ギルドは依頼を受けつけない⑭
冒険者ギルド“ドゥーム”は今日も多くの人々で賑わっていた。ホールにひしめく冒険者達は、受付の前に列を成している。大挙して押し寄せていたエリス村の民はそのほとんどが冒険者登録を済ませたため、新規登録の数もようやく落ち着いた。
辺りをぐるりと見渡したアイアは、受付嬢の一人に声を掛ける。
「あの、マリラさんはどこですか?」
折良く一人案内を済ませた彼女は、談話室を指差す。
「マリラなら依頼の受付対応よ。何かあった?」
「休憩です。私は先に取ったので、マリラさんと交替を」
「ああ、そうなの。じゃあ代わってあげて。──次の方どうぞ」
会話を切り上げると彼女はすぐさま前を向いた。きびきびとした対応で列が捌けていく受付を後に、アイアは談話室へと足を運ぶ。
談話室の中から話し声が聞こえてくる。アイアがそっと中を覗き込めば、マリラの後ろ姿が見えた。向かいに座っているのは中年の男と少女である。その少女の顔を見て、アイアは思わず声を上げそうになった。
間違いない、あれはケティだ。
「……では、この条件で作成しますね。少々お待ちくださいませ」
立ち上がったマリラが部屋から出てきて、出入り口のアイアと鉢合わせた。
「あら、いたのアイアちゃん。どうかしたの?」
「こ、交替です。マリラさん休憩に入ってください。それであの、依頼の受付対応中って聞きまして」
「そうそう。これなんだけどね、往復路で王都への案内と護衛依頼」
ボードのメモをアイアに見せつつマリラが説明する。
「コアン村から子供二人を王都まで案内して、ふたたび村まで送り届けるの。報酬は金貨二枚が上限。この内容で依頼書を作成してちょうだい」
「子供だけで王都へ行くんですね」
「珍しいことじゃないわよ。大人が一緒に行くとなるとその間の稼ぎが減っちゃうもの。──あの女の子、姪御さんだそうよ」
マリラがちらりと目で示す。
ケティはお金が入っているだろう革袋を大事そうに抱えこんで、うつむいたままである。
「元々はエリス村の子だったけど、この間の事件があったでしょう? それで暮らしが立ち行かなくなって、コアン村に住んでる伯父のあの方が引き取られたって」
「伯父……子供二人ってことは、兄妹揃って引き取られたんですか?」
「ええ。あの子、病気のお兄さんがいるのよ。だから神殿へ行くために案内と護衛の依頼に来たわけだけど……」
伯父である男は隣のケティへしきりに話しかけている。子供の相手は慣れていないのか、ぎこちない様子ながらもケティをいたわっているのがよく分かる。
アイアはひっそりと胸を撫で下ろした。ケイルの弟妹は離れ離れにならずに済んだのだ。そして、親代わりとなった伯父は二人のためにここまで世話を焼いてくれている。
「子供を預けるのだから、紹介する冒険者は気をつけて選ばないといけないのよね」
「あ、はい。それはもちろん……マリラさん?」
表情を難しくするマリラに、アイアは首を傾げる。
「話の流れで所持金の総額を聞いたんだけど、金貨二枚と銀貨三枚ですって」
「? 王都まで往復するならちょうどじゃないですか。コアン村の位置なら金貨二枚が相場ですよね」
コアン村から王都までは馬車で五日。これは片道の距離で、往復だと十日になる。
さらに、神殿で治療を受けるのであれば数日間は滞在することとなる。ケティの兄がどの程度の病状なのかは分からないが、重症でなければ二日前後であろう。
往復路の馬車代に案内と護衛、王都に滞在する間の食事代や宿代をひっくるめれば金貨二枚は妥当な額である。
しかし、マリラはゆっくりと首を横に振った。
「たしかにコアン村から王都を往復する費用としては十分よ。でも、神殿へ納めるお布施が足りないわ」
「あっ……」
マリラの指摘は背後からの不意打ちのような衝撃をアイアに与えた。すっかり失念していた。
神殿へのお布施は額が定められていない。参拝者の気持ちに委ねられているものの、一般的には金貨一枚から三枚といったところだ。どうしても、という場合は銀貨五枚が必要最低額である。
「足りない分は伯父様が用立てなさるそうだけど、銀貨五枚だと順番は後回しにされがちなのよね。一日ならまだしも数日待つことになるとしたら、それだけ宿代も嵩んじゃうわ。かといって、報酬を下げれば請け負う人はいなくなるし……」
「だったら、お布施代を貯めてから依頼を発注し直してもらうほうがいいのでは」
「お兄さん、だいぶ弱ってるそうなのよ。今すぐにでも王都へ連れて行きたいって」
「……そう、ですか……」
アイアは唇を噛んだ。浅はかな自分が情けない。
実の兄が殺人を犯して捕まり、家族同然に慕っていた人物も処刑されたのだ。心労のあまり病状が悪化してもおかしくない。だとすれば、一刻を争う。
「……大人なら王都で仕事を見つけられるのに……」
「十歳じゃあねえ……。働けたとしても、貰えるお給金は大人の半分だわ」
そうして金を稼ぐにしても、その間の滞在費用も賄わなければならないのだ。
「……ここで私達があれこれ心配していても、どうすることもできないわ。出来ることといえば、希望通りの冒険者を紹介することくらいね」
切り替えるようにマリラが微笑み「お願いね」とアイアへ作業を引き渡す。
マリラの言う通り、アイア達がいくら頭を悩ませたところで現状は変えられない。そもそも、ギルドの一介の受付嬢が依頼人の事情にそこまで踏み込むべきではない。
ギルドの円滑な運営のために働くことがアイア達の役目だ──依頼書作成のための要点がまとめられたボードを、マリラから受け取る。
「おう、二人ともお疲れさん」
明朗な声が廊下に響く。
アイアとマリラが振り向くと、笑みを湛えた髭面の男がやって来ていた。
「ギルドマスター、お疲れ様です」
「お疲れ様ですわ。ギルドマスター」
「こんな所で何してるんだ? アスクに見つかったらまたぞろ文句言われるぞ」
「マリラさんが休憩に入るので、作業の引き継ぎを」
アイアは手元のメモをかざしてみせる。
それを見たグレオスは談話室の二人を一瞥し「依頼の受付か」と言い当てた。
「それにしちゃ深刻そうな様子だったな。何か不具合でもあったのか?」
「いいえ、私達が勝手な心配をしているだけですわ」
苦笑しつつマリラが手短に説明する。
事情を知ったグレオスは「なるほどな」とふたたび談話室へ目をやった。
その背中に向けてアイアは小声で告げる。
「ケイルさんの妹さんです」
「……エリス村のか」
グレオスはただちに察してくれた。アイアが首肯すると、髭に覆われた口元が笑う。
「ようやく来たか。待ちくたびれたな」
「はい?」
意図が分からず呆気にとられる受付嬢二人をよそに、グレオスは談話室へと踏み込んだ。
「失礼、待たせて申し訳ない! 俺はギルドマスターのグレオスだ」
「え? あ、ギルドマスターって……」
突如として現れた大男にケティは目を白黒させている。彼女の伯父はその迫力に気押されていたが、グレオスの役職を理解すると慌てて立ち上がった。
「ギ、ギルドの偉い方がわざわざどうも初めまして」
「いやあ、そこまでかしこまらんでいいぞ。たまたま話を聞いただけだ。で、さっそく本題なんだが──まずお前さん達には謝らないとならん」
「へ、はあ? どうしてまた……」
気さくな雰囲気から一転したグレオスの神妙な態度に、伯父は身構える。
「発注された依頼なんだが、受けつけられそうにないんだ。王都への護衛なら紅級以上の冒険者が適任だ。しかし、運悪くほとんどの者が別の依頼を請けていてなあ」
つらつらと述べるグレオスの後ろで、アイアとマリラはお互いの顔を見合わせる。
「少し前から魔物の繁殖期が始まってるのもあって、どうしても討伐依頼を優先せざるを得ない状況なんだ。急ぎの依頼というなら報酬金を上乗せしないと引き受けにくいだろうな」
「上乗せって、いかほどにですか? 多少なら出せますが……」
「そうさなあ、金貨二枚は追加しないと厳しいな」
「き、金貨……二……」
裕福とはいえない村で、二人の子供を引き取ったばかりの男には到底出せない額だ。言葉を失う伯父の隣で、ケティは泣きそうな顔になっている。
「そんな大金を今すぐ出せ、なんてのは無茶な要求だと分かっちゃいるが、ギルドとしては冒険者に対して最低限の保証はせにゃならん。とはいえ、お前さん達にも事情があるのは分かる」
そこでだ、とグレオスは身を乗り出す。
「金が足りないなら働くしかない。じつはちょうどいい仕事があるんだ──俺も王都に用事があってな、その道中の雑用を頼まれてくれんか?」
ケティの潤んだ目が見開かれた。幼い視線を浴びながらグレオスは続ける。
「急ぎの用なんで明日には発ちたい。王都には数日滞在する予定だが、具体的な日数は到着してからでないとはっきりしないんだな。それと、経費を抑えたいから出来れば子供を使いたくてなあ」
グレオスの灰色の目がケティを映す。
「どうかね? お嬢ちゃん、働く気はあるか?」
「……あ、あります。働かせてくださいっ!」
その答えにグレオスは満足げに頷いた。
ケティが勢いに任せてまくし立てる。
「あの、それ、あたしがんばって働きますから、お兄ちゃんも一緒に連れていかせてください! お金はもらわなくていいので、お願いします!」
「ふむ。お兄さんの歳はいくつかね?」
「あたしのふたつ上で……十二歳です」
「まだ子供だな。だったら馬車代は大人の半額、王都までの雑用の給金とトントンだ。ただ働きすることになるが、それでいいか?」
「はい……はいっ!」
返事をするケティの声は上擦っていて、希望の光りに瞳が輝いている。
一方で、唐突な展開に伯父は戸惑うばかりだ。それはそうだろう、自分達にとってあまりに都合のいい話なのだから。
「そんな、そこまでしてもらったって、こっちは大したお返しが……」
「いやいや、ギルドの都合に付き合わせてしまってるんだ。きっちり働いてくれりゃあ十分だよ」
カラカラと笑いながらグレオスは言い切った。伯父はしばし呆然とすると、がばりとテーブルへ擦りつけんばかりに頭を下げた。
目の前で繰り広げられるやりとりに、人知れずアイアは胸に迫るものを感じていた。あふれそうになる思いをぐっと堪える。
隣のマリラが優しく声を掛ける。
「アイアちゃん、そのボード私が片づけておくわ」
「はい……。お願いします」
依頼書を作る必要はなくなった。アイアからメモを回収したマリラは静かにその場を去って行った。
グレオスとケティらはさっそく明日の王都行きについて打ち合わせを始めている。ケティの表情は明るく、先程までの落ち込みぶりが嘘のようだ。
──本当に良かった。
ケティの笑顔を横目に、アイアは談話室を背にして歩き出す。受付として仕事をしなければ。
すると、アイアの前からゴトンと足音が聞こえた。
「おい、ギルドマスターを見なかったか?」
ぶっきらぼうなサブマスターが、正面のアイアを見下ろしている。
威圧感のあるアスクに臆することなくアイアは答える。
「ギルドマスターなら談話室で、明日からの王都行きの打ち合わせの最中です」
「王都行き? ……明日だと?」
「はい。急ぎの用だと仰ってましたけど。サブマスターはご存じないんですか?」
眉をひそめたアスクは、続くアイアの言葉に思いきり顔をしかめた。
足早にアイアの横を通り抜けると「ギルドマスター!」と談話室へ突進する。
「王都行きってどういうことだ! んなもん聞いてねえぞ!」
「おお、アスク。たった今決まったところでよ、丁度いいところに来てくれたな」
「三日後に商業ギルドとの会合あるだろ! すっぽかすつもりかあんた!」
「それなら大丈夫だろう、お前がいるんだから。そのためのサブマスターじゃあないか」
「んなっ……」
あっけらかんとしたグレオスの返しにアスクが絶句する。
やがて、アイアの背後から「ふざけんな!」と怒号が飛んできた。受付やホールにまで響く怒鳴り声に、職員や冒険者達は一瞬身構える。しかし、声の主がサブマスターだと察したのかすぐに意識から外した。
アイアも気に留めることなく、受付台の席に着く。
「受付入ります。こちらへどうぞー」
「あの、ここ来るの初めてなんですけど……」
「では新規登録からですね。──ようこそ、冒険者ギルド“ドゥーム”へ」
冒険者ギルド“ドゥーム”は、今日も多くの人々で賑わっている。
第1話 了
いつも通り受付の仕事をこなすアイア。だが、サブマスターのアスクから理不尽な命令を下される。
「この依頼、絶対あの男には渡すな。そしてギルドから出すな、何が何でも足止めしろ。出来なかったらお前の首が飛ぶと思え」
「はい……?」
人生最大の危機に陥るアイア。彼女の明日はどうなるのか。
第2話「ギルドは依頼を渡さない」
2027年投稿予定!