ギルドは依頼を受けつけない⑦
焼けた麦畑から離れた丘の上に、エリスの村人達の家々が集まっていた。集落にまで火の手が及ばなかったのは、畑との間に距離があったからだろう。不幸中の幸いである。
集落の奥には大きな屋敷が建っている──マクスキー卿の拠点である領主館だ。
アスクとアイアはまず領主館を訪ねる。子爵から事件の調査許可は得ているが、村を訪れるのは今日が初めてなのだ。
挨拶するアスクをマクスキー卿は鼻であしらった。けれど、これから事件の調査が始められることを聞くと、口端を吊り上げた。どこかよからぬ笑みだ。
「これから調査となると、ギルドへ戻る頃には日が沈んでしまうだろう? 今夜は我が屋敷で休むといい。夕食もうちの使用人に腕を振るわせよう」
「子爵様の厄介になるわけには──」
「サブマスターは冒険者時代の心得があるから心配するのも無駄というもの。だが、そちらのお嬢さんは違うのじゃないのかね? 私としても、夜の間際に若い娘さんを村の外へ送り出すのは心苦しい」
「お気遣いくださり、ありがとうございます。子爵様」
アイアが笑みを返してみせれば、マクスキー卿は満足げに頷いた。
「宿探しの手間が省けるぶん、調査にも身が入るだろう。なに、最初に私の話を聞いただけで血濡れの蜂が真犯人ではないと見抜いたサブマスターのことだ。期待以上の報告を持ってきてくれることを信じているぞ──いやあ、夕食時が待ち遠しいよ」
「ええ、私もサブマスターならきっと子爵様のご期待に応えられることを信じてます。頑張ってくださいね! サブマスター」
「……出来る限りのことはしましょう」
ニコニコと笑顔を向ける子爵と受付嬢に、アスクは動じなかった。
* * * * * *
村の広場には人の影が見当たらない。
雑草すら焼き払われた畑でおこなう作業など無いうえに、働き手はこぞって冒険者業へ鞍替えしているからだ。
アイアは閑散とした広場を眺めつつ、アスクの動向を窺う。
「それで、何から調べるおつもりですか?」
当然のようにアスクからの反応は無い。もはやアイアも慣れてきた。
アスクが歩き出し、近くの家の扉を叩く。
中から出てきたのは赤ん坊を抱えた女だ。明らかに村人ではない訪問者に胡乱げな表情である。
「どなたかしら?」
「俺はアスク、バーンズ市の冒険者ギルド“ドゥーム”のサブマスターだ。先日、この村で起こった付け火の件で訊きたいことがある」
「ギルドの人……?」
アスクの背後にはアイアが控えている。受付嬢の姿を見て、女はひとまず警戒を解いた。
「──あたしは子供達と家にいたから、この目で見たわけじゃない。でも、旦那はビーヅを見たって言ってたわ。見間違えたりするはずない。顔にあんな派手な刺青を入れてるんだから」
目撃したという血濡れの蜂は間違いなく本人だったのか。
アスクは一軒ずつ訪ねては問い、応じた村人達は恨み辛みと共に答えてくれた。
* * * * * *
「ビーヅの阿呆ときたら、とんでもないことをしてくれたもんだよ……。あんな野郎、八つ裂きにして火の中に放り込んで死体すら残してやるもんかい」
「畑は話に聞いていた以上の有り様だな。これだけの規模の火事で、村人全員が無事だったのは奇跡だ」
「ああ……そればかりは運が良かったよ。あとは、ケイルのおかげだね」
老婆の口から出てきた名前にアイアは目を見張った。
「あの子が村中に教えて回ってくれなけりゃ……いいや、そもそも火が付けられたことに気づいてくれなかったら、私らは今ごろ神様のもとに還ってたよ。まったく、ビーヅのせいで……」
──火事に気づいたのはケイルだったのか。
老婆が延々と続けるビーヅへの怨嗟は、アイアの耳に入ってこなかった。
* * * * * *
「領主様にも言ったけどね、あれはビーヅで間違いないよ。この村の人間はアイツが生まれた時からあの憎たらしい顔を見てきたんだ」
中年の女は食ってかかるように断言した。まるで喧嘩口調であるが、アスクはおとなしく耳を傾ける。
「ケイルも『ビーヅが逃げていった』って言ったんだ。他の誰でもないケイルが、だよ?」
「何故ケイルの証言をそこまで信頼できるんだ?」
「なんでって、そりゃアンタ……ああ、村のもんじゃないから分からないか」
アスクを見上げた女はひとりでに納得している。アスクとアイアが訳も分からず訝しんでいると、女は「ケイルはね、ビーヅの子分だったんだよ」と教えてくれた。
「子分?」
「子分って言っても、ビーヅの悪さに無理矢理付き合わされてただけだよ。それも子供の頃の話さね」
近所の家から鶏を盗んだり、ロバの背中に乗って森へ行こうとしたり、村の井戸で水汲み競争をしたり。大目玉を食うビーヅの横にはいつもケイルがいたという。
「ケイルは家族思いで優しい子だけど、どうにも気が弱くてねぇ。同い年とはいえビーヅみたいな乱暴者には逆らうことができなくて、しょっちゅう連れ回されてたよ」
「なるほど。幼馴染みだったなら顔を見間違えるはずがないわけか」
「幼馴染みだなんて可愛い仲じゃなかったけどね。ビーヅが冒険者くずれになって村を出てった時は、みんなほっとしたもんだよ。ケイルもやっとビーヅから解放されて安心したろうに……」
* * * * * *
「熱病が流行ったのは何年前だったか……去年、いや五年か?」
「三年前だ」
「ああ、三年か。歳をとると一年なんかあっという間だな。この間麦を刈り取ったばかりだと思ったらもう実っとるんだ」
「今年は火事で収穫も出来ず残念だったな。ケイルの家も大変だったんじゃないのか?」
足が悪いという老爺は暇を持て余しているのか、じつによく喋った。しょっちゅう話が逸れるので逐一アスクが引き戻してやっている。
「そうそう。あそこの家はカイルも嫁さんも死んで、もう子供らだけだからな」
カイルとはケイルの父親だそうだ。
「それをあの悪たれ小僧が目敏く嗅ぎつけてきおってよ、村に戻ってくるたんびカイルの家に入り浸っとる。叱りつけてもまるで聞く耳なんぞ持ちやせん! それどころか掴みかかってきおって、避けようとしたら足がもつれちまって地面に倒れたんだ。すぐに息子にお医者先生を呼ばせたんだが、とりあえず足は折れとらんかったでな……」
アスクは滔々と語る老爺の話に辛抱強く付き合っている。
その後ろで、アイアは押し黙ったまま考え込んでいた。
* * * * * *
「お医者様が殺されたのは、ケイルさんに責任があると思っているんですか?」
アスクと共に老爺の家を出て扉を閉めた直後、アイアは訊ねた。
事件の起こった日、ビーヅはエリス村に戻ってきていた。つまり、ケイルの家にも訪れていたということだ。
「あの日の夜、お医者様は血濡れの蜂と鉢合わせた。その時に何らかのトラブルが起こったか因縁をつけられて、お医者様は殺されてしまった──ケイルさんが家に呼ばなければ、そうはならなかったはずだと」
「こじつけもいいとこだな」
アスクの声は呆れていた。
その言い草にアイアはカチンとくる。そもそもケイルが犯人だと言い出したのはアスクだ。その根拠をアイアなりに精一杯捻り出してやったというのに。
「医者とケイルの間でトラブルが起こったと考えるほうが自然だ。大方、病気の兄弟の治療代について揉めたんじゃないか」
「……サブマスターはどうあってもケイルさんを犯人にしたいんですね」
「あいつが犯人なのは確実だからな」
話にならない。
アイアは露骨に息を吐いて、アスクとの会話を打ち切った。
* * * * * *
ドンドンと扉を叩く音が耳につく。アイアは呆れ半分に目の前の背中へ言ってやった。
「しつこい男は嫌われますよ」
扉を叩いていたアスクの動きが止まるも、一瞬だけだ。まるで聞こえなかったかのように、ふたたび拳で扉を叩き鳴らす。
もう十軒以上は回ったはずだ。太陽はだいぶ地平線に近づいており、空の色も変わりつつある。
そろそろ調査を打ち止めにするべきだ。アイアが口を開こうとしたその時、扉が動いた。アスクの拳が空を切る。
「どちらさま、ですか……?」
出てきたのは子供だった。アスクはノックしていた拳を下ろす。
十歳ほどだろうか。背丈はアスクの胸先にも届いていない。痩せた少女は見下ろしてくるアスクに萎縮気味で、その後ろに立つアイアにも緊張の眼差しを向ける。安心させるようにアイアが笑いかければ、少女の強張った肩から少しだけ力が抜けた。
「俺はアスク。バーンズ市の冒険者ギルド“ドゥーム”のサブマスターだ」
「…………。……あ、こ、こんにちは。あたしは、ケティです」
「数日前の付け火のことで話を聞きたいんだが……大人はいるか?」
「……大人は……親はいません。病気で死にました。兄ちゃんが……兄ちゃんは、いま仕事に行ってて……」
「そうか。兄ちゃん、はケイルのことか? お前、ケイルの妹か」
ケティの目が丸くなる。アスクの推測は当たっていたようだ。
アスクの後ろからアイアが身を乗り出した。
「私達、お仕事で事件のことを調べてるの。ケイルさんが最初に火事に気づいたのよね? 村の人達が感謝してたわ、おかげで全員無事だったって」
「あ……え……は、い」
ケイル本人ではないのに感謝を伝えられてケティはおろおろしている。
「火事の起こった前日に血濡れの蜂がここに来たはずだ。会ったか?」
アスクが訊ねると、ケティの体は鞭で打たれたかのように硬くなった。照れくさそうだった表情も失われる。
「兄貴と血濡れの蜂は幼馴染みらしいな。村人達は、兄貴は子分のようだったとか言っていたが、家族のお前から見て実際はどうだったんだ?」
さらにたたみ掛けられてケティはうつむいてしまった。
アイアはアスクの腕を引っ張って後ろに下がらせる。アスクが鋭く睨みつけるがアイアは無視した。
「ケティちゃん、ごめんね! 変なこと訊いちゃって。──他の村の人達から実のある話は聞けてるんですから、この子に訊くまでもないじゃないですか」
「実があるかどうかは俺が判断する。ただのオマケが口を挟むな」
「オっ……! サブマスターが無神経過ぎて見てられないだけです!」
「ああ?」
「ケティちゃんに嫌なことを思い出させないであげてください」
ケイル達が親を亡くしてからはビーヅが頻繁に家を訪れるようになったのだ。幼い弟妹は彼らの上下関係を目の当たりにし、ともすればビーヅに狼藉を働かれていたのかもしれない。──ケティの怯えた反応で答えは知れている。
「あの日は……うちに、来てました」
アスクとアイアは揃ってケティを見た。
うつむいたままケティが声を絞り出す。
「来たのは本当です……でも、あたし、ケイル兄ちゃんにケイン兄ちゃんをみてろって、言われてて……あの、ケイン兄ちゃんは病気だから。だから……家の奥にいたから、会ったりはしてないです」
「じゃあ、いつまで家にいたかは分かるか? 医者先生を呼んだ時、まだ血濡れの蜂はいたか?」
ケティが首を横に振る。
「…………ケイン兄ちゃん、いつもより咳がひどくて、熱も高かったし、ずっとそばにいたから……」
「なるほど」
アスクはまだ訊きたい様子だったが、アイアの厳しい視線を受けて引き下がった。それに、これ以上めぼしい話を聞き出せるかも怪しい。「邪魔をしたな」とその場を離れる。
「……あっ、あの」
その声にアスクの足が止まった。アスクに続こうとしていたアイアも振り返れば、ケティと目が合う。
「どうかしたの?」
「あの……、お姉さん、ギルドの受付の人ですよね?」
「そうよ」
「……受付嬢って、美人じゃないとなれないって、本当ですか……?」
思わぬ質問にアイアは目を瞬かせた。しかし、ケティの表情は真剣そのものだ。
「えっと、そんなことないと思うけど……もしかして、ケティちゃんは受付嬢になりたいの?」
アイアが問い返すと、ケティは隠れるように扉へ身を寄せる。だが、小さくも確かに頷いた。
「あたし、お姉さんみたいにきれいじゃないけど」
「…………なんだそりゃ」
アスクは呆れを隠さなかった。
「ギルドの受付は傭兵崩れや腕にものを言わせる冒険者達を相手にするんだ。そうやって自分の見た目にうじうじしてる程度じゃ務まらないな」
「サブマスター!」
「少なくとも、こいつみたいに上司に噛みつくくらいの神経の図太さは要るぞ」
「そもそも人としての気遣いを知らないサブマスターに親切にも指摘して差し上げてるだけです」
「こんな風にな」
見た目なんざ二の次だ、とアスクはケティを見据える。
「最低限、字の読み書きは出来るようになれ。使えるようであれば雇う」
「……はいっ」
ケティの返事はハッキリとしていた。
「それと、家に大人がいないときは出てくるな。親がいないことも馬鹿正直に言うんじゃない。相手が悪けりゃ家に押し入られるか、攫われて売り飛ばされるぞ」
「……はい」
「あんなにしつこくされたら出ないわけにはいきませんよ。──怖い思いさせちゃってごめんね、ケティちゃん」
「え、いえ……そんな」
謝るアイアにケティは慌てて首を横に振った。そんなやりとりを尻目にアスクは空を一瞥し、夜の色が空の半ばまで広がっていることを確かめると、ふたたびケティを見下ろした。
「お前、今一人で留守番してるんだよな」
「はい……あ、でも、ケイン兄ちゃんもいます。具合悪くて、寝てるけど……」
「なら、兄貴が帰ってくるまで待たせてもらう」
えっ、とケティとアイアの声が揃う。
「家に子供だけは格好の獲物だろ。それに血濡れの蜂がここへやって来る可能性は高い」
「そう……かもしれません、けど」
この冷血漢がそんな心配をするとは。信じられないとばかりにアイアはアスクを凝視する。
ケティも唐突な申し出に困惑している。
「ケ、ケイル兄ちゃんなら、もうすぐ帰ってくると思います……」
「今日冒険者登録したばかりの奴だ。依頼に手こずってそのまま泊まりになっていても珍しくない。邪魔するぞ」
ケティの返事を半ば無視してアスクが中へ入ろうとするものだから、慌てたアイアは服の背を掴んで阻んだ。
「ちょっと、サブマスター!」
「あの、大丈夫なので……」
ケティが小さな体で扉を押し返し、弱々しくも抵抗する。
前から後ろから邪魔をされアスクは面倒くさそうに舌打ちすると、アイアに引っ張られるまま数歩後ろへ下がった。
──そして、一切の手加減無く扉を蹴飛ばした。
「ぎゃうっ!」
薄い扉ごとケティが叩きつけられる。土を踏み固めただけの冷たい床に、痩せ細った体が転がる。
「なっ……」
突然の蛮行にアイアの頭と体の動きが止まる。その隙にアイアの手からアスクが外れ、家の中へと踏み入った。
「はっ……な、何してるんですか?! 何考えてんですか!」
我に返ったアイアは、アスクを押しのけてケティのもとへと駆け寄った。ぐったりとした体を抱き起こし、アスクから守るように両腕で抱える。
「ケティちゃん! ケティちゃん、大丈夫? しっかりして!」
ゔ、とケティの口から呻き声が漏れた。幸い目立った怪我は見当たらない。
ほっとしたのもつかの間、背後でバキンと音がした。アイアがそちらを振り向くと、テーブルの向こう側におそらくは椅子であっただろう木片が散らばっている。
アスクがもう一脚椅子を蹴り飛ばす──土床に窪んだ箇所がひとつ。目を眇め、その窪みをつま先でなぞった。
「……ここか」
「どういうつもりですか! こんな賊みたいなことを──」
「おい、ケティ?」
怒鳴るアイアを遮ったのはアスクではなかった。アイアの腕の中でケティが身じろぎする。
「あ……」
あらん限りにアイアの目が見開かれる。その視線の先には、騒ぎを聞きつけて来たであろう男の姿があった。
奥の部屋から出てきたその男をアスクは静かに認める。
見間違えようもない、左の目尻から頬にかけて刻まれた朱い蜂。
「血濡れの蜂……!」
医者を殺し、畑を焼き払った男がそこにいた。