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 先に温泉に着いてしまった。


 本来は、これではダメなのである。

 彼らの目的は廃鉱山の見学であり、そこで地下道を探検して泥だらけになるという状況を経ての温泉でなくては。


 けれども、峠を越えて林を抜けたらそこに温泉が広がっていたのだから、しかたない。


「ふええ。こりゃかなりの代物だねえ」


 まずはフォウが驚きのあまり、ジープから飛び降りてしまった。

 そうなると和彦もジープを止めるしかない。

 車から降りても、目をまん丸にしているフォウがどれほどワクワクしているかと思うと、無下に順番が違うとは言いかねた。


 とはいえ。


「あー……。せっかくの温泉だけどさあ。こんな真昼間から露天風呂ってのもなあ……」


 岩場に囲まれた、物語の挿絵のような温泉を目の前にして、フォウが急に尻込みを始める。

 もじもじと両手の指をひねくり回し、和彦をちらと見上げたりする。


「なあ、和彦さん。お日様が空のてっぺんにあるってのに、こんな時間に風呂に入るのって、なんか変だよなあ」


「さあ。温泉というのは、そういうものだという人もいそうではあるけれど」


 笑いをこらえて和彦は答えた。


「君が入りたくないのなら、気にしなくていいよ」


「和彦さんは入ってみたくないのか? こんな綺麗な景色の露天風呂なのに」


「だって父さんが、うちに引いてある水も温泉と同じ水源だといっていたじゃないか。僕はそもそも温泉にはなんの興味もなかったし、君が見てみたいのも、温泉じゃなくて鉱山のほうだったんだろう?」


 見回してみれば、意外にきちんとした脱衣所もある。

 村人たちが点検補修しているふうもある。さらに近付いてみると、何やら入口に洞窟のようなものを掘りかけた跡も見つけた。


「なんで洞窟?」


「ああ、それについては村の……誰だったかな、田村のおじいさんに聞いた覚えがあるよ。なんでもひと昔前に、日本全国で町おこしのためにルルドの洞窟なるものを作るのが流行した時代があったんだそうだ」


「ルルド……って、確かフランスにある泉かなんかの名前じゃなかったけ?」


「そうそう。水浴びすると怪我や病気が治るという伝説があるそうだね。

 水というか、湯に浸かるのなら日本人はお手の物、それに付加価値を付けて観光客にアピールしようと思いついたのが誰だか知らないが、結果として今も日本のあちこちにルルドを名乗る温泉地がたくさんあって。

 この村でも流行に乗ろうという意見が出てやり始めたはいいが、なにしろ人出が足りない。助成金の申請をしようかどうしようかと協議しているうちにブームは去り、洞窟は掘りかけのまま……ということらしい」


「あー。いかにもって感じだな」


 フォウが自分の額をぴしゃりと叩いて言った。


「だからいつまでも限界集落のままだというか、限界集落だから、なんでもこんなふうになっちゃってるというか。とはいえ、昔話の舞台みたいに綺麗な露天風呂が、ほとんど何もしてないのにちゃんと現役で、地元の人に愛されてるのってすごいじゃん」


 二人して、作りかけの洞窟を見学してみた。


「うわ。この女神像、思ったよりでかいな。これ、山肌に掘りつけてあるんだろ? 身長十メートルってとこか。どこの物好きの彫刻家が作ったんだろう」


「さてね」


 フォウの隣で、和彦も岩壁の女神を仰ぎ見た。


「僕の目には、あまりいい出来には見えないが。町の高校の美術部にでも依頼したんじゃないだろうか」


「ああ、確かに文化祭の飾り物って感じだな。どっかの宗教画の真似をしてるから女神みたいだなあと見えるけど、予備知識なしの人なら、風呂に入ろうとして服を脱ぎかけてる女の人くらいにしか思えないんじゃないか」


「それもまた、あんまりな言いようだなあ」


 和彦はくすくす笑った。


「でもって、あっちに見えてるバラックみたいなやつが、氷浦教授のいってた鉱石の精錬所とかいうやつだな。和彦さん、まずはあれを見に行ってみようぜ!」


 好奇心はフォウの推進力である。

 思いつくなり和彦の同意など待ってはおれず、フォウはわくわくしながらそちらへ向かって駆け出した。さながら、お気に入りの棒を投げてもらった犬のようである。止めて止まるものではない。

 しかたなく和彦も後を追った。


 駆けてゆくフォウの背中を見ながら、和彦は少しだけ後悔した。


 考えなしの衝動的な行動に見えて、実はあれは、昼間に和彦の前で温泉に入りたくないというフォウの意志の表れでもある。

 フォウは人前で裸になるのを嫌う。

 それが彼の全身に残る火傷の痕が理由であることを、和彦も知っている。

 彼はいつもそういうとき、入浴は香港人の習慣にないからといって笑いに紛らわせるけれど、そのたび和彦は胸が痛くなる。


 やはり、来ないほうがよかったか。廃棄された鉱山など見に行ってもなんの益もないと反対すべきだったか。

 もっとも、あそこで和彦が反対してたら、フォウはもっとムキになった可能性もある。思い込んだらまっしぐらの暴れん坊は、なかなか制御が難しいのだ。


 ため息をついているうちに、精錬所に着いた。


 思っていたよりも大きな建物だった。

 入口を封鎖した鎖は、かなり新しいものだった。世の中には廃墟好きという変わった人々がいて、そういう連中にとってこの工場はかっこうの猟場だったのだろう。

 周囲にプラスチックの容器や空のペットボトルも転がっている。ホームレスの住処になっていた時代もあったようだ。


 裏側に回ると、思った通り通用口があった。

 封鎖用の鎖が半分だけ、申し訳なさそうにドアの取っ手へ巻き付いていた。


 なにげなくそれを取り上げてみた和彦は、鎖の切り口に気付いてハッと顔色を変えた。


「フォウくん、これを見てくれ」


「え、なんだい?」


 破れ窓から中へ入りかけていたフォウが駆け戻ってきた。

 和彦の手にした鎖を見て、彼も真剣な表情になった。


「これは……自然に切れたんじゃない。何か人工的な手段で真っ二つにされている」


「けど、その鎖だって鋼鉄製だよな。鉄の塊をこれだけまっすぐな切り口で真っ二つにするものって、なんだろう。工業用レーザー?」


 自分で言っておいて、フォウは自分で首を振った。


「まさかな。鉄を切るにはよほど大出力のレーザーじゃないと。こんな廃工場へ忍び込むために、工業用レーザーを持ってくるなんてのは、物好きにもほどがある」


「大出力の工業用レーザーには、動力も必要だ。このあたりには電気も通っていないんだから、動力も持参していたこということになる」


 実際のレーザー光線は、古きよきSF小説では手の中に納まる形の武器として描かれる。しかし現実はまだ創作に追いついていない。よほど大きなトレーラーを準備し、そこに機械本体とそれを動かすための動力を積まなければ使えないはずだ。


 第一、そこまでしてこの工場の扉を破るだけの値打ちはないだろう。廃屋探検のためには、もちろん大がかりすぎる。


 それでもなお、そうまでしてこの工場に押し入ろうとする者がいるとすれば。それは。


 どおん、と地面が揺れた。


「な、なんだ⁉」


「和彦さん、あっちのほうだ!」


 フォウが猟犬のように走り出した。

 止める暇など、もちろんない。

 しかたなく和彦も走った。

 工場の背後にそびえる切り立った崖。

 その上にある小高い丘の上だ。


 人影が二つ。


 一つはかなりの巨漢だった。びゅうと風が吹くと、その男のまとったマントが大きく翻った。腰に吊るした剣の柄も、陽光を受けてきらきら輝いている。


「ムルス、貴様なのか⁉」


 男の名を呼びながらも、和彦は小さな違和感を抱いていた。


 どこかが違う。いつもと違う。


「ほんとだ、ムルスじゃねえか!」


 丘への坂道を駆け上りながら、フォウが叫ぶ。


「ちくしょう、なんで俺はこいつがやってきたときの空間の歪みに気付かなかったんだ?」


 フォウは観測機器なしで平行空間からの侵略を感じ取れる、稀有の存在である。しかもその精度はかなりのもので、直径にして五十から百㎞くらいなら、他のことにかまけていても滅多に見逃すことはない。


 その彼が、ムルスの来訪に気付かなかったとしたら。

 彼はフォウに感知できないほど離れた地から侵入し、わざわざここにやってきたことになる。


 なぜ、そんなことを?


 ムルスがようやくこちらに気付いた。

 驚きに目を見張り、振り返る。


 そこでようやく和彦は、違和感の正体に気付いた。


 右腕が。


 和彦が切り落として後、ずっと見慣れていた隻腕の姿ではなく、ムルスの右側には新しい腕がついていた。


 それも、銀色に光る機械の腕だ。


 表面にはたくさんの継ぎ目が走っているが、肘や手首は機械とは思えないくらいなめらかに稼働している。

 それでもムルスは腕の制御に苦労しているようだった。

 一度は和彦とフォウを振り返ったものの、生身の左腕で機械の右腕を押さえ込もうと必死だ。


 彼の足元には大きな窪みがあった。さきほどの大きな揺れは、ムルスの機械の腕が地面を打ち付けたために起こったものらしい。


 その腕は地面をえぐり取ってもまだ満足できないらしく、次は脇にある巨木を殴りつけようとしている。

 そして、ムルスはそれを必死で止めようとしている。


「だから! これをやめさせる方法を教えろと言っているのだ!」


 ムルスが吠えた相手は和彦でもフォウでもなかった。


 そこで和彦もようやく彼に視線を移した。


 ムルスから少し離れたところに立つ、痩せた若い男。

 伸ばしっぱなしの乱れた髪をさらに振り乱し、満面に気色を浮かべて大きく首を振っている。

 見かけはなんの変哲もない、ただの一般人。

 しかし。

 目には狂気の光がある。


「だってしょうがないだろう? 君が僕の言うことを聞いてくれないからさ!」


 男にしてはやや甲高い声。

 その響きの底に過剰な自負と、相手に対する軽蔑がある。

 高笑いをしながら、手の中にあるリモコンのようなものを操作していた。

 たちまちムルスの腕はさらに激しく動き出し、巨体を引きずるようにして、巨木を掴んだ。


 片手で幹ごと引っこ抜く。


「うわ……」


 和彦の隣でフォウが息を呑んだ。


 太い松の幹が、機械の腕に握りつぶされて、一瞬のうたちに粉々になった。


 それでもまだ足りぬとばかり、腕は残骸となった木の根元へ拳を振り下ろした。

 二度、三度。

 そのたびに地面が大きく揺れて、切株が粉砕されていく。


「やめろっ、やめろというんだ、シラド! こんなことをして、なんになる!」


「何って、そりゃあもう、君の腕の試運転に決まってるじゃないか」


 シラドと呼ばれた青年が楽し気に言った。


「あの馬鹿たちが警察に捕まったりするから、最後のモリブデンとリチウムが足りなくて、代用品で間に合わせるしかなかったからね。僕だって製造責任がある。君の腕が計画通りの大量殺人兵器になったかどうか、ちゃんと確かめておかなくちゃね」


「大量殺人兵器だと⁉」


 聞いていた和彦も驚いたが、当のムルスはもっと驚いた。

 勝手に獲物を探そうとする右腕を左手で押さえながら、愕然としてシラドを見下ろす。


「お、俺はそんなこと、望んだ覚えはないぞ!」


「そりゃそうさ。望んだのは僕だもの」


 シラドがにやあと笑った。


「君だって、まさか僕が無償で君の腕を作ってやったとは思っていないだろう? いや、言わないでいい。君がどれほどの報酬を払うつもりだったかは、僕には関係ない。僕はすでに別方面から、十分な研究費用をもらっている。けれども、理想的な実験材料に恵まれなくてね」


「理想的な実験材料? 俺が?」


「ああ」


 平然とした顔でシラドが言った。


「今、この世にどれだけの内戦や紛争があると思う? その戦場で手や足を失ったことで、どれほどの熟練兵が無駄に戦線を離脱していると思う? 答えなくていいよ。君が想像しているよりも多い、と言っておこう。

 そして、一人の人間を兵士に育てるには、かなりの労力と時間がかかるんだ。それが、手や足かなくなっただけでオシャカになってしまう。

 もったいない、と僕は考えた。だったらそいつらに新しい手や足をつけて、再び戦えるようにすればいい。その手や足が武器になれば、もっといい……」


 マッド・サイエンティスト。


 彼を形容するには、その言葉を使うしかない。


「けれどねえ、僕の作った義手はあまりに強力すぎて、つけた人間がその負荷に耐えられないんだ。どんな立派な体格の軍人たちも、腕を使って何人か殺させてるうちに、体も精神も調子っ外れになっちゃうんだよ。

 銃を撃ったり爆弾を落としたりするのは平気なくせに、自分の腕で人を殺すのには慣れないって、不思議だよねえ。

 障碍者競技のアスリートにもくっつけてみたんだけど、これはさらにヤワだったね。君に出会うまでに、何人死なせてしまったことか」


「き、貴様……」


 ムルスがぎりりと歯を噛みしめた。


「貴様がやりたいのは、人殺しか」


「ああ、もちろん」


 いっそさわやかに、シラドは答えた。


「楽しくないかい? わくわくしないかい? 僕の作った機械が人の命を自在にもてあそび、恐怖と絶望をまき散らすんだ。泣き叫んで命乞いをするやつを、僕の目の前で僕の発明品が容赦なくひねり殺す、バラバラの肉片にする。

 君という逸材を見つけたおかげで僕は、ようやくその夢想を実現させられるんだよ!」


 ぶるっ、とフォウが全身を震わせた。


 とっさに和彦はフォウを引き戻そうとした。けれどもその手は空を切った。怒りに駆られたフォウは、もうシラドに向かって突進していた。

 両手の中にはすでに、炎が燃えている。


「いい加減にしやがれ、このゲス野郎!」


 炎を宿した拳でシラドを殴りつけた。


 精神は化け物でも、体格は貧弱な男である。フォウの一撃をかわすどころか、一発であえなく吹っ飛び、地面に転がった。


 痛みよりも、彼には驚きのほうが大きかったらしい。口からこぼれた血をぬぐうことも忘れ、半身を起こしてフォウを見上げた。


「あ、あんたはなんだ? 何者だ?」


「俺が何者だっていいだろう!」


 フォウはシラドの胸ぐらを取って引きずり上げた。


「お前がゲス野郎だってことだけで十分だよ! 人殺しの機械を作るのはともかく、それを楽しんでやってるっていうのが許せねえ!」


「やめるんだ、フォウくん」


 やっと追い付いた和彦がフォウの肩をつかんだ。


「だが、フォウくんの言っていることには僕も賛成だ。ムルスに人殺しをやらせようというのも気にいらない。君とムルスの間にどんな契約があるのかは知らないが、見れば彼も嫌がっているようじゃないか」


 シラドはしばらく呆然として、フォウと和彦の顔を何度も見比べていた。

 その瞳に、次第に血の色がのぼってくる。


「う……うるさああい!」


 脳天から突き抜けるような声でわめいた。


「誰も彼も僕に同じ説教をしやがって! だったらなんで僕の研究にカネを出してくれるやつらがいるんだよ! みんな心の奥底では僕みたいなことを考えてるんだろう⁉ 自分のこの手の中に、誰かの運命を掌握するって、わくわくするくらい面白いことじゃないのかよ⁉」


「うるせえのはてめえだ!」


 フォウが怒鳴り返した。


「てめえみたいなやつを野放しにしておくわけにはいかねえ! とにかくまず、ムルスからあの腕を外せ! 話はそれからだ!」


「ムルス……」


 ぼんやりと、シラドは呟いた。


「ムルス!」


 次には、叫んだ。


「ムルス、こいつらを殺せ!」


 もちろん、命じられたからといってムルスが聞くはずもない。

 シラドもそれはわかっているから、次には、コントロール装置を取りだした。

 

あっと叫んでフォウがそれを奪おうとしたが、間に合わない。


 ムルスの拳が空気を裂いた。


「和彦さんっ、危ない!」


「小僧、お前もどけっ!」


「フォウくん!」


 三者三葉に叫び、なんとか直撃を避けようと努力した。

 ムルスは勝手に動く腕を引き戻そうと足を踏ん張り、フォウは和彦を突き飛ばし、そのフォウの袖をつかんだ和彦が地面に引き倒す。

 フォウと和彦は際どいところで直撃を避けたが、目標を失ったムルスの拳はそのまま立ち木にぶち当たり、並んだ三本の幹をまとめてぶち抜いてしまった。


 恐ろしいまでの力だ。


「あーっはっはっ! ははっ!」


 シラドが高らかに笑った。


「どうだい、すごい威力だろう? 僕が心血を注いで作った義手だからね! 脳から筋肉への指令を電位差として感知して自動で動くシステムだから、訓練なんかも必要なく、自分の意志で自由に動かすことができるんだ。ああ、とはいっても、僕が動かしたいときは当然、僕の命令のほうが優先だよ」


 そう言って、シラドはコントローラーを操作した。

 ぎょくん、とムルスの腕が跳ね上がり、ぶんぶんとやたらに振り回され始めた。ムルスの体のほうは、その動きに引きずられるしかない。


 鋼鉄の腕は旋風を巻き起こしながら回転する。当たったものはことごとく粉砕だ。


「すげえ……」


 などと感心している場合ではなかった。

 シラドは明らかに、和彦とフォウを狙わせようとしていた。

 和彦たちに遺恨があるというよりも、ただ単に実験の対象として。


「逃げるんだ、フォウくん!」


「和彦さんこそ!」


 二人は互いをかばいあい、ムルスの攻撃をかわし続けた。

 しかしそれにも限度がある。

 ムルスの腕は機械仕掛けで、疲れを知らない。


 ならば、とフォウがシラドに向き直った。

 だが、その手の中に炎がきらめく前に、シラドがフォウの意図に気付いた。


 たちまちムルスの腕は角度を変え、シラドとフォウたちの間に立ちふさがる形となった。

 シラドへ飛びかかろうと思ったら、どうしてもムルスを倒さねばならない形だ。


「リ……リューン・ノア!」


 いまだ抵抗は試みているものの、なかば腕の附属物と化しているムルスが、苦しい息の下から叫んだ。


「氷の剣だ! 俺の肩から、こいつを切り離せ!」


 頼む、とムルスの目が訴えていた。


 和彦とフォウは素早く目線を交わした。

 フォウが炎を地面へ滑らせた。ごおっと煙の筋を引きながら、炎は地面の雪を溶かし、下生えの草を燃え上がらせた。

 ムルスとの間に炎の境界線が生まれた。


 ムルスの腕の旋回が炎を四方八方に散らす。


 その間に和彦の腕輪が、解けた雪を吸い上げた。


 手の中に収束されていく雪の結晶を、和彦は剣の形にはしなかった。小さな渦巻きの形を、フォウのやり方に倣って龍のようにくねらせる。


「和彦さん!」


 フォウが両手を組み合わせて差し出す。

 すぐにその意図を汲み取った和彦が片脚をそこへかけた。よおし、とフォウが気合を入れる。


「それっ」


 フォウが両腕を振り上げた。

 和彦も遠慮なくその勢いに乗り、跳んだ。

 ぶん回されるムルスの腕の回転をはるかに越えて宙を舞い、背後に回る。


 腕に構えたブリザードの塊を、背中側からムルスの右肩に思い切り突き入れた。


 肩が凍った。


 とたんにムルスの義手が動きを止めた。

 さっきまでの大暴れが嘘のように、体側にだらんと垂れさがった。


「な、なんだ? どうして⁉」


 慌てたシラドがコントローラーを必死でいじった。

 電源のオンオフを繰り返すが、義手はなんの反応もしない。


「なぜだ⁉」


「お前が教えてくれたんじゃないか。この義手が、筋肉の電位差を感知して動くと」


 和彦はシラドに向き直った。


「だから、ムルスの肩の筋肉を極限まで冷やして、麻痺させた。義手は今、彼の筋肉との連携を失っている。精密機械の欠点のひとつだな。一か所のシステムが稼働を失うと、全体に不具合が出る」


「くっ……」


 シラドが悔しさに唇を噛んだ。


「くそう!」


 コントローラーを地面に叩きつけた。


 かと思うと、シラドはすぐにまたニヤリと口の端を歪めた。

 青ざめた顔には汗の玉がぽつぽつと浮かんでいる。

 サッと上着のポケットに手を突っ込み、二台目のコントローラーを取りだした。


 フォウと和彦はハッとしてムルスのほうを振り返った。


 ムルスも麻痺した義手を掴んで、なんとか自分で再起動を押さえようと準備をした。


 だが、次に動いたのは、義手ではなかった。


 丘のふもとあたりで、ものすごい地響きがした。

 丘自体も大きく揺れた。がらがらとものの崩れる音がしてた。温泉の傍にあった工場か脱衣所が倒壊したものと思われた。

 

 わずかな静寂。


 そして、何かが地面を踏みしめる振動が、再び周囲を揺らし始めた。


 轟音の正体はすぐ知れた。


「なっ、なんだあ⁉」


 切迫した状況に似合わない、なんとも素っ頓狂な声を上げたのはフォウだった。


「あれ、さっきの女神像じゃねえか! うへえ、あれもこいつの作ったロボットだったのか⁉ カンベンしてくれよ、巨大ロボットと闘って嬉しいのは、ガキの頃までだぜ」


 最後のほうはウンザリした口調になっていたが、和彦もそれを咎める気にはなれなかった。

 ずしん、ずしんと地面を踏みしめてやってくる女神像は、人をそういう呆れた気分にさせるほどの非現実性を伴っていた。


「うるさい! 巨大ロボットは男のロマンだ!」


 わめきながら、シラドがコントローラーのキーを乱暴に叩いた。


 不格好な女神像が一歩ずつ足を出してこちらに向かってくる姿は、悪い夢のようだった。

 ムルスの義手とはまったく違うシステムが使われているのか、その動きはひどくぎこちない。顔も岩に彫刻されたそのままで、表情を変える機能はついていないようだった。

 それどころか、歩くといっても足の裏がキャタピラ状になっていて、すり足で地面を転がってくる感じだ。二足歩行はロボットにとっての難事である。


 女神が石の腕を振り上げた。


 振り下ろす。


 フォウと和彦はとっさに、左右に飛びのいた。


 その間を埋めるようにして、女神の拳が地面にめりこんだ。


 腰のところから半分に体が折れるというみっともない姿勢ではあるが、見かけと威力は別問題である。


 ぎょくん、と上半身が跳ねて元に戻った。


 また折れて、拳が振り下ろされた。


 あまりにも大雑把な動きだから、避けることは簡単だ。

 けれども、ただ避けているばかりではどうにもならない。


「どけっ、リューン・ノア!」


 ムルスが駆けこんできた。


 左腕で自分の義手をつかみ、力任せに引っこ抜く。

 神経に接続されていた線がいくつも千切れて尾を引いたが、ムルスは眉をしかめただけで耐えきった。和彦によって肩が麻痺されられていたのも功を奏した。


「うりゃあああ!」


 ムルスは外した義手を棍棒がわりにして、女神の像へ殴り掛かった。


 巨漢が渾身の力をこめた鋼鉄の腕は、女神の石の腕を関節部分からへし折った。

 岩が砕け、周囲に飛び散る。

 腕をなくしたために、女神がバランスを崩して揺らいだ。


「いいぞ、ムルス! もう一丁だ」


「おうよ!」


 フォウの声援を受けて、ムルスはもう一度、義手を振りかぶった。

 ぶんぶんと振り回して勢いをつけ、今度は女神の腰のあたりに叩きつける。さきほど、攻撃のためにぺこんとなった部分だ。


 案の定、継ぎ目があって弱い部分がそこだった。

 義手もへし折れたが、女神は腰が完全に砕けてしまった。

 バラバラになった石のカケラと共に、機械の部品らしきものも飛び散った。

 

 ぐらり、と女神の上半身が揺らいだ。


 石像がゆっくりと倒れていく。


 その先に、腰を抜かしたシラドがいた。


 あっと叫んだフォウが助けに駆けつけたが、間に合わなかった。

 石像は倒れながら次々に崩壊していく。その瓦礫の雨の向こうに、シラドの姿が見え隠れする。

 無数の石のかけらが降り注ぎ、シラドは地面に押し倒された。

 山になった瓦礫の下から、くぐもった悲鳴が聞こえる。


「おい、しっかりしろ! 大丈夫か!」


 フォウが瓦礫の山に取り付き、シラドを掘り出そうとした。


 その体がぎょくんと跳ねる。

 飛びずさり、宙を睨んだ。


 和彦も気付いた。


 フォウの視線の先、何もないはずの空間がぐにゃりと歪み、奥から漆黒の闇がのぞいている。


 その闇がどんどん広がり、人の形を取る。


「ジャメリン⁉」


 フォウと和彦だけでなく、ムルスもまた声をそろえて叫んでいた。

 目をぱちくりさせ、何度も見なおす。


 それでも、眼の前に表れた男の姿は消えなかった。皮肉に唇を曲げ、虹色のマントをひるがえした長身の男。

 参謀長のジャメリンだ。


 ジャメリンは無造作に瓦礫の山へ手を突っ込み、シラドを引きずり出した。

 シラドは血まみれになり、息も絶え絶えになっていた。

 そんな惨めな状態でありながら、彼の目は邪悪な輝きを失っていなかった。ジャメリンに引き起こされながらも、彼は血走った眼でフォウと和彦を睨み続けていた。


 それと、彼の自慢の義手を台無しにしたムルスとを。


「ジャメリン、お前はそいつをどうする気だ?」


 そのムルスが怒鳴った。


「決まっているだろう」


 ジャメリンはせせら笑いを返した。


「これほどの逸材、我らの仲間にしなくてどうする。この世界に置いておいて、ただの犯罪者として世間から消されてしまうなど、もったいなかろう?」


 無造作にシラドの首っ玉をつかんでぶら下げ、楽し気に問う。


「おい、お前。名前はなんという」


「し……白土、了」


「よし。シラド、お前は今日から私の部下だ。作りたいものはなんでも作らせてやろう   それが邪悪なものならばな。邪悪であればあるほどよい。わかったか」


 もちろんジャメリンは、シラドの返事など待っていなかった。

 フォウと和彦が我に返るのも待たない。

 軽いステップで方向を変え、シラドをぶら下げたまま、空間の歪みに跳びこんでいった。


「ま、待て!」


 ムルスがすぐに後を追う。


 その巨体の背中が闇に溶け込むとすぐに、空間は元の平静さを取り戻した。


 後に残されたのは、粉々になった石像。

 へし折れた義手の残骸。

 そして。


 呆然とたたずむ和彦とフォウ。

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