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リューン、それは。
地球から次元を隔てたどこかに、かつて存在していた王国の名である。一年のほとんどが極寒という苛酷な自然環境の中で、人々はそこに生き、暮らし、文明を築いた。
大宇宙の魔女 デュアルの軍団が現れるまでは。
そうして、リューンの若き世継ぎの王子が、数奇な偶然の元にたどりついた、生命にあふれる青い星。
地球。
デュアルの部下たちは今、虎視眈々とその世界の支配を狙っている 。
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きいん、と刃が弾けた。
粉々となった剣の破片が勢いよく飛び散る。そのうちの鋭い一個は、剣の持ち主であるムルスの頬をかすめ、血の跡を残した。
「むう!」
ひと声唸って、ムルスは折れた剣を投げ捨てた。
しかしムルスには、もう一方の手で新たな武器を取りだすことはできなかった。彼の右腕は、リューン・ノアによって切り落とされてからもう久しい。
血のにじむ努力の末に左腕で剣を使えるようにはなったが、それでも、両腕があった頃のようには戦えないのが正直なところだ。
今もそうだ。
リューン・ノアの剣を受ける角度をもう少しなんとかできたら、無様に剣がへし折れることもなかったろう。
「下がれっ、ムルス!」
「ファラ様!」
親衛隊長のファラが、際どいところで二人の間に滑り込んだ。抜き打ちざまに、リューン・ノアの刃を自分の短剣で受け止める。
しかしファラは、徒手での戦闘技能こそ秀でているものの、体つきはいたって小柄な少女である。リューン・ノアの勢いに押され、彼女もまた剣を取り落としてしまった。
しびれた手をかばいながら、ファラは雪上を転がってリューンメノアの二撃目を避けた。
「リューン・ノア!」
叫んでムルスは、ファラに向かって振り下ろされた刃を素手で掴んだ。焼けるような痛みと共に、鮮血が飛び散った。
構わず、刃を掴んだまま横倒しにしようと試みた。
こちらの世界でいう真剣白刃取りの要領だが、いかんせんムルスの手は片方しかない。
しかも、手の中からは急に刃の感触が消えた。
「あっ」
虚をつかれたムルスは、たたらを踏んだ。
たった今まで拳の中にあった剣先が、水と化してムルスの指の間から流れ落ちいく。
しまった、と思う暇もなく、リューン・ノアが左手を地面に向けた。
彼の手首で腕輪が輝いたかと思うと、地面を覆っていた雪がいっせいに舞い上がった。
リューン・ノアの手の中に、雪が結晶化されながら収束する。
リューン王家に伝わる不思議な腕輪。
それは、水を武器にするリューン・ノアの力を、何倍にも増幅する。
「くそっ」
ノアの新たな氷の剣が形を成す前にと、ムルスは腰の短剣を抜いた。我ながら嫌になるほどモタモタしながらも、なんとか迎撃の構えを取る。
だめだ。やはり間に合わない。
短剣を突き入れるより前に、正面からリューン・ノアが長剣を振りかぶって、切りかかってくる。
「待てっ、リューン・ノア!」
真っ向から額を割られるかという刹那、背後からファラの叫び声が響いた。
「小僧がどうなってもいいのか! 剣を引けっ」
「なにぃ⁉」
リューン・ノアが血相を変えて振り返った。
地面に片膝をついたまま、ムルスもそちらを見た。ファラが自分よりも長身の青年を羽交い絞めにし、首に短剣を突き付けていた。
この世界でリューン・ノアといつも共に闘っている、炎使いの小僧だ。
今日も当然、炎使いはリューン・ノアと共に戦場へ現れ、加勢をしようとしたので、親衛隊が数人で制圧を試みていたはずだった。
その数人はすでに倒されてしまったらしいが、小僧も無傷ではなかった。ファラに拘束されながら、自分の肩を手で押さえたている。その手も肩も血まみれになっている。
「和彦さん、俺のことはかまうな!」
この小僧はいつも、びっくりするほどに強気だ。
ぜいぜいと息をつくのが精いっぱいという状態でいながら、ファラの短剣などものともせず、強い目をしてリューン・ノアに叫んだ。
この世界の者はリューン・ノアをその名では呼ばない。そうして、ノア自身もそれを喜んでいるふうでもある。
「和彦さん、せっかくここまで追い詰めたんだ! こっちのことは気にしないで、一気にそいつを倒しちまってくれよ!」
しかしリューン・ノアはあっさりとムルスから剣を引いた。
ノアが手から離した氷の剣は、キラキラ輝きながら元の雪へ戻り、地面に積もってゆく。
「見ろ、ファラ! 武器は捨てたぞ! お前もフォウくんから剣を引け!」
「あー、もう!」
小僧が頭をかきむしった。
「だから、こっちのことは自分でやれるんだったら! ほんとに和彦さん、俺のこと信用してねえよな! 頭にくるぜ、まったく!」
わめき散らすなり、小僧が髪の毛から手を引っこ抜いてもう一方の手の平を開いた。
ぱあんと手を叩いて、手の平でマッチを擦っている。油断なく耳の後ろにマッチ棒を隠していたものらしい。
ぱあっと燃え上がった炎が小僧の指にまとわりつき、たちまち何倍にも増幅された。蛇のようにくねって、ファラの眼前に迫る。
「う、わっ⁉」
いかな歴戦の戦士でも、眼前に炎がひらめいては、たじろがざるを得ない。その一瞬の空隙を小僧は見逃さなかった。
短剣ごとファラの腕を掴み、足払いをかけるなり、思い切り投げ飛ばした。
「フアラさま!」
とっさにムルスは駆けつけた。
地面に叩きつけられる寸前で、なんとかファラを抱き留めることに成功する。
だが、ムルスは片腕だ。その腕でファラをかばってしまえば、もう闘う術がない。
「くそっ」
そこへ、助けが来た。
「ムルスさま、フアラさまっ、こちらへ!」
満身創痍の親衛隊員が数人、息せき切って駆けつけてきた。
リューン・ノアに刀傷を追わされた者、小僧の炎で火傷をしている者、さまざまだ。
けれども、死んだ者はいない。
ノアたちが手加減したわけではなく、アイザス・ダナの親衛隊員は全員が魔女の恩恵をこうむって、不老不死を与えられているからだ。
隊員たちがいっせいに、上空へ片手を上げた。
空間に奇妙な歪みが生まれた。
その歪みに向かい、ムルスはファラを抱えて走った。隊員たちと共に、その歪みへ身を投げる。
「リューン・ノア! 勝負はあずけるぞ!」
空間の穴に跳びこんだとたん、世界が暗転した。
平行世界。
この世には無数の世界が存在し、互いに混じり合うことなく、過去から未来に向かって流れ続けている。
デュアルの魔女は、しかし、その世界を自由に行き来する能力を持っていた。
そうして、己に投降した軍団の構成員にも、空間を歪めて他の世界を行き来する力を与えるのだ。
だが。
次元の狭間の闇に包まれた彼らの居住地に向かいながら、ムルスは悔しさに歯噛みしていた。
改めて、腕を失ったことが腹立たしくてならなかった。
不老不死を与えられた身が本体から切り離されると、どうなってしまうものかムルスにはわからない。たとえば自分が細切れに切り刻まれてしまったらどうだろう。肉片になったまま、永遠に生き続けるのだろうか。
しかしあのときは、切り離されたものを元に戻す術はないだろうと、こちらの空間に戻ってきてから、切られた腕をいさぎよく灰にしてしまった。
もしかしたら、早まったことをしたのだろうか。アイザス・ダナ伝いでデュアルの魔女に願えば、腕を元通りにくっつけてもらえたのかも。
などと未練がましく考えている自分が嫌で、ムルスはぶるぶると首を振った。
まったく、馬鹿なことを。
人は今ある環境で、やれることをやるしかないのだ。
ファラ様のために。アイザス様のために。
俺は、この片腕で。
「リューン・ノアを、倒さねばならぬ」