第二十二話
「見ておけ」
その一言が落ちた瞬間、訓練場の端の空気が、ほんの少しだけ“締まった”気がした。
締まる、というより――縄をきゅっと結び直したみたいな。ほどけないように、逃げないように。
もちろん、僕はそんな会話の輪の中にいない。
いないはずなのに、背中の皮膚が会話を聞いてしまう。
見られるっていうのは、耳じゃなくて骨で分かる。
「休憩終わりー!」
ガイが勝手に号令をかける。誰も頼んでないのに。
でも、こういう“勝手”は嫌いじゃない。勝手に笑って、勝手に場を丸くする。国の結び目って、こういうやつだ。
レティシアが木剣をぶんぶん振りながら僕に詰め寄ってくる。
「ねえ、エド! いっかい! いっかいだけ、ちゃんとやろ!」
「ちゃんと、って何」
「本気じゃないやつ! さっきの“すごい”やつ!」
(“すごい”って雑に便利な単語だな……)
僕が渋い顔をすると、レティシアはむっとして、でもすぐ笑う。怒りと笑いが同居してるの、ずるい。こっちの逃げ道を塞ぐ。
「逃げないでよ!」
逃げない、は君の譲れない決めごとだろう。僕のほうに押し付けるな。
……と言いたいのに、僕は頷いてしまう。こういうところが自分でも面倒くさい。
「型だけ。一本だけ」
「一本でいい!」
ガイが横で「おー!」と拳を上げる。セシルは少し離れたところで、口元だけを動かした。
「……一本、って言う人ほど、長い」
(やめろ、的確に刺すな。五歳の刺し方じゃない)
木剣を構える。
息を吸って吐く。
体幹を沈める。
魔力は――抑える。今日は漏らさない。漏らしたら、本当に後が面倒だ。未来の僕が泣く。
レティシアが飛び込んでくる。勢いだけでなく、ちゃんと足が出ている。さっきよりずっといい。
――いいのに、危うい。
堂々が隙を連れてくる。
その隙に、僕の身体は勝手に答えを置きにいく。置きにいってしまう。
木剣が触れる寸前で止まる。止まるのに、風圧だけがレティシアの前髪を揺らす。
レティシアが「うわっ」と目を丸くして、足が止まった。
「……いまの、なに!?」
「止めた」
「止めたのが、なに!?」
(はい、怒りの方向が正しい。そういう子だ)
僕は木剣を下ろして、レティシアの足元を指差す。
「踏み込みはいい。でも肩が先に出る。肩が出ると、ここが空く」
自分の脇腹を軽く叩く。レティシアがむっとして、でもそのまま自分の脇を押さえる。
「……うそ。空いてない」
「空いてる」
「空いてない!」
「空いてる」
セシルがぽつり。
「……空いてるね」
レティシアがセシルを睨む。セシルは睨まれても瞬きをしない。静けさって、時々武器だ。ほんとに。
ガイが間に入る。
「じゃあさ! レティシア、もういっかい! いまの直したら、もっと“どーん”ってなる!」
「どーんってなに!?」
「どーんは、どーん!」
(会話が幼児で助かる。さっきまでの背中の重さ、どこ行った)
殿下――ギルバードは少し離れたところで木剣を握ったまま、僕らのやり取りを見ていた。
見て、真似しようとして、やめて。
やめて、もう一回握り直す。
その小さな躊躇いが、逆に良い。
剣は、勢いだけで振ると自分を傷つける。殿下はそれを本能で知っている顔だ。
僕が殿下に向かって軽く顎を引くと、殿下は小さく頷いた。
その瞬間だけ、王族じゃなくて、ただの“同じ年の子ども”になる。
――背中で、大人たちの声がまた流れ始めた。
談笑の形のまま、刃のない言葉が交わされる。
僕の耳に届くのは切れ端だけだ。
「……崩れ……」
「……各国……」
「……早すぎる……」
「……子どもが……」
言葉が土の上を滑って、足首に絡む。
見ないふりをしているのに、視界の端でそれが“影”として残る。
(やめろ。今は、剣だ。今は子どもでいろ)
そう言い聞かせた瞬間、ガイが僕の背中を叩いた。
「エド! つぎ、ぼく! ぼくもやる!」
「順番」
「順番、だいじ! だから、ぼく、つぎ!」
順番が大事と言いながら順番をねじ曲げるな。
でも、こうやって騒げるのは、平和の証拠だ。
僕は木剣を渡しながら、訓練場の端――大人たちの列を一瞬だけ見る。
父の横顔は、いつも通り硬い。硬いのに、目だけが僕らを追っている。
値札をつける目。
未来を測る目。
そして、祈りに近い目。
アイクの声が落ちる。
「続けるぞ。遊びじゃない。だが――壊すな」
壊すな、の“な”が、妙に強い。
大人は壊れるものを知っている。壊れた後の匂いも、知っている。
僕は息を吸って、吐く。
土の匂いが肺に入る。
嘘をつかない匂い。
その匂いにしがみつくみたいに、僕はまた構えた。
背中の視線も、影みたいな言葉も、いったん全部土の下に埋める。
――その日、屋敷の空気が“硬かった”理由を、僕はまだ知らない。
ただ、訓練場の端で結び直された縄の感触だけが、指先に残っていた。




