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「やあ、珊瑚ちゃん!」


 弾けるような声に呼ばれて、珊瑚は振り返った。


 バス停の標識をめがけて走ってくる青年の姿を認めて、その顔にぱあっと笑顔が広がる。


「フォウくん!」


 通学かばんを足元に落として、大きく手を振り返した。

 そうしている間に、フォウと呼ばれた青年はたちまち珊瑚のそばまでやってきた。標識の下にある運航表の看板を見上げて、ひゅうと口笛を吹く。


「へえ、珊瑚ちゃんっていつも、こんなとこからバスに乗って村へ戻ってきてたんだな。毎日が小旅行って感じ?」


「もう、フォウくんったら」


 珊瑚は少し口を尖らせて、むくれてみせた。


「しょうがないじゃない。このあたりで進学系の高校がある町っていうと、一番近いのがここなんだから。なにがなんでも娘を医学部にやりたい父親のエゴに振り回されてる可哀想な私に、ちょっとは同情してよ」


「はいはい、わかってますって」


 言葉とは裏腹に、ちっともわかってくれない様子のフォウである。いたずら坊主がそのまま大人になった風情で、珊瑚に向かってへらっと笑った。

 珊瑚が周囲を見回していることに気付くと、フォウの笑顔はさらにいたずらっぽくなった。


「おや、どうしたんだい珊瑚ちゃん」


「え、だって」


 反射的に返事をしかけて、ぽっと赤くなる珊瑚である。


「フォウくんが町に来るってことは……その、和彦さんも一緒、よね?」


 ここに珊瑚の父、九条先生がいなくてよかった。

 いかな旧友の息子とはいえ、自分の娘が男の姿を探した揚げ句、頬を染めたりする姿を見て、穏やかでいるはずがない。


 一方のフォウは、無理もねえやと思っている。


「和彦さんは向こうの角で、女の子に囲まれてるよ」


「ええっ?」


「というのはウソ。いくら絶世の美男子だといっても、和彦さんはただ立ってるだけだと、なぜか地味だからな。珊瑚ちゃんくらいの目利きじゃないと、あのカッコよさには気づかないって」


「もう!」


 真っ赤になった珊瑚に、かばんで背中をはたかれた。

 フォウはケラケラと笑って、あさっての方向へすっとびそうになったかばんを空中でキャッチした。


「和彦さんは氷浦教授のおつかいで郵便局。なんか新しい論文が海外から届いてるんだけど、料金不足なんでどうしますかって、わざわざ局長さんから電話もらってさ。届けてもらうのも悪いだろうって氷浦教授がいうんで、二人して遠征してきたんだ」


 氷浦教授の研究所は珊瑚と九条先生の暮らす辺鄙な寒村の、そのまた奥にある。そんな奥地まで届けに行って受け取り拒否になったらたまらない、という郵便局の配慮も、もっともである。


「和彦さんが町までジープを出すっていうから、俺もお付き合いってことでさ。ほら、長い道のり、和彦さんだって話し相手がいたほうがいいだろ?」


「とかなんとか言って、要するにフォウくんも気分転換の息抜きにきたんでしょ? でなきゃ、両手に買い物袋をいくつもひっさげてたりしないわよね。そんなにたくさん何買ったの? 新発売のコンビニスイーツとか?」


「あはは。ご名答」


 二人で笑い騒いでいるうちに、角を曲がってバスがやってきた。


 豪雪地帯では、なまじの運転技能では危険なことが多々あるため、自家用車を持っていても日常の足はバスという人が多い。ことに、町を外れた寒村までの路線を持っているバスは、意外なほどに大勢の客を乗せていた。


「あらやだ、今日は坐れないかも」


「なら乗らなくていいよ、珊瑚ちゃん。今日は荷物も少ないし、和彦さんがジープに乗っけて帰ってくれるさ」


「えっ、嬉しい」


 恋する乙女は素直に喜んだ。


「なら運転手さんにそう言っとくね。バスが停まるまでちょっと待ってて」


「義理堅いなあ」


「だって運転手さんは、毎日この停留所で乗り降りする人のことをちゃんとわかってるんだもの。たまに私が学校の用事で乗り遅れたりすると、次の日には心配して声をかけてくれるのよ」


「毎日行き帰りの一便ずつしかないバスに乗り遅れたら、珊瑚ちゃんはどうしてるの?」


「お父さんがカンカンに怒りながら車で迎えにくる」


「うへえ」


 フォウは頭を抱えた。

 激怒した九条先生とは一瞬でも顔を合わせたくないのに、その状態の九条先生と村までずっと車の中に閉じ込められるなんて、最悪にもほどがある。きっと家に着くまでずっと沸騰したヤカンみたいになって、ガラガラと説教をがなりたてっ放しだろう。

 確かにそれを思えば、いくら遠距離だろうがバス通学を選ぶほうが理にかなっている。


 待てよ。ということは、愛しい娘が危険なオオカミたちのジープで帰還するというのも、かなり不穏なシチュエーションではなかろうか。


 軽い気持ちで誘ったはいいものの、急に不安になってくるフオウである。


 そんなことを考えていたせいだろうか。


「あらっ!?」

 珊瑚が大きな声を出して初めてフォウは、バスが停留所に停まらなかったことに気付いた。


 停車しないだけではない。バスは一瞬も速度を落とすことなく、すごい速度でバス停を通り過ぎていった。


 そして、フォウは見た。


「フォウくん、あれっ!」


 珊瑚にも見えたらしい。


「中にいた人、猟銃みたいなもの持ってなかった?」


 しかも、二人のうち一人はその銃口を満員の乗客に向け、もう一人は運転手を脅していた。安っぽい目出し帽をかぶり、汚れたジャンパーを羽織った若い二人。

 その眼が血走っているのも、フォウは見てとった。


 バスジャック。


 フォウは無言で走り出した。


 バスを追うのではなく、ロータリーの向こう側にある公園を目指して、一直線。停留所のロータリーをどうしても回らねば方向転換ができないバスの動線を考えれば、こちらへ走れば追いつけるはずだ。


 フォウに向かって何か叫ぼうとした珊瑚が、唇を噛みしめてスマートフォンを取りだした。

 その姿を目の端にチラリと見て、いいぞ、とフォウは微笑んだ。

 バスジャックを発見したら、まず警察に通報。

 それが普通の市民としての、もっともよい行動だ。


 あいにく普通の市民ではないフォウは、公園を突っ切ってなおも走った。生け垣を飛び越え、ガードレールの上に飛び乗って、危なげにバランスを取りながら、さらにスピードを上げる。


 来た。


 暴走するバスは、何度もアスファルトのへこみに車輪を取られて大きく跳ね上がる。そのたびに乗客が悲鳴を上げ、バスジャック犯が乗客を威嚇している。

 窓辺からのぞく犯人の横顔は完全に正気を失い、血走った眼を吊り上げて、なにやらわめいている。


 その光景も一瞬。


 阿鼻叫喚が通り過ぎようとする刹那、フォウはガードレールを蹴って、跳んだ。

 暴走バスへの斜めからのアプローチである。さすがのフォウも、かろうじて屋根の張り出し部分をつかむのがやっとのことだった。

 積雪避けがついていてよかったと思いつつ、鉄棒の要領でぐるんと一回転。一気にバス後部の上へ乗る。

 その動きこそ軽やかだったが、なにしろ人間一人分である。ドンと屋根が鳴り、中の犯人たちにも気づかれてしまった。


 一度は屋根に膝をついたフォウは、すぐさま体勢を立て直した。ともすれば吹き飛ばされそうになりながらも、背をかがめ、バスの前方に向かって走る。


 思った通り、ばあんと足元が裂けた。


 続けて二発、三発。


 内側から犯人が天井を射撃しているのだ。フォウの足音を手掛かりにして。


 ただ、獲物が古いタイプの猟銃なので、素早い連射はできないようだ。これが流行りのハーフライフル銃だったら、足元がもっと危なくなるところだった。

 ただ、やわなバスの天井は、どっちにしろ銃弾を簡単に貫通させてしまう。


 フォウは雪避けの張り出しを蹴って斜めに跳んだ。


 その勢いで一回転し、バスの前部を両手でつかんだ。できるだけ角度を鋭くして、足からフロントガラスに突っ込む。


 ガラスが砕けた。


「うわあああっ」


 急に眼の前に現れた障害物に、運転手が絶叫してハンドルを大きく切った。バスが危険なほどに傾き、車輪がきしんだ。


 乗客はみんな、泣き叫びながらバスの傾きと反対方向にふっ飛んだ。


 犯人たちも同様。


 わめきながら、それでも二人はしっかりと猟銃を握ったままだ。くそ、と思いながらフォウはバスの床に着地するなり、体勢を立て直した。


 そのまま、犯人の一人にのしかかるようにして肘打ちをかませる。

 けれどもそれは単なる陽動。

 わっと犯人が叫んでこちらを向いたのを狙い、今度は容赦なく延髄に回し蹴りを叩きこんだ。


 猟銃ごと吹っ飛んだ一人目をそのままに、二人目の犯人に向き直る。


 舌打ちをした。


 当人にとっては運のいいことに、犯人はちょうど幼稚園児たちのど真ん中にふっ飛ばされていた。

 もちろん、それを利用しないほどの阿呆でもなかった。

 わめき騒ぎ泣きじゃくる園児の一人をひっつかみ、二人目も掴まえて両脇に抱え、銃口をフォウに向ける。


「何してやがる! バスを止めるなって言ったろう!」


 怒鳴られて、運転手が慌てて席に這い戻った。

 

 再び走り出したバスの中で、フォウは徒手のまま犯人と対峙するしかない。


「この野郎! 何者だか知らねえが、よくも邪魔してくれやがったな!」


 憤激と興奮のあまり口から泡を吹きながら、犯人がわめき散らした。

 彼が両脇にしっかりと抱えこんだ園児は、さっきまではあたりかまわず泣きわめいていたのに、今は顔を土気色にしている。

 期せずして首を絞められる形になっているからだ。


 そうして犯人は、自分が子供の首を絞めていることにも気づかないほど頭に血をのぼらせている。


「てめえ、なにもんだ! 警察か!」


「まっさか。通りすがりの善人だよ」


 できるだけ軽い調子でフォウは答えた。

 相手の調子を和らげるために満面の笑みで手も振ってみせたつもりだが、うまくできたかどうかは自信がなかった。案の定、犯人はさらに激昂した。


「ウソつけ! ただの通りすがりが、走ってるバスに飛び乗ってきたり、蹴りのたった一発で俺の相棒をふっ飛ばしたりできるかよ!」


 それはまあ、そのとおり。


 現に今もフォウは、もう一方の手を上着のポケットに何気なくつっこんで、その中ではマッチを握って準備しているのだ。

 隙さえあれば、どこかでこれを擦って火を起こすつもりである。

 そうなれば、こちらのもの。なのだが。


 そのとき、窓の外に。


 ほんのちらりと写っただけだが、フォウの動体視力は、バスに並走するジープと運転者の表情までを捉えていた。

 それどころか、互いに視線を合わせて頷き合うこともできた。


 和彦さんだ。


 和彦さんが来てくれた。


 和彦は頷きと共に大きくハンドルを切り、ジープの側面を思い切りよくガードレールにぶつけた。


 バスとそれに並走するジープは、峠道の頂点を越えて、すでに下りのルートに入っていた。

 片側は切り立った山肌、もう片方は、崖から頼りないガードレールに守られているだけの狭い山道だ。


 そのガードレールを無造作に越えた和彦のジープは、あっという間に崖の底へと落ちて行った。


 否、落ちたのではない。

 下ったのだ。


 ほんの一瞬の並走だったので、犯人はジープの存在にも、それが崖を下っていったことにも気づいていなかった。

 ただもう人質の子供たちを抱えこみ、フォウに向けた銃口を外すまいとしている。

 こめかみに血管を浮かせ、引き金にかけた指はぶるぶる震えていた。

 今ここで後ろにいる客がわっと脅しでもしてくれたら、こいつはてきめんに銃を取り落とすだろう。

 などと無理なことは考えまい。

 乗客はみんな、恐怖に縮こまっているのだから。


 崖を何度か目に回りこんだところで、あっと運転手が叫んだ。


 岩壁を斜めに横切るようにして、和彦のジープが猛然と崖を下ってきたのだ。


「なっ、なんだあれは⁉」


 子供を抱えこんだまま、犯人が目を剥いた。


「警察か⁉ いや、あんな無謀な運転、覆面パトカーでもしやしねえ。くそ、運転手! さっさとあいつをぶっちぎれ! 追いつかれでもしたら、てめえらまとめて皆殺しにすんぞ!」


 慌てて運転手がアクセルを踏み込んだ。


 これだけのスピードを出しておいて、雪の残る峠の坂道でスリップしないのは、さすがは雪国の運転手である。

 たちまち和彦のジープははるか後方へ遠ざかっていった。


 けれどもフォウはなんの心配もしなかった。

 なぜなら、ここは雪道で。

 雪があれば、和彦は。


 ほら。


 突然、ものすごい制動が車体にかかった。

 まるで車輪が急に回転をやめたかのような衝撃だった。それを予測していたフォウ以外の全員が、慣性の法則によって前方に放り出された。

 もちろん、犯人も一緒くたである。

 小脇にしていた園児たちも、こうなったら手放さざるを得ない。

 猟銃も宙に投げ出された。


 今だ。


 混乱の中でフォウはポケットから手を出しざま、握ったマッチを座席の角に打ち付けた。

 ひらめいた火花を取りこぼさず、手の中にすくいとって念をたたきこむ。


 ぼおっと音を立てて炎がふくれあがった。


 フォウの生業は霊幻道士。

 そしてこれは、火種に術者の精神力を送り込んで自在に操るという、フォウの得意とする呪術だ。

 本来は邪鬼や悪霊を退治するために修行して身に付けた技だが、なにしろモノが本物の炎であるから、この世のものにも攻撃は可能である。


「くらえっ、この!」


 まずはその炎を、犯人の顔にぶつけて悲鳴をあげさせた。

 眼前に炎が迫る恐怖に、平然としていられる者はいない。たいていの者は両手で目を覆って炎から身をそらす。


 その足元を、フォウの炎がさらに襲った。


「ひっ、ひいいっ」


 足を取られて尻もちをついた犯人は、それでもまだ未練がましく周囲を手さぐりし、人質にとれそうなものを探す。往生際が悪い。


「いい加減にしやがれ、小悪党!」


 思い切り炎を叩きつけた。


「ぎゃあっ」


 炎の勢いに押され、男の体は一直線に前方へ吹っ飛んだ。

 料金箱を越えて、さっきフォウが割ったばかりのフロントガラスの穴に突っ込む。


 車外に転がり出た。


 けれどもフォウは慌てない。

 手の中に炎を収めて吹き消してから、おもむろにバスのドアを開いてステップを降りた。


 ほうら、思ったとおり。


 バスの車輪は四つとも凍り付き、地面に張り付いていた。

 というよりも、地面の雪が車輪にまとわりつき、その動きを止めてしまったというほうが正しい。

 フォウは手をかざしてバスの後方を仰ぎ見る。


 そこでは和彦がジープから下りて道の真ん中へ仁王立ちになり、左手の腕輪を地面の雪へかざしている。

 その手首がまぶしいほどに輝いている。


 水を自在に操る、リューンの腕輪の力だ。


 その力が山道をうっすらと覆う雪だまりに働きかけ、バスの車輪の地面との接触面をカチカチに凍り付かせたのだ。

 それだけではない。


「う、うわわ。ばっ、化け物だあ」


 フォウの炎に追われた犯人の男が、なんとか立ち上がって逃げようとした。その男に向けて、和彦が右の手のひらをかざした。


 男の足元から雪がいっせいに舞い上がり、ブリザートとなって全身を包み込んだ。


「ひいい⁉」


 叫び声もほんの一瞬。


 たちまち男は凍り付き、地面の氷と一体化した。

 逃げ腰のみっともない姿勢のまま、氷のオブジエとなっている。


「あーあー。やりすぎだよ、和彦さん」


 フォウは和彦を振り返り、わざと呆れた声を出してみせた。

 その視線を受けて、和彦がにこりと笑った。


 バスの乗客はまだ、車内で三々五々に折り重なって呆然としている。園児たちも泣くのを忘れて、窓の外の不思議な炎使いと雪使いを見やっている。


「あはは」


 フォウはとりあえず、そちらに向けて手を振った。


「えーと。俺は香港からやってきた霊幻道士で……なーんてこと言ってないで、逃げちゃったほうがよさそうだな。おーい、和彦さん! さっさとジープに乗って、三十六計といこうぜ!」


 強盗の素性が気にならないといったらウソにはなるが。そんなことよりも日々の平穏が一番。

 どうせ町一番の大事件として、すぐに地方テレビが報道するだろうし、こんな連中との関わりはそれで充分。


 和彦に続いて、フォウはひらりとジープに飛び乗った。同時に和彦がエンジンをかける。このへんは阿吽の呼吸だ。


「あ、そうだ。珊瑚ちゃんを拾ってやらなくちゃ」


 どう考えても、このバスで珊瑚が帰宅するのは無理になったわけだし。


 パトカーのサイレン音がようやく聞こえてきた。


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