ヴァレン公爵家 ――馬車の中、窓に映る赤
本日は長くなってしまったため、分割し三話投稿となっております。どうかお楽しみください
馬車の揺れに合わせて、レティシアのポニーテールが跳ねていた。本人は跳ねている自覚などなく、窓に指をつけて、さっき食べた菓子のぷるぷるを思い出している顔だ。
「ねえ父さま! ブロアのエド、変!」
「どこがだ」
スペンサーは外を見たまま、声だけ返す。街灯がガラスに流れ、彼の目はその光を“数える”みたいに追っていた。
「笑ってるのに、笑ってないとこ。……あと、目! こっち見てるのに、うしろも見てる!」
「ほう」
「強いの? 強くなるの? ねえ、剣やろ! 今度、木のやつ!」
「木剣な」
スペンサーは短く笑ってから、すぐに声を落とした。落とした声の方が重い。外交官の声はそういう作りをしている。
「強い弱いより前に、あの子は――子どもっぽくない」
レティシアがぱちぱち瞬きをする。
「子どもだよ? 五歳だよ?」
「年齢の話ではない」
スペンサーは窓の外へ視線を置いたまま言う。
「席に座る前、椅子の高さを見ただろう。普通の五歳は“どうやって登るか”で顔が動く。あの子は違った。最初に足の置き場を決めてから登った。……訓練場の動きだ」
「それ、ふつうじゃん」
「ふつうならいい。問題は次だ」
スペンサーの声が少しだけ低くなる。
「料理が運ばれた時、香りが立った。子どもなら目が先に動く。あの子は一拍遅れた。――わざと遅れた」
レティシアが眉を寄せる。
「え? なんで遅れるの。おいしいのに」
「“先に動いた”と思われたくないからだ」
「なにそれ! めんどくさ!」
「そうだ。めんどくさい。だが、めんどくさいのは理由がある時だけだ」
馬車の揺れが一度大きくなって、窓の灯りが滲む。
スペンサーはその滲みを見ながら、続けた。
「話す時の間もだ。お前が『剣できる?』と聞いた時、普通はすぐ答える。『できる!』とか、『できない!』とか。あの子は“ちょっと”と言った。――答えを曖昧にして、自分の形を残した」
「ちょっとって言ったの、私ムカついた!」
「狙い通りだな」
「えっ!?」
レティシアが身を乗り出す。火が風を見つけた顔。
スペンサーは淡々と頷く。
「お前みたいな火は、相手の輪郭を押して確かめる。『どれくらい?』とな。あの子は押されても崩れない位置に立っていた。……まるで、何度も押され慣れているみたいに」
レティシアの口が、少し開いたまま止まる。
「……それ、ずるくない?」
「ずるい、ではない。生き方だ」
前の席で、ルイーザが小さく肩をすくめた。小柄な体を揺らしながら、可笑しそうに言う。
「あなた、こういうの嗅ぎ分けるの得意ね。いやな職業病」
「職業病だ」
スペンサーは淡く笑う。笑うのに、目は笑わない。
「最後に、これ」
彼は指を一本立てた。
「子ども卓の笑い声が一番大きい瞬間があった。菓子が出た時だ。誰もが顔を上げた。……あの子だけ、目を上げたまま“耳”を下げた」
「耳を……下げた?」
「聞いていた。笑いながら、奥の席を」
レティシアが、ぞくっとしたように肩をすくめる。
怖がるための動きじゃない。理解してしまった時の動きだ。
「……なんか、こわ」
「怖いのは、あの子がそれを“自然に”やっていることだ」
スペンサーは窓の外――王城の影が遠ざかる方向を見たまま、ぽつりと落とした。
「まるで、何百年も……同じ席を見てきたような目だった」
馬車の中で、レティシアの火が一瞬だけ静かになった。
火が静かになるのは、燃え尽きた時じゃない。
燃える場所を見つけた時だ。
「……じゃあさ」
レティシアが、ゆっくり笑った。笑いは幼いのに、目が真剣だった。
「私、あの子に勝ちたい。勝ったら、笑わせられる?」
スペンサーは答えなかった。
答えないまま、娘の頭に手を置く。
その沈黙が、答えみたいに重かった。




