リュミエール公爵家 ――馬の匂い、土の匂い、王族の匂い
リュミエール家の屋敷は、帰るだけで体が軽くなる。窓を開ければ土の匂いが入る。
ガイは玄関をくぐった瞬間に叫んだ。
「母さま! 今日ね! すっごいぷるぷるがあってね!」
「はいはい。まず手を洗いなさい」
ベティは優しく言うのに、背筋が勝手に伸びる声だった。王族の血は、優しさにも圧がある。
ガイが廊下を駆けようとして、チェイダーに首根っこを捕まえられる。
「走るな。転ぶぞ」
「転ばないし!」
「転ぶ」
即答だった。
手を洗わせて、ようやく落ち着いたところで、ベティが言う。
「それで? ぷるぷる以外は?」
ガイは「えー」と言いながらも、ちゃんと話す。正直さが、この家の土台だ。
「ブロアのエド、変なんだよ。いっぱい食べてるのに、ずっと大人の方、見てた!」
チェイダーが目を細めた。
「観察か」
ベティが小さく頷く。
「観察というより、“確認”。あの子は逃げ道を探すより、塞ぐべき穴を探す」
「穴?」
ガイが首を傾げる。ベティは笑って、ガイの頬を軽くつまんだ。
「あなたが転んだ時、誰が手を出すか。誰が笑って誤魔化すか。誰が怖くて固まるか。そういう隙間よ」
チェイダーが低い声で続ける。
「隙間を埋める者は便利だ。だが、便利は消耗品にされる」
ガイが眉を寄せる。
「……じゃあ、エド、つかれる?」
ベティは一瞬だけ迷って、子どもに届く形を選んだ。
「疲れる。きっとね。だから、あなたは友達になれるといい」
「なれる! だって、剣みせてもらう約束した!」
ガイがぱっと笑う。
その笑顔を見て、チェイダーは静かに息を吐いた。
「……それと」
チェイダーが言葉を切る。切った言葉の端が、妙に硬い。
「ブロアの子、体が出来ている」
「体?」
ガイが腕を見下ろす。自分の腕と比べてる顔だ。
チェイダーは頷く。
「体幹がぶれない。椅子から降りる時も、立つ時も、重心が乱れない。五歳の動きじゃない」
ベティが補足する。
「食器を持つ手も、姿勢もね。……鍛錬が“遊び”じゃなくて“生活”になっている」
「すごい?」
ガイが目を輝かせる。
「すごいわ」
ベティは優しく言う。優しい言い方なのに、結論は重い。
「剣は才能だけじゃない。身体の土台がある子は、伸びる。……そして、折れやすい」
チェイダーが短く頷いた。
「支える筋肉は、支えすぎると壊れる」
ガイは分かったような分からないような顔で、でも一番大事なところだけ掴んだみたいに言った。
「じゃあ、俺、エドのこと、ささえる!」
ベティの目がほんの少しだけ柔らかくなる。
「ええ。それができたら、あなたは強くなれるわ」




