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デュアルの軍団は、彼女に滅ぼされた世界からの投降者によって構成されている。
時空の中で平行に存在している世界の同じような『人類』だとはいっても、その生存環境は多種多様であり、結果として彼らは、相互理解の難しい別の種族の集団となる。
そのことによる軋轢を避けるため、軍団員には出自の世界ごとに別の居住空間が与えられていた。
ゆえに、違う世界からやってきた者同士は、共闘することはおろか、交流す
ることさえほとんどない。
そのわずかな例外として、リューンのムルスは定期的に参謀長ジャメリンの空間を訪れていた。
ジャメリンのかつての世界には毒虫や毒草がはびこり、それをいかに制御できるかが、生存競争で優位に立つための手段であったという。
そのためにジャメリンは、毒草を誰よりも効果的に操る術を身に付けていた。
そうして、毒を薄めたものが薬である、という真理は、どの世界でも変わらない。
ムルスの主人であるアイザス・ダナは現在、リューン・ノアから受けた刀傷のせいで長患いをしている最中である。
その患部にかろうじて効いているようにみえるのはジヤメリンの処方した薬草だけである。
ゆえにムルスは、卑怯未練が看板のジャメリンに対する個人的な嫌悪感を押さえ、主人の薬を手に入れるためへいこらしてみせねばならない身の上であった。
気にいらないのは軍団の長だけではなかった。
上の性質は下にも広がるもので、ジャメリンの軍団は全体として品性下劣な卑怯未練恥知らずの集団である。
潔癖な軍人のムルスとしては、できることなら彼らの居住する空間には一刻もとどまっていたくない。
今日も今日とてジャメリンの城では、彼の部下たちが侵略地の人間から奪ってきた戦利品を自慢しあっていた。
金品や宝石の中には元の持ち主の血にまみれたものも多かったが、彼らにとっては、それがまた自慢の種になるらしかった。
下司どもが。
という罵声を喉の奥へ呑み込んで、ムルスは黙って宮殿の広間を抜けた。
奥に立っている衛兵もムルスとはすでに馴染みである。
それでもムルスが丁寧にあいさつして頭を下げるのを毎回面白がるので、ムルスも通過儀礼と自分に言い聞かせて、慇懃な態度で案内を請うた。
ジャメリンもまた自分の執務室で、略奪品に興じていた。
彼が面白げに眺めている四角い板を見て、ムルスは黙って片眉を上げた。
あれはリューン・ノアが逃げ込んだ世界の人間のほとんどが所持している板の中で、比較的大きい種類のものだ。
ということはつまり、ジャメリンはまだ懲りずにあの世界へ手出しをしているということになる。
あの世界を発見し、デュアルの魔女から攻略の許可をもらったのはアイザス・ダナの軍団だった。
本来なら他の軍団が首を突っ込む権利はない。にもかかわらずジャメリンは、アイザス・ダナが苛立つというその一点だけを面白がって、何かというとちよっかいを出してくるのだった。
一方のアイザス側も、三千年をかけてゆっくり攻略しろというデュアルの命令を破っているので、表立って文句も言えないでいる。
「おう、アイザス・ダナの腰ぎんちゃくか」
ムルスを見やり、ジャメリンは口端をひん曲げて笑った。
「相変わらず、けなげなことだな。ご主人さまのためなら火の中、水の中。下げたくない頭をぺこぺこ地面に擦りつけるのもいとわぬお前らの忠誠心には感心するよ」
ムルスは黙って片膝をつき、礼の姿勢を取った。
左腕も地面について、恭順の意志を形で表す。
右腕は、ない。
リューン・ノアとの真っ向勝負で、肩口から切り落とされたからだ。
デュアルに投降したアイザス・ダナと同じく、その部下であるムルスもデュアルの魔力によって不老不死を与えられているはずだった。
けれどもリューン・ノアの腕輪による攻撃は、デュアルの魔力をも凌駕する何かを秘めている。
彼の氷の剣にえぐられたアイザスの腹の傷はいつまで経っても癒えず、ムルスの腕も元通りには繋げなかった。
ふふん、とジャメリンが嗤った。
「自分の腕のことは感嘆にあきらめたのに、主人の怪我についてはあきらめがつかんというのも、なかなか難儀な忠誠心だの。だが、その忠義に感じて、ちゃんと薬は煎じておるわ。ほれ、持っていくがいい」
たぶん、この世で自分の薬だけが頼りという状況が、彼を楽しまているのだろう。
それでもいい、この男の虚栄心が満たされることで、主人を治す薬が手に入れるのならば。
机の引き出しから、ジャメリンが薬草を包んだ袋を取りだした。
ムルスの足元へ放り出そうとして、ふと気を変えて机の上に置く。
こういうことは何度かに一度はあった。
いずれも、薬を受け取るムルスの間近で何か意地悪なことを言いたくなったときだ。
どんな罵詈雑言も耐える覚悟を決めてから、ムルスはおもむろに立ち上がった。
「ジャメリン様のご厚意に対し、主人に代わって十重二十重にお礼を申し上げます」
心のこもらない言葉をせいぜい大げさに発音しながら、うやうやしい態度でジャメリンのそばへにじり寄った。
片手だけで表現可能な程度に敬意を表したつもりで、薬の袋へ手をかけた。
しかし、袋の口を掴む前に、ジャメリンがその手を押しのけた。
「な、何事でございましょう?」
「まあ、そんなに急ぐな。ちょっとこれを見てみろ」
差し出されたのは例の板である。
「こいつは持ち主の手を離れるとだんだん弱っていって、そのうち死んでしまうのだがな。それまでは板の表面にいろいろな動く映像が流れているので、退屈しのぎにもってこいなのだ」
「はあ……」
「気のない相槌だな。いいから、これを見てみろ」
案外器用にジャメリンは、板の表面に素早く指を動かした。
すると、さっきまで映っていた動画はすぐに消え去り、別の映像が現れた。使われている言葉もリューン・ノアのいる世界と同じものに変わった。
最初のうちは気のない調子で、しかたなく板を眺めていたムルスだが、とある台詞を耳にとめてがばと身を起こした。
「なんと⁉ い、今……どんな怪我も治ると?」
「おお。お前にも聞こえたか」
我が意を得たりとばかり、ジャメリンが机を叩いた。
「そうなのだよ。私もこの板をいじっていて、偶然に見つけたのだ。なんでも、女神の加護によって、浸かればどんな怪我も病気も治してくれる奇跡の泉というものがあるらしいのだ。
続きをよく見てみろ、ちゃんと地図も出てくる。
この世界の地図はなかなかにわかりにくいのだが、幸いほら、ここのこの絵を見るがいい。丸い星の形がぐるりと回って、リューン・ノアの暮らす島からの相対的な位置がわかるようになっている。
これならお前らも、この泉へ通じる道を空間に空けることはたやすいはずだ」
「た、確かに……」
ムルスはごくりと唾を呑み込んで、その動画に見入った。
なにやら軽薄そうな男女がやたらにしゃべくりながら旅行先を紹介していた。ムルスにはなんの関心もない建物やら料理やらの話が大半だったが、合間にときどき地球儀の形をした地図が挿入されて日本からの旅行方法が説明されるので、目が離せなくなる。
泉の名前は『るるど』というらしい。
できれば泉の水に浸かって本当に怪我が治る場面を映せばいいのに、とムルスは思った。
たいへんな数の患者が回復していると甲高い声の女が叫びたてるばかりでは説得力に欠ける。
地球の女神がどれほどの力を持っているか、ムルスは知らない。しかし、現にデュアルの魔女という存在を知り、その恩恵を与えられている身としては、完全に否定する気にもなれなかった。
「どうだね、お役に立てたかね。アイザス・ダナを連れて行って、この泉に沈めてみるかね?」
一方のジャメリンは、明らかにこの情報を信じていないのが丸わかりだった。ただ、ムルスが逡巡するだろうことを見越し、その戸惑いを楽しみたいだけだ。
それがわかっていてムルスは、ジャメリンの挑発に乗る覚悟を決めた。
そもそも、リューンの神から受けた傷だ。
別の世界の女神が、同じくらいの力を持っていて治せるというのも、まんざら嘘とは限らないではないか。
最後にもう一度だけ地図を見直してから、ムルスは決然として身を起こした。慌てるあまりジャメリンの薬を忘れそうになって、慌てて取りに戻る。
マントをひるがえして駆け去る巨体を見送って、ジャメリンは高らかに哄笑した。
まったく。忠義一途の単純バカほど、からかって面白いものはない。