているグレイの額に触れた。
先ほど、丁寧に身体を拭き、包帯を替え終わったばかりだ。
「まだ熱いわ……無理しちゃだめ」
上半身だけだが、身体を拭かれているときは、
意識しないように頑張っていたが、我慢の限界だ。
「……触られると余計に熱くなるんだけど」
思わず本音が漏れ、フィーナが目を丸くする。
「えっ?」
「無自覚かよ……俺はお前に告白しただろ?
そんな無防備に触られると、余計に落ち着かなくなるんだけど」
言ってから、自分でも少し照れくさい。
けれど、もう隠すつもりはなかった。
「え……あ、そう……」
フィーナは耳まで赤くして、話題を変えるように言った。
「ねぇ……なんか、話し方が違わない?
くだけててうれしいんだけどね」
グレイは一瞬固まり、
観念したように小さく息を吐いた。
「……ああ、そうだな」
「やっぱり違うよね?」
「文官のときは丁寧に話せってテオに言われてたんだ。
口が悪いと減給だって脅されてさ。
だから仕方なく、ああいう喋り方してただけで……」
「減給……」
フィーナはクスクスと笑う。
「でも、あんたの前でまで取り繕う必要はないかなって。
……いろいろ話しておきたいし」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥がじんわり温かくなった。
彼女には、全部話しておきたかった。
そっと彼女の手を握った。
「……俺はただの文官じゃない。
アルヴェールに来たのも、偶然じゃない」
フィーナの瞳が揺れる。
その反応が痛いほど胸に刺さる。
「アルヴェール領には魔獣が異様に少ない。
その理由を調べるために、来ていたんだ。
……騙す形になって、本当に悪かった」
グレイはフィーナに頭を下げた。
フィーナは迷いなく首を振る。
「そんな……謝らないで。
一緒に領地改革を手伝ってくれたし、それに……助けてくれた。
ハーヴェイさんには、本当に感謝してるの」
グレイは眉を寄せた。
「……ハーヴェイさんは、やめてくれ。なんか……距離がある」
「え……?」
「グレイって呼んでほしい。あんたには、そう呼ばれたいんだ」
「……じゃあ、グレイ」
名前を呼ばれた瞬間、胸が熱くなる。
「……ああ。そっちのほうが、ずっといい」
「……なんか照れるわね」
「はは、照れてるフィーナはかわいいな」
つい本音が出てしまい、フィーナが慌てる姿に、痛みすら忘れそうになる。
「な、なんか……人が変わってない?」
「これが本来の俺だよ。文官のときは無理してただけだ。
……ああ、ごめん。話がそれたな。まだ言わなきゃいけないことがある」
グレイは緊張を逃そうと、フィーナの手をぎゅっと包み込んだ。
「俺には……15歳までの記憶がない。
気づいたら、この国の孤児院にいた。
それから、どこの誰なのかも分からないまま、ずっと生きてきた」
「記憶が……ないの……?」
フィーナの声が震える。
グレイは静かに頷いた。
「ああ。でも、テオと出会った。
あいつもいろいろ抱えててな……
二人で冒険者になって魔獣を倒して回る旅に出たんだよ」
「……それが伝説のS級冒険者、ライとハルね」
「いつのまにか伝説って呼ばれてたけど、俺たちはただ、戦ってただけだよ」
「でも……伝説になってくれたから、私はあなたに出会えたのね。
亡くなったって噂が流れて……もう二度と会えないと思ってた」
テオとの冒険の日々を思い出し、グレイは少しだけ目を伏せた。
「あのスタンピードで、テオが魔力を制御できるようになったんだ。
それで王都に帰ったら、国のために働けって言われてな。
冒険者をやめて、今はテオの元で魔獣に関する調査をしているんだ。
こんな得体の知れない男なんだが……」
「私、グレイは失礼で嫌味な平民文官だと思ってたから、
そんなの問題にはならないわね」
フィーナは全く気にすることなく、受け止めてくれた。
その優しさが、胸に沁みる。
「ひどい言われようだ」
「やっと捕まえた推しなんだから、簡単には手放さないわよ」
その言葉に、思わず笑ってしまう。
痛む身体を押してでも、触れたくなる。
グレイはフィーナに触れようと手を伸ばし—―
「……痛てて」と呟いた。
情けない声が漏れ、フィーナが笑って手をつないだ。
「それで……アルヴェール領の調査って?」
フィーナが問いかける。
「ああ、冒険者のとき、国中を回ったんだけど……
アルヴェール領だけ、魔獣とほとんど遭遇しなかった。
その理由が分かれば、国全体を守れるかもしれない。
だから俺が調査に入ったんだ。
そのとき領地改革の話をもらって……渡りに船だった」
「そうだったんだ…それで……理由は分かったの?」
グレイはずっと考えていたことを話す。
「確定じゃないが……精流の滝の水が鍵だと思っている。
フィーナが教えてくれただろ?
『滝は精霊の通り道。
大地巡りて護り給う。
風にたゆたう翠は、揺標となる』」
「あ、滝を見た時に話した伝承ね」
「ああ。これは、ただの言い伝えじゃない。
地図で確認したんだが、
滝から流れた水流が、アルヴェール領全体に広がってたんだ。
まるで……領地そのものを守るように」
フィーナは息を呑んだ。
「風にたゆたう翠って、ミストラ草のことかしら?」
「俺もそう思う。ミストラ草はアルヴェールにしか咲いていない」
考えていたことを話すことによって、確信に変わっていく。
「だから……フィーナの力が必要なんだ。
アルヴェールを守るためにも、国を守るためにも」
そのとき、背後から気配がして、テオが姿を見せた。
「お、フィーナ嬢も来てたのか」
軽く手を上げたテオは、ふと二人の手元に目をやり、
にやりと口の端を上げる。
「……ほう。二人はそういう仲になったのか?」
(こいつはほんと、空気を読まない)
「ち、違っ……!」
「テオ、余計なこと言うな」
フィーナが慌てて手を離すと、テオは肩をすくめた。
「まあまあ。フィーナ嬢、グレイをよろしく頼むよ。
そうそう、こいつ、辛いものが苦手なんだ。
喧嘩したときは、食事に混ぜるといい」
「テオ!」
(こいつはいつも一言余計なんだよ)
「はは、冗談だよ」
「……ほんと、よかったな。二人とも」
軽口を叩きながらも、テオの目はどこか優しい。
すると、フィーナがそっと口を開いた。
「……あの、アナはどうなったんですか?」
テオは一瞬だけ視線を落とし、すぐに答えた。
「ああ、彼女のことなら心配いらないよ。
子爵家の悪行とは無関係だと証明された。
今後は国のために働いてもらうことになってる」
「えっ……そうなんですか?」
「彼女はカルマン侯爵家の養女になったよ。
実の母親がカルマン侯爵家の娘でね、その縁で迎えられたんだ。
今は妹が家を継いでいるから、そこで勉強中さ。
そのうち会えるよ」
フィーナがほっと息をつく。
フィーナが安心したように息をつくのを見て、
(この人は、本当に優しい)
グレイは改めて思った。
テオは二人を見回し、軽く笑った。
「まずは、フィーナ嬢は領地の活性化だな。
そしてグレイは……まあ、大人しくしていることだ」
「なんだそれ」
「事実だろ?」
グレイはくだらないやり取りに、自然と笑みがこぼれた。




